作者・ヤチヨリコ 読売新聞社賞:『「小説を書く」』の感想

「小説を書く」

作者 ヤチヨリコ

https://kakuyomu.jp/works/16816700428986574768


 小説を書きたいと言い出した息子の裕貴に教える元夫は、何故か二人で私を主人公にした、夫が浮気してシングルマザーとなった出来事を題材にした小説を書いては感想を求められる。不快感をつのらせては読み終えると何故か涙がこぼれる。帰るけど、今夜の満月は綺麗だから一緒に見ようといった月を息子とみながら。大好きな人と月を見ることが幸せだったことを思い出す私の話。


 私小説風の作品。

 高校生がこれを書くのかと舌を巻く。

 技術が素晴らしい。

 個人的に圧倒された。


 主人公は母親、一人称私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。描写を簡素に、主人公の心情に重きをおいている。


 からめ取り話法で書かれている。

 かつて夫婦だったが、上司の妻に手を出したことが原因で夫と離婚し、現在は息子の裕貴と二人で暮らしている。中学に上がった息子は小説を書くのに夢中になるも、教えられないため文章を書くことを生業とする元夫を週末に呼び出し、教えてもらっている。

 元夫の小説には『私』である自分が登場しているが、自分でないよに思えて不快でならない。元夫から小説の感想を求められるも、「人の書いた文章を読むの嫌いなの。言わせないでよ」と拒む。一応読むも、自分の名前に似ているところや、主人公の夫は元夫そっくりで言動もエピソードも似ているところが気に食わない。ラストだけ異なり、何様のつもりかと恨みが再燃し、原稿用紙に赤ペンで修正し、シュレッダーにかけて燃やすも怒りは収まらない。

 自分も小説を書いて、元夫の鼻を明かそうとするが、書いたことがない。元夫の小説は嫌いだが、参考にすればそれなりに書けるのではと考える。だが、一つとして残っていない。が、息子が持っていたので「感想だけ教えて」といって貸してもらう。

 元夫の作品を読んで負けたと感じ、書き上げた処女作は駄作。息子に読ませると、「親父の真似して書いたでしょ。だから、つまらない」といわれ、元音に読ませると笑われてしまう。「そもそも、昔から変わらないのは君の方だ」「そうやって人を否定する。ずっと、俺は君の顔色を伺って生きていかなきゃならないのか。違うだろ。俺には俺の人生がある」といわれ、「人生ってそういうものでしょ。世間様、人様を気にして、それに合わせた身分相応のふるまいをする。それが当たり前。みんなそうしてるの」言い返せば「だから、君の小説はつまらないんだ」と言われてしまう。

 元夫は息子と出かけていき、残された元夫の分厚い原稿を読むと、元夫の文章から見て取れる理想の作者に恋をし、惚れていたと気づく。

 小説では、恋人に別れを告げられた『私』が、腹に新たな命が宿っていることに気づき、命を殺すも生かす覚悟もなく出産。彼が私を捨て、あの女と女の家庭を破滅させたときの、張り裂けそうなほどの胸の痛みほど辛くも苦しくもなかった。最後には、元夫は関わった人間全てに見捨てられ、その喜びは、息子が生まれたときの喜びに勝ったと書かれていた。

『完』のつづきには、『私』の夫の独白が綴られていた。

『私』に問い詰められた勢いのまま別れを切り出す。上司の妻と一夜の過ちを隠すために。結局、上司の妻との関係はバレて離婚。数年後、上司の妻や上司、会社にも見捨てられ、会社を辞めた彼は、前よりも給料の少ない自分が見下していた職に就く。同年代の上司には見下され、年下の同僚には馬鹿にされる生活を送っていた彼は、かつての日々を思い出し、『私』と暮らした家の窓を毎日覗き見、『私』の苦労を知る。彼女がシングルマザーとして生きるようになったのは自分のせいだと悩む男に『私』は「あんたは私の『夫』じゃない。けど、この子の父親だ。だから、『親』らしくして」と言葉をかけられ、救われる。『私』の息子が大人になるまで週末の休みに会いに来ると約束した。たまに息子と二人で遠くに出かけて、『私』の「おかえり」が待つ家に二人で帰ることが幸せだった。

 ある日、息子が小説を書きたいという。男の趣味は小説の執筆だが教えられるようなものではない。けれど息子の願いに男は根負けし、教えることにした。

 そして最後は息子が考えた一文で終わる。

「月が綺麗ですよ。同じ月を見ましょう。」と。

 読み終わって号泣していると、二人が帰ってくる。「ニュースで雨、降るかもってやってたから」慌てて洗濯物を取り込んでいると、空を見上げて息子が声を上げた。見事な満月をみたとき思い出す。

 月を大好きな人と見上げることより幸せなことを知らない、と。


 三幕は千葉の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりでは、中学生になった息子は小説に書くのに夢中となったので、文章を書くことを生業とする元夫に手ほどきを頼む。二人が書いた『私』に書かれている主人公の私は性格の悪い女に嫌われる女で、とても馬鹿に書かれており、自分でないように思えて不快感が募る。元夫に感想を聞かれて読んでないと嘘をつく。「次は読んでよ、絶対。裕貴と書いたんだから」といって元夫は安アパートへ帰っていく。

 二場の主人公の目的では、書かれた『私』は自分に似た名前や小説の主人公の夫は元夫にそっくりで、名前も言動もエピソードも気に食わなかったが、最後が違う。実際は元夫が上司の妻に手を出して離婚したが、小説の主人公は夫に愛想を尽かされたと思い込んで問い詰めた結果、夫に別れを切り出されている。何様のつもりだと憤慨し、赤ペンで修正を入れては燃やして捨てるも怒りは収まらなかったので、自分も小説を書くことにする。とはいえ自分には文才がない。元夫の小説を参考にすれば書けるのではと考えるもすでに捨てたあと。そういえば息子が持っているのではと思いと気付く。

 二幕三場の最初の課題では、息子に尋ねると、あると返事。同じ男なら理解できるはずだからともらったと話す。嫌いなのに読むのか聞かれ、昔は好きだったと答える。「いまは?」と聞く息子に、どうでもいいよと返す。あとで感想を聞かせてと、息子は感想文の宿題をはじめる。

 四場の重い課題では、元夫の作品に負けたと思い、一作読み終えたときには作者の人物像に惹かれて虜になっていた。熱烈なファンになりかけるも元夫の顔がよぎって振り切る。込み上がる強烈な衝動からペンを走らせていく。コンビニ弁当でもいいか息子に聞くとなんでもいいと返事。一作目を完成させるも、醜いプライドが元夫を見下し、生まれもったうぬぼれから実力を見誤って駄作を描いてしまう。

 五場の状況の再整備、転換点では、自分の言葉ではなく親父の真似をして書いたからつまらないと息子に言われる。元夫にも読ませると、読後吹き出して笑われ、昔からひとの話を聞こうとしないのは変わらないといわれる。聞く必要がないと答えると、「そうやって人を否定する。ずっと、俺は君の顔色を伺って生きていかなきゃならないのか。違うだろ。俺には俺の人生がある」元夫から返される。相手に合わせた振る舞いをするのがみんながしている当たり前だといえば、「だから、君の小説はつまらないんだ」息子を連れ出し、日暮れ前には帰ると言い残し、車でとこかへ行ってしまう。

 六場の最大の課題では、一人残されたリビングに置かれた原稿用紙の束は、当てつけのようなあの小説だった。この前の週末に絶対読むよう言い含められたのを思い出しては読み、文章から読み取れる理想の作者に恋をして惚れたのだと解釈する。小説の『私』はつわりも陣痛も感じず、お腹の子の父親とどうすれば関係を修復できるのかばかり考えていた。彼が私を捨て、あの女の家庭を破滅させるも元夫は関わった人間すべてに見捨てられる。そのときの喜びは、息子の出産以上の喜びだったと書かれ、終わった。作者は人の心をうまく描くのに、人の気持ちを慮ることができないのが不思議だと思っていると、まだ続きがあった。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、『私』の夫の独白であり、『私』に問い詰められた勢いで別れを切り出す。上司の妻と一夜の過ちを隠すために。それが『私』を傷つけることだと知っていたから。けれど別れず、付かず離れずの関係となっても二人でいることを『私』は選んだ。結局、上司の妻との関係はバレ、『私』は彼を罵倒し、別れを一方的に告げて出ていく。その日は奇しくも彼の誕生日。『私』が夫の彼にプレゼントするつもりだったスカジャンを恋人に投げつけ、場面は転換する。時は流れ、上司の妻や上司、会社にも見捨てられ、給料の少ない自分が見下していた職に就く。同じ年代の上司には見下され、年下の同僚に馬鹿にされる生活を送っていた彼は、かつての日々を思い出し、『私』と暮らした家の窓を毎日覗き込んだ。息子は少年となり、母親に口答えする。シングルマザーの苦労を知り、自分のせいだと悩むと、「あんたは私の『夫』じゃない。けど、この子の父親だ。だから、『親』らしくして」と元妻に言われて救われ、息子が大人になるまで週末の休みに会いに来ると約束。たまに息子と二人で遠くに出かけ、『私』の「おかえり」が待つ家に二人で帰ることが幸せだった。ある日、息子が小説を書きたいという。男の趣味は小説の執筆だが教えられるものではないけれども、父親に教わりたいという息子の願いに根負けし、教えることにした。最後は息子が考えた一文「月が綺麗ですよ。同じ月を見ましょう」で終わる。読み終えて涙があふれ、知っ酒の墓は空になり、風呂場のバスタオルで鼻を噛む。

