第39話
「なん……で」
体を起こしておける力すらもなくなり、疑問を呟きながら後ろに崩れる。翠姫の柔らかな体が受け止めてくれたが、私は浅岡の勝ち誇った笑みに釘付けにされていた。
「おい魚! その針に見覚えあるか!?」
「わ、私のお腹を刺した針……?」
「そうだ! お前の腹から
「なんでそんなことをっ」
「きまってるだろ! 得体の知れない魚の肝なんか、そのまま食えるかよ! ネズミにでも先に食わせて、毒性がないか調べるつもりでいたけど……」
浅岡は喀血しながら、最後の力で笑っていた。その様に翠姫は恐怖している。
「肝は不死の根源でしたよねえ先生! それを喰えば不死を捨てられるって言いましたよねえ!! これは僕の、最後の贈り物ですよ先生!!」
まさかこんな、巡り合わせたような死に方をするなんて。
「あっはははははは! 先生! その顔! そのカオぉ!! ケッサクですよ!! あの世で待ってますからね! あの世で契って、夫婦に……」
そう言い切る前に、浅岡の頭は吹き飛んだ。異常を察して駆けつけた槇が一閃し、首を落としたのだった。
「何があったんです!」
「あ、ああ……あの、あの……」
私に代わって翠姫が説明をしようとしているが埒が明かない。
かといって私は、論理的に説明をできるような体力が残っていなかった。
「た、助けて! 毒をうた、うたれて……」
槇は全てを察したようだった。すぐに顔をあげ動員をかける。
「聞こえる!? ねぇっ! い、いま、みんなが、解毒剤をさが、さがしに……」
無駄だ。
もうほとんど、まとまったことを、かんがえられていない。
「
「さむ、い」
やっと絞り出した言葉がそれだった。
「大丈夫だから! ほら、手を握って! お願いだから握ってよっ!!」
私の手を握ってくる翠姫の手は小さかった。
細くて、肌がきめ細かいのがわかる。刻まれ続けてきた私の手とは違う。だからこそ、体温の伝わり方が柔らかく感じる。
「あ、ああ……」
握り返せない私のざまに、翠姫はついに悲鳴に近い声で泣き出した。死んでからも耳の力は残ると聞くが、今はそれが疎ましかった。
「誰かぁ! 助けて!!
視界がゆっくりと暗くなり、閉じられていく。これが黄泉路なのだろうか。
もうどうしようもないと覚悟が決まっていると、死ぬのは怖くないな。
「
最期まできんきんとうるさい女だ。
これも天命なら、人は黙って受け容れるしかないだろう。私が不死になって、婚家を追い出され、郭で働き、野山で餓鬼になり、尼になったことと同じだ。終着点がここで、犬死にする決まりだったのだろう。
槇や新島は結ばれるだろう。子を何人もうけるだろうか。皕瀬はどこへ行くのだろう。私の帰りを待っているあの庵はどのくらいあの岬に佇むだろうか。
もう全て、済んだことだ。
たとえ犬死にでも、自分の関わった全ての行方に思いをはせられる。
それでいい。
ああ、でも——
「——もっとはやくに、お前と会えていたら」
そうしたら、お前の行く末も想えたのに。
不意に、口中に血の味が広がる。
舌に楕円状のものが触る。
「——んで! 飲んで!!」
鼻をつままれたことで不随意的に舌の上のものを飲み込まされた。
途端、息苦しさやけだるさが体から抜けていく。閉じかけていた視界が急に色を取り戻し、魂の抜けかけていたはらわたや心の臓が働き出すのを感じる。血が体を駆け巡って、体温が戻ってくる。
「
私の頭は言葉や、その裏に隠れる感情を明瞭に理解しはじめていた。
鈍色の空を見上げるように寝かされていた私は、翠姫の膝をまくらにしていた。そんな私を翠姫は、泣きはらした目で覗き込んでいる。
「おまえ……」
翠姫は何もこたえず、鼻と涙をすする。顔がぐしゃぐしゃになって、雫を私の頬に落としてくる。
「まさか、死に損なった、のか」
「ごめん……! ごめんなさい……っ」
「なんでおまえが謝るんだ」
「う、鱗をっ」
そういう翠姫の右手の指は赤く染まっていた。私は顔を動かしてひざを見やると、すりむけた脚で逆立つ鱗がいくつか見えた。その中に、血の浮いた生傷があった。
「鱗を飲ましたのか。私に」
「ごめ、ごめんなさいっ! あなたが、あんなふうに死んでいくのがっ、私、たえ、耐えられ……」
「落ち着け」
「もっと、私ももっと、あなたと話したかったから……! だから、だから……」
まさか、うわごとで死に損なうなんて。
だが死ぬ機会を奪われたという感情は湧いてこなかった。それよりも目の前でしゃくりあげながら泣き、赦しを請う翠姫を安心させたいという気持ちが勝った。
「翠姫」
「ごめんなさい! ごめんなさい……!」
「助かった」
翠姫の表情が一変した。自責に押しつぶされそうになっていた彼女は落ち着きを取り戻し、まさかといったふうに私を見てくる。
「なんだ」
また翠姫は泣きだした。だがさっきまでの悲鳴まじりの涙ではなかった。
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第九章を読んでいただき、ありがとうございました。
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