作者・吉野なみ 浅原ナオト特別賞:『声を紡ぐ』

声を紡ぐ

作者 吉野なみ

https://kakuyomu.jp/works/16817330668862733240


 高校一年生の鳴海蒼は、透明人間になりたいと願う少年。公園の小屋で本を読みながら現実逃避していたが、水瀬彗との出会いを通じて言葉の大切さを学ぶ。吃音に悩む彼は水瀬の励ましで小説を書く決意をし、自己表現を通じて成長。先輩との絆を深めて、自分の気持ちを言葉で伝える勇気を持って想いを告白する。気持ちを素直に表現できるようになり、新たな友人たちと共に文芸部で活動を始めていく話。

 

 現代ドラマ。

 恋愛要素あり。

 青春と成長をテーマにした心温まる物語。

 コミュニケーションの難しさと、自己表現の重要性を丁寧に描かれていて、蒼と水瀬先輩の関係の変化が印象的。物語の構造やキャラクター、心理描写が優れている。


 主人公は高校一年生の鳴海蒼。一人称、僕で書かれた文体。途中、部誌に書かれている『私の罪 水瀬彗』は、高校二年生水瀬彗の一人称、私で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。

 恋愛ものなので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。


 それぞれの人物の想いを知りながら結ばれないことにもどかしさを感じることで共感するタイプと、メロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。

 高校一年生の鳴海蒼は、透明人間になりたいと願っていた。夕方、沈む気配のない太陽が照りつける帰り道で、彼は雑貨屋のショーウィンドウに映る半透明な自分を見つめ、消えてしまいたいと願う。嫌な記憶が頭を支配し、心臓の音が響く中で、彼は「息ができる場所」へ向かう。その場所は、近隣住民が利用するスーパーの裏にある公園。人影の少ないその公園には木造の小屋があり、彼はそこに足を運ぶ。小屋の中には本棚があり、児童書がぎっしり詰まっている。彼は本を読みながら現実を忘れようとする。

 ある日、彼が小屋で本を読んでいると、同い年くらいの美しい少女が入ってくる。彼女は何も言わずに座り、自分の文庫本を読み始める。彼女との会話はなく、静かな空間で本を読むことが心地よい時間となる。

 しかし、彼は突然彼女に話しかけてしまう。「暑くないんですか?」と。緊張で汗が噴き出し、後悔するが、彼女は普通に頷き、本に戻る。その後、彼女はノートに「本、好きなんですか?」と書き、彼にスマホを差し出す。

 彼はそのweb小説を読み始め、その内容に感動する。特にキャラクターのセリフに心を打たれ、「夕夏先輩の最後のセリフは泣けました」と伝える。少女もその反応に微笑み、自信を持って部誌に作品を出せることになる。

 彼女が去った後、鳴海蒼は自分の気持ちや言葉の大切さについて思いを馳せる。言葉があることで傷つくこともあれば、本や音楽によって救われることもあるという事実に気づく。彼女との出会いが、彼の心に新たな光をもたらすのであった。

 鳴海蒼は、言葉が滑らかに出てこない発話障害を持ち、特に「連発」と呼ばれる症状が多く現れる。彼は周囲の人々からの反応に敏感であり、先輩の水瀬には特別な印象を持つ。先輩は彼の吃音について何も言わず、普通に接してくれるため不思議に思う。

 ある日、帰宅すると大学生の兄が久々に帰ってきており、彼は吃音について真剣に尋ねる。兄の言葉に戸惑いながらも、鳴海蒼は自分の症状を改善したいという気持ちを抱く。兄は活発で人気者であり、鳴海蒼は彼との比較から劣等感を感じることもある。

 夕食時、母親は鳴海蒼に対してあまり口出しせず、兄との会話が続く中で鳴海蒼は透明人間になりたいと願う。心の中には不安や孤独感が渦巻いており、その中で水瀬先輩の笑顔が思い浮かぶ。彼女が文芸部に所属していることを思い出し、兄にそのことを尋ねるが、兄は知らないと言う。

 次の日、先輩がいつもの場所にいた。ノートパソコンに向かう先輩に声をかけると、彼女は顔を上げた。先輩は新人賞に応募するための小説を書いているという。鳴海蒼はその話を聞いて驚き、先輩の才能を称賛した。

 先輩は鳴海蒼にも小説を書くことを勧めた。思わず大きな声を出してしまったが、彼女が鳴海蒼の名前を覚えていたことに感激する。小説を書くことに自信がない鳴海蒼は、先輩の言葉に励まされる。彼女は自分の苦しみを文章にすることで他人を救うことができると教えてくれた。

 帰宅後、先輩が勧めてくれた小説投稿サイトで書き始めることにした。先輩のアカウントには多くのフォロワーがいて、作品もいくつかあった。彼女の短編小説を読み終えた後、そのメッセージ性に感銘を受け、自分も何かを書こうと決意する。

 その後、先輩との会話を思い出し、自分の吃音について打ち明ける。先輩も心因性失声症という病気を抱えていることを告白し、お互いの苦しみを理解し合う。彼女は言葉で伝えられなくても、小説なら気持ちを表現できると言って励ましてくれた。この経験から、鳴海蒼は自分自身の物語を書き始める決意を固めた。

 鳴海蒼は朝、冷たい水で顔を洗い、目を覚ます。しかし学校に行く気が起きず、特に今日は特別な日であるため、仮病を使って休むことを考える。しかし、兄がいるため、その選択肢も難しい。古典の授業で出席番号19番として指名されると、緊張から声が詰まり、周囲の笑い声にさらされる。彼は吃音に悩まされており、そのことで自己嫌悪に陥る。

 授業後、トイレに駆け込み、冷や汗をかきながら自分の状況を嘆く。クラスメートたちの嘲笑が耳に残り、彼は自分の存在が無意味だと感じる。帰りのHRが終わった後も教室から出られず、部活に参加することを諦めていた。

 帰り道、鳴海蒼は女子生徒の後ろ姿を見かけ、それが先輩と重なって見える。だが、その瞬間に誰かとぶつかり、その相手から嘲笑される。鳴海蒼は全力で逃げ出し、自分の存在が他者にどう思われているかを考えながら走る。踏切の前で思わず死ぬことを考えるが、それでも鳴海蒼は生き続けることを選び、自分の感情を小説として文字にすることを決意する。

 鳴海蒼は、先輩に心配されるほど突然の不在が続いたが、その理由は忙しさにあった。先輩は彼の新作小説を読み、感動した様子で、鳴海蒼の心情の変化を称賛する。鳴海蒼は、自身の経験を元にした物語を通じて、自分の気持ちを昇華させていることを語り、書くことが心を軽くする手段であると感じている。

 先輩は、鳴海蒼の小説に登場する遊びのシーンが不鮮明だと指摘し、それが彼の願望に基づいていることを理解する。そこで先輩は、「再現してみる?」と提案し、一緒に遊びに行くことになった。夏休みの始まりであることから、二人は商店街へ向かい、ラムネを買うため自転車で出発する。

 道中、二人乗りはできない交通法規を守りながらも、自転車を漕ぎ続ける。商店街に到着すると、駄菓子屋でラムネを購入し、先輩は「瓶に入っているからこそ美味しい」と話す。その後、駅へ向かい、電車で海へ行く準備を進める。

 電車内では、西日が差し込み、風景が変わっていく様子を楽しむ。無人の駅で降りた二人は、潮の香りを感じながら細い道を歩き続ける。夕方の暑さの中、波音が聞こえ視界が開けると、美しい海の景色が広がっていた。沈む夕日と金色に輝く波頭に感動し、「綺麗だ」と自然と呟く鳴海蒼。

 鳴海蒼が海を見つめていると、先輩が靴と靴下を脱ぎ、裸足で走り出す。先輩は振り返り、弾けるような笑顔で手招きし、海の透明な水をすくって鳴海蒼にかける。水しぶきが真珠のように輝き、鳴海蒼は驚きつつも心地よさを感じる。

 先輩は「私も」と言い、彼女の声が突然響く。彼女が声を出せたことに驚き、感謝の言葉を伝えると、先輩は「君に救われてる」と微笑む。二人の間に青春の瞬間が生まれ、先輩は海の美しさについて語り始める。

 その後、高校では夏休み中の補習があり、鳴海蒼は先輩に読んでもらうために修正した小説を持って学校へ向かう。しかし、廊下で同級生たちから古典の教科書を渡され、動画撮影されそうになる。鳴海蒼は恐怖を感じつつも、自分の経験を小説に活かすことを思い出し、大声で反論する。

 その瞬間、先輩と目が合い、彼女が同じ学校であることを知っていたかどうかを問いただす。先輩はそれを隠していた理由を「君が傷つくと思ったから」と告げる。鳴海蒼はショックを受け、自分が同情されていたことに気づき、先輩との関係に疑問を抱く。

 帰宅後、兄に対して怒りをぶつけるが、兄は自分の感情や悩みについて理解してほしいと訴える。兄との対立が深まり、鳴海蒼は再び家を飛び出す。

 鳴海蒼が夏休みを終えた後、先輩に会うこともなく、兄とも最低限の会話しか交わさない状況から始まる。ある日、兄から先輩の話を聞き、会いに行こうとするも、なかなか足が動かない。鳴海蒼は小説投稿サイトのアカウントを消そうと考えるが、多くのコメントを見て退会ボタンを押せずにいる。

 文化祭の初日、鳴海蒼は兄から文芸部の部誌を読んでほしいと言われ、重い足取りで学校へ向かう。学校は賑やかな雰囲気に包まれ、自分のクラスが準備したお化け屋敷に驚く。友達も部活にも属していない鳴海蒼は、文芸部を覗くことに決める。

 北校舎の部室には先輩はいなかったが、女子生徒からお金を渡し、向日葵色の表紙の冊子を手に取る。冷房の効いた図書室でその冊子を開くと、先輩が書いた『私の罪 水瀬彗』というタイトルが目に飛び込む。内容は先輩自身の苦悩を描いたものであり、鳴海蒼はページをめくる手が止まらなくなる。

 水瀬先輩は小学生時代、友達の髪型について正直に言ったことで孤立し、自分が空気を読めないことを自覚する。その後、中学時代には自己肯定感が低い親友と出会うが、その友人が薬物自殺未遂を図ったことで深いトラウマを抱えるようになる。高校生になっても声が出ない状況が続き、日記を書くことで心の安らぎを求める。文芸部に入り、部長との交流を通じて自分の過去や悩みを共有し合う。特に部長は弟との関係に悩んでおり、その弟を救うために小説を書くことを提案される。偶然出会った弟との交流から、先輩は彼との関係性や自分自身の成長について考え始める。

 彼との楽しい時間が増える中で、自身が彼を救おうとしていたつもりだったが、実際には彼から救われていたことに気づく。しかし、ある言葉によって彼に傷を与えてしまい、その後悔が心に残る。

 音を立てて本を閉じた鳴海蒼は、先輩からの感謝の言葉に心が温まる一方、深い後悔に苛まれていた。自分のために行動してくれていた先輩と兄の思いを知らず、無視していたことを悔いている。中学時代、兄から文芸部への勧誘を受けたが、比較されることを恐れ、断り続けていた。

 先輩が書いてくれた物語が自分のためだったと気づき、謝罪する決意を固める。屋上で行われている未成年の主張に参加し、緊張しながらも自分の思いを伝え始める。「言葉が嫌いだった」と告白しつつ、先輩に救われたことを語る。彼女の言葉が自分を支え、言葉の楽しさを教えてくれたと感謝する。

 自分の気持ちを伝えた後、「水瀬、彗先輩。先輩のことが好きです」告白すると歓声が上がり、先輩も「私も、好きだよ」と返事。感動と喜びに包まれ、鳴海蒼は涙を流す。

 その後、部室で先輩に受賞のお祝いをし、自分も頑張る決意を示す。兄が顔を出すことも伝え、文芸部に入部することになった。新たな仲間として佐々木君も加わり、彼も小説を書き始める。鳴海蒼は自分の周りには優しい人々が多くいることに気づく。窓ガラスに映った姿は、以前の暗い表情ではなくなっていた。


 一幕一場の状況の説明、はじまり

 高校一年生の鳴海蒼が「透明人間になりたい」と願う。彼は帰り道に雑貨屋のショーウィンドウに映る自分の半透明な姿を見つめ、消えてしまいたいという強い思いを抱え、「息ができる場所」へと向かう。

