第八章

第31話

 朝一で村を出てからは舗装された山道を休まず歩く。


 すると、昼過ぎには大原おおはらへ着いた。到着は夕方ぐらいになるかと思ったのだが、はやる気持ちが足に出ているらしい。


 この大原おおはらという里は、若狭と京を結ぶ『鯖街道』の、陸の終着地でもある。ここから高野川をゆく船へと荷物が載せ替えられ、京まで水路を進む。


 つまり私や翠姫すいひめが何事もなく鯖街道を進んでいた場合、ここを通過していたことは、このあたりの地理を知る者なら誰でも予想できる。


 京都所司代きょうとしょしだいにとっては最後の関所であるここに、彼らが陣を張っていると私は考えていた。


 里の中に広がる畑には雪が薄く積もっている。それを取り囲むように寺社や庄屋など人家が立ち並ぶ。武士が陣を張るとしたら、庄屋だろうか。


 小高い場所にある庄屋と思しき屋敷を目指す。白い漆喰の塀を構えているところを見ると、それなりに羽振りは良いらしい。


 開け放たれた瓦葺きの門の前に、見るからに岡っ引きといったふうの中年がいる。刺叉を立てて門番をしているらしいが、その目は気が張っているというより上の空だった。


「おい」


 声をかけると上の空だった瞳に生気が戻り、はっとしてこちらを見てくる。すると男の顔から血の気がひいていった。体中の血が地面に向かって落ちていったような、そういう雰囲気だった。


「あ……! わ……!!」


 年甲斐にもなく、情けなく狼狽えている。まあ、たかだか四十年ぐらいではな。なんと声をかければ良かったのだろう。「もし」とか「あの」とかだろうか。


「そう慌てるなよ。この通り、丸腰だ」


 男は私の腰に刀がないのを見つけると少し落ち着きを取り戻す。


「な、何しに来た!」

まきはいるか?」


「………」

「居ないなら、あの女侍……新島にいじまだったか? やつでもいい。話がしたい」


「に、逃げるなよ! そこにいろよ!」

「逃げんよ。逃げんから呼んでこい」


「ああ……でも……」

「そんなに心配ならお前はそこにいろ。邪魔するぞ」

「それじゃあ俺が門番を務められなかったことになる!」


 なんと面倒くさいやつだ。


「じゃあいかがする」

「……う! ……うう……」


「手っ取り早くいこう。そこで叫べ」

「は!?」

「何もおかしくはない。叫ぶと奮い立つぞ」


 すると門番は、人生で一番と思われる金切り声で叫んだ。

 やがて絶叫を聞きつけた面々が、物々しい雰囲気を引き連れて門前へなだれ出てくる。多くが庄屋の庭先で寝起きしているらしい。


 始めはなんだろうと思って出てきていた彼らだったが、私の顔を見た瞬間に険しさと驚きの混じった表情になる。そして得物を構えてぐるりと私を取り囲みだした。集団になれば腰はひかないし、士気が維持できているのは流石といったところだ。


「何ごとかっ!」


 どやどやと遅れて集まってくる侍の声に混じって、女である新島の声はよく通った。そして彼女が私を見つけるのに時間はかからなかった。


「しばらく。……何をそんな、信じがたいものを見るような目で見ている」


 新島は素早く上下に目線を動かす。


「丸腰とはどういうことですか」

「そのままの意味だ。ここで捕まっても、私は抵抗しないということだ」


「どういう心持ちの変化ですか。あの赤髪の女子おなごや稚児の男の子はどこへ?」

「それも全部教えてやる」


 岡っ引きたちのみならず、新島たちもざわつく。その多くが仲間割れと見ているようだった。


「では先生を斬っても死ななかった理由もですか?」


 門の奥から槇の声がした。一瞬、心臓が縮みこむ感覚に襲われる。だが新島たちの後ろから出てきた槇と出会うと、その縮みあがりも霧散した。


「槇。無事だったな」

「はぐらかさないで下さい」


 槇の眼は私への怖れと緊張で一杯だった。


「私のことも、全部話そう。それと、浅岡がどこにいるのかもな」

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