ロングストーリー部門

作者・しがない 大賞:『クレーのいた冬』の感想

大賞

クレーのいた冬

作者 しがない

https://kakuyomu.jp/works/16817139558403700888


 パウル・クレーの絵が好きな唯一の美術部員シラクサと共に過ごし、卒業するときになって彼女が好きだったことに気づいたアズマは告白し、彼女と付き合う事となる話。


 青春の一つの形。

 こういう恋愛も面白い。

 冬の美術室に二人きりの場面の絵が浮かぶ。

 完成された作品であり、短編映画か短編のドラマでもいいから見たい。

 

 主人公は高校三年生のアズマ。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現代過去未来の順に書かれている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 パウル・クレーの絵が好きな唯一の美術部員シラクサが描く絵が好きな主人公アズマは、一年間美術室に通いつづけて冬を迎えた。

 年が明けてクレーの絵を見に行こうと美術館に彼女を誘い、『蛾の踊り』をみて「綺麗だね」と互いに目を合わす。

 共通テストを受けて、本命の東京の私大のテストを受ける。卒業式と合格発表を翌日に控えた日に久しぶりに登校し、彼女がいつも絵を置いている美術室を訪れる。完成したら見せるからという彼女は第一志望の大学が受かっていた。卒業式のあと美術室で少し話そうと約束する。

 卒業式後、美術室でシラクサと会い、笑わないでと完成した絵を見せる。美術室で少年と少女、机にはクレーの画集が置かれ、少女は絵を描いている絵だった。

「大切なものだったから、どうしてもかたちにしたかったんだ」

 彼女の言葉を聞いて、これまでの関係が失ってしまうかもしれないときになってようやく彼女が好きなことに気づき、「君のことが好きだ。だから、付き合ってくれませんか」と告白する。

 遅いよと彼女は答え、「ちゃんと電話をすること」「都会の空気に中てられて浮かれないようにすること、留年しない程度には勉強を頑張ること、定期的に会うようにすること」「それから、また一緒にクレーの絵を見に行くこと。それさえ守るなら、付き合ってあげる」と彼女の返事をもらい、よろしくお願いしますと言葉を返す。

 シラクサは絵を大きな鞄にしまい、美術室を先に出ていく。机の上に置かれたクレーの画集は美術室の備品だとわかり、いままでありがとうとつぶやいてからシラクサを追いかけたのだった。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりでは、「クレーの絵を見ると泣きたくなる」冬の美術部で油絵を描いている唯一の美術部員のシラクサの絵には、危うい力があった。

 二場の主人公の目的では、美術の鑑賞用プリントを提出しに美術部を訪ねたとき彼女と出会った主人公アズマは、互いに名乗り合い、絵を褒める。また来てもいいか訪ね、いいよと返事する彼女。毎日いるわけじゃないからいなかったらもしわけないというも、好きで来るだけだから申し訳無さを覚える必要はないと返す。それから一年も美術部に通っている。季節が変わると、描く対象が彫刻から風景画へ、二人は三年生に変わる。変わっていないのは、彼女がクレーの絵が好きなことと二人の関係。それでも二人は変わっていく。

 二幕三場の最初の課題では、雨の日。一人暮らしがしたかったと東京の大学に行く予定だと話すアズマ。彼女は近場の適当なところに行くと返事。自分よりも上手い人はいるし、絵なんて書かなくても生きていけると答える彼女。

 四場の重い課題では、絵が嫌いなのか尋ねると好きと答える彼女。ただ、誰かに訴えたい考えや気持ち、吐き出さないと狂いそうなほどの不安や感情もないという。

 東京に行かなくても関係は終わる。クレーの絵を適当に開いては、クレーの絵を見ると泣きたくなるといった彼女の言葉を思い出し、別の意味で泣きたくなるかもしれないと思って見ていると、「もうすぐ今年も終わっちゃうね」「もう殆ど時間が残ってないね」とゆっくり刺すように彼女から告げられる。最後まで絵を書き続けるのか尋ねると、「うん。これと、あと一枚描きたいと思ってるんだ」と答える。楽しみにしている、君の作品が好きなことを覚えておいてほしいと口にすると、素直に褒められるところは美徳だと言われる。

