異世界体験旅行プログラム

東容あがる

第一章 旅行編

第1話 共有された異世界

 ファンタジー異世界はガチで存在した。


 事の発端は一年前のことだ。


 ここ日本の――確か京都のあたりだったと思う――そこに剣と魔法の異世界へと通じる『扉』があると、一大ニュースになった。


 当初ネット上では出来の悪い嘘だという声が大半だったが、やがてそのニュースが真実であると明らかになった途端に世界はお祭り騒ぎになった。


 ……『扉』を最初に見つけたのは、とある一人の研究者である。


 彼は「どこか別の異世界があると信じて森の中をさまよっていたら、本当に見つかったんですよ」と嬉しそうに発言しており、その動画は一週間と経たずに再生数一千万を超えていた。


 コメント欄は途中からオフになっていたが、きっとその狂った情熱に向けた言葉が連なっていたに違いない。

 空想が実在すると思い込んで行動まで起こせる変態がどこにいるものか。いやこの国にいたのだが。

 とにかくそういう経緯で、この地球とファンタジー異世界――通称『幻想世界げんそうせかい』とがつながった。




 それから一年で、世界は大きく様変わりした。


 俺がいま乗車中の電車に揺られながら手にしている雑誌には『エアロ・バイク株式会社、さらなる快進撃!』との見出しで社長らしき若い男の決め顔が映っている。


 パラパラとページをめくってみると、件の幻想世界産の魔石を組み込んだ空飛ぶバイク――通称『エアロ・バイク』の開発秘話を含むインタビュー記事がかなりの枚数を割かれて載せられており、さらにページをめくると、新築の一軒家を買うよりも少し高い値段で販売中のエアロ・バイクの広告が現れた。


 銀色のつやつやとした胴体部に、風防としての大きな前面ガラス。


 そして普通なら車輪がついているはずの前後の脚部は半球状の空洞になっており、その奥から溢れるのであろう魔法の風力ふうりきがやや誇張された表現で鮮やかに描かれていた。


 そのロマンあふれるフォルムデザインと、それでありながらいまだ洗練されきっていない武骨さを感じさせるような構造に目を奪われそうになりつつ、雑誌をパタリと閉じて、膝の上のカバンにしまう。


 そのまま無意識の動作でスマートフォンを手に取って、芸術的な速度でロック画面を通過。


 ほんの少しの画面移動の後に、液晶へ映し出された『あなたへのおすすめ』欄を怠惰に眺めた。


『幻想世界へ通じる四つ目の扉、ヨーロッパ西部で見つかる!』

『魔力の正体 いまだ解明せず。研究機関はお手上げ』

『シャピア帝国、機工世界からの訪問者数制限の兆し?』




『異世界体験旅行プログラム、当選者インタビュー!』




 俺は画面上を滑らせていた指を止め、反射的にその文字列をタップした。

 すぐに読み込みが始まり、コンマ数秒の空白の後に求めていた情報が提示される。


『――山田さん(仮名)、四百万人に一人しか当たらないとされている異世界体験旅行プログラムに当選したときの感想は?』


『そりゃもう……超浮かれましたね(笑)

 まさか自分が当たるとは思ってなくて、通知が届いたときは何かの詐欺かと思いました(笑)

