第41話(終)

 夕方になり、祝言が始まった。私と翠姫は並んで末席に座り、その上席に皕瀬ももせを座らせる。


 皕瀬ももせは「あるじどのが上席だろうよ」と渋ったが、槇の同僚たちと関係がない私が連座するのも場違いだ。だから間に皕瀬を入れて同席させてもらうことにした。


 着飾ったまきみつるが現れ、部屋が水を打ったように静かになる。


 槇はしゃちほこばっていた。だが初々しいそのたたずまいはむしろ、これからの活力に満ちている証だった。


 武家の三男として生まれ、食い扶持減らしで稚児になり、また武家に戻るという波乱を乗り越えたからこその『練り』を感じる。


 いっぽうみつるは槇よりも緊張していた。


 普段から男のような格好をしているから、白無垢はふわふわとして着慣れないのもあるかもしれない。居心地が悪くて体が動きそうなのを、気を張って押しとどめているようだった。


 変な女だが、普段の機敏でかちっとしたたたずまいとの落差に、槇はやられたのかもしれなかった。


 槇とみつるの前に置かれた杯に神酒が注がれる。槇がその杯を手に取り、三献の儀が始まる。

 


 高砂たかさご

 この浦船うらふねげて

 つきもろとも満潮みちしお

 なみ淡路あわじ島影しまかげ

 ちか鳴尾なるおおきこえて

 はや住之江すみのえにつきにけり

 はや住之江につきにけり



「どういう意味、なんです?」


 槇とみつるが三三九度で神酒を飲みほすあいだ、となりの翠姫が囁いた。


高砂たかさご住吉すみよしは離れているが、どちらにも相生あいおいの松という名の松がある」

「同じ名前なのですか?」


「近くを掃き清める老爺と老婆に、なぜ同じなのか尋ねた神官がいた。すると二人は、二つの松は夫婦だとこたえた。場所が遠く離れていても、時を隔てていても、二つはつねに心が通っていると惚気のろけるのさ」


「まあ……!」

「そして神官に、住吉で待つと言い残し、二人は空を駆けて海へと消える。二人はまさにその二つの松の精だった」


「本当に、個人的なお惚気だったんですね……」


「神官たちも松の精に言われたらということで船を出して住之江すみのえに向かう。確かにそこに松があった。それに応じてか住吉明神すみよしみょうじんが来臨し、月光の下で神舞を披露して現世を祝うという話なのだ」


「神様が舞を?」

「すごい話だろう。神官とはいえ、ただの人の前に神が顕現して祝福を授けるなんて」


 そうこうしているうちに、杯が一人一人に渡される。すでに二人の家族は家族固めの杯を済ませたらしい。これは親族固めだ。


「私たちも、よろしいのでしょうか」

「親しければ親族だろうよ。遠慮するな」


 注がれた神酒を、合図と共にみんなで飲みほす。引き締まる辛さのなかに、ふくよかな甘さが顔を覗かせていた。


 ***


 式の次第が終わり、無礼講が始まる。ここから先はということで、私と翠姫、そして皕瀬は中座することになった。


 主役の槇とみつるは挨拶をしたそうにちらちらとこちらを見ていたが、私は目配せをして微笑み返すのに留めた。二人はそれで察したようで、ほっとした様子で笑いの喧噪に混ざっていた。


「どこかの旅籠にとまるのかね、二人は」


 夜道を歩いていて、話を切り出したのは皕瀬だった。


「尼寺で一晩世話になる。このまま帰ってもいいが、翠姫にはつらいだろうから」

「そうか。じゃあここで、だな」


「もう、行くのか」

「うむ。あれだけ下働きでこき使われたのだ。今度は俺の勝手をする手番よ」


 不満に聞こえたが、皕瀬の機嫌は良かった。


「どこへいかれるのです?」


 翠姫は興味津々だ。


「肥前だ。俺が刀として打たれたのがそこらしい。故郷を見て、俺の生まれた金床を訪ねるのも面白いと思ってな」


「では大坂から船か。達者でな」

「あるじどのも、もうツレを泣かさぬようにな」


 何をと抗弁しそうになったが、飲み込んだ。仕方ないという表情になり、それを見ていた翠姫にまたくすくすと笑われる。

 皕瀬は提灯を私に手渡し、手ぶらで大坂方面へと去って行った。


「いってしまいましたね」

「ああ。私たちもいこう」


 提灯をたよりに京の道を歩き出す。都とはいえ夜道に危険がないとはいえないが、そこは私がいる。

 だが翠姫は、妙に口数が少なくなった。


「やはり夜道は心細いか?」

「あ、いえ。シンさまがいるので」


「なあ翠姫。気になることがあってな」

「はい?」


「時折、私のことを『辰』と呼びつけるときがあっただろう」

「あ、あれは……」


「構わないからな」

「えっ」


「もう私は尼ではないし、お前を引率する役目でもない。幸い、一度死んだことになったから咎人でもない。なんでもない女だ」


 翠姫は黙って、隣を歩きながら私の顔を見ていた。


「私は前から、お前とか翠姫とか呼びつけていた。これからもそうすると思う。だからお前にも気安く呼ばれたいと思ってる」


「わ、私はべつに、気安くないわけじゃ……」

「なら良い。忘れてくれ」


 訝しんだだろうか。

 だが、私が彼女に出会って、話をしたことで変わったのは確かなのだ。これまで翠姫のことを疎んだり怨んだりしていたことがあるぶん、これからはと思ったのだが。

 距離を縮めるというのは、難しいな。


「し、辰」

「——なんだ」


「明日は、もう庵に帰る、の?」

「そのつもりだったが」


「少し、名跡を見ていけないかな……」

「ああ、そうしよう」


 翠姫の見せる屈託のない笑顔が沁みた。

 これから私は彼女とともに、いろんなものを見て、語らい、過ごしていく。


 心が通うとはいくらでも言える。だがどこまでいっても私たちは他人だ。だからこそ、常に言の葉を交わして共有し、認めていきたい。


 吹く風に、すでに冬の面影はなかった。


                                     了



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 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 2022年度の新作長編でした。


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袈裟と鱗と刀の奇譚 日向 しゃむろっく @H_Shamrock

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