 二場の目的の説明

 鳴海蒼は近隣住民が利用するスーパーの裏にある公園に足を運び、木造の小屋に入る。小屋には児童書が詰まった本棚があり、彼は本を読みながら現実を忘れようとする。

 二幕三場の最初の課題

 ある日、小屋で本を読んでいると、美しい少女が入ってくる。彼女との会話がない中で、静かな時間を過ごすことが心地よいと感じる。しかし、鳴海蒼は突然「暑くないんですか?」と話しかけてしまい、緊張から汗をかく。

 四場の重い課題

 少女との会話をきっかけに、彼女がノートに「本、好きなんですか?」と書き、スマホでweb小説を紹介してくれる。鳴海蒼はその内容に感動し、自分の気持ちや言葉の大切さについて考えるようになる。

 五場の状況の再整備、転換点

 彼女との出会いを通じて、鳴海蒼は言葉が持つ力や、自分自身の感情を表現する重要性に気づく。また、自身が持つ発話障害についても向き合う決意を固める。

 六場の最大の課題

 鳴海蒼は兄との関係や、自身の吃音について悩む。兄から真剣に尋ねられたことで、自分の症状を改善したいという気持ちが強くなる。

 三幕七場の最後の課題、ドンデン返し

 文化祭の日、鳴海蒼は先輩との関係について疑問を抱く瞬間が訪れる。同級生たちから嘲笑される中で、自分自身を守るために声を上げる決意をする。

 八場の結末、エピローグ

 鳴海蒼は先輩に対して自分の気持ちを告白、「好きです」と伝える。先輩も同じ気持ちだと返事。自分自身や周囲との関係性を見つめ直し、新たな仲間たちと共に成長していく。窓ガラスに映った自分の姿には以前とは違う明るさが宿っていた。


 声の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 インパクトある書き出しがいい。

 遠景で「透明人間になりたかった」と示し、近景で「夕方なのに沈む気配のない太陽が照り付ける帰り道」いつなのかを説明。心情で「雑貨屋のショーウィンドウに映った半透明の自分を横目で見る。いっそそのまま消えてくれと願いながら」と語る。

 自分の存在を消したい主人公。

 なにか嫌なことがあったのかもしれない。

 気になると、「嫌な記憶は、閉じ込めようとすればするほどじわじわと頭の中を支配していく」思ったとおり、なにかあったのだ。かわいそうだなと思い、共感していく。

 遠景で嫌な記憶、近景でその時の自分の体験と周囲の様子などを説明し、心情で「酸素がうまく取り込めなくなって、咳き込んだ。肩で息をしながら顔を上げると、紺がなじみだした緋色の空が視界に映った。」と追体験する。

 辛いことを思い出して、体の変化をうまく描いていく。情景描写で空の色をみせ、不穏で不快な、悩みに渦を巻いていくような、陰りのある様を感じさせてくる。

 気持ちを情景をつかって描くのは上手い。


 スーパーの裏手に鮮やかな緑の芝生が生い茂る公園があり、木造の小屋があって、中には児童書があるという。

 管理されている感じがあるので、スーパーの敷地内にあるのかしらん。親が買い物をしているあいだ、子供が遊べるスペースなのか。それにしては他の遊具がない。しかも駐車場を抜けてとあるので、市営か町が管理している公園なのかしらん。

 

 入っていた少女も「何も言わずに僕の斜め前の椅子に座り、鞄から文庫本を取り出して読み始めた。僕も軽く頭を下げて本に目を戻す」とある。二人は高校生なので身体は大きいだろう。小屋といっても、広いのかもしれない。


「彼女がここを訪れて今日で一週間。その間僕は一度も彼女と会話をしていない」

 そういうこともあるよねと思いつつも、小屋の広さを考える。四人がけのテーブル一つだけなら、距離は近い。


 主人公にとって小屋は、外界から隔離された安全なセルターのようなものだろう。児童書を読むのは、置いてあるからだろうけれども、どちらかといえば子供向けの書籍という印象がある。子供のときの、自由で楽しかった気持ちに浸ることで、傷ついた心を癒やし、もう一度やる気を取り戻そうとする行為に思える。