 応募条件に『二十歳以下』ってあったじゃないですか。

 いま自分ちょうど二十歳なんで、ひょっとしたら年齢でギリはじかれるのかと心配でした。誕生日近かったですしね』


 記事ではその後も山田さん(仮名)への質問が続き……面倒になった俺はざっと流し読みして気になるところだけを拾うことにした。


『――件のプログラムは六月一日、国内二つ目の『扉』がある宮堺みやさかい市にて行われる予定ですが、現時点でなにか楽しみに思っていることは?』

『そうっすね、僕は――』


 そこで頭上から、駅のホームに電車が到着することを伝えるメロディが流れる。


 目線を上げれば窓の向こうには銀色のビル群に豊かな緑が垣間見える都市が現れ、車内の電光板に『宮堺みやさかい』と表示されていた。


 ……俺は持っていたカバンの中身を周りから隠すように覗き見る。


 そこにはさっきまで読んでいたエアロ・バイクの雑誌が一部と――自分の名前が印字されたプログラム当選の知らせ、そして集合場所等を記した書類が入っていた。




 ――そう。

 俺は、例のプログラムに当選した幸運な人間の一人だったのだ。







 電車を降り、駅のホームを抜けて、書類に記された集合場所に足を向ける。


 駅を出てから徒歩数分。

 人の往来のなかに明らかにオーラの違う異世界人たちが紛れ込んでいるのを感じつつ、広い車道を早足で渡る。

 コンクリートの歩道を右に進んで四軒目のビルが目的の場所だ。


 その建物の中に入り、やや強すぎるエアコンの冷房に体を震わせながら、すぐ横に設置された受付へと足を進めた。


「おはようございます、ご用件はなんでしょうか?」

「異世界体験旅行プログラムの当選者なんですが……」


 俺はカバンから当選を示す書類を出し、緊張しながら受付に差し出した。


 スーツを着た目の前の女性は「当選おめでとうございます」と笑顔で告げたあと、確認用の質問をいくつかしてきた。


「お名前は?」

「――深道慎也ふかどうしんや

「本人確認のために生年月日をお願いします」

「えーと、XX年四月二十九日生まれです」


 受付の女性は書類とデスクトップパソコンとを見比べると、すぐに笑顔を浮かべた。


「はい、確認が取れました。

 では九時半になるまであちらの部屋で待っていてください。

 こちらが参加証になります」

「あ、どうも」


 カードのような固い材質の参加証を受け取り、指示された方向へ向かう。

 壁には「プログラム当選者はこちらへ」と書かれた紙が矢印とともに貼り付けられていたので迷うことは無かった。


 廊下を曲がり、「当選者待機室」という文字を発見。ここで間違いがないか何度も確認しながらその部屋の扉を開けた。


 部屋にはすでに何人かいた。彼らはそれぞれ自分のスマホを見ていたり、プログラムの書類を眺めていたり、あるいは俺に気付かれないようにちらりとこちらを一瞥してすぐ下を向いたりしていた。


 服装はバラバラだが、大きく分ければ学校の制服かおしゃれな私服かの違いしかない。


 そんな彼らの合間を縫って、参加証に記された番号と同じ席に座る。

 俺のは二十四番だった。

 待機室のやや後方。隅っこではないが窓は近かった。


 椅子を引き、カバンを置いて部屋を見渡していると――唐突に視界の端に何かが現れる……キャンディ菓子?


「アメ舐める?」


 そう言って包装されたそれを差し出してきたのは、隣の席に座っていた男。


 派手な金髪とは裏腹に服装は悪目立ちのしない私服。

 机の下に収まった両足を見るに背はかなり高そうだ。


 ……警戒半分、期待半分で短く礼を言ってアメを受け取ると、その男は身をずいっと乗り出してくる。


「な、このプログラムどう思う?

 こういうのってさ、なんかデスゲームとか始まりそうだったりしない?

 赤の他人同士が集められてさ……」

「あー……」


 ――気まずい沈黙が流れた。

 するとそいつは急に我に帰ったのか、乗り出していた細身を引いて頬を掻き始めた。


「……いや、悪い。緊張してるんだ。

 知り合いなんか誰もいないからさ。

 何話していいか分からんかった」


 彼はそう言ってやや気ごちない笑顔を浮かべている。

 その、人の良さそうな雰囲気に当てられて気が付けば自分も口を開いていた。


「実は、俺も緊張してるんだ」


 こちらからのカミングアウトに隣の席の男はゆっくりと頬をほころばせた。

「だよな」とお互い頷いて笑いあった後に、まるで旧知の間柄のように握手を交わした。


「オレ、カイトっていうんだ。そっちは?」

慎也しんや。深道慎也。よろしく」


 ――プログラムの開始時間まではまだ余裕がある。

 その間、俺は隣の席になったカイトと話すことにした。


 カイトはどうやら俺と同じ学年だったらしい。高校三年、受験生だ。

 出身は東京で、年の離れた兄が一人がいるという。


 プログラムの舞台であるここ宮堺には何度か訪れたことがあるようだ。

 幻想世界へ通ずる一つ目の『扉』がある都市には営利企業や観光客が集中している。


 きっとカイトもそのクチだろう。そもそも異世界に興味がない人間がこのプログラムに応募しているはずもない。


「やっぱあれだよな、いま熱いのって言ったら『機工武器』だよな!

 一度でいいから実物触ってみてーなぁ……!」

「分かる、分かるぞカイト。やっぱ変形する武器にはロマンがあるよな……!」

「ああ、たまんねーぜ……!」


 話は無限に続いた。


 俺たちは同じ剣と魔法の異世界へと向ける情熱があることを理解し、すぐに意気投合。

 お互い似た者同士であることを直感しつつ、初めて会ったとは思えないテンポで会話を繰り広げた。


 異世界体験旅行プログラムは一週間の旅程である。その開始前の時点から気の合う友人を作れたのは幸運としか言えなかった。


 ……弾む会話に自然と挟まれた小休止で部屋を見渡すと、

 いつの間にかプログラム開始の時間になっていたらしい。


 待機部屋にぞろぞろと大人たちが入ってくるのを確認し、俺は隣の席に座るカイトと「これからよろしくな」と軽く挨拶を交わしてから前に向き直った。

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