第21話 獣人の男
「いやあ、愉快愉快」
ややカビ臭い木材のにおいがする馬車の上で、オオカミ顔の男が肩を揺らしていた。
「悪かったな、バファ。
あのクソ野郎が迷惑をかけたみてえで」
「いえいえ、いいんですよトッドの旦那。
銃のメンテナンスはちゃんとやっていただけたみたいですし、
それに……面白い方と知り合えましたからねえ」
ガタゴトと伝わる振動に合わせて上半身を揺らす獣人の男が、紳士よろしく帽子を軽く持ち上げてウィンクしてきた。
「自己紹介がまだでしたね。
ぼくはバファ。旅人やっとります」
「――ミーシャと申します。馬車に誘っていただいて、感謝を」
最初に応えたのはミーシャだ。
彼女なりの敬意を示しているのだろう、口調が少し高貴な人っぽくなっていた。
いや、実際、高貴な人なんだけど。
「いえいえ、そちらの少年には助けられたんでね。そのお返しです」
と、バファの長い鼻先がこちらに向いた。
金色のタレ目と目が合ったので、慌ててぺこりと頭を下げて自分の名前を伝える。
「深道慎也です」
「フカドウくんか。覚えましたよ。
ああ、それと、敬語はいりません。そちらのお嬢様方もね。
せっかくですし仲良く行きましょうや」
彼はニッと頬を釣り上げた。
緋色はあまり自己紹介をしたがらなかった。
どうもバファと距離を置きたがっているらしく、あとで理由を聞いてみたら一言「苦手なタイプ」とのことだった。
御者で手綱を握ってるのはトッドという村人で、定期的にほかの村に行く用事があるらしい。俺たちを乗せているのはその用事のついでだそうだ。
ゲートまでの交通網が整備されているベルリーチェへの直通ではないので、
途中で降ろしてもらってから徒歩で向かうことになりそうだった。
バファとはいろんな話をした。
幻想世界で今までに見てきた場所。異なる国の人々の生活や文化。
機工世界にも言ったことがあるらしい。とある機械に関することで何かがあったような口ぶりだったが、詳しく聞こうとするとはぐらかされた。
獣人差別の話も聞いた。
なんでも幻想世界で最初に現れた魔王は獣人種だったらしく、加えて現在でも闇の軍勢の主戦力として獣が用いられているために、普通の獣人・半獣人たちは肩身の狭い思いをしているのだという。
「だからみんな機工世界には強い関心があるんですよ。
向こうではぼくらの種族って人気みたいじゃないですか。
君たちの世界に移り住みたがってる人たちって、君たちが思ってるよりもずっと多いんです」
これはなんとなく分かるかもしれない。初めてバファを見た時も驚かなかったのは画面越しに獣人、半獣人たちの姿を何度も見ていたからだ。
俺は覚えているぞ、学校にケモ耳の美少女が転校してくる展開が十分あり得る世界になってちょっと興奮したことを。
「バファ様は機工世界には行かないのですか?」
「行きたいですよぼくも。ただ、それよりも今はデルタ帝国とか、北のストレリチアとか……とにかく幻想世界の方を見ておきたかった。それだけです。
行く先々で嫌そうな顔されましたけど」
「デルタ帝国……。
……恐ろしくはなかったのですか」
ミーシャからの質問に、バファは、ははは、と笑った。
「幸い、ぼくには養うべき家族とか、そういうのはいませんからね。
ぼくが求めているのは自分の心に従って旅をすることだけ。
途中で醜態さらしながら力尽きることになったら、そんときゃそんときです。
人間、好きなように生きて、好きなように死ねばいいんですよ」
おっと、少々過激すぎましたかね、とおどけたようにバファは笑う。
……正直うらやましいなと思った。
自分のような臆病な人間にはそんな簡単に決められない。
でも、もし流れに身を任せるような人生を選べたとしたら、いったいどんな風になるだろう? まるで想像できない。
きっと自分の想像力なんか軽く超えてくるような出来事が立て続けに起こるんだろうなと、ちょっとわくわくしながらそう考えた。
「――よし、今日はここらで休息だ!
あんちゃんたち、外に出ていいぞお!」
そこで御者台に座っていたトッドさんの声が聞こえた。
荷馬車を覆う白い布地をちらとよけて見ると、もう夕暮れ時だった。
いつの間にか話し込んでいたらしい。地平線の上のほうが黄金色に染まっている。
そっか、夜に馬を進ませるのは危ないもんな。
少し考えたら分かりそうなもんだったが、妙に納得して俺は荷馬車から飛び降りた。
その後はキャンプの準備に入った。
近くの森に落ちていた枝をかき集めて火魔法で着火し、光熱を確保。
トッドさんが荷馬車の床をパカリと開けて取り出した食材と調理具でご飯を作った。
メニューは素朴な煮豆のスープだった。
こういう乗合馬車での糧食は自分で用意するのが基本らしいが、今回はバファが分けてくれた。
今朝の鍛冶職人とのトラブルを解決した分がまだ残っていたらしい。
当然、ご好意に甘えることにする。
スープをすすり、煮崩れた豆を咀嚼していると、トッドさんが話しかけてきた。
彼曰く、旅人の話を聞きながら食事をするのが行商の仕事の愉しみらしく、運転中に会話に参加できなかったのがけっこう寂しかったらしい。
ほのかな塩分が空腹に染み渡っていくのを感じながら、機工世界の話をしてあげた。
やがて彼はどこからか取り出してきた酒瓶を最後の一滴まで飲み干し、「あのダレルっていうクソじじいは実は良いやつなんだよ、許してやってくれよなア」と絡んできた。
俺とミーシャは飲酒を断ったが、緋色は興味があったのか何杯か飲んでいた。
こっちの世界で酒を飲めるのは十五歳からみたいなので、それに乗っかった形である。
彼女はアルコールに弱いタイプだった。
あっという間に顔が赤くなって、にへらにへらと情けない笑みを浮かべながらしっぽを触らせるようバファにせがんでいた。
食事後、俺は新しく魔法を習得するため皿洗いを申し出て。
ミーシャに生活魔法を教えてもらおうとしたがどこか上の空だったので遠慮して。
とりあえず自力でやってみたら、意外と簡単にできた。
ふよふよと宙に浮かぶ水球を汚れた皿とごちゃまぜにして洗いながら、もしかしたら本格的に幻想世界で生きられるのかもと思った。
夜は見張り当番を決めて眠ることになった。
もし魔物に襲われたら大変だからという。
幻想世界を旅する者にとっては常識的なようだ。
以前に見張りも立てずに三人で眠りについていたのは実は相当危険な行為だったんだと、今さらになって肝を冷やした。
白い天幕の奥から聞こえてくるかすかな寝息に耳を澄ませつつ、俺は火に当たりながら探知魔法を発動させ、せっかくだからとさらに練度を上げることにする。
それでしばらく時間をつぶしていると、ふと、荷馬車から顔をのぞかせてくる存在に気が付いた。
「ねえ、シン……まだ起きてる?」
ミーシャだった。小声で顔をのぞかせてきた彼女に、上半身を後ろにひねらせながら応えた。
「ああ。
あれ、次の見張り番ってミーシャだったっけ?
確かトッドさんだったと思うんだけど……」
そう言って見上げたが、しかし彼女は何も答えず、ただ困ったように弱く笑っていた。
「……シン、少し話さない?」
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