第31話 ベルリーチェ

 ……視界に溢れるのは、機工世界を思わせるほどの人の往来。


 今まで歩いてきた大自然の景色とは打って変わり、そびえたつ城壁の内側は何かの香辛料の利いた食事のにおいや、額に汗して働く人々の熱気、そして美しい建築技法の元に築かれた店や住居の群れであふれていた。


 街行く人々のにぎやかな喧噪を前に、俺たちは深い息をついた。


「ようやく、着いたな……」

「うん――ベルリーチェ、到着だね」


 改めて視線を上げる。


 街ゆく人々のなかには、法典のような分厚い書物を抱えて穏やかに歩くエルフや、

 商魂たくましくつばを飛ばして値切り交渉を試みる機工世界人もいる。


 ときおり目の前を通り過ぎた通行人が、翻訳魔法で聞き取れない言語で話しているところに遭遇してびっくりした。


 いや、考えてみれば全言語に対応してるほうがおかしいよな、と考え直しつつ、理解できない文化や人がいるという適度な『異物感』が、改めて街に着いたことを実感させてくれた。


 あの農村を出てから、ずいぶん時間をかけてやってきた気がする。

 ここからゲートまでの移動手段を確保すれば、機工世界まではあと一息だ。


「……それじゃ、ぼくは少し用事がありますんで、いったん離れます」


 後頭部の上のほうから聞こえてきた声に振り向くと、バファが帽子をかぶり直しながら笑っていた。


「あれ、分け前は? 

 盗賊たちはもう引き渡してあるし、たぶんそのうちお金もらえると思うけど」


 そう、例の盗賊に関しては、門を通るときにすでに兵士に引き渡してある。


 すぐに報奨金がもらえると思ってわくわくしていたが、どうやら事情聴取を行う必要があったらしい。

 念入りに気絶させながら運んでいたので意識を取り戻すまでに時間がかかるだろうし、報奨金はまた後日取りにいくことになったのだ。


「君たちはまだこの街にいるんでしょう?

 また来ますよ」


 そう言ってバファは「分け前はとっておいてくださいねえ」と手をひらひらさせながら離れていった。


 一時的な別れとはいえ、ずいぶんと軽いな。


 でも口笛を吹きながらのんびり歩いていく姿はまさに風来坊といった様子で、ああいう風に各地を渡り歩く旅人になるのも悪くないかもなと思った。


「……あたし、今日は観光する気になれないわ」


 気だるそうに口にしたのは緋色だ。


「闘気があっても、大の大人を二人もかついでくるのは疲れるか」

「それもあるけど……色々考えて疲れたのよ」

「じゃあ、今日はもう宿を取って休んじゃおうか?」


 ミーシャの一声に賛成して足を動かし、その辺に宿を探す。


 門がすぐ近いからか宿はすぐに見つかった。

 さすがに一都市なだけあってほぼ満室状態だったので、三人で一部屋だけ取ることになった。


 男女で同じ部屋に泊まる、という状況に気が付いてちょっと焦ったが、何を今さらという思いもあったので特になにも言わなかった。

 まあ、仮によこしまなことを試みたとしても闘気まとった緋色にぶち殺されるだけなので事実上なにもできないのと変わりない。


 疲労も溜まっていたので値段が高いかどうかも考えることなくお金を払い、案内された部屋に入室。


 場所は三階の真ん中だった。屋根裏部屋の雰囲気がある天井の低い部屋で、正面にひとつだけある木窓から外の光が差し込んでいた。


 荷物を下ろし、柔らかそうなベッドに身を放り投げる。


 お、ここのベッドは藁にシーツ被せたやつじゃないのか。

 機工世界のと同じ、ちゃんとした作りである。もしかして輸入したのかな?

