作者・青葉 ポカリスェット賞:『紙上の青空』の感想
紙上の青空
作者 青葉
https://kakuyomu.jp/works/16817139557439970472
まわりの顔色をうかがって感情を押し殺してきた水瀬彩は、鮮烈の青い美術部ポスターに魅せられて入部し、美術部長の青野香月に「お前は自由だ」と優しく微笑まれて写実的な青い空を描く話。
ダッシュの書き方云々は目をつむる。
イラストは美術の一部、限定的なもの。
見たままの絵も、写真で十分。
限定されたものから選択するのが自由なのではない。
自分の絵で感情を表現する美術こそが自由なのだ。
作品全体が青の世界に彩られていくようで素敵。
主人公は女子高校一年の水瀬彩、一人称私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。回想をくり返しながら話が進んでいく。
恋愛要素が含まれているので、「出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れに沿おうとした書き方がされているように感じる。
マイナスからスタートしていくシンデレラプロット。
女性神話の中心軌道にそって書かれている
中学時代、顔色をうかがって相手の機嫌に左右されて自身の感情を押し殺して過ごしてきた主人公は、高校生になったのをキッカケに周りに同調することを辞めて部活にも入らないと決める。
四月に開かれた部活動説明会で、美術部長の青野香月は「美術部はキャラクターイラストを描く部ではありません。真剣に美術と向き合う部活です」「だから、本気で美術やる奴以外入部しないでくれ」と言い放つ。
「イラスト描けない美術部って価値なくない?」「誰が入部するんだろうね、あんな部活。――水瀬さんもそう思うよね?」と周りの女子の声に曖昧に頷き後悔する。
放課後、部活の勧誘ポスターの中で異色を放つ青い絵を見る。
夜明け前の湖のような、海の浅瀬のような、目が覚めるような、よく晴れた夏の日の大空のような青いポスターに書かれた「来たれ、美術部」という言葉に従って入部届を記入する。
入部希望で美術部に足を踏み入れ、美術部の問題児である部長に「お前、本気で美術やる気あんの?」「今作品ある?」と聞かれスケッチブックを見せるも「つまんねー絵」と言われてしまい泣きそうになる。「ただ見て描いただけ。こんなものを美術とは言わないだろ」といわれてたとき、中学の美術部顧問から同じことを言われてきたことを思い出す。
だがこれからもう逃げないと決めた主人公は、「……写実的な絵が、好きなんです」「個性が重視される世界で、私は実物を忠実に再現した絵が何よりも美しいと思ったんです」「これが、私の美術なんです」と自分を認めた発言をする。
部長は発言を撤回し、「色彩がいい」「現実的で、それでいて鮮やかだ。全体のまとまりもいい」「構図もいいな。奇抜ではないが、ありふれたものでもない。よく考えられている」と褒められ、入部を歓迎される。
夏休み、エアコンのない美術室で汗を流しながら、アセの混じった絵の具ので鮮烈な青をキャンパスに塗っていく。
部長はのびのびと線を描く自由な人。
主人公は部長に「先輩は、絵が好きですか?」と投げかけると、「当たり前だ。俺は美術を愛してる」不敵な笑みを返される。
「彩は違うのか?」
「私も、好きですよ」
他人の顔色をうかがっていたかつての自分はもういない。
「お前は自由だ」と部長は優しく微笑んだ気がした主人公は、画材の準備をし、スケッチブックに鉛筆を走らせ窓の外を写し取っていく。自分は自由なんだと何度も口にしながら筆を走らせた紙上には、どこまでも済んだ青い空が広がるのだった。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場のはじまりは、相手の顔色ばかり伺い、面白くなくても笑っていた中学時代は憂鬱そのものだった。中学の知り合いのいない高校で、無理に友達を作らず、部活にも入らないと思った。
二場の主人公の目的では、高校入学時に見た、深くて淡い青の美術部の勧誘ポスターに引き寄せられて入部する。
二幕三場の最初の課題では、ポスターを描いた部長の青野香月先輩にあの絵が好きだといい、見て学ぼうとするとデコピンを食らう。
