第34話 つながり
「なんか、懐かしいな」
長い間乗っていた馬車から降り、腰を伸ばしながら街を見回す。
かつて、プログラム初日から二日目にかけて滞在したこの街。
元の世界からやってきて初めて目にした場所。
そういえばこの街の名前も知らない。今さら聞いたら変に思われるだろうか。
でも、この街は相変わらず優しい風が吹いている。
夢でも見てるようにぼんやりと人々の往来を眺めていると、いつの間にか緋色が横に並んでいた。
「……あれから何日経ったのかしらね」
「さあ……だいたい一週間くらいかな。体感だともっと長く感じたけど」
俺は一週間前のこの街の景色を思い出した。
かつて緋色とともに精霊王国を目指して駆けた路地裏は、昼と夜とでは印象がぜんぜん違っていた。
なんとなく見覚えのある細道が奥へ奥へと続いているが、どれが以前にも通った道なのか判別できない。
ただ、かすかな面影をその曲がり角に見出すことしかできなかった。
異世界体験旅行プログラムはもう終わったんだろうか。
日程的には終わってても不思議じゃないと思うけど……
そうだ、カイトはどうなったんだろう。
あの金髪の、宿に置いてけぼりにしたっきりの同室の友人はいま、どうしているのだろうか。
「そういえばミランダさん、プログラムはもう終わったんですか?
あと、他の参加者たちも……。
やっぱりもう機工世界に帰ってます?」
そう言って振り返ると、そのエルフの女性は馬車のおじさんにお礼を言っているところだった。
ついでに俺も近寄ってお礼を伝え、脱走を試みた件で迷惑もかけたので気持ち長めに頭を下げて見送った。
「……ええ、そうですね。
プログラムは無事終了して、全員帰宅……したはず、です。おそらく」
「なんでそんな自信ないんですか」
「途中からゴレスに進行してもらってたんですよ。
なにぶん脱走者が二名も出たもので、ね?」
言い方にトゲを感じるぜ。
しかし様子を見るに、途中からミランダさんはプログラムに同行していなかったようだ。けっこう早い段階で俺たちの捜索に乗り出していたんだろうか。
「報告では何事もなく終わったとのことでしたが、大雑把なゴレスのことですから安心は……」なんて呟きながら眉間を抑えている彼女を見ながら頭を掻いた。
カイトのその後も聞けそうにない。
連絡先くらい交換しときゃよかったな。幻想世界じゃ電波通じないからって後回しにするんじゃなかった。
……機工世界へ通ずる『扉』へ向かう途中、一度精霊王国へのゲートに寄り道することをミーシャから提案されたが、バファとミランダさんがこれを却下した。
まだ復旧中らしい。
機工世界への『扉』と違ってこっちのゲートは人為的に直せるのか。
まあ、このエルフさんみたいに転移魔法を扱える人間がいるくらいだからさして驚きはしない。
異世界間を結ぶ『扉』のほうが例外なのだろう。
改めて考えるとほんとうに奇跡みたいな代物である。
「バファ、あんた向こうに行ったらそのまま別れるのよね?」
「ええ、それがなにか? ヒイロくん」
「いつか必ずリベンジしに行くわ。
闘気なしでも勝てるくらいに強くなってやるんだから」
「はは……お手柔らかに……」
苦笑しているバファと、にやりと笑う緋色。
あ、そうか、もうお別れが近いのか……。
機工世界まで行ったあとも一緒にいられればと思いはしたが、
歌優月の居場所はミランダさんが知っているだろうし、護衛だって彼女がいればほとんど問題はないだろう。
なんならゴレスさんが加わるかもしれない。
これ以上俺たちが同行する理由は皆無である。
というかもう異世界体験旅行プログラム自体が終了しているのだ。
俺も、緋色も、いい加減に元いたところに戻らないと問題になる。
かつての自分たちの所持品――スマホとか鞄とか――はプログラムの一番はじめに集合したあのビルの中で保管しているから受け取りに行けとのことだったし、本格的に今後のことを考える必要があるかもしれない。
……離れるとしたら……『扉』を抜けて、ポートの出口あたりかな。
もうあと一時間程度で、この青い髪を揺らしているミーシャの後ろ姿が見れなくなるのか。
いや、彼女だけでなくバファも、緋色も……。
緋色はまた会えるとしても、幻想世界出身組は厳しそうだ。
「……そうだ、借りてた魔力を返さないとな。
ミーシャ、今のうちに――」
――魔力の返し方教えて、と言おうとして固まった。
ミーシャが泣いていた。
青い瞳から、大粒の涙をぽろぽろ落としてうつむいている。
「……っ、……っ……」
およそ今までに見たことのない取り乱し方で泣き声を押し殺そうとする彼女を目にして、俺は自分の思考が明確に途切れるのを自覚した。
