第33話 大脱走

 ガタゴトと揺れる広い馬車。


 天井まで覆われた籠のような空間に五人で座り、

 それぞれが、小綺麗で清潔な壁によりかかっている。


 俺は世界樹の小枝を左腕に抱え、ぼんやりと宙を眺めながら会話を聞いていた。


「――それでは、精霊王国は無事、なんですね」


 上品に座るミーシャが、念を押すようにミランダさんへ問いかける。


「はい、ミーシャル殿下。

 精霊王国を襲撃していた闇の軍勢は突如としてきびすを返し、

 どこかへと消え去ったとのことです。

 勇敢に戦った兵士たちから多数の犠牲者は出たようですが、民の命は守られたそうです。

 あなたのお父様も、ご無事だと聞いています」


 ――複雑な表情を浮かべていた中で、ようやく安堵の息をついたミーシャ。


 ミランダさんの話によれば、精霊王国の現国王……要するにミーシャの父親による指揮もあって被害はかなり抑えられたらしい。

 精霊王国にいた数多くの魔術師を動かし、治癒魔法に長けた者を総動員して街を防衛。


 その過程で闇の軍勢がいきなり撤収したようで、呆気なく戦闘が終わったのだという。


 ……そこで、窮屈そうに座っていたバファが、ひらりと指を上げた。


「すいやせん、ちょっと質問なんですがねえ。

 ああ、いえいえ、ただの旅人であるぼくに首をつっこむつもりはないんですが……。

 お姫様は機工世界じゃなく精霊王国へ戻るべきじゃないですかね?

 危機が去ったというのなら、わざわざ遠ざかる必要もないでしょうに」


 バファの言葉に、呼吸が一瞬止まった。


 え、もしかして話の流れ次第では今すぐここでミーシャと別れることになるのか?