四場の重い課題では、夏、エアコンのない美術部で先輩といながら、初めて出会ったことを思い返す。部活説明会で香月先輩は開口一番、「美術部はキャラクターイラストを描く部ではありません。真剣に美術と向き合う部活です」「だから、本気で美術やる奴以外入部しないでほしい」と告げた。イラストの描けない美術部に価値はないと批判や愚痴る子たちの顔を伺い、だよねと同調する主人公。そのあとで勧誘ポスターを見たのだった。
五場の状況の再整備、転換点では、美術部に足を踏み入れたとき、副部長の桃子先輩から「美術部の問題児」として部長の青野先輩が紹介され、やる気あるのか聞かれてはいと返事し、描いてきた作品のスケッチブックを見せるも、「つまんない絵」「ただ見て描いただけ」と言われてしまう。写実的な絵が好きで、個性が重視される世界で実物を忠実に再現した絵が何よりも美しいと言い返す。
六場の最大の課題では、「悪い、さっきのやつ撤回するわ」といった先輩は、色彩や構図、全体のまとまりもいいと褒めてくれた。ネットでバズる『超リアル! 本物そっくりな絵!』が嫌いな先輩に、「お前は絵を描くために生まれたきたんだな」「美術部にようこそ、彩」と美術部に迎い入れてくれた。
三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、汗を浮かべながら先輩はキャンパスに目の覚めるような鮮烈な青、美術部へ導いた色を塗っていく。パレットに先輩の汗がこぼれ、青に混ざり、キャンパスに乗せて絵の一部となる。主人公はまだ美術部に入ったことを、クラスの子達に告げていない。先輩に絵が好きですかと問いかけると、愛していると答え、「彩は違うのか?」と聞き返される。あの頃の自分じゃないと言い聞かせて、「私も、好きですよ」と恥ずかしくて彩と呼んだ先輩から目をそらす。蝉の鳴き声がうるさい中、「彩、よく聞け」「お前は自由だ」と先輩は微笑む。
八場のエピローグでは、そろそろ描き始めると言って、先輩の隣でスケッチブックに鉛筆を走らせ、窓の外を写し取る。私は自由なんだと心のなかで何度もくり返す。紙上には、どこまでも澄んだ青空が広がっていた。
美術部長の青野香月先輩が描いたポスターの絵の謎と、主人公である水瀬彩に起こる様々な出来事の謎が上手く赤らみ合いながら、周りの人の顔を伺いながら憂鬱な日々を過ごしてきた過去の自分から解き放たれて、自由になっていく開放感のある結末を迎えるところが清々しい。
主人公がかつてしていた他人の顔を伺って同調する生き方は、読み手の中にもしてしまっている人がいるかも知れない。そんな人にとって本作は、自分にも関係があると感じ取れるし、主人公のよに同調する生き方から自由になる姿をみて、自分にもできるかもしれないと思えてくる作品だから、受賞に繋がったのかもしれない。
具体的な場面を起承転結で描き、いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうしたのかといったことを、五感を交えていることで、読み手が想像できる。主人公の心の声や、感情の言葉が散りばめられていて、登場人物の表情や声の大きさも入っている。
こういうところが描けているので、感情移入できるところが良い。
クライマックスが盛り上がっていて、先輩に名前で呼ばれたときの、主人公の態度や行動、想いが強く描かれているから、読み手にもぐっと伝わってくる。
涙はなくとも、感動できる。
先輩に汗を流させているところが、よかった。青春イコール汗という一般的な考えを活かすために、エアコンのない美術部部室となっている美術部の、夏の様子を描いたのだろう。
嫌われることが怖くて、まわりの顔色をうかがって面白くないのに笑い、自分の感情を押し殺して過ごしてきた「中学の三年間は憂鬱以外の何ものでもなかった」といったところから現実味を感じる。
愛想笑いの一つもして、周りとの協調性を図る。
そうしなければ、周囲から省かれ、のけものにされ、挙げ句いじめの対象になりかねない。そうなったら、憂鬱以上に悲惨である。 とくに女子は同調圧力がある。
自分の考えや気持ちとは別なことを口にしていると、素直さが失われていき疲れていく。本当の自分がわからなくもなってしまう。
「所属していた美術部では、部員たちの間で次々に変わっていくアニメの話題についていくのに必死だった」とある。
主人公は美術、絵を描くのが好きだったのだろう。
アニメの話をたまにするのは問題ではない。
話題についていくのに必死だったということは、中学の美術部はマンガやアニメのキャラクターを描くイラスト部みたいな場所だったことが伺える。
ひょっとすると、イラスト・マンガ部の雰囲気もあったかもしれない。
