2023年
ショートストーリー部門
作者 白玖黎 大賞:『返魂香』の感想
返魂香
作者 白玖黎
https://kakuyomu.jp/works/16817330651156784743
新妻を戦火で亡くし、焚けば死人に会える返魂香に魅入られてしまった行商の薬師の話。
実に面白い。
実際にありそうに思える御伽噺のような作品。
三人称、薬師の男視点と神視点で書かれた文体。中国の御伽噺の装いを活かすため、描写表現に熟語をつかった、やや硬めな書き方をしている。それでも読みやすい。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
戦乱の時代。
新妻を連れて流浪の薬師をしていた男は、あるとき山間の小さな村にたどり着く。妻をそこに残し、山を降りて薬草を採取している間に村は襲われてしまう。戻ってみると皆死に、唯一残っていた返魂樹に心を奪われてしまう。
そんな彼は、流浪しながら薬を売る薬師をしていた。
小満の頃、迷霧に包まれたあばら家にいた男は、新妻にお茶を入れてもらい、今日も頑張れそうだと答える。
だが、巷に反魂香が出回るおかげで、病や怪我が軽んじられ、薬がサッパリ売れないでいた。郷まで売りに行った帰りの暗霧の中、松明を掲げて進んでいく。すると、強風に日が消され、暗闇の中で光がふくらんでいるような葉が目の前に現れる。
「ああ、旦那さま。今日は直接、会いにきてくださるなんてうれしいです。また薬が売れなかったのですね?」
男は動じることなく、売れなかったからと枝を一つずつ拾い集めていく。かつて村だったこの地は、戦火に飲まれ、男の新妻も死んでしまった。唯一残った返魂樹に心を奪われた男は、反魂香を作っては、売り歩いていたのだった。
新妻が返魂樹になったと思わされている男は、これからも山を離れることはないと答える。
永遠にそばにいてくださいませと語った、花のように散りゆく葉が心底愉快そうにかさかさと音を立てていた。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場のはじまりでは、現世から隔絶され深い迷霧に包まれた、仙境と呼ばれす場所を彷彿される場所にあるあばら屋に、各地を流浪し薬を売る薬師の男はいた。
二場の主人公の目的では、旦那さまと彼を呼ぶ新妻にお茶を入れてもらい、お茶を褒めて今日も頑張れそうだと答える。
二幕三場の最初の課題では、薬は売れそうかという新妻の問に、巷に出回る反魂香のせいで売れないと答える。
四場では、反魂香が出回ったおかげで、重い病や怪我も軽んじられ、死をも恐れなくなった。だが一時みせる幻影に魂を奪われたようになり、虚構にも終わりはある。
五場の状況の再整備では、反魂香が出回るまではそれなりに稼いでいた男も、戦乱が続き負傷するものが後をたたないのに稼げずにいる。
六場の最大の課題では、郷まで売りに行こうと新妻を背後に連れて出た帰り。暗霧の中、松明を掲げて進む。この深い霧の世界が、木片から絶え間なく立ちのぼる煙でできているのではないかと疑い、さらに足を踏み入れようとしたとき、迷霧が晴れたとおもえば強い風に松明の火が消された。
三幕七場のどんでん返しでは、眼前にはびこる暗闇の中でつぼみのように光がふくれ上がっているものは葉であり、
「ああ、旦那さま。今日は直接、会いにきてくださるなんてうれしいです。また薬が売れなかったのですね?」
背後の新妻の姿もなく、かわりに人を惑わすような甘い香りがふわりと全身をかけめぐってゆく。目の前にある大樹に怯えることなく男は、今日もひとつも売れなかったから、枝を少しだけ貸しておくれと落ちている葉を拾い集めていく。
かつて山間の地に小さな村があった。新妻を連れていた流浪の薬師が、薬草を採りにいっているあいだに村は戦火に飲まれてしまった。唯一残されていた返魂樹に、男の心を奪われてしまったのだ。
八場のエピローグでは、こんな姿に成り果てたからと行って見捨てないでと大樹に言われた男は、どんな姿になろうともこの山を離れないと男は誓う。花のように散りゆく葉が、心底愉快そうにかさかさと音を立てた。
反魂香とは、西海聚窟州にある返魂樹という木の香で楓または柏に似た花と葉を持ち、香を百里先に聞き、その根を煮てその汁を練って作ったものを返魂といい、それを豆粒ほどを焚いただけで、病に果てた死者生返らすことができる。
西海聚窟州とは実在の地名ではなく、仙人の住まう仙界の地名だ。
また、香を焚けば、煙の中に亡くなった人が現れるという。
中唐の詩人、白居易の『李夫人詩』にその名があり、前漢の武帝が李夫人を亡くし深い悲しみに暮れていたとき、道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練った反魂香を金炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという。
書き出しがいい。
「すべてのきっかけは、やはりあの香だった。百薬よりもよく効くという、はなはだ珍妙な香木があるそうな」
これからはじまる物語はどんな話なのか、読者にほのめかしている。結論の手前くらいをかいている。
表現が上手い。
「今はそのどこまでもやさしい甘味を臓物に染み渡らせてもなお、腹の底から湧き上がる苦い思いがあった」
