ロングストーリー部門

作者・鴉乃雪人 大賞:『猫おじさん』の感想

猫おじさん

作者 鴉乃雪人

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882074803


 母親に捨てられた本が猫おじさんのおかけで戻って来た、中学二年の夏の思い出の話。


 中学二年の夏の出来事を振り返った、体験談のような作品。

 実体験を元にしたのかと思わせるほどの、情景が書かれている。

 ですます調の過去形の書き方が、さらに思い出話を語っている感じが出ていて、懐かしさを誘ってくる。


 主人公は花村苗。一人称、私で書かれた文体。中学二年生の夏を思い出しながら自分語りの実況中継で、過去形のですます調で綴られている。

 過去回想ではあるが、現在過去未来の順番で書かれている。

 主人公の体験談な体をしているため、描写は説明や感慨、解説的な一面もあるものの、情景や外見、心理描写を織り交ぜて書かれているため、感情移入できる。


 女性神話とメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 主人公の花村苗は、S市に暮らしていた。

 推理小説狂の父に裏切られて離婚した母親に育てられ、小学校の頃から数々の習い事――塾、ピアノ、お習字、茶道、英会話、スイミングスクールに通わされ、私立中学を受験。数少ない友人とも離れ離れとなり、隣のT市にある私立A学園に電車通学する。勉強に支障をきたすからと習い事はピアノと習字だけとなるも、家での勉強は欠かせない。余った時間をどう過ごそうかもてあまし、五年前から働いている家政婦の田辺さんに相談を持ちかける。読書を勧められ、自分に合わないと思ったら読むのをやめていいと言われて選んでくれた本はどれも興味を引き、物語に心を鷲掴みされる。

 中学一年の夏、通学途中にある京都祇園祭の八坂神社を総本社としている神社の前を通りかかると、手水舎の石畳にあぐらをかいて猫を撫でながら本を読んでいる髪の長い、くたびれたおじさんがいた。週に三、四日ほどのペースで現れ、いる日は朝早くから居座り、冬の冷え込む朝晩はあまり見かけなかったが、雪の日に猫と戯れていたこともあった。おじさんの周りにはいつも三、四匹以上の猫がいて、近隣の方々と笑顔で挨拶し、ときどき神主さんと談笑していたものの素性はわからず。田辺さんに話をすると、「猫と戯れる……猫おじさんですか。変わった人がいるんですねえ」といった。

 中学二年の夏、読書が共通の趣味で仲良くなった工藤さんは推理小説狂で、よく本を貸してくれた。友だちもでき、支所の先生とも仲良くなり、田辺さんと本の話もできる。母からは最近うるさいことも言われず楽しい日々を過ごしていた。多少勉強をおろそかになていたものの、後悔は感じていなかった。

 帰宅すると、工藤さんが貸してくれたアクロイド殺しをはじめ、ブラウン神父、乱れからくり、向日葵の咲かない夏、皇帝のかぎ煙草入れが机の上からなくなっていた。母は鞄の中にあった小テストの悪さを指摘し、「下らない小説ばかり読んで全然勉強に身が入っていないじゃないの。だからね、捨てたんです。雑多なものを取り除いて、集中できるように。少しは身に染みたでしょう」特に、あの推理小説。何なのですかあの数は。いもしない探偵が出鱈目な仕掛けを解くだけの、人殺しを楽しむ小説ですよあんなもの。高尚な芸術作品ならともかく、あんな低俗な娯楽に割くべき時間など、貴方にはありません」

 友達や図書館から借りた本もあったのにと話すと「本の一冊や二冊どうとでもなるでしょう。学校には私から直接説明しても良いのですよ。お友達にもね、教えてあげなさい──あんなものは時間の無駄だって」といわれてしまう。

 泣きながら家を飛び出し五百メートルのところで転び、夕立に見舞われる。とぼとぼ歩いて神社にたどり着くと、手水舎で猫おじさんがあぐらをかいて本を読んでいた。

 母親は小説を読んだことすらないのではと疑いながら、楽しむ概念を知らず、いつも「将来のため」といっては何もかもを押しつけてくる。母の描く将来とは、何もかもが合理化されたロボットと同じ、モノクロ人生だといえたらよかったのにと思っていると、本を読み終えた猫おじさんから「猫好き?」と聞かれる。嫌いじゃないけど犬の方が好きと答えると、「座っても?」大きな手提げかばんを持って隣に座り、黒猫がおじさんの腰に倒れ込むように横になる。

 母の言いなりで当たり前と思ってきたが、中学に入って自分の好きなことが見つかって居場所もできたと思ったら全否定され、反論したくてもできなくて根っからの飼い犬で、もっと遠くまで逃げるつもりだったのにこんなとこまでしか走れなかったと打ち明ける。

 自分が犬に似ているから好きだといったのかと聞かれ、「猫は自由だよ」といわれる。なれたらいいけどもう手遅れで、私の本は全て捨てられたことを話すと「僕もね、推理小説好きだよ。よく猫が出て来るから」紙袋から一冊の本『完全犯罪に猫は何匹必要か/東川篤哉』を差し出してきた。「ゴミ捨て場を通りかかった時、この本が目について全部拾ってきたんだ」

 捨てられた本が猫おじさんのおかげで帰ってきた。根本的にはなにも解決していないけれど、この日からどこか変わった。神社の手水舎というお清めの場だったことが関係しているかもしれない。単純に、猫が好きになる。

 母が推理小説を毛嫌いしていたのは、父が推理小説狂だったため、当てつけだったのかもしれない。

 田辺さんの仲介で、成績を落とさないことを条件に何とか読書の安寧は保障され、なんとか収まる。一段落ついたとき、田辺さんから『黒猫 / エドガー・アラン・ポー』『黒猫館の殺人 / 綾辻行人』をプレゼントされる。彼女に与えられたぐらいのものを人に与えられる人間になりたいと思った。

 工藤さんは某有名出版社の編集者になり、日々推理小説を世に送り出す幸せそうな生活を送っている。新刊が出ると必ずメールをよこす。文面からは、昔と変わらない興奮した表情が伺え、いつもふふっと笑ってしまう。

 猫おじさんは中二の秋にふと姿を消し、あの頃もいまもなにをしているのかわからないけれど、猫を戯れているだろうと思うのだった。

  

 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりは、シングルマザーの家庭の花村苗は幼い頃から数多くの習い事をしている。母は父であり、毎日家に来てくれる家政婦の田辺さんが母だった。

 ニ場の主人公の目的は、私立中学入学をきっかけに習い事の数が減り、自由な時間ができたもののどうしていいのかわからず田辺さんに相談すると読書を勧められ、物語に心を鷲掴みされる。

 三場の最初の課題では、中学一年の夏ごろ。通学途中の神社で、手水舎であぐらをかきながら猫と戯れつつ本を読むおじさんを見かける。週に三、四日、朝だけでなく下校時にも見かけるものの近所の人や神主と挨拶したり談笑したりしている。危ない人ではないと田辺さんに話すと、「猫おじさんですか。変わった人がいるんですねえ」という。

 四場の重い課題では、中学二年の夏、共通する趣味から中学ではじめてできた友達の工藤さんは推理小説狂で、よく本を貸してくれる。友達も図書室という居場所もでき、支所の先生とも仲良くなり、田辺さんとも本の話ができる。母はうるさく言わなくなり、帰宅したら貸してくれたアクロイド殺しを読もうと思う帰り道。神社の手水舎には猫おじさんが、今日もあぐらをかいて猫を膝に乗せて本を読んでいる。実に良い日だった。

 五場の状況の再整備、転換点では、机の上に数々の本がなくなっており、母親が捨てたという。推理小説なんて低俗な娯楽にうつつを抜かしているから成績が悪くなった、あんなものは時間の無駄だと言われてしまい、泣きながら家を飛び出す。五百メートル走って転び、突然の夕立をしのごうと神社に向かうと、いつもの手水舎に猫おじさんが座っていた。

 六場の最大の課題では、水盤を挟み、互いに背を向けて座る沈黙の時間。母に思っていることをいえたら良かったと思っていると、猫おじさんから猫が好きか聞かれ、好きだけど犬のほうが好きと答える。隣に座ってもいかと聞かれ頷くと、一メートルほど間を空けて座り、その間に手提げかばんを置く。黒猫がおじさんの腰に倒れ込むように横になる。雨は嫌いだと思った。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、猫おじさんに母の言いなりにできたけど、好きなことや居場所が見つかったのに全否定され、言い返せず、遠くに逃げるつもりだったのにこんなとこまでしか走れなかったと打ち明ける。自分いにているから犬が好きなのか聞かれつつ、飼い猫なら自由だよと言われる。なれたら良いけどもう手遅れで、本は全部捨てられたというと、猫がよく出てくるから推理小説は好きだよと手提げかばんから『完全犯罪に猫は何匹必要か/東川篤哉』を取り出し、「ゴミ捨て場を通りかかった時、この本が目について全部拾ってきたんだ」と笑顔を見せる。

 八場のエピローグでは、猫おじさんのお陰で本が戻るも、根本は解決したわけではなかった。が、この日から自分はどこか変わったし、猫が好きになった。母が推理小説を毛嫌いしていたのは、父が推理小説狂だったため当てつけだったのかもしれないと推測。田辺さんの仲介により、成績を落とさないことを条件に読書が許され、一段落ついてから『黒猫 / エドガー・アラン・ポー』『黒猫館の殺人 / 綾辻行人』の小説に冊をプレゼントされる。

 某有名出版社の編集者となった工藤さんとはいまでも連絡を取り合い、新刊の紹介メールを見ると、昔と変わらない興奮した表情が浮かんでくる。猫おじさんは、中二の秋以降、姿を消してしまった。今も昔も何をしているのかわからず、自由と猫と幸せと戯れているのだろうと思うのだった。


 小説はすでに起こったことを書くため、過去形を用いられる事が多い。過去回想、起こった出来事や体験談、思い出話などを書くのに適している。

 本作は中学ニ年の夏に起こった出来事を、大人になった主人公が思い出して書き綴った体をなしているため、作文のようにどこか説明的で淡々と物事が進んでいくように思えるかもしれない。

 また、ですます調で書かれているため、思い出しながら語って聞かせてくれている感覚にさえおぼえる作りになっている。

 事実、世界がひっくり返るようなものすごい展開が起きるわけではない。けれども 猫おじさんの大きな謎と主人公に起こるさまざまな出来事の小さな謎が絡まりあって、最後は一つの問題を解決に導く展開となっている。

 何気ない日常を描いた作品のほうが、特異な出来事を扱った作品よりも難しいといわれる。

 本作は日常を描きつつ、自分の好きなことを夢中になったばかりに成績を落として親に叱られるという、誰もが一度は経験したことがありそうな題材を取り上げながら、猫おじさんというちょっとした謎を解いていくところに面白さがある。

 猫おじさんの謎が解かれなくとも、主人公の変わった思い出話としても楽しめるところに、本作の良さがあるだろう。

 そもそも、猫好きなら興味が引かれる。


 冒頭の、「いつからだったでしょうか」といった、ぼやかした書き出しが読者の興味をそそっている。

 なにが、という疑問に対し、中学に入ったばかりは見えなかったと続き、なにが見えなかったのだろうと考えさせて、夏頃から彼はそこにいたとなっても、彼とは誰で、そことはどこなのかの謎は残されたまま本編がはじまっていく。

 期待と予感に満ちたファーストシーンは、上手い。

 それらに答えることなく主人公の生い立ちが語られ、どういう生活をしていて読書に巡り合う流れを経て、忘れたころに彼である猫おじさんのことがようやく語られていく。

 先へ先へと読者を誘っていく書き方は自然で、しかも読みやすいところがなお良い。


 物語の構造上、猫おじさんは主人公の父親だったと邪推する。

 推理小説狂だったことはおまけみたいなもので、猫みたいな性格から、気まぐれだけど陰ながら娘を見守っていたのだろう。だからゴミ捨て場に捨てられた本を持っていたのだ。

 父がどういう人間だったか、小学校の早い時期に主人公は知ったのだろう。「親戚中に尋ねて回る私の事を不憫に思って、中原のおじさんが教えてくれたのです。なるほど父はあまり褒められた人間ではないようでした。中原のおじさんは優しい表現で、所々ぼかしながら話しましたが、母が私を父から遠ざけようとするのは理解できました。簡潔に言えば、父は母を裏切ったのです」

 中原のおじさんとは何者なのかしらん。

 親戚の中の誰かなのだろう。

 一人くらいは、不憫に思って教えてくれる親戚はいるものである。

 ところどころぼかしながら話したのは、子供だったからだと想像する。浮気や不倫という言葉は使いづらいし、あるいは母親の金を持って逃げたとか、何かしらの約束を破ったとか、いろいろあったのかもしれない。

 それでも「なるほど父はあまり褒められた人間ではないようでした」と納得しているのだから、子供の主人公にもわかるような説明をしたに違いない。

 裏切られたとあるけど、どう裏切ったのかが書かれていない。

「気にしてはいけませんよ、あんな人」と母にいわしめ、愛情を子供に注ぐことを考えると、許せないほどの裏切りをしたのだと思える。だから、「子供心になんだか可哀そうに思えてくる」し、いろんなことを我慢してしまう。


 母が父で、家政婦の田辺さんが母代わりだったことが書かれている。塾、ピアノ、お習字、茶道、英会話、スイミングスクールといくつも習い事をさせ、家政婦を雇うシングルマザー。うわえて私立中学に通うこととなる。よほどの財力、立派な家に住んでいるのだろう。

「私はいわゆる『お嬢様育ち』でした」というのは、文字どおりお嬢様だったのだろう。

 父の裏切りは、仕事上の金銭の絡んだ裏切りだったのかといろいろ想像できる。

 

 田辺さんは実によくできた人なのがわかる。

「田辺さんは会話というものを熟知していたからです。不機嫌な相手を如何にして快くさせるか。喜んでいる時、疲れている時、あるいはやることがない時に、人はどんな言葉をかけてほしいのか。そういった会話対話の術に長けていました」

 見習いたい。具体的にはどういう言葉掛けをしていたのか、詳しく教えてもらいたいものである。

「自由な時間とは、何をするべき時間なのですか?」の質問に、「苗さんはやりたいこと、ないんですか?」と聞き返している。

 質問に質問を返すなという人もいるけれども、自分の中にある疑問に対して上手く言語化できていない場合は、聞かれた側は相手の言語化を助ける言葉を返してあげる必要がある。

 読書を提案したのはなぜなのか。

 ピアノを習っていたのだから、好きな曲を弾くのも良かったはず。

 避けたのは、習い事はやらされてきた感が強いからだろう。

 なにか新しく、絵を描いたり運動したりするにしても、それなりの努力が必要になる。主人公の性格から、頑張ってしまうところがあったのかもしれない。

 比較的手軽にはいめられて、技術も要さないものといったら、読書が無難だったのだと考える。それに田辺さんはいろいろな作品を選んでいるところからも、彼女も読書が好きだったと思われる。


 推理小説狂の父もあって、母は小説全般が嫌いだと考える。

 本を読む読まないはその人の自由であるが、本には他人の考えや意見が盛り込まれている。

 他人の考えや思いを知ることができる本を読まないというのはつまり、他人に興味や関心を抱かず、相手の意見に耳を貸さないことをも意味している。

 その点からも田辺さんは読書家だろうし、母親とぶつかりそうになるのも想像できる。


 本作の良いところは、具体的な場面を描いている点である。

 なにをしていのかわからない主人公は、「しかたなく部屋の中をぐるぐる歩き回ったり、いっそこの時間も勉強をと教科書を手に取ってみたり」と、自由な時間を持て余す様子が描かれている。

 また、田辺さんと母がぶつかりそうになったときの、「それらは通り雨のよう過ぎ去っていき、あとは晴れ晴れとした空のように、わだかまりは一切消えてしまうのでした」という表現がされている。

 トラブルやいざこざ、傷を負う場面を具体的に書きすぎると、読み手は苦痛に感じてしまう。

 楽しい場面は楽しく、辛い場面はそれなりの表現をする加減がうまくできている。もちろん、主人公の現在が大人であり、当時を思い出しての回想なので、なんでも一律に表現してしまうという稚拙なことはしないのだろう。

 また、過去を振り返る主人公は、物語い心を鷲掴みされ、母日本を捨てられるも猫おじさんが拾ってくれて取り戻せたあとも、読書を続けてきたことが本作の文章表現からも読み取れる。

 きっと色々な本を読んできたから、感情移入できる本作のような過去回想ができたのだ。


 通学電車内の様子が端的ながらよく描けている。

 また学園前駅で下りた後の道の様子も、五感を意識した表現が素晴らしい。視覚で道の両側に植えられた木々を、嗅覚でその香りを、聴覚で風にはが揺れる音といった感覚を説明し、自分の気持ちを直接ではなく比喩で「いつも心の奥の花瓶が綺麗な水で満たされていくような気分になった」と表現する辺りも、読み手に想像をかきたてさせる。


 気になったのは、家のあるS市から最寄り駅から電車に乗り、学園前駅で下車し、学校にむかって歩いていく通学の様子を描きながら、猫おじさんの話をするところ。

 猫おじさんが石畳の上で猫と戯れて本を読んでいる神社があるのは、家から最寄り駅に向かう途中であり、S市にある点。

「私の家と最寄り駅とを結ぶ道に」と書かれてあっても、話の流れから学園前駅から私立A学園の間に神社があるのかと、若干読み間違える人がいるかも知れない。

 朝見かけた猫おじさんは下校時にもいるのだから、はじめて気づいたのは帰宅途中にし、翌朝もみかけるとしても良いのではと考えてみた。

 

 猫おじさんは和装をしているある。

『サザエさん』に登場する磯野波平が家でくつろいでいるときに着ているような、着流しを着ていたのかもしれない。

 雪の降った冬は、どんな格好をしていたのか気になる。


 推理小説狂の工藤さんの名前は、名探偵コナンの工藤新一からきているのかしらん、と邪推する。

「相手の好みや長さを考慮に入れ、これなら気に入るだろうという一冊を貸してくれました。いうなれば小説ソムリエです」とある。

 とても興味深い子だ。

 ただ、同級生なのだからテストが重なっているのは工藤さんも同じはず。たとえクラスが違っていても。

 そんなタイミングで本を貸すのは配慮に欠けている。本を選ぶ小説ソムリエの資質はあっても、渡すタイミングまでは不足していたのだろう。中学生だし、仕方ない。


 机の上にあった本だけでなく、本棚やベッドの下、引き出しの中の本もなくなっていたことがわかる。

 母親が、読書のせいで成績を落としたことを指摘するのもわかる気がする。気持ちはわかるけど、のめり込みすぎ。ベッドの下なんて、男子中学生ですかというツッコミは置いておく。

 捨てたい気持ちはわかるけれども、図書室で借りた本まで捨てるのはどうなのかしらん。他とは違い、貸出書籍としての印が施されているはず。

 いささか乱暴である。

 こういう、融通の効かないところが母の性格なのだろう。

 

「最近お母さまが私のやる事に口出ししてこなかったのは、この時を待ち構えていたからです」というところは、実に賢い。

 注意するにしても、小さなミスを咎めたところで影響力はさほどしれている。やり口が、脱税を取りしまる東京国税局と同じ。社会的影響力を考えて、脱税額が億に達するまで放置してから踏み込むように。


 一心不乱に五百メートル走るのはすごい。

 転ぶまでずっと走り続けたのだろう。

 革靴で。

 なかなかできない。

 せいぜい数十メートル走って、とぼとぼと当てもなく歩き続けるくらいだろう。それほど主人公は悲しかったのだ。


 犬と猫の対比がいい。

「少々大げさなようですがそれまでの私は母の飼い犬に等しい子供だったのです。ロボット、あるいは奴隷などと言う表現もあるやもしれませんが、兎に角私のやることなすこと全て母によって決められていました。散歩に連れられなくなった私は、好きな所を歩き回れるようにはなったのですが、飼い主に連れていかれた場所以外、何も知らなかったのです」と、自身を表現しており、猫おじさんに「犬の方が好き、って言ったね」「それは、自分に似ているからかい」と指摘されたときは、意識したことはないけれどもと前置きして、「自分の分身をめでる事で、自分を憐れんでいたのかもしれません」と思い至るところが上手い具合だと思った。


