第38話

「やめろ。やめろよ浅岡!」

「心を掌握するには、衝撃的なものを見せるのが一番ですからね」


 黒羽丸くろばねまるの動きが変わる。新島にいじまを執拗に追い詰め、まきのことを完全に無視している。槇はそれにすぐ気づいたが、黒羽丸は槇の死角から攻めてくるから対応しきれていない。


 やがて新島は体力と集中を失い、刀を弾かれて突っ伏した。槇が吼えて助けに入ろうとするが、二人とも力が尽きているのは明らかだった。


 毒の滴る槍が新島の眼前に突きつけられる。彼女は目の前にある死を受け容れられていないようだった。


 浅く息をして、瞬きもせず、自分を穿とうとしている子供のような呪人形からくりを見つめている。恐怖に取り憑かれて死ぬ者の貌をしている。


 恐らく私も同じ貌をしていたに違いなかった。頭の上で、浅岡の引き笑いが聞こえたから。


みつるっ! 動けぇっ!!」


 槇の絶叫が響く。だけど新島の体は恐怖で縛され、その願いが届くはずもなかった。


「チ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛イ!!」


 狂った猿のような叫び声とともに、それは現れた。


 新島を貫かんとしている黒羽丸に向かって、それは黒い稲妻のように駆けて飛び込む。その場の時の流れが相対的に遅くなった気がした。


 黒羽丸は闖入者を目で捉えることはできたようだったが、躱すことは間に合わなかった。電光のように振り下ろされた刃は黒羽丸の片腕を切り落とし、新島に突きつけられていた死を真っ向からへし折った。


皕瀬ももせぇ!!」


 私は声が裏返ってしまうほどに叫んでいた。気づいた皕瀬ももせはこちらに目配せして「遅れた」と語っている。


 片腕を切り落とされた黒羽丸は狼狽したように引き下がる。新島も槇に声をかけられ、体勢を立て直していた。


「なんだあいつは……!?」


 浅岡の苛立ちは私の体の戒めを緩めることになった。刀を振りあげて逆袈裟に討とうとするものの、浅岡は憤懣に顔を歪めて飛び退く。


ジャ……!」


 もはや真言を唱えさせるものかと、防御を捨てて前へ飛び込む。前衛だった黒羽丸は皕瀬が相手取ってこちらへ戻ってこられない。図らずも私たちは浅岡たちを分断し返していた。


「なんだよ! なんなんですか!! あんな奴、聞いてない!!」


 浅岡の顔に汗が浮いている。間違いなく焦っている。畳みかけるのは今しかない。


「クソッ!」


 悪態をついた浅岡は棒状の手裏剣を投げつけてきた。距離を詰めていたのもあって躱せず、左の太股に受けることになった。傷を中心に熱と痛みが広がり、傷から何かが心臓に駆け上がってくる感覚がする。


 また毒か。


「芸が無いな浅岡!」


 注ぎ込まれた時とは量が違うが毒であることにはかわりない。普通の人間なら致死量だろう。だが私は不死で、これくらいの毒でくたばるわけがない。


 今一度地面を蹴り、刀を前へ突きだして懐に飛び込む。計画が破綻した浅岡の堪えられないといった渋面が迫り、白刃が腹を捉えた。


「やめろォォォォオ!!」

「終いだ!」


 刀を捻り、さらに深く刃を刺しこむ。城趾のある山に粘つくような絶叫が響き、浅岡と私はもつれ合って地面に倒れ込んだ。


「はっ……はっ……」


 生気を失って天を仰ぐ浅岡に、私は馬乗りになっていた。刀ははらわたを貫いて墓標のように立ち上がっていて、全てが終わったと告げている気がした。


「び、比丘尼、さま……」


 浅岡に気を取られていた私は、後ろから聞こえた翠姫の声で我に返る。翠姫は木の枝を杖に、血の滲む脚を引きずって近づいてくる。


「終わったの、ですか?」

「こっちはな」


 私は辺りが静かになりつつあるのを感じていた。ふと槇たちはどうしたかと思って見回すと、皕瀬が雄叫びをあげて黒羽丸を袈裟懸けに斃しているのを見つける。


 かつて稚児だったものは意思なき眼をこちらに向けて別れを告げることもなく、使い古した油のような黒い飛沫をあげて頽れる。そして蝎獅かつしも大縄をかけられて動きを封じられ、その頭を大槌で破壊されようとしていた。


「翠姫。その脚は……」

「だ、大丈夫です。ちょっとひどい擦り傷程度ですから」


 それにしても、衣の裾から見える脚は変化が解けかけ、鱗が逆立って痛々しい。


「ちょっとそこに座れ。診てやる」


 そういって刀を骸から引き抜こうとしたときだった。

 浅岡の虚ろな眼がぎょろりと回り、私を捉えた。そしてすかさず突き出された左手には、火箸程度の長さと太さの針が握られていた。


 私は浅岡の不意討ちに反応できなかった。火箸のような針は私の左胸の奥深くへ深々と突き刺ささった。


「え……っ」


 私と翠姫は同時に声を漏らした。


「あははははは! いいざまだ! 驚いたか! 驚いたでしょ、先生!」


 浅岡は口から血を噴きながら笑い叫ぶ。口が裂けんばかりの声量で、私の左胸を貫く針を指さしている。


 私はというと、いつもなら飛び退いて反応しているはずのことが出来なかった。体に力がはいらず、気がつけば口からあの黒い血反吐があふれ、頭の中が混乱していた。


「あの程度の毒じゃ死なないと思ったか!? あんたは今、その程度の体になったんだよ!!」

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