作者・朔(ついたち) 読売新聞社賞:『残夏 ──zange──』の感想

残夏 ──zange──

作者 朔(ついたち)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891132916


 弓尾とヒカルの三人で立花の焼香に行った帰り、青いサマードレスを着たマネキンに見惚れ、青いドレスを着た女性に心奪われていく。立花の霊がマネキンに憑依しており、避けてきた理由を尋ねられ、友達以上の関係を望んでいるのではと思うと重かったと答えるとマネキンに戻った。が、踊り場に落ちたマネキンを見た弓尾が、こずえが発見されたときもこんなふうだったのかと聞かれて苛立ち、立花と同じように突き落とした谷崎カイの話。


 タイトルから重そうな印象がある。

 誤字云々は気にしない。

 ホラーかつミステリー。

 作品の出来が素晴らしい。


 主人公は、紫雲高校二年I組の谷崎カイ。一人称、俺で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 怖いミステリーがホラーになるのだけれども、霊が出てくる作品だけれども、そこまで怖くない。ヒトコワの部類に入るのかしらん。

 面白い作品に必ずある、どきり、びっくり、うらぎりの三つの「り」がある。

 恋愛要素もある。ナツコとは「出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末」の流れに準じている。


 女性神話とメロドラマに似た中心軌道に沿って書かれている。

 一年生のとき足立区の夏祭りに参加したとき、主人公の谷﨑カイは立花こずえと、屋台や土手でカップルの友人たちとすれ違う度に「リア充、爆ぜろ』とお決まりのフレーズを投げつけ、よく話をする仲だった。

 二年生となり、春から家に引き取ったアルツハイマーの祖母と暮らしているため、怒りの沸点が低くなって苛立つことが多い谷﨑は、学級委員のヒカルに好意を持つ。

 体育祭でペアダンスをくじ引きで選ぶことになっており、ヒカルはどうしても組みたくない嫌な男子がいた。恋人同士なら優先的にペアになれる生徒自治会のはからいを利用することを思いついた谷崎は、「体育祭までは恋人同士の振りをしよう」と持ち掛け、ペアを組むことに成功。何も知らない周囲からはカップル扱いされ、いずれ本物の恋人同士に発展する可能性もある。

 そんな谷崎のことが好きな立花こずえは、同じクラスになれて喜び、席も近いことから友達以上の関係になりたいと距離を縮めようとしてくる。彼女の気持ちを重く感じ避ける谷崎。

 五月の中間考査前日の火曜日。忘れ物を取りに戻ったとき彼女と出会い、どうして距離を取るのかと追いかけられる。苛立って力任せに突き飛ばしてしまう。

 夕方、踊り場で冷たくなっているのを警備員が発見。翌日から中間考査があり告別式には参加せず、テスト明けに生徒自治会の弓尾アケミ、学級委員のヒカル、ヒカルに頼まれた谷崎の有志三名で訪問。帰り、駅ビルのショーウィンドウの青いサマードレスを見ながらヒカルに着せてみたいと思う。ヒカルと別れ、弓尾とバスを降りて早稲田行きの路面電車に乗り換えたとき、マネキンが着ていた青いチェックのワンピース姿のスタイルのいい女性を目にする。

 月曜日早朝、ヒカルとペアダンスの練習をする約束になっていたが、青い服の女性が高校の制服を着て、左手首に包帯を巻いて歩いている。練習は明日からで、と彼女を眺めながらのんびり登校。ヒカルに怒られ、彼女が嫌っている大地からは「やる気がないなら代わってやろうか?」といわれてしまう。

 水曜日、祖母のせいで配られたばかりの体育祭用のTシャツをゴミと一緒に出されてしまう。

 体育祭用のTシャツを失くして一週間後、予行演習の日。再注文したが間に合わず、白い体育着で全体練習に臨み、グリーン団の団長に深々と頭を下げる。女子更衣室から三年の短パンが消えるトラブルが起きた話をした団長は、新しい団Tシャツが経営企画室に届いているから受け取って帰れと肩を軽く叩く。

 そのあと、エメラルドグリーンの短パンには『斉藤』の文字が刺繍されている化粧の濃い先輩に「君もTシャツ忘れちゃった系?」と言われる。青い服の女性の彼女は想像以上に綺麗だった。が、体育祭当日、斉藤さんの姿はない。ヒカルにもっと楽しもうと言われ、ツーショットを撮影し、距離が縮まる。

