第6話
ザクザクと音をたて、砂浜をゆく。
足袋に砂が入って汗と混ざり不快感が募る。進むたびに冷たい海風が吹き付けてきて、我々が到着する前に小屋を壊してしまうのではないかと思う。
そんな不毛な心配をしているうちに扉の前まで着いてしまった。
小屋の粗末な木戸にはつっかえ棒がされており、何かが逃げ出さないようにしている。
つまり逃げ出すような何かがそこにあるということか。
「じゃあ先生。お先にどうぞ」
そう行って浅岡はつっかえ棒を外した。
私は滑りが悪くなっている木戸を、悪態をつきながら引く。何度か力を入れて引いていると急に抵抗がなくなり、木戸は音をたてて開いた。
暗くすえた空気が充満する小屋へ踏み込むと、何かが息を呑む気配がする。
私ではない。浅岡でもないし、
誰かがいる。
打ち付けられた窓からは光が入ってこない。木戸と壁板の隙間から差しこむ光だけが頼りだ。
目が慣れるのを待つ。
やがて室内で息づくそれの姿が、腐りかけのむしろの上でうずくまっているのを見つけた。
背中の中程までありそうな紅色の髪の娘。
上半身は絹によく似た生地で織られた
その鱗の色に、私は覚えがあった。
腹の奥から湧き上がる、煮えくりかえった感情を抑え込むため息を呑む。
まさか。
「先生。どうです?」
浅岡が右隣にやってくる。得意満面の顔だ。
「これはどういうつもりだ?」
「いやだな。先生にこれを運んで貰いたくて。僕の新しい実験動物です」
「ふざけるな。人魚なんて見たくもない! 関わり合いたくもない!」
私の怒鳴り声に驚いたのか、黒羽丸は小屋の外でおろおろとしている。
そして目の前にいる人魚の娘も、私と浅岡を交互に見て成り行きを見守っているようだった。
「そうですか。でもこれを僕の隠れ家まで運んでくれたら、この魚から得られた知見で先生の悲願を叶えさせてあげられますが」
ある程度の不快は覚悟していたつもりだった。だが実際に直面すると、自分の覚悟が生ぬるかったことを実感させられる。
この浅岡は、私の想像の上をゆく不快なのだ。
「先生だって期待していたんでしょう? 僕はしつこく、先生に言ってましたからね」
浅岡が口をにちゃにちゃと割りながら笑う。無邪気で、自信に満ちている。
「そこまで言うなら自分で運んで好きにしろ。それで私に情報を高く売れば良いだろう」
すると浅岡は哀しそうな顔をした。
「先生は意地悪ですね」
そう呟いた浅岡の姿が透ける。そしてその胸の辺りに
「いま先生がご覧になっているのは式神です。重いものは運べません。僕の本体はいよいよ自由が利かなくなってしまいましてね。自前の霊薬をあれこれ試した弊害ですよ」
自分の体が壊れてしまったという話すら、浅岡は酒席の笑い話のように話す。
「納得されました? 結構。では、とりあえず京へ向かって下さい。道中、定期的に式神で連絡を取りますから。近くにきたら隠れ家の場所をお教えします」
「まだ協力するとは言っていない」
「まだ、でしょう? 迷っているんですよね?」
浅岡はいたって冷静だ。だが私は常に対応を求められ、主導権を浅岡に握られていた。
「では」
浅岡の姿が幻のように透き通り、残された人形が淡い紫色の炎を出して燃えて消える。
意のままに操っていると確信している奴の笑みは、まぶたの裏から当分は消えないだろう。
断れないと腹をくくった私は、今一度人魚を見据えた。
怯えと諦めがない交ぜになった鮮緑の瞳は伏し目がちで、こちらを見返さない。刺激しないようにと考えているのかもしれない。
だが私にとって、その存在自体が気に障る。
「おい、お前」
人魚は肩をびくりとふるわせる。どうやら言葉は通じているようだ。
「お前はかつて、病弱の娘を持つ男親に鱗を渡したことがあるか」
それを聞いた人魚はハッと顔を上げ、目を見開いてまっすぐにこちらを見た。
人魚の瞳からは諦めが消え去っている。そして彼女の思考を驚きが席巻しているのが手に取るように分かった。
「そうか」
見立ては当たっていた。
この人魚だ。
この娘こそ、八百年前に父へ鱗を渡した張本人だ。
私が鱗を煎じて飲むハメになった根源だ。
すると人魚は驚愕から立ち直り、声を絞り出して叫ぶ。
「あっ、あのっ……!」
「黙れ!」
私は人魚の声を遮る。
人魚にとって精一杯の勇気を振り絞った声を拒絶したことで、人魚の態度はさらに萎縮した。
「黒羽丸。この娘を背負って車まで運んでほしい。そのまま京まで行く」
「はい。
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第一章を読んでいただき、ありがとうございました。
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