2021年
ショートストーリー部門
作者・しがない 大賞:『私』の感想
私
作者 しがない
https://kakuyomu.jp/works/16816700426283856741
三カ月ごとに新しく増える私を選び続けて精神が摩耗した先輩を喜ばすことができず、最初の私に嫉妬する私の話。
SFとホラーと恋愛。
実によくできた作品で恐ろしい(作品が、ではなく出来が)。
分裂や増殖を扱った作品は他にもあるけれども、発想がなかなか面白い。ドラえもんのひみつ道具の「バイバイン」や「フエルミラー」が浮かぶ。
誰が、バイバインをかけたのかしらんと邪推したくなる。
主人公は、私。一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継をしつつ、そのときどきの心の変化や心情が綴られている。
女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
主人公の私は、先輩に好意がある。
ある日、私が分裂。互いに同じ記憶を持ち、どちらが本物かわからず、先輩に見極めてもらおうと相談する。迷った末一人を選ぶ。選ばれなかった私は部屋を出ていった。残った私は三カ月後、また分裂。自分たちでは見極めきれず、また先輩に相談。どちらが本物かを決めてもらった。
こうして、三カ月ごとに新しく分裂する「私」は、どちらが本物かを見極めてもらうべく、先輩にお願いしてもらっている。
先輩は何回もやってようやく、最近どっちが新入りかわかるようになっていた。
目が覚めると、私の隣にもう一人私がいた。話し合いの結果、どちらも同じ人間であったが、どちらが本物なのかがわからない。自分たちでは決めかねたため、親にも頼めず、信頼できる人は先輩くらいしか思いつかない。
初めて先輩を自宅にむかえるべく二人がかりで掃除して、先輩を招き入れる。先輩は黙ったまま私が淹れたそこそこ高い紅茶を啜り、もうひとりの私が用意したこれまたそこそこ高い茶菓子を頬張る。
事情を聞いた先輩は、こともなげに指さして決める。
数日後。再び一人減った私の部屋に先輩を招いてお茶を飲む。どうして自分を選んでくれたのか上機嫌で尋ねると、前選ばなかったほうだったからと答える。
三カ月前にも同じことがあり、更に三カ月前も、そのまた前も、前もと答える。いまではどちらが新入りかわかるようになり、お前マイスターになったと自嘲気味に笑う先輩の目からは精神的疲労が伺える。
先輩は、きっと前回も「前選ばなかった方だから」という理由でもう一人を追い出したのだ。であれば、あたかも新しく増えましたというような顔をすれば残れるかもしれないと三カ月後の事を考えるも、考えたところで仕方ないとやめ、今もどこかで「私」は増え続けているのか先輩に尋ねる。
そうだろうと答える先輩。いつか、先輩に選ばれなかった私国家ができるかもしれないと口にして吹き出すも、先輩は「ウケるな」と面白くなさそうにつぶやく。
笑える冗談も何十回も聞けば飽きると気づき、地球上のどこかにいる最初の私に少しだけ嫉妬するのだった。
三幕八場の構成でできている。
一幕一場のはじまりは、目が覚めると隣に私がいた。互いに自分の記憶を語るも同じであり、ありえないけれども現実に増えたのだからと受け入れる。
二場の主人公の目的では、二人いる不便さから本物が残り偽物が去る結論となり、判断を先輩に頼むことにする。
二幕三場の最初の課題では、二人がかりで掃除して先輩に電話をかける。
四場の重い課題では、私が入れた高い紅茶をすすり、もう一人のわたしが用意したそこそこ高い茶菓子を頬張る先輩は、躊躇なく一人を決める。
五場の状況の再整備、転換点では、数日後。一人が出ていった後の部屋に再び先輩を招いた私は、一緒にお茶をする。いままで以上に充実した日常を過ごしていた。
六場の最大の課題では、欲が出て、どうして自分を選んでくれたのか先輩に尋ねる。なんとなくの返事でも幸せにしてくれる質問だったが、「前選ばなかった方だったから」と想像していなかった答えを聞く。
三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、三カ月ごとに同じことが繰り返されていると知る。以前にも分裂した記憶はなかった。
何回もやってどちらが新入りかわかるまで選んできたと答える先輩から疲労を感じ、なんて残酷なことをしたのかと思いながら、先輩にとって自分はどうでもいい人だはないと気づいて、少しばかり愉悦を感じる。ではなぜ、もう一人の私は何も言わなかったのだろうと考えるも、仕方がないことだと感が合えるのをやめる。
八場のエピローグでは、出ていった私たちはいまも増え続けているのかと先輩に尋ねると、そうなんじゃないと言われ、いずれ先輩に選ばれなかった私国家ができるかもと口にしては想像し、思わず吹き出してしまう。だけど先輩は面白くもない顔で「ウケるな」とつぶやく。何十回も聞けば飽きると思い、地球上のどこかにいる最初の私に少しだけ嫉妬する。
私が増える謎と、先輩が私を選んだ謎の二つがあり、互いに絡まって一つの結論に導く展開の、少し不思議のSFなホラー作品である。
ホラーとは怖いミステリーであり、ラストで主人公が生きるか死ぬか、どちらかが用意されているもの。
本作では生きる結末が描かれている。
とはいえ、本作は恋愛ものでもあるので、「出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れと要素が盛り込まれている。
また、恋愛ものの結末には「ハッピー」「アンハッピー」「死別」「卒業」があり、本作の結末は見方によっては、ハッピーとアンハッピー、どちらにも受け取れる。
でも、どちらでもない。
おそらく「卒業」だと考える。
卒業には、「泣く」「感慨にふける」「開放感に浸る」「すねる」にわかれる。最後、最初の私に少しだけ嫉妬をしているので、ちょっとすねているものの、感慨にふけっている。
この主人公は、次回の分裂のときに外へ出ていくはず。前の「私」が何も語らなかったように、語らず先輩の判断を受け入れて。
そのとき、開放感に浸っているだろう。
そもそも主人公の性格、設定が素晴らしい。
短い中によく練り込まれていて、実によくできた作品。
出来が恐ろしい。
衝撃的な出来事が起きてはじまる冒頭。
「目が覚めると、隣にはもう一人私が居た」なんて状況は、誰しも経験したことがない、突飛な状況である。
どうしてもう一人の自分がいるのだろう、と読み手は興味を持って読み進めていける。
外見描写を最小限にとどめ、主人公のモノローグや、心理描写に重きをおいて書かれているのが特徴。
一人称の語りは、気をつけないと心の声が多くなったり大きくなったりしてやかましくなりやすい。が、本作にそういうところはない。
分裂した主人公「私」の体験談が書かれ、登場人物の関係性も、先輩にとって「私」という存在はどうでもいいわけではないことがほのめかされている程度。主人公自身の名前や年齢、職業、容姿などはわからないし、先輩に対しても同様。
家を出て一人暮らしをしているとはいえ、大学生か専門学校生か、社会人なのかもわからない。
抽象的に感じ、とらえどころがないように思える。
それでも感情移入できてしまうのは、早い段階で主人公の細部が描かれているからだろう。
「子供の頃に親に隠れて捨てた赤点の数学のテスト用紙の投棄場所」
「太腿に残っている火傷のあと」「初恋のまひろ君」「結局渡せなかったラブレターの内容」「食費も、服も、何もかもが二倍必要になる」「一人暮らし用のワンルームに二人で住むのは高校時代の制服を着たみたいに窮屈」などから、現実味を感じられる。
また、主人公の性格が、実際近くにいそうな人物像として描かれているため、読み手はどうしても興味をもってしまう。
二人に分裂しても動じず、慌てないかわりにまだ起きてもいない問題に目を向けては、どちらが偽物なのかを決めようとするところより、どんな性格なのかが読み取れる。
おそらく主人公の「私」は、日頃から与えられた出来合いのものを選んで生きているため、誰かに命令されては行うのが当たり前だと思い、服従と反応だけをくり返しては損得で考える傾向がある人だ
わたしたちのほとんどは、消費者である。たとえ生産者側にいたとしても、会社から一歩足を出れば消費者だ。
自由に選んで買っているようにみえて、限りある商品から選ばされているに過ぎない。
買い物ばかりではない。
すでに存在するシステムから選択するよう仕組まれており、人生は提供された機会や可能性から選択するものだと、知らなうちに取り込まれ、気づいていたとしても多くの人が抜け出せずにいる。
