第22話
洞窟の前へ戻ると、
「黒羽丸。用意はいいか」
「はい。
「
「い、今行き……ますっ」
すると翠姫が壁を伝い、二本足で立って洞穴から出てきた。
「黒羽丸。悪いが翠姫を背負って付いてきて欲しい。雑嚢は私が持とう」
「はい」
「きゃあっ!」
洞窟のほうを振り返ると、翠姫が転んで這いつくばっていた。
私は思わず駆け寄る。
「ご、ごめんなさいっ! 二本足で歩けたから、つい……っ」
「立てるか」
「いえ……その……」
「黒羽丸。手を貸せ」
刹那、背中に衝撃が走った。
異物が背から腹へと突き抜け、目の前に現れる。
それは銀色の、槍のような突起物だった。
「え……?」
何が起こったのか、理解が追いつかなかった。
私の腹を貫くそれの先端が、猫の尾のように曲がる。そして宙を滑るように伸び、私の左胸を穿った。
「きゃあああああっ!!」
串刺しにされた私を間近で見ることになった翠姫は戦慄し、絶叫して後ずさった。
「あっ……が……!?」
左胸を深く穿たれ、肺が破れて息苦しさを感じる。咳き込むと口の中が血の味でいっぱいになる。そして体の破口は焼けるような熱を発している。
これは一体。
「せンせイ」
馴染みのある声が、別の馴染みのある声と混じって背後から聞こえてきた。
「うしろ、気をつけてくださいねって、言いましたよね」
ゆっくりと背後を見やる。
銀色の槍は黒羽丸の腕から生えていた。
「く、黒羽丸……!? まさ、か」
「鈍いな先生。僕が先生に監視をつけずにいると思います?」
黒羽丸の顔は、もう黒羽丸ではなくなっていた。目が据わり、口元だけを歪ませる薄っぺらな笑い。
「浅岡……っ、お前、なのか」
「そうですよ。大好きな先生ですからね。四六時中、見張らせて頂いてました」
肌が粟立つ。私はいままで浅岡に語りかけていたのか。あの無邪気で朗々とした黒羽丸の表情に釣られて解れた私の顔も、浅岡に観察されていたのか。
私の一切を見られ、消費されていたのか。
「この黒羽丸は僕が創った
「き、貴様! 私をどこまで愚弄すればっ!」
「活きが良いですね。ちょっと絞めましょうね」
左胸に刺さった槍から、何かが体に注ぎ込まれた。それはすぐに体へ染みこんでいく。
「……!? あ、熱い! あづいっ! や、やめ……っ!」
全身の血管が、熱せられた針金に変貌し体を貫いていくような激痛が生じる。
「あまり暴れないほうが良いですよ。余計に毒が体に回りますので」
「ど、どく……?」
「ずっと考えていたんですよ。不死者を躾ける方法を」
銀の槍が私の体から抜けていく。左胸に開いた風穴からは濃緑色の粘液があふれ出て、傷の周りを溶かしていた。
「死にそうな苦痛をずっと与えれば良いんじゃないかなって思ったんです。痛いのも苦しいのも嫌でしょう?」
「う……ッ。ぶ、げ……っ」
私は四つん這いになり、腹から急速にこみ上げてくるものをぶちまけた。それはヘドロのように真っ黒で、粘ついていた。
「ああ、血を破壊するんです。あと筋肉も徐々にね」
「うっ……ぇ!! げ……ぉ……」
浅岡が説明する間も、私は体から絞り出すように黒い血を吐き続ける。腐った体液を追い出そうとする体は言うことをきかなかった。
「び、比丘尼さまっ! やめて黒羽丸さん! 助けてあげてっ!」
翠姫がよたよたと黒羽丸にしがみつく。
黒羽丸は翠姫の頬を打ち付けた。彼女は悲鳴をあげ、地面に吹き飛ばされた。
「や、やめ、ろ……っ。なんで、こんな……!」
「先生。実は、隠していたことがありましてね」
黒羽丸、いや浅岡が、黒い反吐でまみれた私の前にかがみ込んだ。
「僕、先生のことが好きなんです」
「いつも言ってる……ことだろう!」
「ああ。分かってないんだ。違いますよ。
毒ではない吐き気が背筋を駆けた。
この男、本気か。
「僕は不死になりたいのですが、独りだと退屈じゃありませんか。一緒にいてくれる人を用意しないとなって。なら、ちょうど良い人がいるじゃありませんか!」
「ふざ、けるな……。誰がお前と……ッ」
体の全てが断末魔をあげていた。口からは黒い血が沸き出し、気力も減退している。心臓もあまり動いていない。
逃げ……ないと。
「あはは、先生! そんなヒキガエルみたいに這いつくばって」
浅岡は先回りして、這って逃げる私の腹を蹴り上げた。
「げ、ぇ」
踏み潰された毛虫のように、口から黒い反吐が吹き出た。内臓も溶けて、私の体はがらんどうになっているのかも。
「やめて! 黒羽丸さんやめて! 辰を苛めないで! おねがい!」
「あの魚、よく啼きますね? 知らないうちに仲良くなりました?」
腕だけで這いつくばる。どこへ這いつくばる?
どこへ逃げる?
確か、川が。
「先生。楽しませてくれますね。実は僕、こういうの大好きなんです」
目の前が傾斜して、その下に川が見える。
いや、川か? 昨日のぼた雪で、ただの道が白く染まって反射しているだけでは。
「あまり動かないでくださいよ。先生には僕の夫人として、ぜひ実験に参加を……」
身を乗り出し、最後の力を振り絞って傾斜へ体を投げ出した。
「チッ!!」
浅岡の悪態が聞こえたが、それで最後だった。
斜面を転がったことで体がねじれ、岩や石に当たって骨が砕ける感覚が響く。だがもはや私の意識までも毒に浸され、溶かされつつあった。
瞬時に体が冷たく包まれ、浮遊感を得る。
くぐもった罵声がしばし聞こえたが、あとはもう混濁した意識と暗闇に埋められて分からなくなった。
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第五章を読んでいただき、ありがとうございました。
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