 おそらく猫おじさんと主人公は対になっているので、「自分の分身をめでる事で、自分を憐れ」むためにすり寄ってくる猫と戯れているのだろう。

 飼い猫に自由があっとしても、犬には犬の、猫には猫の苦労があるはず。

 事実、傘を持っていない猫おじさんは、手水舎から動けない。自由だからといって空は飛べないし病気も老いも死からも免れない。

 少なくとも、母親に縛られる不自由さはない、という程度の自由かしらん。


 本を捨てられたと話す少女に「あ」と短く言葉を漏らし、「君、推理小説好き?」ときいてゴミ捨て場を通りかかったときに見つけて全部拾った本を見せるところがある。

 はたして偶然拾ったのか。

 あるいは意図して拾ったのか。

 表面的に読めば、猫おじさんが偶然拾ってくれたおかげで、取り戻せたのだろう。しかも今回のことを契機に、主人公は少し買われたとある。きっと、飼い犬から飼い猫のように生きるきっかけを得たのだろう。

 裏を読めば、猫おじさんは主人公の父親で、娘を気にして陰ながら見守ってきたから、母親が捨てた本を拾えたのだろう。

 S市の中学に行くと思ったら隣のT市の私立中学に通うとわかって、最寄り駅にたどり着く途中の神社から、娘の登下校を見守っていたのではと思える。

 ただ、気まぐれな猫の性格だから、秋にはもういなくなる。

 それとも、娘が飼い犬みたいな性格を変えられたことを見届け、満足したからなのか。

 穿った見方をすると、猫おじさんがいたのは、京都祇園祭の八坂神社を総本社とする神社の一つ。

 全国に約三千の八坂神社がある。

 ご祭神は、あらゆる災厄を表す八岐大蛇を退治した素戔嗚尊と櫛稲田姫命の夫婦神。素戔嗚尊の子どもたちである御子神等。 厄除、縁結び、商売繁昌などご利益が多彩。

 家族との縁を結ぼうとしたかったのかもしれない。

 あるいは偶然訪れたのか。

 すると、娘がS市の中学校に通うのを見かけるようになり、母親が本を捨てるのを見つけ、あいかわらず推理小説が嫌いなのかと思って読んでいたのかもしれない。

 猫おじさんにとっても、神社のご利益があったとみていいのではと想像したくなる。


『完全犯罪に猫は何匹必要か/東川篤哉』の本は、主人公が自分で選んだ本だったのかもしれない。猫が登場する本を選ぶようになったのは、猫おじさんの影響かしらん。

 田辺さんがのちに、黒猫に関する推理小説を二冊選んでプレゼントするのも、猫おじさんとの話をしたからに違いない。


 工藤さんが某有名出版社の編集者になったところがすごい。好きこそものの上手なれとはよくいったものである。  


 読後、タイトルを読みながら読者も主人公と同じ視点に立っているところが、うまくできていると感服する。

 中学生のとき、猫おじさんという変わった人がいたことで、犬みたいな生き方から猫みたいな自由さを手にできたと振り返ったときに湧き上がる懐かしさとほろ苦さを、読者も追体験できるところに本作品の良さがある。


 ところで、母があれほど推理小説を毛嫌いしていた理由を主人公が知るのはどういった経緯だったのか。

 母親が直々に語ったのか。主人公が大人になって話したかもしれない。

 あるいは、主人公が推理作家になったのではと邪推する。

 娘も父親みたいになってしまったと愚痴られ、父が推理小説狂だったことを耳にしたのかもしれない。

 作者の近況ノートには、猫おじさんのモデルがいると書かれてある。それを読むと父親ではなく、偶然ゴミ捨て場で本を拾って取り戻せたと読むのが自然なのかもしれない。

 

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