 五場の状況の再整備、転換点では、裏庭の風景画を仕上げた年明け。電車に乗って二人はクレーの絵を見に行く。展覧順に絵を見る彼女の移動に合わせるために、横顔を流し見ていると、二人で美術館に行くのは難しいと知る。『蛾の踊り』に惹かれ、彼女に感謝する。来てよかったという彼女に、受験勉強をサボらせてまで誘った意味があったというと、イディオムを覚えるより人生のためになってる気がすると口にする彼女。二人で顔を合わせて笑う。ハンバーガーチェーンで食べながら、一年話していても、彼女のことを全然知らなかったことを知る。終わりはもう近い。目をこすって電車に揺られる彼女は、終わりなんて知らないあどけない天使のような穏やかな顔をしていた。

 六場の最大の課題では、学校から強制された共通テストを終えて、本命の東京の私大のテストを受けるアズマ。自由登校になると、学校に行かずに過ごす。合格発表の前日、彼女がもう一枚書くと言っていた絵を見ていないことを思い出し、利用客の少ない昼過ぎの電車にのって学校へ向かう。美術部に入ると「なっ、なんでアズマ君が来るの⁉」と動揺する彼女。完成したら見せるから今日はそのへん居座っててと言われ、キャンパスの視えない位置に座る。「大学、受かってた?」と彼女に聞かれて明日発表でまだわからないと答える。彼女は第一志望に合格したという。おめでとうと言葉をかけると「身の丈にあったところを選んだだけだよ。褒められるようなことじゃない」と返事。「そう言うけど、そこそこのところに行くんだろ。やっぱりすごいよ」と言葉をかけ、卒業式のあと美術部で少し話そうと告げる。その日までに仕上げる卒業制作を期待しているからと伝えて、その日は帰宅した。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは卒業式後、美術部で高校生活に対して「お疲れ様」と口にした彼女と出会う。出来上がった絵を見ると、美術室で絵を描く少女と少年。机にはクレーの画集が置かれてあった。現実にあった日常の絵を見て、「感動したよ。今までの中で、間違いなく一番」と感想を口にする。「大切なものだったから、どうしてもかたちにしたかったんだ。そうしないと、本当のことじゃなかったんじゃないかって思ってしまいそうで。良い形にも悪い形にも歪めてしまいそうで」という彼女に、「君のことが好きだ。だから、付き合ってくれませんか」と告白した。

 八場のエピローグでは、遅いよと言われ、ごめんと答えるアズマ。もっと早くに気づけば同じ近場の大学に進んだだろうし時間も十分にあった。何を言われても笑えるよう心のなかで練習をして返事を待つと「ちゃんと電話をすること」「都会の空気に中てられて浮かれないようにすること、留年しない程度には勉強を頑張ること、定期的に会うようにすること」「それから、また一緒にクレーの絵を見に行くこと。それさえ守るなら、付き合ってあげる」彼女の言葉で幸せに包まれながらよろしくお願いしますと告げた。

 よろしくと言った彼女はイーゼルから絵を取って大きな鞄にしまい、美術室を出ていく彼女。後を追うようにドアに向かうまえに美術室を振り返る。クレー画集が机の上に置きっぱなしになっている。彼女の持ち物ではなかったと知ると、「早く行こうよ」とシラクサに急かされる。今までありがとうとクレーの画集にむかってつぶやいてから彼女を追いかける。

 

 クレーの絵の画集の謎と、主人公アズマに起こる様々な出来事の謎がみ合いながら、クレーの絵が好きで、絵を描くのも好きなシラクサとの関係が深まっていき、自身の気持ちに気づいて告白し、付き合うこととなって、美術室をあとにして卒業していく展開は、長い冬が終わりを告げてようやく春を迎えたときの暖かさと幸せに満ちた安心感を感じさせてくれる。

 具体的な場面の描写を、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのようなことが起きたのか、視覚だけでなく聴覚や触感をも意識した表現で読み手に伝えている。主人公の心の声、感情の言葉はもちろん、シラクサの表情や、どのような声なのか具体的に書かれているので、非常に感情移入できる。

 登場人物の気持ちを描くために、情景描写を上手く取り入れているおかげで、二人の関係や気持ちが、読み手によく伝わってくる。

 寒い冬から春にむかっていく季節の流れも、心情の変化をうまく表せている。

 もちろんクライマックス部分で、それまで抑え気味だった主人公の想いが強く描いてみせてくれるので、読み手の胸を打つ。

 読者への伝え方はよく考えられていて、読後感がすばらしい。


 本作は恋愛ものである。「出会い→深めあい→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れで書かれている。

 意図的なのはもちろんだが、互いの気持ちは少々わかりにくい。

 おそらく二人の性格が原因と思われる。

 どちらも本音を表に出さず、感情的ではなく、どちらかといえば理性的なのだ。なので、些細な機微を読み解いていくところに、本作を読む楽しみがある。


 作品全体から、ほの暗さを感じる。

 はじまりが十二月のせいかもしれない。

 冬特有の暗さと書き出しのシラクサのセリフ、「クレーの絵を見ると、泣きたくなるの」と「溢れ出しそうな涙を抑えるために作ったような、ひどく脆い、悲しい笑顔」のせいもある。

 また用いられる表現、「しんしんと」「花が散るように」など、冬を連想させるものや、覇気を感じる表現を意図的に避けているような気もする。

 また、一年間も美術室に通ったとあるけど、本作では冬ばかり描いている。

 ラストは、卒業式後。

 春の気配が感じられる。

 全体をわざとほの暗くして、最後にぽっと明るくするラストのハッピーエンドを迎えるための演出だろう。

 おかげで、長く辛い冬を抜けて春の暖かさにほっと胸をなでおろす、そんな読後感を覚える。


 主人公アズマの行動原理、何を求めているのかが掴みづらかった。

 なぜなら、彼自身がシラクサを好きなことに気づくのが卒業式後だからである。

 とはいえ、シラクサと初めて会ったときのことを、まるで今日会ったかのようにありありと思い出しているので、それだけ主人公にとってシラクサとの出会いは印象的で、強く心に残った。つまり、無意識の中で一目惚れをしていたのだ。

 なので、シラクサの絵を褒め、「また来てもいいかな」と確認し、「僕が好きで来るだけなんだ。申し訳なさを覚える必要はないよ」と声をかけるのは、彼女のことが気になった現れだろう。


 クレーの絵の好きな彼女の描く絵が好きなことも告げているし、共にクレーの絵を見に行き「綺麗だね」といって目を合わせたとき、彼女にいっているみたいだとささやかな意識の変化も見られている。

 とはいえ、決定打に欠けるのは、彼女といっしょにいたいのか、美術室にくることが惰性になっているのか判断が付きかねるからだと考える。


「僕は芸術なんて分からない」と主人公のアズマは語っている。

「ゴッホやダリの良さなんてまるで分からない」と付け加えながら、「彼女の絵は岡本太郎のようにアヴァンギャルドでも、ミレーのように精緻に現実を写しだすわけでもない。(中略)けれど、彼女の絵には危うい力があった。草木のひとつもない、誰もいない荒涼とした平野のような、不安定で一度手放してしまえばそのまま崩れてしまいそうな美しさがあった」と、なかなか絵についてはくわしい。

 芸術という広い分野についてわからないけど、絵に関してはそれなりに知識を持っている気がする。

 わからないというのは、謙遜な気がする。

 そういえるのは、パウル・クレーの画集に収められた『泣いている天使』をみて、「その絵に込められたメッセージや背景なんていうのは分からないけれど、良い絵だな、と思った」と語っているところ。

 クレーの絵を見たことがない人は、検索するといい。

 いくつか出てくる。

 芸術なんてわからない人がみたら、子供の落書きかなと思うような絵である。

 そんな絵に対して、感性で「良い絵だな」と思った主人公は、口ではくわしくない、わからないといいながら、そこそこ絵を見る目を持っているのがわかる。

 ちょっとひねくれているような、謙遜しているような性格なのだ。



 クレーの絵に谷川俊太郎が詩が沿えられた、『クレーの絵本』がある。そのうちの『泣いてる天使』には、次のような詩がある。

 

  まにあうまだまにあう

  とおもっているうちに

  まにあわなくなった

  ちいさなといにこたえられなかったから

  おおきなといにもこたえられなかった

  もうだれにもてがみをかかず

  だれにもといかけず

  てんしはわたしのためにないている

  そうおもうことだけが

  なぐさめだった

  なにひとつこたえのない

  しずけさをつたわってきこえる

  かすかなすすりなき……

  そしてあすがくる


 シラクサがクレーの絵を見て泣いていると思ったのは、自分のために天使は泣いているように思ったのかもしれない。

 つまり、今日もアズマが美術室に来たけれども、自分の気持ちを彼に伝えられなかった。まだ間に合うと思っているうちに、間に合わなくなってしまうかもしれない。そう思いながらも、結局は伝えられずに毎日を過ごしてしまっている。

 そんな自分と重なって、クレーの絵が泣いているようだと思ったのだろう。


 

 主人公のアズマは、ラノベ主人公によくみられる、恋愛鈍感むっつりスケベ的な主人公かと邪推したくなる。

 男女二人、一つの空間にいたら単純接触効果から恋愛に発展するはずだと決めつけはしないけれども、芸術もわからないし美術部員でもなくシラクサの絵を見に来るだけで一年以上美術室に通いつづけるのは、動機としてはどうしても弱い。

 他に目的があると思えてならない。

 少なくとも、仲のいい関係でいたいという気持ちは持ち合わせていたはず。


 一人称の小説は、性質上、どうしても主人公の内的な声が多くなったり大きくなったりしてしまう。

 本作は内的な声は大きくないが、多く、比喩表現をつかって饒舌に語っている。

「まるで、美術室に置かれた彫刻のひとつのように彼女は美しく、入って来た僕をまるで気にすることもなくキャンバスに向かい合い続けた。しんしんと響く筆の音が、心地よく耳朶を撫でる」

「行く宛てのなくなった感情は虚しさを引き連れて心の中に帰って来ることになる。それは冬の寒さには些か滲みる痛みだし、厄介な病のように暫く身体の中に巣食うことになる。僕は蝕むようなその痛みに堪えられるほど、強い人間ではないのだ」などなど。

 反面、会話となると彼女の問いかけに応えることが多い。

 なので、主人公よりシラクサの変化のほうがわかりやすい。


 人が生きていると実感できるのは「好きなことをしているとき」である。が、ただ漠然と好きなことをするのではなく、細かく、より具体的に好きを追求することが重要といわれる。

 主人公アズマが、シラクサとクレーの画集に出会ったきっかけは、プリントである。

「僕は美術の鑑賞用のプリントを提出するために美術室に向かっていた。別に、出さなくてもどうにもならないだろうけれど、時間は有り余っていたのだ。そして、有り余った時間を勉強に充てるほど僕は勤勉な人間ではなかった」

 授業で、鑑賞した感想を書いたプリントを、美術教師に提出しなければならなかったけれども、なにかしらの理由で提出が送れたのだろう。

 美術の成績が悪くても、成績には五教科にくらべたら大したことはないとおもっているから、「出さなくてもどうにもならないだろうけれど」と考えて、それでも暇だからと提出する行動に、かなりのいい加減さを感じる。

 覇気を感じられない。

 大学も、一人暮らしをしてみたかったからと、東京の大学を選ぶという安直な考え。自分のやりたいこと、したいことをしている感じにはみえない。

 主人公アズマは、授業で習った絵の知識はあるかもしれないし、「パウル・クレーについて、名前と、数枚程度の絵しか知らない」といった程度。絵は好きではない。

 そんなアズマがシラクサに出会い、一年も美術室に通い、美術館に二人でクレーの絵を見に行ってクレーが好きになり、最後にはシラクサが好きだと告白するまでに変わっていく。

 生きる意欲を獲得していく流れ、変化、成長がすばらしい。

 彼女から「ちゃんと電話をすること」「都会の空気に中てられて浮かれないようにすること、留年しない程度には勉強を頑張ること、定期的に会うようにすること」「それから、また一緒にクレーの絵を見に行くこと。それさえ守るなら、付き合ってあげる」

