第35話

 地下三階層目にくると、通路の様子ががらりと変わる。漆喰だけの壁ではなく、頑丈な木枠で構成された管のような廊下が続く。


「流石にここまで潜ると、通路を頑丈にしたいんでしょうね」

「あるいはここが最下層なのかもしれない。自分の主な居住区は固く作りたいだろう」


「なるほど」

「離れるなよ槇」

「むしろ僕は先生の監視役なんですよ!」


 浅岡の寝所の近くらしいのだが、この階層に降りてきてから一体も出てこない。案外、奴は自分のそばに人形を置いておきたくないのかもしれない。


 通路の壁に掘られた穴を覗き込むと、様々な部屋が見つかる。通路は無機質でありながら、各々の部屋は雑然としていた。


 雪でよく冷やされた食料庫。虚ろな顔や魂の入っていない胴体の吊された人形の部品庫。色あせたはらわたが保存液に漬け込まれた瓶の並ぶ標本室。南蛮の本が並ぶ図書室。


「いちいち禁制品が目に付きますね。貴重な資料や、よく使えば人の世に役立つものだとは分かりますが」


「その境目が判断できぬのだ。あやつは」


 だが自分の近くに置くべきものは分別がつくらしい。奥へ進むほど、枕元に置いておきたいものの嗜好が反映されていく。


 すると、一際頑丈な鉄枠の扉が現れた。使われている木材も硬く締まっていて、鉄枠が飾りに見える。


「入るぞ」

「用心してください先生。扉を開けたら仕掛けが動くなんて、常套手段ですから」


「なら下がっていろ」

「火薬でも仕掛けてあったらどうするんです!」

「ここは地下だ。安易に爆発なぞさせれば自分も埋まる」


 それに罠があったとして、私が人柱になれば問題はない。

 力をこめて鉄扉を押し込む。すると隙間から空気が吹き出る音がした。通路に甘い匂いが這い出てくる。


「先生!」


 瘴気かと思ったのだろう。槇が口と鼻を押さえて飛び退いた。だが私はこの濃い瘴気の間に聞こえる匂いに覚えがあった。


 薬品の刺々しい感じと角の取れた腐肉の雰囲気。


「悪臭消しの香木だ」


 恐る恐る呼吸をする槇をよそに扉をさらに押し込む。間近で大量に吸い込んだ私でもなんともないのだが、この濃さは体が弱い者にはこたえそうだ。


 部屋の中は自然光にちかい燐光で満たされている。壁に埋め込まれた蔵書棚や標本棚、炊事場や寝床、書き物机がひしめき合っていた。


 床には大陸から渡ってきた抜け荷と思しき緻密な柄の敷物が敷かれている。これだけでも、今の日の本の価値に置き換えれば国ひとつぶんはあるだろう。


「どうやらここが寝床らしいですね」

「身の回りのものを捨てて逃げたようだな」


 体の自由が利かなくなったと言っていた。だから私は、もっと散らかっていると思っていた。だが本棚の高いところにある本がいくつか抜けていたり、水場がしっかり掃除されているのを見るかぎりそう思えない。身の回りを人形にやらせていたのか。


 あるいは。


「先生」


 立ち並ぶ小物や見慣れない渡来品に惑わされていた私は、槇の声で現実に戻される。


 槇が指さす先には床の間があった。漆黒の掛け軸かと思ったが、それは出入り口だった。


「隠し部屋を戻す暇もなかったか」


 踏み込むと薬品の匂いがきつくなる。床は磨き上げられた瑪瑙や琥珀のように艶やかな素材で、四隅を排水溝が囲んでいる。そして部屋の中央に置かれた金属製の机には、見知った赤髪の娘が寝かされていた。


翠姫すいひめ!!」


 翠姫は白い布を体に被せられ、右腹の肌だけをさらされていた。腹に小さな貼り薬のような切れ端が張られているだけで、他に傷つけられた様子は見えない。


「おい!」


 近づき、ゆっくりと抱き起こしてやると翠姫は顔をしかめた。人工光の下だからか、顔がいつもよりも白く感じる。


「槇! 羽織るものを!!」


 槇が部屋を出て行くのと同時に、翠姫は目をゆっくりと開いた。

 陶然としたような表情で、意識がはっきりしないらしい。


シン……?」

「分かるか?」


「び、比丘尼さま……! いっ!!」

「どこか痛むのか? この腹の傷か」


「は、はい」


 羽織るものを持ってきた槇から投げ渡されたのは、翠姫が着ていた衣だった。処分されなかったらしい。


「何をされた」

「血を……抜かれました。抜かれているうちに、とても眠くなって……」


 顔色が悪いのは気のせいではなかった。


「ほかには」

「痛み止めを打たれて、お腹に火箸ぐらいの大きな針を刺されて……」


 翠姫は体に力が入らないほど消耗していた。着付けてやっている間に触れた肌が冷たかった。


 傷のある腹を圧迫しないよう慎重に抱え上げるが、いぜん翠姫はぐったりとしていた。しがみつく気力も失せているらしい。


 部屋を出て行く前に周囲を探すが、翠姫の言っているような器具は見つからなかった。痛み止めは意識をもうろうとさせるし、火箸を刺されたというのは錯覚かもしれない。


「槇。ここにもう用はない。出るぞ」

「分かりました。正面は任せて下さい。二階層まで同行します」

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