第32話
部屋には私と、こちらを射るように見つめてくる
「刀はどうしたんです」
「置いてきた」
「どこへ」
「
「なぜ」
「持っていれば要らぬ用心をされそうだからな」
「自覚があるんですね」
「いや。思ったよりも信用されていないと、今思い知っている」
「そりゃそうですよ。だって、あなたは僕が知っている先生じゃない」
「斬ったのに生きているのが、そんなに不服か」
槇の手が正座の上で震えているのを見つけた。私と同じ畳の上で座っている以上は寒さでということはないだろう。
「そんなざまで、浅岡や私を捕らえるつもりか」
槇の顔が青ざめていく。思っている以上に、私を斬ったことがこたえているらしい。
「悪い夢のようでしたよ」
槇の視線が下っていく。これではどちらが尋問を受けているか分からない。
屋敷の庭に積もった雪が音を吸い、槇の心音まで聞こえそうなほど静かだ。
「僕は、先生を斬り伏せることだけを考えて必殺の気持ちで立ち合いました。そして、やり遂げました」
「あれは見事だった」
「逆袈裟に振り抜く瞬間、手応えは確実にあったんです。だけど僕が想像していたものと全然違った。先生の皮膚や肉、骨が、羊羹でも切るかのように、スカッ……て」
「そういうものだ」
「裂けた体から血の塊がこぼれて、先生の眼から意思が消えるのを間近で見て、僕は……」
「それが死合いだ。泰平の世になって、とんと少なくなったが」
「それは頭では理解していたつもりでした。だから先生を躊躇なく斬れた。だけど、こんなに後悔するなんて」
「私は生きている。そんなに気に病むことか」
「むしろ先生はなんで平気なんですか! 僕を殺すつもりだったんでしょう!」
「いや」
槇の眼がこちらを見た。否定したのが意外だったらしい。
「どうあっても、私にお前を殺すことはできなかっただろうよ。何か理由をつけて、同じようにその場を濁したかも」
「なんでそう言い切れるんです」
「自分が思ったより、甘かったからだ」
槇の体から一瞬、こわばりが抜けた。
「自分の願望にすらどん欲になれず、苦痛を他人に転嫁する覚悟もなかったんだ」
「何を、言ってるのです?」
「槇。浅岡が何をくわだてているのか知らなかったな?」
「はい」
「奴は不老不死を研究しているんだ」
「ふ、不老不死?」
「私と一緒にいたあの赤髪の娘は人魚だ。鱗や肉を食べれば、不死になれる」
「浅岡はあの娘を手に入れて、不老不死になろうとしている、と?」
「そうだ」
槇は腕を組み、眉間を寄せて目を伏せる。これまで見聞きしてきたことの断片を、頭の中でつなぎ合わせているのがわかる。
「ちょっと待って下さい。まさか、先生は」
「不死だ」
槇は驚かなかった。
「ということは、先生は過去にあの娘の鱗か肉を手に入れて、食されたのですか」
「そうだ。そして私は不死を捨てたくて浅岡に協力していた」
「望んで手に入れた不死ではないのですか」
「色々あるんだ。本当に、色々と」
自嘲の笑いがこぼれる。思えばこんなに自分のことを話したのは初めてかもしれない。
「不死を捨てるには人魚のことを知る必要がある。あの翠姫という人魚は、一人歩きした私の願望に巻き込まれたんだ」
「巻き込まれたのなら、あの娘はなぜ逃げないのです」
「私に、謝りたいと」
「何を」
「不死の体にしたことを」
「赦したのですか?」
「赦すだなんて。私が言えるセリフではなかったよ」
「だって、先生は苦しまされたのでしょう」
「それと同じくらい、翠姫も悔やんできたのだ。今となってはそれがよく分かる。これ以上苦しめとは言えない」
「手ぬるいですね、先生」
「なに?」
「望まぬ運命を強いられたなら、僕はそいつを心底うらみますよ」
「当然だ。お前は定命だから」
「僕と先生は違う、と?」
「以前の私もそうだが、私たちは有限な時間を奪われたことに怒っていたんだ」
「じゃあ僕も不死になれば考え方が変わるのですか」
「すぐには変わらんだろう。私も八百年かかった」
「はっぴゃ……!?」
呆気にとられた槇の顔は、冷たかった畳が温められたのと同じように、張り詰めた空気が弛緩していることの兆しだった。
「思ったよりも年増で驚いたか?」
「いや。その、事情はわかりました。で、人魚を犠牲にしないために、浅岡と決裂したわけですね?」
「そうだ」
「何か見返りを、当然求めるんですよね」
「浅岡の計画を止め、翠姫を助ける手助けをしてほしい」
「減刑の嘆願ではなく?」
「一度は自分の意志でお上の仕事を妨げたわけだ。減刑を望むなんて、図々しい」
「ですが浅岡に強要されたと証明できれば……」
「証明する必要はない」
「なんで……!!」
「槇。私に執着してくれるな」
そういったとき、槇の顔に寂しさがにじみ出てきた。
「大丈夫だ。私は死なん。あるいは獄中からお前の還暦を祝えるかもしれないな?」
「それ、励ましになってませんよ」
「すまん」
槇は難しい顔をしていたが、ほどなくして立ち上がった。
「新島!」
そう呼びつけると背後の襖が開いて、あの女侍が現れた。
「先生の手鎖を外してやってくれ。理由は聞いていただろう?」
「聞いてはいましたが、ほかの皆さんがどう思うか」
「これから皆に説明してくる。それから、浅岡捕縛の段取りも手配する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます