作者 沢田こあき 読売新聞社賞:『黄昏の盗人』の感想

黄昏の盗人

作者 沢田こあき

https://kakuyomu.jp/works/16817330660806041923


 みんなから除け者扱いされていたヨシダ君が盗んだ『黄昏』の残光や『時間の隙間』を見せてもらっていた私は、彼が盗んだ『黄昏』を戻し、水面に黄昏を見る度に彼と過ごした時間といなくなった彼のことを考える話。


 ダッシュはふたマス云々は気にしない。

 好きだった記憶や思い出、時間を、比喩的にファンタジー要素を用いて表現しているところが素敵。


 主人公は、女子生徒。一人所、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 

 それぞれの人物の想いをしりながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 クラスメイトのヨシダ君が夕方、川沿いの土手に立って湯日が沈むときにすっと腕をあげて太陽の残光を掴んで小瓶に落とし蓋をするのは、いつか『黄昏』をまるごと盗むため。

 盗んだ「『黄昏』を主人公のわたしだけに見せてくれるのは、他の人たちが、彼がその場にいないよう振る舞ったり、棘のある言葉を投げつけて孤独にさせるから。

 彼を同情しては戸惑い、ただ隣にいられる少しばかりの優越感を抱きながら、お互い部活のない日は土手下の桜木のところに連れて行ってくれる。これまでの盗んできた様々な黄昏が入った瓶やペンケース、豚の貯金箱などがある。

 あるとき彼に「君はどの時間が好き?」ときかれ、朝と答える。「まだ一日がたくさん残っているような気がするから」と答えると、たしかにと彼は笑った。

 夏休みが始まる三日前、『黄昏』をまるごと盗んでいなくなってしまう。みんなは消えたことに焦り慌てるも、消えたのはあなた達のせいでしょと私は心のなかで叫ぶ。

 とはいえ、本当に全部盗むとは思っていなかった。だから、彼を孤独にした人たちを恨み、まるごと盗んだ彼も恨んだ。

 このままにしておくつもりだったけれど、あまりに騒ぎ立てるので、元に戻すことにする。川原にやってきて、一つずつ『黄昏』を取り出していく。彼が大切にしていた『時間の隙間』も風に流していった。最後に、盗んだ『黄昏』のは言った段ボール箱を開けると戻っていった。

 どこで見つけたのか聞かれたが、教えたくなかったので別の場所を教えた。

 黄昏が水面にたゆたっているのを見ると、ダンボールから漏れた夕日や瓶の中の残光、そしてヨシダ君のことをかんがえるのだった。


「私が初めてヨシダ君の窃盗現場を見た」とは、なかなかショッキングな書き出しである。

 どんな現場なのだろう、と読み手が注目する中で、クラスメイトのヨシダ君とはどういう人物なのかが書かれている。

 主人公は彼に惹かれたのは、「他人と交わりきらない空気感と、雨が降る前の曇り空を映すような物憂げな瞳」からとあり、具体的に表現されている。

 つまり、どこか寂しそうな子だったのだろう。


 ヨシダくんを土手でみつけた時の様子、風景描写が実に良い。

 そんな情景のなかで、「彼はすっと腕を上げて掌を広げると、涼やかな風が運んできた太陽の残光を掴んだ。蕾がほころびそうな花を摘むみたいにして、そっと。一瞬、彼の指の間からいく筋もの光が漏れた。それを小瓶に落とし、きゅっと蓋をする」と、残光を小瓶に入れるのだ。

 普通の子ではない。

 何をやっているのか、いつもやっているのかを質問しているけれど、どうして主人公の私は、「どうやってやったの?」とは聞かなかったのだろう。

 ひょっとすると、本作の世界では誰しもできることなのかしらん。

「黄昏を盗んだ。そう言ったの?」と驚いているので、誰にもできることではないはず。

 きっと、黄昏を掴みたいと思っていなかったからだろう。

 自分がやりたいと思っていたら、やり方を聞くかもしれない。


 残光を捕まえたときのヨシダ君の表情が比喩で書かれている。

「まるで、公園で駆け回る犬を眺めるような、揺りかごの中の赤ちゃんを見守るような、優しく柔らかな笑みだった」

 微笑ましく可愛がっているものを愛でるような眼差しだったのか。

 そんな表情を、気になる男子がしていたら、「感動にも似た胸の高鳴りを覚え、しばらく声が出てこな」くなるのもうなずける。

 一目惚れ的な、ドキッとしてしまったのだ。


 その後、盗んだものを見せてくれる彼。

 このときの私の心情の表現も、じつに豊かに書かれている。

「役にも立たない彼への同情と戸惑い、そして、彼の隣にただ一人いられることに少しばかりの優越感を抱き、ふわふわと足が浮いて、落ち着きなく漂うような日々を過ごしていた」

 