 小屋に来ている様子からは、透明人間になりたいと思いつつも、心はまだ前を向いているのを感じさせている。


 声をかけて、web小説を読むように、筆談で進められてのやり取りが実に流れるようで読みやすい。

 会話がどもっている。主人公の吃音を表現しているのだけれども、初見ではそれはわからない。少女にはじめて、やっと声を掛けるのだから、緊張をしているのだろうと読み手は思うかもしれない。

 対して少女は筆談をしている。しかも丁寧な言葉づかい。

 おかげで主人公だけが緊張したり、戸惑ったり、作品に感動したりする様子が素直に伝わってくる。

『言葉がなければ、傷ついたり、死にたくなったりすることはなかったかもしれない。でもね、それと同じくらい、私たちは言葉に救われてると思うの』

 この部分が、やはりいい。

 彼女の言葉を読んで、主人公は、「そう、確かに言葉があるせいで、嫌な思いをたくさんした。でも同じくらい本や音楽の歌詞に救われてきたのも事実だ」と思い出す。相手の言葉を聞いて、反応して、自身の中にある記憶に思い至り、納得するさまはゾクゾクする。

 作者は彼女で、互いに自己紹介もする。

 実に自然なやりとり。

「窓から差し込む西日で、先輩の顔が緋色に染まる。眩しそうに目を細めながら先輩は本やスマホを鞄の中にしまい、最後に『さようなら』とノートをめくって、行ってしまった」

 くどくなく、情景描写で「先輩の顔が緋色に染まる。眩しそうに目を細めながら」が、頬を染めて微笑んでいるようにも思える。ここの書き方が上手い。


 二話は、主人公の吃音の説明からはじまる。

「だが、明らかに他とは違う僕の喋り方を聞いても、先輩は何も聞かなかったし、表情一つ変えなかった。普通、僕と話した人は、からかってくるか、同情の目を向けるか、関わりたくなさそうな顔をするかの三択なのに」

 のちにわかることだけれども、主人公の兄から、それとなく話を聞いていたので、主人公が吃音だと知っていたこと、主人公に会うために小屋に来ていること、彼女自身も障害を持っていること、これらの理由があって三択に該当しなかったのだ。

 仮に主人公のことを知らず、偶然であったとしても、彼女なら同じように筆談で接するだろう。


 兄の人物描写があってもいいかもしれない。

「兄は僕とは違って、活発で、勉強も運動もできる人気者だった。完璧に見える彼の唯一の欠点が、僕。人気者はやっかみも受けやすいのだろう。兄が僕のことでからかわれているのを何度も目にしたことがある。そのことについて兄は何も言わなかったが、吃音を治すようにと顔を合わすたびに言われるようになった。それでこうしてたびたび練習しているが、効果はあまり感じられない」

 兄は兄だし弟は弟でいいのだけれども、兄弟だとなぜ比較されるのだろう。

 からかわれるのはつらいから、もあるだろうけれども、兄としてはなんとかしてあげたいと思っての声掛けかもしれない。

 どんなことでも、同じことを言われ続けられたら、つらいものがある。言葉を投げてぶつけているのと同じなのだ。

 練習しろと言うよりも、一緒に練習しようと寄り添う姿勢が大切なのでは、と思ってしまう。


「兄のようになりたいなんて言わない。だから、せめて普通に喋れるようになりたかった。そしたら、誰にも迷惑をかけなくて済むのに」

 怒られたくないから、叱られたくないから勉強をする、のと同じ。誰かに言われて仕方なくすることと、自分から進んでたのしんでするのとでは雲泥の差があるように。主人公がなかなか良くならないのは、こうした考え方も影響していると思われる。


「夕飯だと呼ぶ母の声で目が覚めた。いつのまにか、眠っていたらしい。机の上には、味噌汁とご飯、焼き魚、菜の花の和え物がおかれている。僕は黙って席に着き、いただきます、と手を合わせて食べ始めた」