結果、本作の主人公のように、あたえられたものに対して善悪や損得で判断するだけの生き方をしてしまっている。
そもそも人は、そのときに関心があるものしか見えていないため、視野が狭くなりやすい。
一方を本物とし、もう片方を偽物として外に出しても、なんら問題の解決に至っていないことに、主人公は気づいていない。
「二人が一緒にいるところを見られてはいけないし、別々の場所に居たとしても電話なり、写真なりのせいで『同じ奴が二人いる!』と面倒が起こるかもしれない」と思い至りながら、偽物を外に出したところで、世の中にもう一人の自分がいることに変わりない。
むしろ外に出せば、面倒が起こるリスクは高まるだろう。
二の累乗数でふえていくので、一年だと十六人、二年で二百五十六人、三年で四千九十六人と「私」が増えていく。
八年で世界人口の七十八億人を超え、十年経てば一兆を超える人数となる。
ペットボトルを捨てるとする。
分別が面倒だからと、その窓から外へ捨てれば、自分の部屋からなくなったように思えるかもしれない。が、外には捨てられたままペットボトルが残される。
嫌なことから目を背けても、決して消えることはない。
ポイ捨てにかぎったことではない。
わかっていたとしても、面倒だからとかか、やりたくないとか、理由をつけては放置してきたことがある読み手は、自分のことだと、本作の主人公に共感を持てるだろうと考える。
たとえそんな覚えはなくとも、不祥事を起こした学生や教師、公務員や警察官など、責任を取らされて組織から追い出されるニュースを見たことがあるはず。
排除すれば、組織からは問題はなくなるかもしれないけれども、問題を起こした人物が消えるわけではない。
学校で不祥事を起こした教師は、他県に移ってまた教師を務めることができる。そこでまた問題を起こしたら、次の県へと移っていく。
政治家が変わっても世の中が変わらないように、目の前から遠ざければ問題解決になるわけではない。
だけど、臭いものに蓋をするように、多くの人は都合の悪いことは見ないようにして過ごしている。
読者もそんな一人だから、主人公に共感をもってしまう。
本来ならば、自分で考えてもわからないときは「助けてください」と相談すればいい。
それなのに「私」は、どちらが本物で偽物かを判断してもらおうとお願いする。
自ら放棄し、他人に生殺与奪の権利を与えてしまっているのだ。
なぜこんな行動をしてしまうのかといえば、主人公は主体的に生きておらず、他人に服従して反応をくり返すだけの生き方をしている人だから。
信頼するから、親ではなく先輩を呼ぶのだろう。
つまり、先輩を選ぶ理由が「私」にはあった。
主人公は先輩に好意を持っていて、秘密を打ち明けることでより親密になりたいとする気持ちから部屋に招いたのだと想像する。
「現れた先輩は写し鏡みたいな私たちを見ても顔色ひとつ変えずにいつも通りのままで部屋にあがる」でモヤッとした。
おそらく作者は、先輩は普段振る舞っているような表情や態度で部屋にやってきたことを書いたと思われる。
だったら素直にそう書けばいい。
だけど、「いつも通りのままで部屋にあがる」と含みのある表現がされている。
だから引っかかる。
主人公の私視点で書かれているが、本作に「私」は二人登場している。
三カ月ごとに判断する先輩の姿を何度も見ているもう片方の、分裂前の私の視点で書かれているのでは、と穿った見方ができてしまう。
今回の主人公である私をAとし、もう一人をBとする。Bは少なくとも半年は「私」として過ごしている。
だけど、Aの私には、分裂している記憶はない。
Bには最低一度は、選ばれた経験や記憶があるにもかかわらず、それを主張せず、なぜ先輩の判断に従ったのか。
先輩は「お前マイスター」と自負できるほどに、見分けができるようになったらしい。
どこをみて判断しているのか。
Aの私は、先輩を初めて部屋に招くからと高い紅茶を用意して出している。
先輩に出したとき、初々しさが現れていたに違いない。
対してBは、高い茶菓子を用意している。
あえて高い紅茶、高い茶菓子とあるので、スーパーやコンビニではなく、専門店やデパートに出向いて購入したと想像する。