中学にはマンガ部はないのだろう。
中学時代の回想では、美術部顧問が「見たまま描くのだったら写真で良くない? なんでそれをわざわざ絵でやろうとするの?」と、主人公の絵にケチを付けて、別の子の「めちゃくちゃに絵の具をばら撒いたような絵を見て、『独創性があっていいじゃない』と高い声で褒めたのだった」とある。
中学時代の美術部は、真面目に美術の絵を描いているように思える。ひょっとしたら、顧問の先生がいるときだけ、部員のみんなは真面目に絵を描いていたのかもしれない。
美術とは、自分の思いや感情を文字ではなく絵で表現する技術。
絵を通して、瞬間的に相手に気持ちを伝えるもの。
写実的な絵がいけないわけではない。
見ているものをどうとらえているのか、中学の時は自分を押し殺していたため、主人公自身の思いや感情を、絵に表現しきれていなかったと思われる。
入部するとき、青野部長にスケッチブックを見せたとき、「色彩がいい」「現実的で、それでいて鮮やかだ。全体のまとまりもいい」「構図もいいな。奇抜ではないが、ありふれたものでもない。よく考えられている」と褒められている。
持ってきたスケッチブックは、中学の部活とは関係なく、彼女自身が描きたくて描いてきたものだったのだろう。
なので、他人の顔色をうかがったり、気を使って気持ちを押し殺したりせず、いかに表現するのか絵と向き合って描いてきたものだったから青野部長は褒めたのだと思う。
「ごめんね。青野、ネットでバズる『超リアル! 本物そっくりな絵!』が嫌いらしくて」「当たり前だ。あんなの美術じゃねーもん」「あれはただのコピー機だ」という辺りは同意する。
見たままを描くのは、たしかに技術がいるし、称賛に値する。
でも、ただ見たままそっくりに描くのなら、いまはスマホで手軽に撮れてしまうので写真のほうがいい。
ただ忠実に描き写すだけではなく、その人でなければ描けないもの、個性が大事になってくる。
個性を出すためには、自由でなければならない。
こだわって描かれている場面は、「先輩の顎から一粒の汗がこぼれ落ちた。パレットに垂れたその雫に絵の具の青が滲み、揺れ、そして染まった。先輩は、汗ごと絵の具を拭い取り、その筆をキャンバスに乗せる。するとあっという間に汗は姿を消し、絵の一部になった」ところだと思う。
全力で絵と向き合って描いていく先輩の姿から、部活勧誘のポスターも同じように描いたことが想像できる。
なぜ主人公はあの絵に惹かれたのか。
絵の具に、先輩の汗が滲んで溶けて色彩に混ざっているからに違いない。
俗っぽくいえば、先輩の美術に対する愛、魂が作品にこめられていたのを、主人公は見た瞬間に感じ取ったのだ。
青野先輩と主人公は、同じ考え、人種なのだろう。
先輩が自由なら、主人公も自由。
先輩が好きなら、主人公も好き。
絵を通して、二人はつながったのだ。
勧誘ポスターに出会わなければ、主人公は自身の殻を破ることができなかった。
青野先輩の青に憧れて、自由に、写実的に空を描くところから、主人公の絵ははじまっていくのだろう。
自由。
創造性に生きるとは、他人によって提供された出来合いの機会や可能性を、ビュッフェ形式で選択する生き方のことではない。
与えられたものだけで楽しむのではなく、いままでの枠から飛び出して、なかったものを自分で創ること。物でも、考えでも、生き方でもいい。たとえ上手くいかなかったとしても、個性的な行為になるのは間違いない。
他人に合わせて生きている人間には決してわからない。
自由。それこそが自分を生かす生き方である。
読後にタイトルを読みながら、主人公はスケッチブックに鉛筆で窓の外にみえた、どこまでも遠く澄んだ青空を描く姿を想像してみた。
色鉛筆とは書いていないので、モノクロで青空を描いたのだ。
空を描くときは空以外のものを描かないと、大きさを表現できない。太陽や雲だったり、建物だったり。
主人公はきっと、美術部の窓枠を描いて、その向こうに見えている青空を描いたと想像する。手前に対象物を置くことで、奥行きが感じられ、空の雄大さも伝えられる。
鉛筆画で青い空を表現するのは難しい。
見る者によっては、雨が降りそうだとか曇り空に感じる人もいるかも知れない。外が晴れていることを感じさせるようなものを描く必要がある。
なかなか難しいけれど、私は自由だと表現するのに適したモチーフに感じた。
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