第5話 初めまして、異世界

 人生初となる幻想世界に足を踏み入れた時、


 一番最初に思ったのは「自分はこの世界を知っている」だった。


 目にするのは美しい街の外装、見たこともない色鮮やかな植物、

 そして空に浮かぶ複数の昼の月。


 すべてが初めての経験のはずなのに、そこに漂う空気感に記憶の奥底で何かが揺さぶられるような感覚を抱く。

 どうして、こんなに懐かしい匂いがするのだろうか。


 ……プログラム参加者たちはみな同じことを思ったらしい。


 街に吹き抜けた優しい風に、その場にいた数十人全員が言葉を失っていた。


「ようこそ、シャピア帝国へ」


 よく通る柔らかい声にハッとして前を向くと、まるで執事のような恰好をした男が背をピンと張って口を開いていた。


「プログラム当選者の皆様、よく起こしになられました。

 私は帝国の使いの者です。

 この国にいる間、皆様のお世話をさせていただきます」


「よろしくお願いします。

 私が優月様の使いであるミランダです。

 この後の予定ですが、事前に連絡したとおり、まずは精霊王国に――」


 引率であるミランダさんたちはシャピア帝国の使いの人と今後の確認をしている。


 俺は暇つぶしにとスマホを取り出してみたが……圏外になっていることに気が付いた。


 そうだった、こちらの世界にはインターネットは通じていない。

 当然ながらWi-Fiもないので、俺は愛用のスマートフォンをポケットではなく鞄の中にしまいこんだ。


 やることもなくなった俺は、自分たちが出てきた建造物を振り返る。


 ――こちら側の『扉』のポートは、古い遺跡だった。


 苔に覆われた石造りの大部屋に気が付いたら自分は立っていて、足元には巨大な魔法陣が薄青く輝いていた。こっちの世界じゃ柱じゃなくて魔法陣だったようだ。


 床どころか壁にまで幾何学模様が伸びた立体構造である。

魔法陣って平面に描かれるやつじゃなかったっけ……?


 それから遺跡内部を進み――どうやらこれがこちら側での「税関」らしい――いかにも魔術師といった風の大きな帽子を被ったローブ姿の人たちに呪文を唱えられ、杖をかざされ、それが済んだ後にようやくポートの外に出られたのだ。




 ――そこで、予定の確認は終わったらしい。

 帝国の使いの人を含めた大人たちを筆頭に、プログラム参加者一行は街を歩き始めた。


「すっげぇ……ガチ異世界だ……」


 自分の言葉かと思ったら、先ほど合流したカイトだった。


 いや分かる。この感動は間違いなく今までの人生で一番のものだ。


 空想の産物でしかなかった世界に、自分はいま直接立っている。

 夢でもみてるんじゃないかと思うほど突飛な出来事だった。


 でも、その気になればおそらく誰でもこれを味わえる世界になったのだ。


 異世界体験旅行プログラムはあくまでもその一例にすぎない。


 何だったら商売人としてこっちの世界に来ることもできる。

『闘気』を習得して武闘家として渡ってもいい。

 あるいは、科学者としてこっちの世界の技術を学びに来るのも、ありだ。


 その過程でひょっとしたら今後もっと面白いことをしでかすやつが現れるかもしれない。その可能性を多分に含んだ今の世界のあり方に、俺は軽く興奮していた。


 シャピア帝国は素敵なところだった。

 少し口を閉じれば耳に心地よい発音の異世界の言語がそこかしこで囁かれ、涼しい風とともに日常の生活音が聞こえてくるのを感じる。


 どうやらこちらの世界は風が少し強いらしい。

 旗は揺れ、風見鶏のような装飾物が屋根の上で回り、嗅いだことのない懐かしいにおいを含んだ風が自分たちの服を揺らしていく。


 街を闊歩するのは、人と容姿の異なる異種族たちだ。

 長い耳を持つ者や子供くらいの背丈しかない者、獣のしっぽを揺らす者……。

 夏が近いからか、みな一様に半袖などの涼しそうな服装で過ごしている。


 もちろん自分たちと同じ人間族も確かにいて、大小様々な往来の中に黒髪の者も見えて、そんな多様な人の群れが茶色を基調とした街並みと、そして今にも落ちてきそうな空の月の下にずーっと続いていた。


 街に立ち並ぶのは、料理店、スイーツショップ、本屋、料理店、電池式の電化製品専門店、スイーツショップ、スイーツショップ……。


「……スイーツショップ多くね?」

「知らないのか深道。こっちの世界じゃ砂糖は貴重品なんだぞ。

 だから地球世界から持ってきて、現地で出来たてほやほやのを売ってるんだ。

 パティシエなんかはかなり重宝されてるってさ」

「へぇ……」

「それより見ろよ!

 あの子……超かわいくね!?

 いや、あの子も! その子も!