 梅雨に入り、帰宅部の谷崎は暇となり、チアダンス部のヒカルは部活で忙しくなる。期末考査まで一カ月ない中、クラス連中は九月の文化祭の話題で盛り上がり、谷崎はヒカルとの関係をどうすべきか考えていた。

 ヒカルの七月二十日に足立区の花火に行く提案に乗ると、弓尾アケミが割り込んで「みんなで行こう」といい、我も我もと暇人が続いた。

 夏休みを明日に控えた土曜日の夜、小菅駅前に総勢八名のクラスメイトが集合。弓尾と二人きりになり、一年の時は立花と仲が良かったのに、急に口を利かなくなっておどろいたと言われる。苛立ちを覚えトイレに行くとひかるたちを探しに屋台を覗きまわるも見つからない。スマホの着信が三十件を超えていた。花火もはじまり、急いで引き返そうとすると、赤いワンピースを着た斉藤さんを見かける。彼女はナツコで三年生、留年しているから二つ年上だという。手首の包帯はリストカットのあとだと思い込む。スマホが震えていたが、迷子だと答え迷子同士、彼女と屋台巡りをする。「肝も食べる?」食べかけのりんご飴を差し出され、ためらわずかじって返す。彼女も食べ、二人は交互に食べあった。「ごめん、下痢とまんない」とスマホに返信し、西新井までの三駅を、彼女と恋人繋ぎしながら家まで送る。古いマンションに一人で住んでいる彼女は普段は床が広いから踊っていると答えた。見てみたいというと、踊りだす彼女。倒れそうになり、谷崎は彼女を受け止め抱きしめ床に倒れ込んだ。

 翌朝、自分の部屋で目を覚ますもあちこち擦り傷誰家で布団は砂まみれ。LINEアイコンの右上の通知数がとんでもないことになっており、トークルームに「もう知らない。大嫌い」の文字。土下座スタンプを押すも既読がつかず、ブロックされた。

 ヒカルを怒らせてしまったことで、女子も男子もヒカルに同調し、誰からも相手にされなくなり、紫雲祭準備の召集すらかからない。

 四日間の夏期講習で学校へ行けばナツコに会えるかもしれないし文化祭の執行委員から連絡先をもらえるかもと思いながら、三年C組からH組まで確認するも斉藤ナツコは三年生におらず、特進クラスかとI組へ向かおうとすると、ソフトテニス部の女子に声をかけられる。三年で斉藤は自分だけといい、学校は留年させてくれないことを知り、「そのコって自分から『斉藤です』って名乗ってた?」と聞かれて一度も名乗っていないことを思い出す。団長から女子更衣室から消えた話を思い出し、ジャージが紛失した女子は目の前の斉藤だった。

 十日前にお邪魔した五階建てのマンションのナツコの家へむかうと、侵入を妨げる赤いコーンや取り壊し予定日を告げる看板に気づかず部屋に入ると、廃墟意外なにものでもなかった。

 三週間あまり過ぎた、始業式を六日後に控えた金曜日の午後。紫雲祭も間近な時期となり、クラス展示の準備も切羽詰まって召集のLINEが入る。とはいえ、クラスの輪に入れなかった。

 ナツコは立花こずえが落ちた階段の降り口に立って、ぼんやり踊り場を見下ろしていた。声をかけ、本当に斉藤さんか尋ねると、本当のことを教えてくれたら話してあげるという。立花と去年は仲良くしてたのに、急に冷たくなったのはどうしてか聞かれる。自分への期待が重く、「俺に脈があるって勘違いしているみたいなのが、なんかたまらなく嫌だった」と答える。

「あたしがもしもあなたを好きだと言ったら、あたしも身の程知らずになっちゃうの?」という彼女に、「あなたはもうずっと前から、俺にとっては特別な人だ」と告げ、ナツコのことを教えてもらう。

 焼香に来た日、後をつけて青いサマードレスを着たマネキンに見惚れていたのをみて、気がついたらその服で王子駅行きのバスに乗っていたと、ニコリもしない目で谷﨑をみる。「本当のことを教えてくれてありがとう。あたし、ずっと、カイがあたしに冷たくなった理由を聞きたいと思ってたんだ……」

