第5話

「やはりか。手短に言え。聞くだけ無駄だろうが」

「これから、一緒に田烏たがらす集落の港まで来て欲しいのですが」


「なぜ」

「何も聞かずに同行して欲しいのですよ。決して気持ちは裏切りませんから」


「何のことだ」

「言わせるんですか? 野暮だなぁ、先生」


 浅岡はにやにやと笑っている。


「不死を手放す手立て、ですよ」


 ハッとして浅岡を見上げる。


 そこには優しさとは違った、勝ち誇ったような柔らかい笑みを湛えた顔があった。


「何を企んでいる」


 立ち上がって詰め寄るが、浅岡は余裕をたもっていた。


「来て頂けますか?」

「何をするのか、まず明らかにしろ。それから決める」

「ダメですよ。ネタを先に披露したら僕が大損でしょう」


 どうあっても浅岡は取り引きの卓に着かせたいらしい。


「少なくとも僕が今握っている、不死を手放す手がかりは本物ですよ。だって僕の術師としての実力はご存じでしょう? だったら僕の申し出はハッタリではないってコトですよ。あとは先生のお気持ち次第です」


「卑怯な男になったな」


 浅岡は何も反論せず、「ふふふ」と静かに笑って鼻歌を奏でた。


 いずれにしても申し出を受け容れるしかなかった。この蛇蝎のような男に耐えて付き合ってきたのは、ひとえにこの時のためなのだ。


 あからさまな罠やはかりごとが見えていようと、逃すことなんてあり得ない。この体からいまいましい不死を除けるなら、泥水ぐらいすすってやる。


「分かった、行こう」


 答えを聞いて浅岡は喜んだ。私が受け容れたことを喜んでいるというより、自分の張り巡らした罠に獲物がかかったときの喜び方だ。


「じゃあすぐ発ちましょう。荷車はありますか?」

「荷車?」


「ええ。あ、それ以上何も聞かないで下さい」

黒羽丸くろばねまるが買い出しに使っている車があるが」

「結構。では、それで」


 私は庵を出て黒羽丸を探した。彼は指先が千切れそうな冷たい水でも、眉もひそめず黙々と食器を洗っていた。


「黒羽丸」

「はい。顕龍院けんりゅういんさま」


 黒羽丸は立ち上がり、微笑みを向けてきた。


シンと呼びなさい」

「はい。シンさま」


「浅岡と共に出かける。路銀をいくらかと、旅の用意をして。お前も来なさい」

「はい」


 黒羽丸は浅岡の同行を嫌がらなかった。私が一緒に行くから、むしろ自分が守るつもりでいるのだろうか。


 だが黒羽丸。その必要はない。これから虎穴に飛び込むのはわかりきっている。不用心でいるはずがない。


 庵に戻って物入れを開ける。そして護身用の刀を引っ張り出した。


 久しく使っていない刀のこしらえは二百年前に流行った天正拵だった。


 鮫皮を漆で塗り固め、鍔も飾りっ気が無い。鞘にいたっては成形した木に漆を塗り重ねただけの雑な仕上がりだ。


 あまりにも時代錯誤だと思ったが、尼が帯刀している時点で異様なのだ。女の拳にしっくりと納まる小ぶりな柄の造りを見て、「これで良い」と考えを改める。


 刀を抜いてみると刃には欠けも錆も曇りもない。以前手入れをしたのはいつだったかも忘れていたが、十二分に使えるだろう。


「ふっるい刀ですねぇ。今にも化けそうだ。もっと良い刀を買ってあげますよ」

「縁切りの意味なら、喜んでもらおう」


 皮肉で返してやったら、浅岡は鼻で笑った。


 動きやすい袴を法衣の下に履き、刀を帯びる。黒羽丸が外で進めている準備が終えるのを確認すると、浅岡は満足そうにこちらを見ていた。


「では行きますか。先生」


 ***


 若狭の周辺には湾を形作る小さな半島がいくつかある。その小さな半島のうち、獅子ヶ崎を抱える半島は大きく西へうねるように歪曲している。そのため、半島の付け根には小さな湾が生じていた。


 集落がある以外には特に注目されることはない場所だ。浅岡が何かを見つけたとして、隠しておくには絶好だろう。


 私たちが庵を出たのは朝だったが、着く頃には昼前になっていた。


 浅岡が先導し、列の最後尾を荷車を引く黒羽丸がゆく。


 やがて海岸が近くなってきたことで道ばたの木々に松が増えてくる。


 地面も土から砂へと移りかわっていき、潮の匂いも漂ってくる。そして目の前が開けて、波の音が耳に届きだす。


「見えましたよ。先生」


 浅岡が指さした先には漁師小屋があった。今にも崩れそうな掘っ立て小屋で、長い間誰も使っていないように見える。


「顕龍院さま。ここから先、行けません」


 黒羽丸が眉を「ハ」の字にして、申し訳なさそうに訴えてくる。確かに砂地では荷車の車輪はとられてしまう。


「いい。黒羽丸。車はそこに置いて、一緒に来なさい。それと私のことはシンでいい」


「はい。シンさま」


 黒羽丸の顔がパッと明るくなった。私に声を掛けられるのがそんなに嬉しいものか。

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