 ここは天国か!?」


 カイトは街娘を見て狂喜乱舞していた。

「オレ、この世界の言語マスターする」彼はそう言って決意に満ちた瞳を浮かべた。


 一方、単独行動をしていた緋色に視線を向けると、彼女は彼女で目をキラキラさせながら異世界の景色に身を乗り出していた。


 まるで幼い子どものようにあっちへ行ったり、こっちへ行ったり……そして自分がプログラム参加者の群れから離れていることに気付いたとたんに小走りで戻ってくる。俺は彼女のそんな姿に年相応の少女らしさを垣間見た気がした。


「――シャピア帝国は多民族国家です。

 エルフ族やドワーフ族、半獣人と獣人……様々な種族が帝国の庇護の下で暮らしています」


 そこで、帝国の使いだと言っていた男が参加者の列を振り向いた。


 進行方向に背を向け、器用に――というかかなり無理のある後ろ歩きをしながら口を動かしている。


「今となっては東のデルタ帝国に並ぶ有数の大国となったこの国ですが、建国の際はごく小規模な都市でしかなく、ある種族からの協力なくしては発展できませんでした」

「ある種族?」


 質問したのは緋色だ。


「――精霊人せいれいびとです」


 彼は、やはり少し無理があったのか後ろ歩きを止め、ちょくちょくこちらを振り返りながら話すスタイルに変更した。


「最初のシャピアの王は、精霊人せいれいびとから魔法を学び、それを用いて国を繁栄させました。

 今のこの国が『魔導大国』として名を馳せた歴史には、精霊人たちが大きくかかわっているのです。

 彼らは我々にとって唯一無二の友人であり、そして信仰の対象でもあります。

 帝国のことを知ってもらうためには、彼らのことも知ってほしい。

 我々が今向かっているのは、彼らが住まう『精霊王国』へと通じるゲートなのです」


 俺の頭の中には、ホタルみたいな光がふよふよ飛んで、テレパシーか何かで人と意思疎通をしている場面が浮かんでいた。


 どちらかというと実体の無い存在というイメージがあるが、どんな人たちなんだろう?


「……さて、件のゲートは実はもうすぐのところにあるのですが、その前に……」


 脳内で色とりどりの精霊たちが飛び交う姿を妄想していると、

 ガイドをしていた彼が立ち止まる。


「腹ごしらえをしましょう」


 そして、完璧に計算していたのか、すぐ右を見ればそのまま店だった。




 中に入って食べたのはこちらの世界では一般的だというパンとスープ。

 どちらもできたてほやほやだ。湯気が立ち上るそれらは腹を空かせた参加者たちには輝いて見えたらしい。

 食べ盛りの少年少女たちはすぐに飯をかきこみはじめた。


 スープの具材はじゃがいもと脂の乗った肉、そして見たことのない野菜。


 幻想世界での食材は呼び名が違うだけで遺伝子的には向こうのとほとんど同じものもある。このじゃがいもはきっとその内の一つだろう。

 帝国側が気を利かせてくれたのだろうか、俺たちが普段食べ慣れている食材をメインにしつつ、幻想世界オリジナルの食材も加わった一品だった。


 知っている食材のはずなのに、味の深みが全く違う。

 こちらの世界の料理は調味料こそ少ないようだが、もともとの素材の味が秀でているようで、シンプルで薄めの味付けなのに頬が落ちるほどうまかった。

 初めて食べる緑色の野菜も、不思議な甘さがスープに溶け込んでいていくらでも食べることができる。


 カイトはパンを口に詰め込んでいたせいか突然喉を詰まらせ、胸をどんどん叩いている。とりあえずコップに水を注いで渡してやると、ジェスチャーで感謝を伝えられた。

 緋色は「これなら毎日いけるわね……」と移住後の食事情を考えながら料理を口いっぱいにほおばっていた。口元に食べかすがついていたのでそれを指摘してやると、「うるさいわね、分かってるわよ」と睨まれた。




 ……あっという間に過ぎ去った食事の後は、ついに件の精霊王国へと向かう。


 精霊王国へと通じる転移魔法陣のゲートは、

 石造りのオブジェが真ん中に立てられた広場の中にあった。


 どうやらここがこの世界での交通機関の一つであるようだ。いくつもの魔法陣が円形に並び、その上に立った人々がどこかへと消えていく。

 見たところ一方通行で向かう仕組みらしい。基本的に魔法陣に入っていく者ばかりで、出てくる者はいなかった。


 剣や弓や杖を手にした冒険者たちがパーティーで魔法陣に飛び込んでいく光景を直に目撃して俺はにわかに感動した。


 絵面がワクワクするというのもあったが、何より、「目的地に向かうのに魔法陣を使うのは当たり前」というこの場の空気感に酔いしれた。


 唐突に、この世界の一員になりたい、こっちの世界での一角の人物として見られたい、そんな欲望が生まれるのを感じた俺は、湧き上がる興奮を抑えて、学生の身分でありながらまるで何でもないことのように魔法陣に飛び込んだ。とにかく何でもいいから何かのベテランとして見られたかった。


 そんな煩悩の片隅で、この転移魔法の技術を再現できたら地球世界――いや機工世界も大きく変わりそうだな、と考えながら、本日二度目となる転移の感覚に瞳を閉じた。

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