 幽かな笑みを浮かべ、背中から踊り場へと落ちていく。とっさに左手を掴むも、プレスチックの手首が一つ残されていた。愛しい人は人形に戻り、バラバラに砕け散った。

 音がして教室から顔を出す弓尾小走りによってきて、マネキンだと気づき、「警備員さんがこずえを見つけた時って、こんなふうだったのかなぁ?」と顔を覗き込んでくる。苛立ちを感じ、立花こずえにしたときと同じように、力任せに彼女を払い退けるのだった。 

 

 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、立花こずえの焼香をあげに弓尾とヒカル、谷崎の三人で訪問しての帰り、青いサマードレスのマネキンを見た後、同じ服を着た女性を見かける。

 二場の主人公の目的は、青いドレスの女が制服を着て登校するのを目撃、のんびり歩いて登校。偽装カップルでペアダンス相手のヒカルに怒られ、家ではアルツハイマーの祖母によって体育祭で着るグリーンの団Tシャツを誤って捨ててしまう災難に見舞われる。顔も知らないドレスの女性の左手首に巻かれた白い包帯から、死にたくなる悩みがあるのかと思いを馳せる。

 二幕三場の最初の課題では、予行演習の日に体育祭用のTシャツをなくしたことを団長に謝ったあと、あのドレスの女性、『斉藤』の刺繍の入った緑色のジャージを着た化粧の濃い三年の女子に声をかけられ、想像以上に綺麗だった。体育祭当日、斉藤さんの姿はなかった。ヒカルとツーショット写真を撮影し、二人の距離は近づく。

 四場の重い課題では、夏休み前日の七月二十日に行われる足立区の花火大会にヒカルと行く話をしていると、弓尾も割り込み、暇聞きつけた暇人も含め八人で参加することとなる。レジャーシートをしいて光と屋台を回ろうとするも留守番を任された弓尾にひとりきりではトイレに行けないとむくれたので残ることになる。去年の夏祭りに立花もいたことを言い出す彼女をうざがり、去年は仲良かったのに急に口を利かなくなってどうしたのか聞かれ、理由なんかないと苛立って離れ、ヒカルたちを探していると、赤いワンピースを着た斉藤さんを見かけ声をかける。ナツコと名乗った三年生の二つ年上の彼女と屋台巡りをし、彼女の差し出した口をつけたりんご飴を交互に食べ合う。ナツコを送ると行って、恋人繋ぎしながら西新井まで歩く。

 五場の状況の再整備、転換点では、ナツコの住む古いマンションの中に入ると何もない。一人暮らしをしていて普段踊っているかもしれないという彼女に見たいという。踊りだすも倒れそうになるところを抱きしめ、床に倒れ込む。翌朝、目が覚めると自宅のベッドで擦り傷まみれの砂まみれになっていた。ヒカルからLINEには「もう知らない。大嫌い」の文字があり、土下座スタンプを送るも既読にならなかった。

 六場の最大の課題では、ヒカルを怒らせてしまい、クラス連中は彼女に同調したため、夏休みの誘いや紫雲祭準備の召集が入らなくなる。夏期講習でナツコのことを調べると、学校は留年ができないし、体育祭でジャージを盗まれたのは三年に一人しかいない斉藤だと知る。彼女の住んでいたマンションへ行くと、取り壊し予定となった廃ビルで廃墟となっていた。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、始業式を6日語にひ逢えた金曜日の午後。クラス展示の準備の手伝いに呼ばれるも、その輪からはじかれてやることもなく時間がすぎるのを待っていた。ナツコを見かけたのは階段の降り口。彼女のことを知りたいと尋ねると、本当のことを教えてくれたらと条件を出される。立花と仲良くしていたのに急に冷たくなったのはどうしてか聞かれ、友達以上になれると思われていることに重く感じたからと答えると、「あなたを好きだと言ったら、あたしも身の程知らずになっちゃうの?」と言われ、「そんなことがあるわけない。あなたはもうずっと前から、俺にとっては特別な人だ」と答える。ナツコの目元が赤くなる。

 彼女の話を聞くと、焼香に来てくれた日に後をつけたら青いサマードレスに見惚れてて、気づいたらその服で王子駅行きのバスに乗っていたと答えた彼女は、急に冷たくなった理由を聞きたいと思っていて、本当のことを教えてくれてありがとうと言い残して背中から踊り場へ落ちていく。手を掴むも、マネキンとなってプラスチックの左手首だけが残される。

 八場のエピローグでは、音を聞いて教室から来た弓尾が奇声をあげるも、踊り場に転がるマネキンを見て、立花が見つかったときもこんなふうだったのかなと顔を覗かれたときに苛立ちを感じ、立花のときのに力任せに払い退ける。


 また、乗り物パニックの構造「主要人物が集まって乗車→何らかのトラブル発生→最悪の自体が予測されパニックに→状況を打開すべく作戦が実行→ことごとく失敗、さらに悪化→くり返される→打つ手がなくなり絶望的な状況に→リスクを伴う解決策発見、迷った末に実行→作画成功し自体が収束→主要人物が乗り物から降りる」という流れにも準じている。


 クラスメイトの立花こずえが死んだ謎と、谷崎カイに起こる様々な出来事の謎が上手く絡み合いながら最後、意外な結末を迎える展開は非常にうまく出来ている。

 初見だと、この物語はどこへ向かっていくのだろうかと、掴みどころのないように思うかもしれない。が、本作に書かれていることは、書かれていない立花こずえを突き飛ばすに至った前日譚と対になっているからこその作りだとわかれば、これほど見事な作品はないと思えるだろう。読み終わったときの驚きとともに、書かれていない部分の話も浮かび上がってくるから。 


 本作の良さは、具体的に場面が描かれているところだろう。

「王子駅でバスを降り早稲田行きの路面電車に乗り換え」「巣鴨新田駅から校門に続くなだらかな坂」「足立区の花火」「小菅から西新井までのたった三駅」といった、東京の実在する場所を用いることで、急に冷たくなった理由を知りたい立花の霊がマネキンに憑依したファンタジーな話を現実味あるものに感じさせてくれている。

 また、ドラマの一場面のように、季節や時間、だれが、どこで、なにを、どのようなことをしたのか、視覚だけでなく聴覚や嗅覚、味覚、触感といった五感や比喩をもちいて、読み手が想像できるように描かれている。さらに、状況描写の説明をしたあとでの主人公の感情の言葉である心の声を描き、表情や声のトーンも入れている。

 おかげで読者は、作品に感情移入でき、興味と共感を持って読み進めていけるだろう。

 文京高校をモデルにしているのかしらん。


 クライマックスでは、主人公である谷崎が立花に冷たくした理由を語りながらもナツコに対する思いや、真実を語って踊り場へと落ちていく彼女に腕を伸ばして左手を捕まえたり、その後の弓尾とのやり取りだったり、主人公の強い思いがよく描かれているので、読み手は強い感情をいだけるのだ。

 わからなかったことがわかったり、自分も毛嫌いして疎遠になった経験があったり、突き落とすまではしなくても相手を傷つけたことがあるなどの体験をしている人は、作品からなんらかの感動を得るはず。


 踊るナツコを受け止める場面や、階段から落ちていく場面の詩的で抒情的な表現は素敵。


 赤いスカートが翻る

 まるで金魚の尾びれのように

 いびつなターンの軸がぶれる

 支えなければと立ち上がった刹那

 水風船は滑り落ち

 俺の足元で飛沫を上げる

 なめらかな素肌の感触に

 おののく俺に身体を預け

 いたずらな美しいひとは

 挑むように無防備になった 


 俺は咄嗟に腕を伸ばし

 辛うじて彼女の左手を捕まえた

 ほどけた包帯が指に絡みつく

 汗ばんだ手の中で

 硬さを増す恋人よ

 俺が惹かれたあなたの顔が

 みるみる凍り付いていく


 読むことによって、情景がコマ送りのごとく再現される。

 出来事としては数秒足らず、あっという間のはず。そんな場面をスローモーションのように、視覚だけでなく触覚にもこだわった描写をすることで、主人公がおぼえた体験を追体験できる。

 実に印象深い。

 

 書き出しの主人公のモノローグが、何かを予感させている所が良い。初見だと、クラスメイトが階段で足を滑らせてなくなったことに対して、悲しんでいるように感じるけれど、彼が立花を死に追いやったことを考えると、別の意味が増してくる。