 表情ひとつ変えぬまま気にしてない風を装い、うつむいたまま会話の続きにじっと耳を澄ませる。


「いいえ、どちらにせよ歌優月さまのところへ行かれたほうがよいと思います。

 ……闇の軍勢の動向には、何やら不穏なものを感じますから。

 殿下が直接見たことをお話しすれば、何か分かるかもしれません」


 どうやら、ちゃんと機工世界まではいっしょに行くそうだ。良かった……。


 でも、そういえば確かに、ミランダさんを含めた歌優月パーティはずっと魔王軍と戦ってきたんだもんな。


 もしかしたらあの黒騎士ダビデのことも知っているのかもしれない。

 俺たちだけで中途半端なことをするくらいなら歌優月のそばにいるほうが安全なのだろう。


 とにかく、横で話を聞いていた俺は『精霊王国も無事みたいだし、別に緊急事態ってわけでもないんだな』と解釈した。


「それより、あなたは機工世界になんの用事があるのですか。

 彼らの居場所を魔道具で教えてくれたことには感謝しておりますが、だからといって同じ馬車で向かうというのは」

「まあ、まあ、こういうのも面白いじゃあありませんか、ミランダ嬢。

 これも何かの縁です。旅は一期一会というでしょう。

 ――じつはね、ぼくは以前にも機工世界に行ったことがあるんですよ。

 その時向こうで経験したことがどうしても忘れらんなくてですね……」




「……なんか、つまんないわね」


 そう言ってぼそっと話しかけてきたのは、隣に座っていた緋色だ。

 機工斧を近くに放りだし、思いっきり足を伸ばして、つま先を上に向けてプラプラさせている。


「ここまで来ちゃったんだから仕方ないだろ。

 でも気持ちは分かる」

「はぁ……やっぱり今からでも逃げ出しちゃおうかしら……」


 憂鬱そうに虚空を見上げる緋色。


 そんな彼女の言葉を反芻はんすうして、俺は目を見開いた。


「――いいなそれ」




 頭上にはてなマークを浮かべる緋色を横目に、俺は世界樹の小枝を左手で握りしめて立ち上がる。


 視界に溢れていたモヤモヤが晴れていくようだった。


 頭の中が、とても爽やかに感じる。


「シン?」

「……俺は昨日言ったよな。

 人生はいつだって、今この瞬間が一番面白いんだって」

「深道慎也くん。座ってください、転ぶと危ないですよ」


 ミランダさんのその言葉に俺は何も答えず、彼女をじっと見つめたまま、不敵な笑みが浮かぶのを必死で抑えようとする。




 そんな俺の気配に、彼女も何かを感じ取ったのだろうか。


 ミランダさんはハッとして、無言のまま静かに、自らの腰に差した小さな杖に手をかけた。


「…………」

「…………」


 片方には、身の丈ほどもある大杖を持って立つ片腕の高校生。


 片方には、教鞭のような小杖を抜こうとした体勢で座して固まる歴戦の魔術師。


 まるで居合い切りの決闘のように、固まったまま互いの動きを見定めて。

 そして――。




「――煙幕えんまく!!」


 俺は即興で作り出した魔法をテキトーな名前で唱え、

 馬車の内部に膨大な煙を爆散。


 奥から聞こえる複数人の咳き込み声を耳にしつつ、機敏な動きで反転。




 直後、俺は単身、外へ飛び出した。








「――俺は自由だあぁぁぁああっぁああああああ!!!!!!」




 深い大空に響き渡るほどの声で叫んだ。


 全速力で駆け出しながら、まっさらなはずの平原にやまびこみたいに自分の声が反響してくる。




 すさまじい解放感。


 俺はいま、生きている。




「――こらあああぁぁぁぁ!!!!」


 直後、背後から鬼のような怒鳴り声が届いてきた。


 それを耳にした瞬間、俺は恐怖を通り越して笑いが噴き出してきた。


「ぶははははは!!

 やーいやーい、ノロマああああああ!!!!」


 ……いまだかつて、ここまで全力で人を煽ったことが自分の人生にあっただろうか。


 相手をキレ散らかせるためだけの汚ったねえ笑顔を見せつけながら、妨害用の魔法を浴びせてやった。


 巻きあがる粉塵。液状化した泥土。汚れる衣服。

 そしてエルフの額に浮かぶ青筋。


 自分よりも圧倒的に力を持っているはずの存在が、自分が巻き上げた砂煙や泥にまみれて激昂しているところを目撃し、俺はなにか自らを縛り付けていたかせのようなものが外れる感覚を得た。


 ……俺の魔法……通用するじゃん……!!


 そのまま調子に乗った俺は、息を切らしながら雑に広げた魔力を反転させ、地中を爆散。

 ミランダさんや馬車に当たらない距離で全力で火魔法をぶっとばしてやった。


 めくれ上がる地面と地表を駆ける轟音が、まさに祝砲のように聞こえてくる。


 よく分からない小動物が蜘蛛の子を散らしたように逃げ出し、

 衝撃波で背の低い草花が一斉に倒れてくのを俺は知覚した。


 歓喜。


 人生とは、なんとすばらしきものであろうか。


「ぶはははは――――

 はっ!?」


 直後、信じがたい出来事が起こった。


 ミランダさんが目の前に現れたのだ。


 おかしい。もっとずっと後ろのほうにいたはずなのに。


「……私に転移魔法まで使わせるなんて、よほど――」

「ていっ」


 べちゃり、と。


 泥団子がミランダさんの服に張り付き、スローモーションで落ちていく……。


「……」

「……」

「…………えっと」

衝撃インパクト


 すぐ隣の地面が陥没した。


「ちょ……っ!?

 ミランダさん!? ミランダさん!?!?」


 ――返事が返ってこない!!


 待って、とりあえず距離を……!


 と思った瞬間、おそらくは本命だったのであろう軽めの衝撃インパクトを脳天に受け、俺はあっけなく無力化されてしまった。




 ――




「あっははははは!!

