第12話

 囲炉裏の灯りへ傷口を向け、左の半身の肌を晒す。


 胸まわりはサラシを巻いているため多少の切り傷刺し傷は防げるが、体の可動部である肩はどうしても保護できない。


 翠姫すいひめの手は粕取りの焼酎で洗わせた。


 伝え聞くことによると、九州では刀傷を焼酎で洗うらしい。だから遠出するときは薬として焼酎を黒羽丸くろばねまるに持たせている。


「あの、これをどうすれば……」

「まず手をよく渇かせ。どこにも触れるな」

「か、渇きましたよ」


「では小柄を持て。そして刃を火中に入れてよく焼け。見えない汚れまで、炭にするつもりでな。手元の渇き具合には注意しろ。ヘタをすると酒に引火して手まで燃えるぞ」


「はっ、はい。あのっ」

「なんだ」


「このお酒、お飲みになったほうがいいのでは」

「手洗いに使うのがもったいないと思うならあとで勝手に飲め」


「ち、違いますよっ。強いお酒は感覚を麻痺させますから、その」


 私は尼になる以前から酒を飲まない。僧の戒律ではなく、貧しくて買えなかったから。


 意図を察し、翠姫から小瓶をひったくるようにして受け取る。瓶を口に向けてひっくり返し、中の焼酎を口いっぱいに含んでから飲み下す。


 粗雑な酒精が鼻を逆流して咽せそうになる。ひどい味だ。酒精の甘味を感じる間もなく、舌が焼けるように辛い。


 その間に翠姫は言いつけ通り小柄の刃を焼いていた。


 小柄が浄火で炙られて清純な状態へ変ずるその様子は、見る者に緊張を与える。部屋がしんと静まりかえり、囲炉裏で薪が燃える音のみが囁く。


「できました」

「では傷口とその周辺を酒で洗え。残しておけよ。あとで膿や血を洗うために使うからな」

「は、はいっ。じゃあ、始めますよっ」


 翠姫が傷を酒で流した。


 酒精が、傷口の肉に染みこんで刺すように痛む。


 液体の冷たさが背中を駆け下りる感触も不快だった。だから余計に背筋が反応して震える。


 痛みに叫ぶのを我慢して歯を食いしばるが、歯の間から抑えきれなかった声が漏れていく。


 奥歯が鳴りそうになる。


「だっ、大丈夫ですか……?」

「ここまで来て引き下がれるか! モタモタするな、余計に疼く!」

「ご、ごめんなさいっ。でも、これを」


 翠姫はてぬぐいを差し出してきた。見たことも無い模様の刺繍だ。


「ただ食いしばると歯を傷めますから」


 本当に癪に障る。


 なんで私が、こんな人魚に心配されなければならない。


 こいつのせいで、私は今まで。


「じゃあ、いきますよ?」


 私はてぬぐいを噛み、目をつむってあらためて身構えた。


 直後、肩に侵入する刃を感じる。


「ぎっ! ぃッ!」

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


 刃の先端が肉を切り裂きながら、傷の奥へと入っていく。それとともに溜まった膿と血が傷から溢れ、背を伝っていくのがわかる。


 直前まで自分の一部だった血は肌と同じ温度である。だからしたたる血に冷たさも温かさも感じず、ただただ背中が濡れていく感覚だけが広がる。


 痛みから気をそらすため、チラと横を見た。そこでは黒羽丸が、部屋の暗がりでうずくまってこちらを見ていた。


 こっちを見るな、黒羽丸。


 なすすべが無くなり、さっきまで疎んでいた娘に全てを委ねるしかない私を見るな!


「あった! ありましたよっ。すぐ終わりますからっ」


 小柄の刃が私の体の中で、別の金属と触れた。かちりとぶつかり合う感覚が傷を通して伝わる。


 翠姫は刃をあおって取ろうとする。だがそれは悪戯に傷を広げていく。


「ギッ! ぐっ、ひッ……」

「い、痛いですよね! どうして、どうしてとれないのっ」


 脂汗が額を濡らす。てぬぐいを噛みしめていても歯がへし折れるのではないかと錯覚する。


 これはこいつの、この人魚の、私への懲罰か?


 私を死なない化け物にしたあげく、さらに苦痛を与えて弄び、喜んでいるのか!?


「矢じりがっ。矢じりの返しがっ。もう! はやくとれてっ」


 こいつは私を痛めつけて、喜んでいるのか。


 低俗で野蛮な妖怪ふぜいが!


 ああ今すぐにこいつの、嗜虐に悦んで歪む顔を拝んで、殺してやりたい。


 私の体を抉り、痛めつけて、血と膿で手を真っ赤に染めて喜んでいるこいつを!


 直後、何かが背からはじけ飛んだ。それは床へ血の跡を残しながら滑っていく。それは囲炉裏の灯りに照らされ鈍く銀色に光った。


 矢じりだ。

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