 力任せに振り払ったら、階段から落ちて死んでしまうなんて思ってもいなかったというところかしらん。


 試験で告別式に参列できなかったが、有志三名で彼女の家を訪れたとき、どうやって選抜されたのだろう。

 生徒自治会とは生徒会のようなものだろう。

 会長ではなさそうだけれども、同じクラスということで、弓尾は生徒自治会の代表としての出席だろう。

 学級委員のヒカルはわかる。

「ヒカルから誘われたのでなければ、学校から1時間半もかかる立花の家までわざわざ来ることはなかったろう」から、ヒカルから誘われて主人公も訪れたのがわかる。

 ペアダンスで、人のふりをしていることもあり、彼を誘うのが自然だったのかしらん。

 学級委員は一人だけなのだろうか。男子の学級委員はいないのだろうか。


 焼香の帰り、「もっと大勢に来てもらいたかったね」と弓尾はもらしている。これに対して谷崎とヒカルは思わず顔を見合わせ「体育祭近いしね……」とつぶやいている。

 二人はどちらかと言えば着たくなかったのがわかる。

 主人公が来たくなかったのは、自身が手をかけたことに対する罪悪感があったからではと想像する。関わり合いたくないという気持ちのほうが強かったかもしれない。

 でも弓尾はちがう。

 立花が谷崎のことが好きだったことを知っているので、友達だったのは間違いない。


 立花が谷崎を好きなことを知っていた弓尾は、谷崎に焼香してもらったら立花も喜ぶだろうと考えたと推測する。

 彼を参加させるため、学級員のヒカルに、偽装とはいえペアダンスの相手であり、付き合っていることになっている谷崎を参加させるよう頼んだのではと考える。

 そういった流れがあって、ヒカルの頼みならと谷崎が有志三名の中に入ったのではと考える。


 夏祭りの際、二人きりで行こうとした際、「空気を読まない弓尾アケミが割り込んできた」ことで、他の連中もくわえた八人で行くことになったのは、一年前は仲が良かったのに、同じクラスになってから急に立花と口を利かなくなったのはどうしてかを知るためだった。

 弓尾は、友達の立花が死んだのは谷崎と喧嘩したのでは、と考えたのかもしれない。

 夏祭りのときには、満足の行く答えを聞くことが出来なかった。

 だけどクラス展示で学校に来ていたとき、マネキンが踊り場に散乱しているのを見て、「警備員さんがこずえを見つけた時って、こんなふうだったのかなぁ?」と尋ねている。

 このとき弓尾は、夏祭りのときと同じようにアーモンド型の両目で谷崎の顔を覗き込んでいる。

 彼女としては、好奇心で覗き込んでいるのだろう。

 だけど余裕のない谷崎には、「全部お見通しだよ」と謂わんばかりにみえたのだ。

 おそらく弓尾は、立花の死と谷崎を結びつけるものは、なにももっていない。

 谷崎に余裕があれば、知らないとかわからないとか、無視することが出来ただろう。


 ペアダンスでカップルだと偽わって相手となり、恋人同士に発展する可能性もなくはないとし、「事実今、俺とヒカルは良い感じだ。作戦勝ちだね。そうだろう?」と読者に語っているところをみても、谷崎がヒカルに好意を抱いていたのは間違いない。

 そのわりには、彼女の容姿は描かれていない。

 サマードレスを着せて焼けた素肌ギリギリまであらわにした彼女の姿を想像したり、眉間にシワを寄せたり。

 それでも夏祭りの場面では、「女子は皆ここぞとばかりに浴衣姿で決めている。不慣れな下駄の鼻緒のせいでぎこちない所作も、学校でのがさつなそれと比べると格段に新鮮で可愛い。いつもはチア部でバク転やバク宙を軽々と決める男勝りなヒカルも、今夜ばかりはやけにしっとりとして見える」と、どんな子なのかが伺えるように書かれている。

 体育祭が終わってペアダンスの関係は潮時かと思っていてからの、夏祭りイベントなので、谷崎としては関係性を続けようかと思い直す気持ちが働いたから、普段とは違うヒカルの様子が描かれているのかもしれない。


 春からアルツハイマーの祖母を引き取ったとある。

 それまでは誰が面倒見ていたのかしらん。

 わからないけど、とにかく祖母は父親の親だろうと推測。

 主人公の母親の、「かあさんは朝より十歳は老けていた」ところを読んで不憫に思った。

「いつものように俺やおやじが脱ぎ散らかした服と各部屋から集めたゴミをそれぞれ別々のレジ袋に入れ、両脇に抱えて階段を降りた」とあり、家事と祖母の面倒を見ているのは母親なのだ。