 ひぃっ……苦し……!!」

「ほんとに……ほんとにやるなんて……!!」


 頭皮にたんこぶを作りながらミランダさんに抱えられて戻ると、馬車の中では涙目で笑い転げる仲間たちが待っていた。


 ミーシャは腹を抱えて笑い、緋色は足をばたばたさせながら床を転げまわっている。


 よく見たらバファも口を覆って肩を揺らしていた。お前もかよ。


 さすがにちょっと恥ずかしくなってくるのを感じながら座り込む。

「笑いすぎだぞ」と伝えたが、焼け石に水だった。

 ふてくされて目をつぶっていると、隣から緋色がにやにやしながらのぞき込んでくる気配がする……。




「はぁ……ふふ、そういえばミランダさま。

 精霊王国はもう無事なのですよね?」


 やがて、ひとしきり笑い終えたミーシャが目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら口を開いた。


「え、ええ、そうですよ殿下。ご心配には及びません」

「では、少しくらい帰るのが遅くなっても問題はありませんね」


 ……ん?


 おっと、この流れは……。


「せっかくですし、一つ娯楽などいかがでしょう」

「娯楽、ですか」


 冷や汗を流すミランダさん。

 そんな彼女に対し、ミーシャがまぶしいほどの笑顔で答えた。


「はい! 私たちが逃げるので、ミランダさまが追いかけてきてください。

 私たちを全員捕まえられたらあなたの勝ち、というシンプルなゲームです」


「……いいわねそれ! あたしもそのゲーム参加したいわ!」


 阿吽の呼吸で緋色が賛成し、二人して不敵な笑みをにじませる。


 恥ずかしさは吹っ飛んだ。


 これは、俺も乗っかるしかない。


 まるでお芝居のように「俺も俺も!」と抑揚豊かに参加を表明すると、絶句したエルフが顔を青ざめていた。


「あ、でももしミランダさまが負けたら、

 こちらは好きなように動かせてもらいますから」

「す、好きなように、とは……」

「歌優月さまのところには、私たちだけで向かうということです」


 ごくりと、眼鏡のエルフがつばを飲み込んだ。

 その表情はまるで、自分の手に負えない魔物と遭遇してしまった中堅冒険者のごとく重い緊迫感を醸し出していて……。


「おやおや、ずいぶんと面白そうじゃあありませんか。

 それなら僕は、このミランダ嬢の側につきましょうかね。

 一人で三人を追うのはきついでしょう」


 そこで、獣人が名乗りを上げた。

 彼は、鬼側にまわるらしい。


 三対二。

 バランス的にはちょうどよさそうだ。


「……旅人の方、くれぐれも手は抜かないようにお願いします。

 相手は一国の王女と、機工世界の住人です。

 もしものことがあれば恐ろしく面倒なことになります」


 「ええ、任されやしたよ」とニヤニヤ笑いながら帽子をかぶり直す獣人。


 異変を感じて馬車を止める無関係の御者のおじさん。


 そのまま両者にらみ合いが続き、そして……。







「――逃げろおおお!!」


 三人でいっせいに外に飛び出す。


 最初に、ミーシャが茶目っ気たっぷりの笑顔で叫んだ。


「『つるぎよ、我に力を』!!!」


 どこかから飛来した魔導剣が、ビタッ、と術者のそばに制止。


 ……その刃の腹に「よいしょ」と腰をかけたミーシャ。




 ――直後、彼女を乗せた青い魔導剣が、ぎゅん、と加速した。




「殿下ああああ!!??

 危険にございます!!!

 どうか! どうかあああ!!!」


 地平線の彼方へ飛び去っていくミーシャに手を伸ばすミランダさん。


 噴き出しそうになるのを抑えながら視線を横に滑らせると、少し離れたところで緋色がバファに蹴りを入れていた。



「ふふん、あたしは優しいからちゃんと手加減してあげるわよ!」

「おっふ………

 こりゃあ、僕も本気出さないといけないですかねえ……」




 ――よっしゃ、俺はフリーだ!!


 バファもミランダさんも付いてない今、余裕で逃げれ――。




土人形ゴーレム!! 彼を捕らえなさい!!」




 ずん、と背後で音がした。


 突如として自分を包み込んだ巨大な影。


 俺は顔を青ざめながらゆっくりと振り返る。


 そこには、土どころではない、もはや岩石の塊といっても差し支えないほどの無機質な肉体でそびえたつ赤茶けた石像が見下ろしていて。


 俺は、ヘビに睨まれたカエルみたいに固まった。


 土人形への命令を終えたミランダさんは、即座に姿が消える。

 転移魔法を使ったようだ。本格的にミーシャを追いかけに行ったのだろう。


「…………」


 ……俺は図体のでかい土人形から、思いっきり背を向けて加速した。




「はっ! 間抜けめ!