新妻が入れてくれたお茶に対しての感想を述べつつ、それとは反対の感想を持ち出して、薬を売り歩く行商をしている自分の商いが上手く行っていない話につなげていく。
とくに温かい飲み物を飲んだ後、人はほっと落ち着く。
落ち着くと心が緩み、意識は外ではなく内へと向かい、いままで気になっていたけど忙しくて考えることを避けていた問題に向き合うことができるようになる。
そういった、誰もが体験したことがあるような感覚を、さり気なく表現できているところがいい。
ただ、気になったのは香り。
タイトルからもあるように、反魂香の香り、薬師が扱う薬の香り、深くて濃い霧に周囲を取り込まれて、場所は山間。
だとすると、さまざまな匂いが香っているはず。
でも全部は表現していない。
新妻がお茶を淹れてくれる前には、「中心に据えつけられた炉には薪がくべられ、火がついたところからうっすらと煙が立ち上っている。ごりごりと生薬を薬研ですり砕けば、つんと鼻をつくにおいが紫煙に溶けて広がった」と、匂いが表現されている。
つまり、反魂香の香りについては、意図的に描写しているのだ。
「人を惑わすような甘い香り」これが、反魂香の香りなのだろう。
おそらく、新妻が入れてくれていた甘いお茶も反魂香から作られたと推測される。
物語の時期が、「日輪が赫々と大地を照らし、木々が濃い蒼翠を滴らせる小満の候」だとある。
なぜ小満なのかしらん。
二十四節気の八番目、夏を六つにわけたうちの二番目の節気。
二十四節気の中、唯一植物の生長の状態から名前が取られている。
中国農家には「小満になると、麦の実が少しずつ大きくなる」という言葉があるように、夏に収穫期を迎える作物が成長し、弾けそうなほど大きな実に「満ちる」にはまだもう少しかかるため、「小満」と呼ばれている。
気温は目に見えて上昇し、雨も多くなり、ジメジメした蒸し暑い夏が到来する五月二十一日から六月六日まで。この時期は田植えや麦の世話、菜の花収穫に蚕の養殖など、農家にとって繁忙期となる。
二十四節気には「小暑」「大暑」、「小雪」「大雪」といった具合に続くのに、「小満」の後に「大満」はない。なぜならおそらく、中国文化には、考えや行動が中立であることを意味する「中庸之道」思想があるからと考える。
「自信過剰では損を招き、控えめの方が得をする」「満月が欠け始めるように、物事は絶頂期に達すると下り坂に向かう」などの言葉があるように、物事は極点に達すると必ず逆の方へ向かい、幸せが頂点に達すると悲しいことがはじまるもの。
どんなことでも「大満」であってはならないのだ。
また、返魂樹とあるように怪しげではあるものの植物なので、唯一植物の生長の状態に関連する二十四節気の小満を選んだのかもしれない。
薬の行商をしている男は流浪ではあるが、薬師としてそれなりの額を稼いでいた。さらにきれいな新妻を手に入れ、稼ぎが出たとき新妻は新しい着物や紅が買えたと無邪気に喜んでもいる。
絶頂期に達していたのだ。
だから、戦火に飲まれて新妻を失ってしまう。
その後は、返魂樹に魅入られ、大樹にいいように使われるように反魂香を売り歩くようになってしまった。
そういった話の流れから、小満なのではと邪推する。
新妻がどんな容姿をしているかが無い。
「この世で最も大切な女の微笑」くらいか。
主人公の男にだけ新妻がわかればいいから問題はない。なぜなら、反魂香で死んだ人が見えるのは、関係者だけだと思うから。
部外者である読み手にわからなくてもいいのである。
「女の笑顔がぱっと花が綻ぶように咲いた」
笑顔の比喩表現の一つとして、よく使われる。
本作の場合は伏線になっている。
後半以降の、反魂香の元である返魂樹につながっていくる。
村が襲われ、戦火に飲まれたため、新妻は死んでしまった。
残っていたのは返魂樹。
「すすり泣くように大樹の枝が震えた」「花のように散りゆく葉が、心底愉快そうにかさかさと音を立てた」の表現につながっていくのだろう。
気になったのは、「こんな姿に成り果ててしまったわたくしから、どうか、どうか、離れないでください。置いていかないでください」と、主人公の男の脳裏に悲痛な叫びが響いている点。
主人公の新妻は本当に返魂樹になったのか。
おそらく違う。
葉から反魂香が作られることからも、葉そのものから漂う香りにも同様の効果があると考えられる。
植物が様々な昆虫や動物を利用して、自己の種子を遠く広げながら数を増やすように、返魂樹も主人公を利用して反魂香を世に広めながら自分の数を増やそうとしていると考える。
ということは、反魂香で死者に会う場合、本当の死者ではなく、当人がもっている記憶から返魂樹の妖術が生み出した偽物と邪推する。
主人公にお茶を淹れている。
ほんとうにお茶を淹れているのか。
それとも、お茶を淹れてもらっていると主人公は思っているだけで、実際は自分で淹れているのかしらん。
もし新妻が淹れているとするなら、お茶には悪いものが入っている可能性が考えられる。たとえば、反魂香を煎じたものを飲んでいたなど。
おそらく、反魂香より生まれた新妻が、お茶を淹れてくれていたのだろう。
主人公の男としては、新妻をなくした後で、樹になったと言われて信じたのは無理からぬこと。
本作から教訓を得るとするなら、何事も程々が肝心なのと、大事な人をなくした人に、死んだ人に会えますよと嘘を言って付け入る真似はしてはいけないかしらん。
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