 この家の男どもは、脱いだ服くらい自分で洗濯かごに入れるとか、家事や掃除を分担するとかして母親の負担を減らそうとはしないのかと呆れる。

 こんなことをしていたら、母親は倒れてしまう。


 立花は死に、ヒカルはペアダンスの相手を偽装してくれたものの、夏祭りはすっぽかされるし、弓尾は突き飛ばされる。母親はアルツハイマーの祖母の面倒をみて疲れている。

 本作に出てくる女性は、みんな不憫でならない。

 だからといって、谷崎が全部悪いとは言い切れない。

 祖母を引き取ることにしたのはおそらく両親で、休息を得られる場所である家がストレスを感じる場所になってしまった。それでも、苛立ちを抑えようという気持ちは持ち合わせている。

 そんな中での出来事は事故だっただろうけれども、やるせない。「早くこんな生活から解放されて一点の曇りもない青春を謳歌してみたい」と思うのは無理からぬことだったろう。


 青いドレスの女性を追いかけてしまうのはなぜなのか。

 元はマネキンなので、服を引き立たせるプロポーションをしていたのだろう。また露出も高く、見惚れたのだと考える。

 ひょっとすると、無意識に立花の面影をみたのかもしれない。

 そもそも自分のせいで死なせてしまった立花を、数日で忘れることなどできるはずもない。だからといって、死んだ人が目の前に現れることは現実にはありえない。

 歩く後ろをついていっているので、立花の歩き方に似ているはず。

 気づかないものかしらん。

 それはそれとして、ヒカルと仲良くなろうとしながら、他の女にうつつを抜かすのはいかがなものかしらん。

 軽い性格なのだろう。

 ヒカルはどうしてそんな谷崎に恋人のかわりを頼んだのだろう。

 顔なじみだったのかしらん。

 知り合いなら、女にだらしない男だと知っていてもよさそう。

 知らないということは、そこまで仲がいい関係でもなかったのだ。

 それなりに、見た目がかっこよかったのかもしれない。

 

 一年前、立花と谷崎が仲が良さそうにみえたと弓尾は話している。

 その時点で、二人は同じクラスではなかった。

 谷崎は部活にも入っていない。どういうつながりで、みんなと夏祭りに参加したのだろう。

「一年前、立花こずえは確かにクラスの仲間達と足立の花火を見に来ていた。何故知っているのかと言えば、俺もその場にいたから」とあり、弓尾も知っている。

 つまり、谷崎と同じクラスだった弓尾は、友達で別のクラスの立花を夏祭りに連れて来たのかもしれない。

「俺と立花は屋台や土手であいつらとすれ違う度に『リア充、爆ぜろ』というお決まりのフレーズを投げつけたものだ」から、昨年の夏祭りをキッカケに、立花は谷崎のことが好きになったのだと想像する。

 そう考えると、二人を会わせたのは弓尾になる。

 同じクラスになって喜んでいたのに、死んでしまって、弓尾としても友人を亡くしたことによる心の整理がまだついていないと思われる。冷静さを欠いているから、空気を読めないような行動を取ったりしてしまうのかもしれない。


 作中で奇跡は一度しか起こしてはいけない、と言われる。二度以上おこせば茶番劇に見えるから。

 その点を理解してか。立花の霊がマネキンに憑依して人間化するだけに留めている。住んでいる廃ビルが廃墟にみえなかたのは、彼女の能力だと考える。

 マネキンの体が左手首以外人間になったように、何らかの力が働いて補正されていたのだろう。

 そもそも、なぜ立花の霊取り憑いたのか。

 どうして避けられたのか理由が知りたくて、成仏できなかったからだろう。生前、しつこく谷崎を追いかけていた様子から、死んでも彼女の性格や思いが残ったからと考える。

 谷崎はドレスを見ていたのであって、マネキンを見ていたわけではないけれど、服に憑依しても動けないのでマネキンに憑依するのは自然だったのだろう。


「ナツコさんはやおら片足を蹴り上げて危ういフェッテをひとつだけ試みた」

 フェッテはバレエ用語である。

 意味は「鞭を打つ」片足のつま先で立ち、もう一方の足を鞭を打つように素早く蹴り出して行う回転をいう。

『白鳥の湖』で黒鳥の三十二回転グランフェッテなど、バレエをしている人にとって、憧れの技の一つともいえる。

 谷崎は、バレエをしたことがあるのかしらん。

 帰宅部の彼がバレエを習っていたり、過去習っていた様子も書かれていない。

 ナツコに憑依している立花も、バレエをしていたのかわからない。

 ここだけ表現が浮いている印象がある。

 バレエのまわる動きをするためにバレエ用語を用いても、意味を知らない読み手はわからない。感情移入して読んできたのに、どういう意味かなと思った時点で共感が外れてしまう。