 けっこう久々のまともな寝具だったので今夜はよく眠れそうだと思った。


 その後は、宿の敷地内にある庭で水浴びができるとのことだったので一人で桶を持って身体を洗いに行く。


 ちなみに女性陣二人は部屋の中で身体を洗っているはずだ。

 室内が水浸しになったりしないかと一瞬心配になったが、ミーシャの魔法制御技術を思い出してすぐに悩むのを止める。

 二人分の入浴?の時間を費やす必要があったのでゆっくりのんびり身体を洗った。


 どうせ左手しか使えないし、慣れるのにはいい機会だ。

 地味に生活魔法と水魔法の練習にもなったので一石二鳥である。


 その後は桶を返却し、のろのろと部屋に退散。


 変に誤解されると嫌だったのでしっかりとノックをしてから入室……しようとしたが、突然、勝手に開いたドアの隙間から髪を湿らせた緋色が顔を出し、バッと桶を差し出された。


 返してこい、とのことだった。

 要するにパシリである。


 まあいいけど……と憮然とした表情で再度返却しにいった。

 まあ別にいいんだけど。


 その後は無事部屋に戻り、「ごめんね、手間かけさせちゃって」と髪が湿っているミーシャにねぎらわれた。


 椅子に腰かけながら余っていた糧食を取り出して三人で食べ、左側から俺の分をぶんどろうとしやがる緋色を躱しながら時間をつぶし、適度に暗くなってから灯りを消して眠りに就いた。


 ハプニング? そんなものは何もなかったよ……。









 翌朝、門のところに行って盗賊たちの件を聞く。


 すでに通行人が並んでいるその列の脇に進み、暖かい朝日を背中に受けながら眠たそうな兵士の一人に声をかける。


 すぐに話は伝わった。

 どうやらあの盗賊たちは本当に賞金首だったようで、どこからかやってきた門兵のお兄さんが「若いのによくやってくれたよ」とずっしり重い革袋を手渡してくれた。


 恐る恐る内容物を確認してみる。

 中身は、ジャブジャブの金貨のプールだった。


「これ……バファに渡すぶんを差し引いても十分あるぞ」


 精霊王国を出るときにもらった金額の二倍くらいはあるだろうか。

 ミーシャに袋を持ってもらって、左手で中身をすくいあげてみると周りの人間に見咎められそうなくらい罪悪感を感じさせる黄金の輝きがきらめいていた。


「……もしかして、あたしたち本当に冒険者とかになれるんじゃないの?」

「はは、冒険者どころか、家だって買えたりして」


 冗談で言ったつもりだが、次第にほんとうに家を買えてしまうような気がしてきた。


 ――もしほんとうに家を買えたら、機工世界に戻らずこっちで暮らしていく未来が、明確に現実味を帯びてくる。


 なにかの宝くじを当ててしまったかのように、期待がどんどん膨らんでいくのが分かった。

 目の前で徐々に不敵な笑みを浮かべはじめた緋色を見て、きっと自分も同じ顔をしているんだろうなと直感した。


「確かめに行ってみましょ!」


 緋色がそのずっしりと重い革袋をひったくって駆けて行く。


「おい緋色!」

「待って、シン!」


 と、そこでミーシャから呼び止められる。

 踏み出した足に急ブレーキをかけて、後ろを振り返った。


「何? 急がないと。

 あいつ報奨金ぜんぶ使っちゃうかもしれないし」


 やばい、口では冷静に言ってるつもりだけど、俺もちょっとわくわくし始めてる。


 脚がずりずり緋色のほうに引きずられるみたいになっているのを感じながら、辛抱強くミーシャの言葉を待った。


「えっと……あれ……?

 ……ごめん、やっぱりなんでもないや……」


 しかし、彼女の反応は判然としないものだった。


 なにか勘違いしてたんだろうか?

 まあいいか。それより早く行かないと。


 遠くから「早く!」と急かしてくる緋色に返事をしながら、ミーシャと一緒に追いかけていった。




「――困ったなぁ……。

 こんなに楽しそうにしてたら、もう止める理由が見つからないよ」


 後ろのほうで、ミーシャが何かをつぶやいていたような気がした。




 改めて散策したベルリーチェの街は、とても彩り豊かに思えた。


 多種多様な看板や文字あるいは装飾用の植物が伸びた店が立ち並ぶ通りは自分たちを容易に魅了してしまうほどにカラフルで、その根幹を支えているのであろう伝統的な建築技法が目前の街並みにさらに不思議な重みを与えてくれる。