 八場のエピローグでは、日暮れ、二人が帰宅。みっともない顔を見せられずにいたら、「今日の月は綺麗なんだって。俺は帰るけど、同じ月を見ようよ」と元夫の声が部屋に響く。バスタオルを洗濯機に放り込むと入ってきた息子にどうしたのと聞かれ、「ニュースで雨、降るかもってやってたから」と誤魔化す。庭の洗濯物をとりこんでいると、息子が声を上げて空を見上げていた。見事な満月で、こういうところが好きだったんだなと思い出す。大好きな人と月を見上げることより勝る幸せを、私は知らない。

 

 小説『私』の謎と、主人公の私に起こる出来事の謎が絡み合って、在りし日の思いが蘇る展開に趣がある。

 小説の内容は、主人公である「私」に起きた、元夫が上司の妻と不倫をしたことに端を発する一連の出来事を題材にしたもの。

 平たくいえば、小説は元夫の客観であり、本作は私の主観。

 読み進めていくと、2つの視点のものが重なり、主人公は自分ごとのように思えていくことで、読者も主人公である私の気持ちを追体験できる。

「完」のあとにあった独白は、元夫の視点で書かれた本当のことだったのだろう(元夫は、ここを別れた妻に読んでほしかったと考える)。

 小説の最後部分で息子が考えた一文、「月が綺麗ですよ。同じ月を見ましょう。」で終わったのを読み終えて泣いているタイミングで二人が帰宅。「今日の月は綺麗なんだって。俺は帰るけど、同じ月を見ようよ」と元夫が言って帰った後、洗濯物を取り込んでは息子と見た満月の綺麗さから、元夫のこういうところが好きだったと思い出す。この一連の流れがすごい。

 大人な作品を、高校一年生の子が書いた事実が凄まじい。

 女は技術で小説を書く、と村上龍は言っていたのを思い出す。男よりも人間関係や男女の機微に聡いから、描くのが上手いのだろう。

 主人公は読み終えたとき、じぶんでもわからず泣いてしまう。

 理由は、息子と月を見たときに、私はあの人のこういうところが好きだったんだなと思い出したから。

 書かれた小説内の自分が、自分でないようにおもえて、不快感が募っていたし、元夫の書くものなんてといっては拒んでいたものの、最終的には自身の本音、一人の女として元夫を愛していた事実にたどり着く。

 その事実がたまらなく嬉しかったから、バスタオルで鼻を噛むほど泣いてしまったのだろう。

 人が生きている実感をもつには、なにかを好きになること。なんとなくではなく、情熱を傾けるほど夢中になるくらいに。

 主人公の私も、それだけ元夫を好きになり愛した。元夫もそうだった。その事実が息子の存在でもある。

 元夫が、小説『私』を書けたのも、小説に夢中になった息子のおかげでもある。

 子はかすがい、みたいに思える作品だ。

 

 興味を引く書き出しが良い。

「私は『私』が嫌いだ。悩んで、立ち止まって、恋して、破れて、それで終わる。そんな『私』が嫌いだ。机上の『私』は、寂しがりで、臆病で、それがとにかくうざったかった。『私』が、『私』でないように思えて、不快感ばかりが募った」とあり、『私』という単語を擬人化した話かしらと思いを巡らせるほど、何のことやらと首を傾げてしまった。

