第六章

第23話

 後ろから襲われるとは思っていなかった。


 大きな傷を負って、体力気力ともに尽きていたからかもしれない。それを油断というのだが。


 意識が戻るのを感じる。火が燃えて揺らめく気配を右耳から報される。体の感覚も戻ってきて、自分の体の置かれている状態が分かってきた。


 まぶたを開ける力が戻り、見知らぬ粗末な天井に出迎えられた。煎餅のように薄い布団に寝かされ、着慣れない着物の感触が肌を覆っている。


 まさか誰かに助けられ、引き揚げられたのだろうか。


「起きたかよ、あるじどの」


 突然かけられた男の声に驚く気力ももはや無く、目だけをどろりと動かす。


 火の熾る囲炉裏の前に座り、こちらを漫然と眺める若い侍。漆を塗り重ねたように深く濃い赤銅色の着物と、髷を結うほどの長さも無い刈り込まれた頭。


 その目は風体の若さに似つかわしくないほどにすれていて、つまらなそうに結ばれている口元と合わさり、何事にも無関心に見える。

 男の右横には、私の刀が置いてあった。


「良かったな? 川に落ちて流されて、毒が抜けたのよ」

「だ……れだ。お前……」


 身構えたかったし刀を奪い返したかった。だが毒に蝕まれ、溶かされかけたこの体でははどうしようもできない。


「それは話すと長い。体の自由がきくまで番をしておくから寝ていろよ」

「お前の素性も分からず、無防備でいられるか」

「今さら!」


 男は鼻で笑いながら、乾いた枝をたき火に放り込んだ。静かに勢いを増した火は男の風貌をさらに明るく見せる。


「二百年だ。二百年前に俺はあるじどのに買われた。それからずっと嫌でも側にいたんだ。今さら何の気が起きるんだ」


「買われた?」

「まだ分からないか。存外鈍くて面白いな。このまま知らんふりするか」


「莫迦にする気か」

「鈍いって言ってるだけだ。無防備でいられるかと言ったな? ずぶ濡れの着物を剥ぎ、凍り付きそうな体を拭いたのは誰だろうな?」


 男に順番に言い聞かせられ、顔が熱くなる。


「は、肌を見たのか!?」

「じゃあなんだ。ずぶ濡れの体をそのままにしておくべきだったか?」

「いや……」


 男は何も言わなかったが、代わりに満足そうに口元を緩める。


「人じゃないと言ったな? お前はなんだ?」

「俺は、これよ」


 そう言って男はかたわらの刀を見せた。


「どういうことだ」

「二百年のご愛顧まことにありがとう、ってな」


「莫迦な。化けて成ったとでも言いたいのか」

「まさにその莫迦なことなんだ、ほれ」


 男はおもむろに手をたき火へと突き込む。何もそこまでと言いかけたが、男は相変わらず無関心で涼しい顔を浮かべている。そして火から引き揚げた手を見せてきた。焼けただれた様子はない。


手妻てづまか?」


「この体は霊体なのよ。強い衝撃や激しい力が加わると強く締まって安定する。逆に気を抜くと、どこまでも薄く弱まって、最後は空気と区別が付かなくなって消える」


「では消えろ。そして二度と姿を見せるな」

「取り付くしまがないな。俺も今まで道具としてよくやっていたほうだと思ったが」


「それは、感謝しているが」

「おお、取り付くしまが出来たな? あるじどのは退かれると弱いか」


 こちらの腹を探られているようで、気分は最悪だった。だが心臓がまた普段通りに動き出したように思える。毒が体に残っている感じもしない。


「おい。お前は私の刀なんだろう」

「ああ、そうだな」


「なら力を貸せ」

「それはやぶさかではないが、こう、手足が生えてモノを考えられるようになるとな」


「なんだ」

「好き勝手に生きてみたいのよ。今まで人に使われる存在だったんだ。そろそろ自分で自分のあり方を決めたくてな」


「お前は付喪神になったんだ。ならこの先、永劫に生きることになる。そのうちの僅かな数瞬を私に使ったところで影響あるか?」


「勝手に生きると決めた人生だ。初っぱなから誰かに使われるのはごめんさね」

「じゃあどこぞへ失せろ。世話になったな」


「そうむくれてくれるなよ。ここでこうして面倒見てやってるのも俺の勝手よ」

「どうせ、何か算段があってのことだろう」


「俺の勝手だと言ってるじゃないか。それ以上でもそれ以下でもない。気分だ」


 男は億劫そうに膝立ちになり、枕元まで近づいてきた。思わず体がこわばって身構えるが、土瓶を手に取っただけだった。


「水だ。飲むか?」


 相づちだけで「飲みたい」と伝える。

 我ながら横柄だと思う。だけど、ついさっきまで私の所有物だった物に「勝手にやらせろ」と裏切られて、良い気分ではいられなかった。


 土瓶の口から水を吸い飲むと、渇いていた口と体に水が染みていく。緊張も解れ、頭の中に考える余裕が作られた。


「俺はな、あるじどのだけには助けを求められたくないのよ」

「なぜ。お前は私の刀だろう」

「だからこそよ」


 それだけ言って、男は黙ってしまった。

 囲炉裏の向こうへと下がっていくのを呼び止め、問いただそうとしたときだった。


「お侍さまぁ……」


 部屋の外から声がした。しゃがれた老婆の声だ。


「おう! 入れよ」

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