 具体的に出された条件は、人として、恋人同士として生きていく基本的なことだと思う。

 美術室をあとにするとき、クレーの画集に「今までありがとう」というのは、こうして生きていく実感を獲得できたのはクレーの画集のおかげだったからこそのお礼だろう。

 

 彼女は主人公に会ったとき、唯一の美術部員と説明し、「楽なんだよね、独りだと。画材も自由に使わせて貰えるし、良いことばっかだよ」と一人でいることが楽だと語っていた。

 主人公が美術の先生に提出するプリントを「渡しておこうか、それ」と受け取ろうとしたのは、次もまた彼が来て邪魔されないようにしたかったからと推測される。

 なのに絵を褒められ、「邪魔はしないよ、ただ、君が絵を描くところを見たいんだ」と言われると、また来ることをあっさり承諾するのだ。

 しかもご丁寧に「でも、毎日いるわけじゃないから、いなかったら申し訳ないけど」と説明している。

 彼が「僕が好きで来るだけなんだ。申し訳なさを覚える必要はないよ」「それもそうだね」と二人は笑い合うのだ。

 これが初めての出会い。

 シラクサは彼と出会ったとき、少なからず好印象を抱いたのだ。


 一年も通って、「東京に行くんだ」「あっちの大学に行く予定なんだ。一人暮らしもしたかったしさ」と彼は言い出す。

 一応きいてくれるけど、「私は、君みたいな行動力がないからね」と答えている。

 大学で東京に行くこともそうだけど、彼女の性格も表していて、行動力がないから彼に、同じ大学に行かないかと誘ってほしかったのだ。

 だから、自分には絵を描く動機に、訴えたいことや吐き出さないと狂いそうな感情もないから、アズマが一緒に東京に行こうといったら辞めるよとサインを出しているのだと推測する。

 でも彼は彼で、自分の人生を生きていない。

 好きなことがあっても、漠然としているので、一緒の大学へ行こうとも誘えない。

 そんな彼の姿から、卒業と同時に別れてしまうと悟ったシラクサは、共に美術室で過ごしたことを思い出いするために最後に一枚、絵を描くことにしたのだろう。

 そしたら、「クレーの絵を見に行こう」と年内の最終の登校日に誘われるのだ。一応デートだと思う。

 絶対嬉しかったに違いない。


 パウル・クレーの《蛾の踊り》とは、青色の色調が重なり合った格子模様で、外側から上下二つの中心に向かって紺色から肌色へと段階的に色調を変えながら画面と空間を満たしている。

 奥にはフリーハンドで描かれた蛾の衣をまとい宙に羽ばたく女性。

 やわらかい光の中で浮かび上がる彼女の反り返った胸には、矢が突かれている。下方に伸びる幾本もの矢印は彼女の飛翔を妨げるようであり、それにあらがうように彼女は細かく羽根と足を震わせているようにみえる。踊りというにはあまりにも不自由で、雁字搦めにされている印象。だが、表情に苦しみはなく、むしろ恍惚とした雰囲気すら漂わせている。

 絵に用いられている油彩転写素描技法は、クレー独自に生み出されたもの。黒い油絵具を塗った紙を裏返し、白紙の紙の上に乗せ、それら二枚の上に原画が素描された紙を乗せて、描線を尖筆でなぞると一番下に敷かれた紙には原画と同じ画像が複製される。だが、複写される過程で加わった圧力や手の動いの速さで変化し、時に黒い汚れによる些細な表現が生まれる。

 転写により輪郭線の硬さを緩和し、表情豊かにしながら、水彩絵具を用いて色を重ねて、より豊かに演出されている。

 色の加減や線の引きで、タイトルどおりに、ゆらゆらと踊ってみえる人もいる。

 百年も前に描かれた絵、錯覚かもしれないけれども、動いてみえるのはすごい。

 二人はこの絵を見て、綺麗だねといったのだ。


 絵を一緒に見て、「綺麗だね」といわれて、「うん」と何事もなく彼女は頷いた。絵のことだと思ってるのだけど、ひょっとしたらとも思ったはず。

 彼を信用しているから、電車内では寝てしまう。

 その後はテストが終わってから彼は登校しなくなった。

 寂しい反面、彼女の中ではもう会えないだろうと思ったに違いない。だから集中して絵を描いていたら、式前日にふらりと彼がやってくる。

 かなりびっくりしたから、動揺したのだ。

 第一志望の大学が受かったことを伝え、「そこそこのところに行くんだろ。やっぱりすごいよ」とほめられて悪い気はしないけど、彼との関係はもう終わるんだとおもって、寂しさのまざった「それはどうも」の返事だったのだろう。