 省略がすごかった。文字面だけで読むと、主人公の部屋の机に食事が運ばれていたのかと錯覚してしまった。

 読んでいくと、主人公がキッチンの席についたのだろうと思えてくる。「机の上」より「テーブルの上」としたらいいのではと考える。


「母は『蒼の好きにさせたらいいじゃない』と台所から答えた。母も父も、基本的に僕にあまり口出ししない。多分、出来損ないの僕よりも気にするべきことがたくさんあるからだと思う」

 母親の性格や蒼との関係をより詳しく描写してもいいのではと考える。

「それより緋色。大学生活はどう?」

 緋色が兄の名前らしい。

 一度しか出てこないが、作中で夕日などに「緋色」を用いているので混同しやすい名前だと思う。別の名前にするか、削るかしても良かったのではと余計なことを考える。「それより、大学生活はどう?」でも会話は成立するから。


「そういえば、先輩は文芸部だって言ってたっけ。元文芸部の兄が何か知ってるかもしれないと思い、聞いてみることにした」

 兄は、知らないと答え、学校がちがうんだと思う主人公。

 主人公は公園の小屋を訪れるときは、学校帰りだと思われる。また彼女もそうだろう。女子の制服が同じ高校のものだとわかるはず。モヤモヤする。

 水瀬先輩についての人物描写をしていなかったのは、このためかもしれないけれども、この先も彼女との関わり合いが増えていくので、スッキリしない。

 似た制服の高校もあるのかな、くらいに留めるとか、周辺の高校は同じ様な制服を着ているから区別しにくい、みたいなところがわかればモヤモヤしないと思う。大昔なら男子は学ラン、女子はセーラー服で区別しにくかった。けど、いまは高校はブレザーが多いけど、セーラー服のところもあるし、学年ごとにリボンの色や形がちがったり、選べるところもある。選択肢が多いからわかりにくい、ということもあるかもしれない。

 その辺りが気になった。


 カクヨム甲子園を読んでいると、目の色を「黒曜石」と表現する作品を多々みかける。書籍になっている作品も、ファンタジーものでなら、よく見かける。この表現が、はたして作品にあっているのかどうかを考えてみる。

 主人公は本が好きでよく読んでいるので、こうした表現をするのは違和感はないかもしれない。ただ、黒曜石といわれて、どれだけの読者が思い浮かべることができるのかが気になる。鉱石マニアでもない限り、普段の生活で黒曜石をお目にかかることはないと思う。

 表現が紋切り型になっていないか、考えて使うのがいいかもしれない。

 

「ぼ、ぼ、僕が、先輩の小説に、す、救われたみたいに、ぼ、僕も、だ、誰かの、ここ、心を、か、軽くすることはできますか?」

『もちろん。人を救える小説は、同じ痛みを知ってる人にしか書けないよ』

 このやり取りはとても素敵。

 なるほどと思わせてくれる。

 

「全て四千字くらいの短編だったので一時間程度で全部読み終わると、僕はいったんスマホの電源を落とした。真っ暗になった画面に映る自分と目が合う」

 ちょうど、カクヨム甲子園のショートストーリー部門の文量くらい。イメージしやすい。


 自分の症状を伝え合うところは、『蒼君が話したいと思うなら、聞く。でも、話したくないなら、無理に聞いたりはしない』としながら、『蒼君には聞いてほしい』『私は心因性失声症っていう病気のせいで話せない。これは、名前の通りストレスとか心的外傷とかで声が出せなくなる病気。私は』と、先輩から伝える。

 このとき、『私は』で止まる。

 そのあと、どんな言葉を続けようとしたのか。

 やめたのは、話したくないことだったのだろう。

 まだなにか、彼女には隠されていることをほのめかしている。

 寸止め的な書き方は実にいい。興味をそそられる。

 でも、先輩の人物像が少なく感じる。同じ学校ではないのかなと思った後、容姿の見てもいいのではとおもうのだけれども、ノートパソコンを開いていたので、制服を確認できなかったのかしらん。


 学校に行きたくない朝の感じが、動きを持って示しているところが良い。 

「何故なら今日は『あの日』だから」で、あの日ってなに? と混乱した。

 日にちと出席番号で当てられることを気にしていたことが、すぐにわかる。

 当てられて、どもりながら読む。

 そのときの周囲の様子「みんなは目配せし合って「まただよ」と馬鹿にするようなにやついた顔」を視覚で他人の行動を描き、主人公がどう感じたのか思考を体感で説明、最後に心情、「消え去ってしまいたい」と感想。