……何も言えず、代わりにフードを被せて、彼女の前をゆっくりと歩き始める。
ミランダさんたちは見てないフリをしてくれていたと思う。
五人の進むスピードが、ちょっとだけ遅めになっていた。
……魔力を返すのは、向こうに行ってからにしよう。
俺は心のどこかで期待していた。
なにか、でかい事件でも起きて幻想世界に留まる理由が舞い降りてくれないかと。
ほんの少しでもチャンスが増えるようにと、不自然にならない程度に、限界まで足を遅めて歩いた。
でも、そう都合よく何かが起きるはずもなく、そのまま、以前にも訪れたことのある古い遺跡のような場所に到着。
苔に覆われた石造りの大部屋を見て、そういえば幻想世界側の『扉』はこんなんだったなと思った。
世界樹の小枝を杖にしながら、床どころか壁にまで幾何学模様が伸びた立体型魔法陣の部屋に進入し、バファから順に元の世界へ転移していく。
次いで緋色、そしてミーシャの小さい背中が消えていくのを見送り、後ろに立つミランダさんに急かされて部屋の中央へ入場。
そして、久しぶりの転移の感覚に、目を閉じた――。
――
……帰ってきてしまった。
懐かしい金属のにおい。
このドーム状の空間に列をなして移動する大勢の人々。
七本の古びた柱が自分を中心に立ち並び、その周辺だけ切り貼りされたかのように背の低い草花を生い茂らせている。
なにかの夢が覚めてしまったかのような感覚にめまいさえしそうだったが、
視界にバファと緋色、そしてミーシャの姿を確認して、足早に柱の中心部から動いた。
今回は……ミーシャがいる。バファもいる。
夢などではない。これは確かな現実なのだ。
この後すぐに別れるとしても、彼女たちとの縁ができただけでも十分じゃないか。
左手に握られた世界樹の小枝が返してくる温かい木の感触を静かに味わいながら、そう自分に言い聞かせた。
「ここがシンとヒイロちゃんのいる世界なんだね」と涙をぬぐいながら笑って迎えてくれたミーシャに近づき、
そしてすぐに後から転移してきたミランダさんと合流。
……後のことを考えたって仕方ない。今に集中しよう。
そんなことを考えながら、大人組の導きで重い足を動かそうとした――……。
「おい、次の転移者が来ないぞ」
「変ですね、まだQのFグループは十人くらい残ってるはずですけど……」
「よし、一分待っても来なかったらお前、連絡要員で行ってくれ」
「ええ? バッティングしたら何が起こるか分かんないんじゃ……
ああ、でも国際ルールで一分て決められてるんでしたっけ……
分かりました」
背後から聞こえてくる、従業員たちの会話。
何かのトラブルらしい、ピリついた空気。
――その瞬間、寂しさで埋め尽くされていたはずの心の中に、なにかのざわめきが生まれるのを感じた。
……なにか……忘れている……?
『貴様とは、いずれ再び会うことになるだろう!!』
勢いよく振り返った先で発光を始める、七本の古い柱。
「お、無事に動いたな」と安堵する従業員。
徐々に光が輪郭を為していき……
そして俺は、転移してきたそいつの姿を見上げた。
――未知の世界とつながるということは、やっぱり良い面も悪い面も両方あって。
俺がミーシャと出会って、思いがけなく魔法の力を手にしたのと同じように……。
それは未知の病原体のように。
新たな災害のように。
外来種が固有種を打ち滅ぼすかの如く。
予想だにしていなかった絶望の形として。
――ある日突然、やってくるのだった。
「おや、久しいな。フカドウ・シンヤ」
ガシャリと響く、重い鎧の音。
顔の見えない兜の奥から、視線がまっすぐにこちらに向けられるのを感じた。
腹の底に氷塊を落とされたかのような衝撃。
呼吸が止まり、自分がいま目にしているものが本物であると、信じたがらない自分がいた。
……かつて相対したときと異なり、そのでかい巨体の左半分を隠すほどの丸い大盾を携えていることが、さらに事態の把握を困難にさせていたと思う。
ぐぐ、とリーチの長い剣を横に振りかぶった闇色の騎士。
俺が杖を離した左手でミーシャの頭を下げたと同時に、ミランダさんがほかの仲間たちの頭を掴んで下げ……。
そしてやつは――『黒騎士ダビデ』は、闇色の剣を薙ぎ払った。
人には、当たらなかったと思う。
ただ、世界中を見ても、片手で数えられるほどしかないはずの……
異世界へと通じる『扉』。
その神秘的な柱の群れが、木っ端微塵に切り飛ばされた。
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