第14話

「なにを今さら謝る」


「わ、私が鱗をあげなければ良かったんですっ! 人間とは命の尺度が違うのにっ。鱗を人間に飲ませてしまったら、絶対に幸せにはなれない! そんな簡単なことに気づかないで私は、私、は」


 翠姫すいひめは言葉に詰まりだした。


 時折、喉から「ひぃ」とかすれるような悲鳴が聞こえてくる。


「わ、私、どうやって償えば良いんでしょうか。顕龍院けんりゅういんさま、教えてくださいっ。私はどうやって、あなたの心を慰められるのですかっ」


「慰める、だと?」

「私はあなたに謝りたいんですっ! なんだってします! 今のように、誰かに代わってむごいことだってやりますからっ」


「ならば今すぐここで、これで腹を十字に捌いてみせろ!」


 刀を放り出す。すると翠姫は飛びのき、恐怖した。


「そ、それはできないですっ! 死ねもしないのに腹を裂くなんてっ。そんな苦しみ、耐えられませんっ。それは、絶対に……」


 翠姫は怯えていた。無様に泣きじゃくり、目を真っ赤に腫らしている。


「勝手な女だ! 何がしたいんだお前は! さっきも京都所司代きょうとしょしだいにすがれば逃げられただろう。今だって矢じりで苦しむ私なんて放っておけば良かったんだ。浅岡に引き渡されずに済んだ!」


「だ、だって、分からないんですよぉっ! 私、あなたに謝りたくて、赦してもらいたくって、八百年過ごしてきたんです。逃げたら、せっかくの機会を逃してしまう。で、でもっ、いざ出会ってみると、どうあっても赦してはくれない。私がやったことは、それくらい酷いことだから。でも諦めたくない! やっと、やっと会えたのに……」


 正直、どうしたら良いか分からない。


 私は翠姫をいかようにでも料理したいと思っている。


 彼女もそれを覚悟している。だが、これほどまでに悔恨にまみれて、危機に抗う気持ちが折れている者を打ち据えてどうする。


 それはもはや仇討ちではなく、ただの私刑ではないのか。


 だが怨みを作った相手の涙や後悔で済むようなら、この世から争いはとうの昔に消え去っている。そして私の感情は翠姫を赦せない。


 たとえ理性が赦したくてもだ。


「顕龍院さま」


 黒羽丸くろばねまるが目の前に割って入ってきた。そして私の目を無感情に見返してくる。


「何のまねだ。黒羽丸」


「翠姫さま。泣いて、ます。いじめては、だめ、です」


 異様な様子だった。


 純朴なはずの黒羽丸の黒い瞳は、今や深淵の様子を鏡映しにしたかのように深く暗い。


「そう、か」


 刀を拾って着物を正し、扉へと向かう。


「先に寝ていろ。頭を冷やしてくる」


 未だに泣いている翠姫の横を通り過ぎたとき、顔色をチラと横目で覗いた。


 泣き喚きすぎて息が乱れ始めているようだった。顔色も青い。


 こんな真摯な娘を、精神的に追い詰める私は、なんだ。


 ***


 廃屋から離れ、一人になれそうな竹藪を見つけて分け入った。


「がぁあああっ!」


 咆哮と共に、青竹を袈裟懸けにたたき斬る。渇いた音が手応えとして残った竹は杭のようにその場に残り、泣き別れの上部はそのまま垂直に地面へ墜ち、倒れていく。


「どいつもこいつも! なんで私を放っておいてくれない! 嫁入り前に死んだって構わなかった! 餓鬼として永久に生きても構わなかった! 尼として隠遁させてくれればよかった! このまま永遠に仇に会えなくても良かった! それなのに! 畜生! 畜生!!」


 竹を二本、三本……五本から先は数えなかった。このまま斬り損なって刀が折れてしまえばよいとも思った。


 だが刀は折れなかった。


 だからいつまでも斬り続けて、湧き上がる怒りと怨みに任せて狂った。


「暗闇に白髪はくはつが映えますね、先生」


 背後に湧いた気配。


 振り返ると、そこには浅岡が立っていた。

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