 初見では、クイズ問題みたいに感じ、どんな話なんだろうと興味を持って読み進めていくことができる。

 再読すると、元夫が書いた小説『私』について嫌いとか、ウザいとか不快感を募らせていたのがよくわかり、内容を的確に表しながら、主人公の心の行動から書き出してたのがよりわかって、実に良い冒頭だと思える。

 

 前半は主人公の私が、中学生の息子が小説を書くのに夢中になり、物書きをしている元夫に頼むも、元夫の書いた小説には自分と似た『私』が登場するのが気にいらないし、離婚した理由も脚足されていることに納得いかず、ならば小説を書いて元夫の鼻を明かしてやり返そうとする展開が面白い。

 でも、できあがった処女作は駄作と自分で認めつつ、息子と元夫に読んでもらうと、人まねだからつまらないと指摘されるところも、創作の基本をついていて、実に興味深く読める。


 好きな作家の表現や文体を真似をすれば、それなりの作品は確かにできる。文章の表現だったり、間のとり方だったり、小説の書き方の勉強にも役に立つ。

 だけれども、真似した書き方で作っても、好きな作家のものまねであり、まるまる写せば贋作となる。

 一般の小説募集でも、有名作家の真似をして応募してきたものは落とされる。ネタやパロディとしてなら、他の作家の真似もありかもしれないが、基本同じ作家は二人もいらない。その人にしか書けないものを書くからこそ、作品に良さが生まれるのだ。

 息子は、そういったことも元夫から教わったにちがいない。


 元夫は、自身の人生を題材にした自伝的小説を書いたらしい。

 ただし、主人公を元夫自身にすると自伝になってしまう。

 しかも自分の話を書くときは感情が入り込みやすく、悪い話はつ帽の良いように改変するかカットしてしまう。

 客観性を保つためにも、いつも側にいた妻を主人公にしたのでは、と考える。元夫としては、妻である主人公の私を、よくみていたのだろう。


 元夫の作品を読んで、元夫の文章に恋して惹かれたことを思い出している。主人公の私の感覚はわかる。

 いつも会って話をしている人の書いた手紙を読むと、別人かと思えるような魅力をみつける場合がある。表には現れないうちに秘めた思いが、文章を通して読み手の想像を刺激するからかもしれない。

 会っている時は情報量が多いのだ。でも文章に落とし込んだとき、余分なものは削ぎ落とされ、シンプルになる。結果、個性が見えやすくなるのだと考える。

 小説を書きたいといった息子が考えた一文「月が綺麗ですよ。同じ月を見ましょう。」で小説は終わっている。

 この小説を書いたのは元夫なので、元夫の言葉なのだ。

 主人公の私は、元夫に昔言われたことを思い出しては泣いてしまう。さらに帰り際の元夫に「今日の月は綺麗なんだって。俺は帰るけど、同じ月を見ようよ」といわれる。

 若かった頃の当時の気持ち、嬉しかったり気持ちよかったりした熱い想いが蘇り、あふれてきたのだろう。

 きれいな月を一緒に見ようと誘うのは、古来よりある数ある告白の一つでもある。

 別れたとはいえ元夫はおぼえていたのだろう、出会ったときのころのことを。

 私はいまのいままでわすれていたけれども、思い出し、年甲斐もなく泣いてしまったのだ。

 だからといってよりを戻したりはしないだろうけれども、親子参院、少しはいい関係になっていくかもしれない。


 ところで、元夫を負かそうと思ったとき、なぜ元夫と同じ土俵である小説で挑もうとしたのだろう。小説を書いたことがない人が、相手の得意な小説で挑むのは、初めから負けに行くのと同じ。せめて自分が得意とするジャンルを選択すれば、自分らしさを表現でき、元夫を負かすこともできただろう。

 だから、できあがったものは元夫のものに似た、自分らしさのないつまらない駄作が出来上がってしまったのだ。

 とはいえ、勝負をしているわけではない。

 息子が元夫に小説を教わるのを見て、取られたような気分になったのが根底にあったのではと邪推する。元夫の書くものは気に入らないし、私も書いて見返そうという発想になったのではないかしらん。


 父と母のことを知った息子としては、どう思ったのだろう。

 反面教師とするもよし、人生訓にするもよし。

 知ったことで、なにかしら成長できたなら、親としては良かったと思えるだろう。


 読後、作者が大人の男女の機微が描けているところに感嘆する。

 いくつになっても女の子は女の子なので、技術で書くことはできる。

 作者は文章を書く技術に長けているのだ。

 いやほんと、実にすごい。


 

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