 卒業式後に会う約束をしてきて「その絵も見せて貰いたいしさ」「卒業までには仕上げるんだろ?」といわれて、「……うん」の含みは、躊躇してしまう。さすがに気恥ずかしさもあったのかもしれない。でも最後だからという思いも混ざっていただろう。


 絵を見せて、「感動したよ。今までの中で、間違いなく一番」と彼は褒めてくれた。

 シラクサは嬉しかったから「大切なものだったから、どうしてもかたちにしたかったんだ。そうしないと、本当のことじゃなかったんじゃないかって思ってしまいそうで。良い形にも悪い形にも歪めてしまいそうで」正直に答えたのだと思う。

 行動力のない彼女としては頑張ったと思われる。

 これだけ頑張りを見せてようやく、

「君のことが好きだ。だから、付き合ってくれませんか」

 と彼から告白される。

 嬉しいけど、「遅いよ」といいたくなる気持ちもわかる。


 付き合うことになって、シラクサが先に美術室を出ていく。彼女は、これまでつかえていたものがようやく外れたみたいに、気持ちが軽くなったのだろう。行動力がないと自分でいっていた彼女が「早く行こうよ」と急かすのだ。

 一人の美術室が楽だと言っていた頃に比べたら、すごい変わり様である。


 最後に、クレーの画集は美術室の備品だと明かされるのもいい。

 美術室にいたクレーの天使が、二人を結びつけたみたいに思えてくる。

 主人公もそう思ったのだろう、だから「今までありがとう」と告げて後にするのだ。

 二人の未来が素敵に続きますように。


 サブタイトルは、クレーの天使の絵から付けられている。

  泣いている天使(es weint)

  幼稚園の天使(Engel im Kindergarten)

  ミス天使(Miss-engel)

  鈴をつけた天使(Schellen-Engel)

  忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)

 それぞれのサブタイトルは、主人公からみたシラクサだったり、主人公のアズマだったりを表しているような気がする。

 パウル・クレーといえば「天使」というイメージを日本人はもっている気がする。

 クレーは音楽一家に生まれ、小学生のときにプロのオーケストラでヴァイオリンを弾くほど優れていたという。プロの音楽家を蹴って絵の道に進むのは、反抗期だったかららしい。表現主義、キュビスム、シュルレアリスムなど当時の前衛芸術運動のさまざまなスタイルから影響を受けて、画風が変わっていく。一つのことに固執せず、自分の芸術を極めた画家である。

「芸術は見えないものを見えるようにする」と主張していたクレー作品は、通常のキャンヴァスに描いたものは少ない。新聞紙、厚紙、布、ガーゼなど、さまざまなものに油彩、水彩、テンペラ、糊絵具などの画材を用いて描いている。サイズの小さい作品が多いことも特色で、タテ・ヨコともに一メートルを超える『パルナッソス山へ』のような作品は例外的である

 一九三九年から一九四〇年にかけて描いた『天使シリーズ』は、クレーが皮膚硬化症で手が動かないなか、「左手は右手ほど巧みではない。だからしばしば右手より役立つのだ」と言いながら動かない利き手ではなく、左手を用いて描かれたという。

 シラクサの絵も、自分の芸術を極めようとした画風だったのかしらん。


 作者のしがないさんは、パウル・クレーの「泣いている天使(es weint)」を見て、これを題材にした小説を書いてみたいと思い立ち、冒頭の台詞は真っ先にできたが、以降の文章が続かず悩んでいると、いままで純粋な恋愛小説を書いたことがないことに気づき、挑戦の意味も込めて最後まで書ききったという。

 すばらしい恋愛小説だった。

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