紅茶は年中ホットで出すこともできる。が、お茶菓子はそうはいかない。
たしかにカステラやシュークリーム、プリン、バームクーヘン、大福、まんじゅうなどの定番商品もあるものの、あえて高い茶菓子と書かれている。三カ月ごとに先輩をもてなすとなると、季節感のある茶菓子が用意されるはず。だから毎回変わるはず。
これらの違いから、先輩は判断できたかもしれない。
今回は「前選ばなかった方だったから」とある。
なぜ、前回とはちがう私を選んだのか。
男は若くてきれいな女の子を選ぶから、だと考える。
分裂前の記憶のないAの私は、初めて分裂し、初めて先輩を部屋にむかえるという、いわば初体験づくし。
先輩の目には、仕草や行動、反応はどれをとっても初々しく見えたに違いない。
いわゆる新鮮で初モノという感じ。
だから、初々しいAの私がいいと思って選んだのではと推測する。
ちなみに、女も若い男の子を選ぶときがある。子育てや孫の世話も終わり、親戚や近所の小さい子に関わることもなくなると、地域の図書館で本を読み聞かせやレクリエーションに参加して子供と触れ合ったり、あるいはアイドルやスポーツ選手を応援するようになったり、若い子が出て活躍する番組に関心を寄せる。
子育ての延長で見るのに対し、男はいくつになっても若くてきれいで可愛い子に目が行く。
幾度も「私」を判断してきた先輩は、初々しい女の子を選びたくなったのではと、一つの可能性を邪推する。
Bの私の立場で考えてみる。
最低でも半年は「私」としていると仮定する。
前々回選ばれたとき、今回のAの私のように「どうして先輩は私を選んでくれたんですか?」と聞いたはず。そして前回選ばれたときも再度聞いただろう。
もし先輩が「前選ばなかった方だったから」と答えたのなら、AとBの私を交互に選んでいるだけだと気づいたはず。
実際、「その顔は少しうんざりとしたような、呆れた顔」「先輩は自嘲気味に言う。彼の精神的疲労は日の目を見るよりも明らかだった」とあり、先輩は疲れているのがわかる。
つまり、「私」のことを大切に思っているわけではない。平たくいえば、弄ばれているようなもの。
先輩からすれば、妙なことに関わってしまって迷惑しているかもしれない。
そう思ったBの私は、先輩から離れる選択をした。
だから、分裂したとき、もう一人のAの私にはなにも話さず、先輩に判断してもらって外へ出ていったのだ。
「私は私で、分裂した記憶なんてない」「多分、増えること以外の記憶がある状態で生み出されるんだろう」とあるので、分裂するときに以前の記憶が消去されている。
嫌なことがあって、その記憶を消すために分裂を起こしているのだと推測される。
だとすると、「私」にとって、消さなければならないほどの記憶とはなんだったのか。
作中から考えると、「私」が分裂するのは、先輩に告白して付き合う以前に失恋するからだと考える。
たとえば先輩に彼女ができたと噂を聞いて、最初の「私」はショックで分裂したのかもしれない。
もし、分裂に先輩が関わっているのなら、外に出た「私」はこれ以上分裂していない可能性もある。
そうすると、三カ月ごとに一人増えるだけ。十年で四十人、百年で四百人。さすがにそこまで長生きしないだろう。
先輩が原因なら、部屋に呼んでどちらが本物かを決めてもらう前に自分で部屋を出るか、そもそも先輩にお願いしなければいい。
それができないのはやはり、主人公の性格が関係しているのだろう。
他人に判断を委ね、服従と反応をくり返して生きてきた人が、急に考えを変えるのは難しい。
実際、Aの私はラストでは、笑える冗談でも何十回も聞けば誰だって飽きると思い至りながら、「地球上のどこかにいる最初の私に少しだけ嫉妬をした」だけで、先輩との関係を続けていきたいことが勝っているのだ。
Aの私が分裂してもう一人の「私」と対面してようやく、これまでの生き方や考え方を改めるきっかけとなるのだろう。
それはともかく、増殖して部屋を出ていったたくさんの私は、生きているのだろうか。
作中に、「当然だけれども世界は同じ人間が二人いることを前提に作られていない」とあった。
野垂れ死んでいるかもしれない。
あるいは都合よく消えているのかしらん。
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