 こう描くことで、主人公が感じた嫌な思いを読者も追体験できる。嫌な気持ちで、授業を過ごしたことが非常によく伝わる書き方がされていて、そのあと耳にする、

「さっきの時間の鳴海、やばくなかった?」

「いやあれはひどい。『ら、ら、ら、羅生門』どう? 似てね?」

 読者も辛さを感じてしまう。

 さらに、帰り際に絡んでくる男女の場面も追い打ちをかけてくる。こういう場面を手を抜かず、「制服を着崩した数人の男女がにやにやと嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。確か、真ん中にいるのはうちのクラスの所謂一軍の中心にいる男子だ」「一人の女子が顔を覗き込んできた。化粧と香水の匂いに顔が強張る。」と相手を意識した描き方をしているので、より伝わってくる。

 このどき制服をみているので、先輩の容姿も描いていたほうがいいのではと思う。

 はじめ描かれていなかったのは、先輩に興味がなかった現れだろう。でも、話が進んでいくと興味を持っていくので、描かれていてもと、余計なことを思ってしまう。


「目の前で踏切の遮断機がしまる。ふと、このままつっきってしまおうかという考えが頭をよぎった。今僕が死んだら、あいつらは反省するだろうか。いや、しないだろうな。僕の存在なんて一週間もすれば忘れて、何もなかったみたいに笑ってるんだろう」

 冷静に考えることができているので、まだ大丈夫。本当に辛いと考えるまでもなく行動しているから。


「『小説なら、登場人物たちが声を貸してくれる』先輩の言葉を思い出した」主人公が自ら殻を破って決意をするきっかけになっている。先輩の言葉、自分の意志で前に進む。良い展開。


「三日後。僕が小屋に入るなり先輩は大学ノートを見せた」

 三日間、執筆していたのだ。

 しかも小説投稿サイトに、自作を公開している。これまでのミステリー要素な部分から受け身的だった主人公が、反転攻勢を経て、積極的に行動していく。今度は、ドラマを動かしていくその先駆けとしては、明るくて希望を感じる。

『これ、すごいね。主人公の心情の変化がリアルで感動した。主人公って、もしかして自分をモデルにしてる?』

 誰でも、一つは必ず作品が書ける。

 それは自分を題材にすること。自分が体験したことは、間違いなく現実だから、必然的にリアリティーがでてくる。

「書いてると、じじ自分の気持が昇華されたみたいになって、う、う、上手く言えないけど、こ、ここ、心が軽くなりました」

 これはそのとおり、

 自分の中にあるモヤモヤとした形にならないものを、目に見える形にすることで自覚するとともに、外に出す。背負っていたものが軽くなる感じがする。

 小説に限らず、日記でもよかっただろう。

 日記と小説の違いは、他人に見せられることを前提にしているかどうか。小説を書くことで、自分を他人に表現、外向きに意識させる。人と関わっていくための手段として、小説を書くのだ。

 その辺りを理解して、先輩は進めたのだろう。


「せ、せ、先輩は、どこの、高校ですか?」

 主人公は、決して内気で内向的ではないと思える。

 授業も、どもりながらも答えるし、絡まれたときも、名前を言おうとしている。むしろ積極的に行動しているように思える。

 これらは先輩に出会った変化、なのかもしれない。


「先輩の動きが止まる。顔がこわばったのがわかった。聞かれたくないことだったかもしれないと焦る。質問を取り消そうとすると、『市内の高校』と先輩は視線を落としたまま打ちこんだ」 

 このとき、先輩はどんな服装をしていたのだろう。

 私服ならどこの高校かわからないけれども、同じ高校なら、制服からわかると思う。

 

 二人がいる小屋はスーパーの裏の公園だったと思う。

「ラムネを買うために商店街にある駄菓子屋へ向かう。ちょうど今日は、僕も先輩も自転車で来ていたので、乗っていくことにした」「ここから商店街までは、自転車でニ十分くらいだ」