 その街景色を、姿形の異なる種族たちが入り乱れてあふれているのだ。


 なんだか、ほんの少し路地裏に迷い込んだり、どこかの店に入ったりすればすぐに面白い出会いがありそうな気がする……。


 そんな予感を、きっとこの街にいる人たち全員が共有しているのだろう。


 物事に対する無根拠な期待というか、明るさのような雰囲気がこの街には満ちていた。




 家の相場を調べてみようと意気込んでいた緋色だったが、まず最初に訪れたのは不動産屋ではなく服屋だった。


 緋色のシャツが先の盗賊たちとの戦いでぼろぼろになっていたので先に新しいのを買う必要があった。ずっとマントで全身を覆っているのも動きづらそうだったし、さすがにもう限界だろう。


 女子二人組の入店を見送ってから、少し待つかなと思って壁に寄りかかっていると、まさかの秒で出てきて仰天する。


 服のチョイスはミーシャの意見も加わっているらしく、確かにパッと見た限りでは町娘としてその辺を走ってても全然違和感がないくらいには似合っていた。


 そしてついに不動産屋……というか土地の斡旋所を見つけ、ずっしりと重い革袋を手に突撃。


「この金額で買える家を教えてちょうだい!!」と緋色が声を張り上げ、呆気にとられたカウンターのおじさんが金貨袋を確認して重い口を開いた。


「いやあ……この金額じゃあ……紹介できるものはねえぞ?」


 え、と緋色が硬直した。


「ほんとなの?」

「街の外れにある倒壊寸前の家とかなら紹介できるかもしれねえがなあ……。

 ちょっと、お嬢ちゃんたちには無理だと思うぜ」


 三人で顔を見合わせる。


 ――結局、家を買うのは無理だということになった。


 持ち家が手に入るなどとぬかしてた自分たちが急に滑稽に思えてきて、みんなで一斉に笑い出した。

 斡旋所のおじさんの呆れたような顔が脳裏に焼き付いて離れない。


 ……けれど、よくよく考えてみたらボロ家でも手は届きそうだったし、なんだったらその倒壊寸前の家とやらを魔法で改修すればどうとでもなるのでは……?


 購入の件はまだ選択肢に残しててもいいかもしれない。


「うう……いけると思ったのに」

「まあ、どうにかして金を稼げばいけるかもしれないんだし、今日のところは別にいいだろ。

 それより、金を稼ぐ手段だよな。

 冒険者になってみるのもいいし、あ、あと何かを売るってのもいいよな。

 道ばたで座り込んで店開いてるやつらがそこら中にいるんだし、俺たちにだって――」


 いや、待てよ。もしかしたら金を稼ぐ必要すらないかもしれない。


 どこかで困ってる人を助けて、そのお礼で家を受け取るみたいなことがあってもおかしくないじゃないか。


 なんだかんだで魔法は万能だし、できることはたくさんある。

 となると――。


 ……そこでふと、ニコニコと笑ってこっちを見ているミーシャに気が付いた。


「ふふ、シン、なんだかすごく楽しそう」


「……当然!

 俺は最近思うんだ。

 ――いつだって、いまこの瞬間が人生で一番おもしろいんだって」


 二人に向き直って、いまだかつて味わったことのない高揚感を感じながら話し始めた。


 高校生の自分でも昔を懐かしむことはある。

 あの頃のほうが楽しかったとか、小学生時代に戻りたいとか、っていうふうに。


 でも……今なら分かる。

 いつの日か、幻想世界を旅している今この瞬間が『楽しかったあの頃』に変わっていくのだ。


「俺たちは、いつか数十年後になって振り返った時に『もう一度あのころに戻りたい』って願ってしまうような一瞬をいますぐにでも作り出せるんだ。

 腕を失ったとか、周りからどう思われるか、とか――

 そんなのでクヨクヨしてたらもったいないよ」


 かつての自分なら絶対に口には出さなかったであろう本気の思い。

 それでもちゃんと共有したいと思えたのは、この二人ならきっと馬鹿にせず聞いてくれるという確信があったからかもしれない。


「……ふふ、今のは私もちょっとクラッときちゃったなあ。

 うふふ」


 やがて、ミーシャが笑みを隠しきれない様子で歩き始めた。

 なにかの熱に当てられたように、頬がわずかに紅潮している。


 そして振り返ったミーシャは、とても王女様らしからぬ、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。




「――ね、二人とも。

 今日一日だけ、みんなで遊んじゃおっか」




 俺と緋色は信じられないような気持ちで顔を見合わせて驚き。


 やがて三人で同じいたずらっぽい笑顔を見合わせて、いっせいにベルリーチェの街へと踊り出ていった。

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