 盗んだ黄昏は「夕日を背にしたときに前方に伸びる影」「桃色にたなびく雲の一部」「川を滑るように飛ぶサギの羽ばたきの音」とさまざま。

 そもそも『黄昏』とは、黄昏時のことであり、相手の顔が見えにくくなる夕方や夕暮れのこと。

 その時間帯にあるものすべてが、『黄昏』に当てはまるのだろう。

 つまり、沈みゆく夕日だけが『黄昏』ではないのがわかる。


 しかも盗んだものを閉じ込めるのは瓶だけではなく、「枝には川上から吹く風」「茂みに隠された鳥籠の中には、遠くに霞むビルのシルエット」「使いふるしのペンケースには、まだぼんやりとした一番星」「豚の貯金箱に貯められた夕方の電車の音」と、河川敷に捨てられていたゴミの中に、盗んだものをこっそり隠しているように思えてくる。

 貯金箱から聞こえてくる電車の音から、貝殻に耳を当てると潮の満干の音がするのを連想させられる。

 

 ヨシダ君が「君はどの時間が好き?」と聞いたのは、主人公が好きな時間を盗んでプレゼントしようと思ったのかもしれない。

 あるいは、好きな時間だけは盗まないようにしようと思ったからなのか。

 主人公は、「そんなの決まってる。決まってるじゃない。こうして夕日が見えなくなるまで、あなたと一緒にいられるこの時間が――」と思ったのに、口には出さなかった。

 いってしまうと告白になるからかしらん。

 恥ずかしかったのでしょう。

 でも、口にしたのは「最初に思い付いた理由」とある。しかも朝を選んだのは、「まだ一日がたくさん残っているような気がするから」である。

 朝は、一日がはじまったばかり。

 たくさん残っている。にもかかわらず、「たくさん残っているような気がするから」と曖昧に答えているのはなぜだろう。

 学校へ登校したら、自分の自由な時間は限られているからかもしれない。


 ヨシダ君は、黄昏をまるごと盗んでいなくなってしまう。

 彼はどこへ行ったのだろう。

 みんなから疎まれ、棘のある言葉を投げられ、彼の居場所はどこにもなかった。だから、もし主人公が「そんなの決まってる。決まってるじゃない。こうして夕日が見えなくなるまで、あなたと一緒にいられるこの時間」と答えていたら、彼は黄昏を盗まなかったかもしれないし、主人公の側が彼の居場所になれたはず。

 

 そもそも、人間が時間を切り取るように盗めるわけがない。しかも、そんな人間離れした力を代償無しで使えるはずもない。

 黄昏をまるごと盗むのと引き換えに、彼は世界から消えてしまったのだろう。


 主人公が、彼を蔑ろにしてきた周りの人たちを恨む気持ちはわかる。でも、盗んだ彼を強く恨む理由はなんだろう。

 盗んだことではなく、いなくなってしまったことに腹を立ているのかもしれない。

 せめて、相談してほしかったと思っているのだろうか。

 それとも、「そんなの決まってる。決まってるじゃない。こうして夕日が見えなくなるまで、あなたと一緒にいられるこの時間」も大事と考えたのだから、黄昏の時間を盗んでほしくはなかったのは間違いない。

 なぜなら、彼のことが好きだったから。

 彼と過ごした時間が消えてしまうということは、二人で過ごしてきたそれまでの時間も消えてしまうことを意味している。

 どうしても、彼との思い出をなくしたくなかった。

 だから、元に戻した。

「みんながあんまり騒ぎ立てるものだから、仕方なく戻してあげることにした」は、建前だと思う。

 なぜなら、「胸の中で渦を巻く、どろりとした黒い何かを呑み込んで」と本音を隠しているから。


 ヨシダ君が大切にしまっていた『時間の隙間』とは、枝にひかかっていたものかしらん。


「誰もが私に『黄昏』をどこで見つけたのか訊いてきた」とある。

 そもそも、ヨシダ君が盗んだことをなぜみんな知っているのだろう。主人公が話したのかしらん。

 ヨシダ君と一緒にいたのは主人公だけなので、責められてしゃべったのかもしれない。


「私は彼らに違う場所を教えた」みんなに教えなかったのは、彼との時間を、大切にしたかったからだろう。

 

「みんな納得して頷き、いつしか『黄昏』の抜けていた日々を、ただの記憶の欠片にしてしまった」この表現が良い。

 記憶の欠片にしてしまった。

 そんな事もあったね、みたいなふうにして、そのうち忘れ去られてしまうのだろう。

 きっとみんなは、ヨシダ君のことも忘れてしまうのだ。


 黄昏を戻したことで、主人公は「段ボールから漏れた夕日のこと」「瓶の中の残光のこと」「ヨシダ君のこと」を考えることができる。

 主人公だけが、おぼえているのだ。


 全体的に言葉の表現が素敵だし、独特な世界観を生かすのにも、一役買っている。

 それにしても、どうして先生やクラスメイト、家族たちは、まるでその場にいないよう振る舞い、彼に向かって棘のある言葉を投げつけるのだろう。

 ひょっとすると、彼は不思議な能力をときどき使っては、周りの人たちを困らせていたのかもしれない。

 変な力は使うなと親や先生から怒られ、クラスのみんなからいじめられていたのかもしれない。

 クラスメイトなのに、主人公は彼の力をどうして知らなかったのだろう。クラス替えがあったばかりか、転校生だったのかもしれない。

 また、どこかで二人が再会できますように。

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