 あんなでかい図体じゃこのスピードについてこれ……。

 ってうわああああ!!! 早ええぇぇぇ!!??」


 三メートルくらいある巨体がぶんぶん腕を振りながら迫ってくる。


 おかしい!! あいつ自動車並みの速度出てるぞ!?


 人間の恐怖心を煽り立てるようなテンポで足音が近づいてくる。


 ちょっとでもスピードを落とせばあの巨体に踏みつぶされると予感して、汗がぶわりと噴き出した。

 ミランダさん俺を無事に確保するつもりあるの!?


「……カーブ、カーブだ! 

 いきなり方向転換すればさすがについてこれ……

 うわああああ!? 来るしいいいいい!!??」


 馬鹿でかい図体が一流スケート選手みたいに上体を傾けて猛追してきやがる。


 コーナリングの性能が無駄に高すぎるんだが。


 やけくそで攻撃魔法を当ててみたが、重戦車みたいにびくともしなかった。


「チクショー! このままおとなしく捕まってたまるかあああ!!

 うおおおおおおおお!!」




 ――




 そのあと、結局三人とも捕まった。


 何度か脱走を試みたが、ガチの警戒状態に入ったらしいミランダさんには一切の隙も見いだせなかった。

 たぶんだけど俺が使ってる探知魔法の上位互換みたいなやつを使ってるんだと思う。

 ほんのちょっと脱走を考えた瞬間にミランダさんが眼を光らせるのだから、もう笑ってしまうほどだった。


「――いったい誰ですか!? どさくさに紛れて馬車の車輪を壊したのは!?」

「あ、俺です」

「そこまで帰りたくないんですか、あなたは!?」

「はい!」

「爽やかに答えるんじゃありません!!」

「はい!」

「……あああ、借り物の馬車なのに……」


 彼女は馬車を手繰っていたおじさんに頭を下げまくっていた。

 御者のおじさんは気の良さそうな人だった。俺たちが暴れてるときも笑って待ってくれていた。この世界での御者は優しい人が多いな。ああいう余裕のある大人になりたいもんだ。


「……なんで闘気もまとってないアンタに負けるのよぉ!?」

「技術の差ですかねえ。

 体裁きが素人なんですよ、ヒイロくん」

「うううぅぅー……」


 緋色が悔しそうに唸っている。


 驚いたな。バファのやつ、闘気まとった緋色を負かしたのか。


 こっちの世界の住人の戦闘能力は侮れないな。

 いや、むしろそれくらいの力があるからこそ旅人なんかやってられるのかも。


 いつか機会があったら俺も体術とか勉強してみようか。


「ミランダさま……お見事でした……」

「……そこはもう、元勇者パーティーの意地がありますから……。

 歌優月さまの顔に泥を塗るわけにはいきません」

「ふふ……やっぱり世界は広いね、シン。

 けっこう本気出したのに逃げられなかったなぁ」


 頬を紅潮させてはにかんでくる彼女に、俺は同意した。


「こんだけ本気出してもダメなら、しょうがないよなあ」


 汗を流すのがこんなに気持ちよかったなんて。

 今ならテンションアゲアゲの陽キャになれる気がするぜ。


 ……そうだ、あの土人形もスピードは速いけど、重いことは確かだった。

 足元を泥に変えて動けなくさせれば、普通にいけたんじゃないか。


 そう……今の自分ならその気になれば思いついたことは大体できるんだ。


 誰かの顔色をうかがう必要もない。


 別に機工世界に戻って魔法が使えなくなったとしても、この旅で得た自信まで失うわけじゃない。


 なら、別に戻ったって、何ほどのものでもないではないか。


「……ミランダさん、俺は参りました」

「……分かればよろしい」


 そんな風に清々しく負けを認めながら、俺はみんなと一緒におとなしく馬車に揺られ続けた。

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