 もう少し、平易な言葉で表現したほうが良かったのではと考える。

 それでもあえて使っているのなら、立花は生前、バレエを習っていたことがあり、二人がよく話をしていた頃に立花から聞いたことがある谷崎は知っていたのかもしれない。

 生前の立花がフェッテをみせてくれたことがあると邪推すると、彼の前で踊ってみせるのは自分が立花だと打ち明ける場面であり、倒れるとき受け止めてくれた谷崎の行為は、立花にとっては嬉しいものだったに違いない。

 また、好きな人がマネキンに憑依した立花の霊だとわかった後でも、踊り場へ落ちていこうとする彼女の手を掴むのは、今度こそは助けようとしたのかもしれない。

 まあ、遅いのだけれども。

 

 ナツコの「左手首に巻かれた白い包帯。やはりリストカットの後だろうか? だとしたら立花こずえと――いや――俺達と同世代のあの人に、死にたくなるほどの悩みがあるというのだろうか?」と考える場面がある。

「死にたくなるほどの悩みが」というのは、彼女が死んだことに対することを意味していると思うけれども、立花こずえにはリストカットの跡があったのかしらん。

 憑依したとき、手首だけがプラスチックのまま変わらなかったのは、生前の立花の手首にはリストカットの跡があったからではと考える。

 傷跡のかわりのつなぎ目。

 それがマネキンに憑依しながら、立花こずえである印だったのではないか。

 彼女の心のなかには、谷崎に自分だと気づいてほしい思いがあったから、完全に人間にならなかったと想像する。

 彼女に傷跡があるのを谷崎が知っているのなら、「……重かったんだよ」と彼女を避けた理由にも繋がるのでは。そういう子と恋人同士になるのは無理かな、自信がないと思ったのかもしれない。


 不謹慎だけれどもと前置きして弓尾が、「警備員さんがこずえを見つけた時って、こんなふうだったのかなぁ?」と顔を覗き込んできたとき、谷崎の心境を考えてみる。

 好きな人であるナツコが立花の霊だったと知り、しかも眼の前でマネキンへとなって落ちてバラバラになった。

 助けようとしたけど、助けることができなかった。

 死んだ人の霊が憑依していたこと、失恋と喪失、さらに以前突き飛ばして死なせたことの追体験となり、かなりのストレスがかかった状態だった。

 そこに疑うような目を向けてくる弓尾が現れ、ストレスを抑えきれなくなったのだろう。


 気になったのは電車やバス、夏祭りの会場などの様子。混雑していると思うけれども、様子がわかる描写があると、より感情移入できるのではと思った。読み手がすべて、都内に詳しいわけではないから。


 読後にタイトルを改めて読む。

 夏の終わり、残暑ならぬ残夏。あえてzangeと書かれてあることからも、懺悔とかけているのだろう。

 谷崎だって、殺したくて突き飛ばしたのではないだろう。ストレスから余裕がなく、神経逆なでされて、わずらわしいものを自分から遠ざけたい一心だったかもしれない。

 ストレスを抱えると、自分の心が押しつぶされるような状況となる。諦めれば自殺、拒めば他殺の選択肢。

 どちらを選ぶのか、に追い込まれたのだ。

 殺すまでいかなくとも、我慢する堪えるもそうだし、悪口いったり叩いたりするのもそう。

 内向きか外向きか、どちらに暴力を振るうかの違い。

 イライラしたりムカついたりすることは、誰もが覚えがある。そんなときは余裕をなくすし、いつもの自分と違う行動を取ってしまう。抱えたくなくとも、いろんなストレスを抱えながら生きている。

 疲れた人の心が目に見えたなら、癒やし合えるかもしれない。

 誰だって愛されて生まれてきたはずだから。

 とても残念で、いたたまれない。


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