 なぜ遠くの商店街までいくのだろう。

 ラムネはスーパーでも売っているのに。

『まずは作中で葵たちが飲んでるラムネを買いに行こうか』から考えると、主人公の書いた作品では、駄菓子屋でラムネを買って飲む場面があったのだろう。

 

『ラムネってさ、多分ペットボトルとかに入ってたら特別美味しいとは思わないんだけど瓶に入ってるだけですごく美味しく感じるよね』

 これは納得できる。

 ラムネに限らず、飲み物の容器、吸い口部分の形状や材質なので味わいが変化するから。


 二人で電車に乗り、海へ行く。情景がいい。

「マンションやショッピングモールが少しずつ少なくなり」マンションはともかく、ショッピングモールはそんなにたくさんはないだろう。せめて「大きな建物が少なくなり」といったところかしらん。


 六話の展開がいい。

 海ではしゃいで、先輩が声を発する。

 意表を突かれて主人公同様、予想外に、読者も一緒になって驚きと興奮を覚える。

 いい尽くしがたいきれいな景色を眺めつつの語らいは言葉も弾み、互いが覚えた共感は、読者にとっても共感となる。一緒になって追体験できる。いい場面である。


「僕の高校は、夏休みが始まっても三日間の補習がある」

 学校主催の夏期講習かしらん。


 絡んでくる生徒たちに対して、先輩の言葉が浮かぶ。

『今までの経験全部を武器にすればいい。辛かったことも悲しかったことも全部、小説に使ってやるって』

 実際に、こういう場面が描かれていたら良かったなと思った。でも本作は、ロングストーリーとはいえ文字数から考えても短編なので、たくさんエピソードを盛り込めないので仕方ない。

 自分の気持ちをはっきり言えるところは、強くなったなと感じられる。

 

「見開いた黒曜石みたいな瞳と、目が合った。夜を溶かしたみたいな長い髪。透けるような白い肌」

 先輩と気づく場面で、特徴的な容姿が、黒曜石みたいな瞳と、白い肌しか描かれてきていない。長い黒髪なのは、ここで初めてわかる。


 先輩を見かけてからのやりとりがモヤッとする。

 先輩に絡まれているところをみられて、恥ずかしさもあって逃げるのはわかる。同じ学校だと知っていたのかと思ったのは、「市内の高校」といったことから、隠している感じを出していたからかもしれない。それだけ、主人公にとって先輩が大切になっていた現れだろう。

 でも先輩が「違う、君が傷つくと思って」ということで、以前から自分のことを知っていたのか、とはじめて思えるはず。

 だから最初の「……し、し、知ってたんですか? お、おお、同じ学校、だったって」はモヤッとする。ここで主人公がいえるのは「同じ学校だったんですね」ではないだろうか。

 先輩との会話を通じて明らかになっていくことで。緊張感が高待っていくだろうし、対話をさらに深めて、それぞれの背景や思考を掘り下げて厚みを持たせてもいいのではとアレコレ考えてしまう。



 長い文は十行近く続くところもある。句読点を用いた一文は、長過ぎることはない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶってくるところもある。短い文章を多用することで、テンポよく進行し、緊張感や感情の変化をリアルに表現する。これにより、蒼の心情に共感しやい。

 ときに口語的。登場人物の性格のわかる会話文。 蒼の吃音を「ぼ、ぼ、ぼくね」といった形で表現することで、彼の不器用さや緊張感が強調され、リアリティが増す。蒼と他キャラクターとの会話は「」で表現され、先輩の言葉は『』で示される。この形式によって、会話と内面描写が巧みに交錯し、キャラクターの個性が際立っている。

 一人称視点により、主人公の内面に深く入り込み、感情や葛藤を詳細に描写されており、主人公と共に物語を体験しやすくなる。

 情景描写を交えながら内面的な独白を行うことで、物語に深みが増し、読者は視覚的なイメージを持ちながら蒼の心情に寄り添うことができる。

 蒼の思春期特有の葛藤や緊張感が丁寧に描かれ、彼の成長過程がリアルに伝わる。これにより蒼との感情的なつながりを感じやすくなる。

 感情や状況を五感を通じて描写することで、リアリティーが増し、内面的葛藤をより深く感じ取ることができる。また、自然描写や比喩を用いることで、蒼の心情や状況を象徴的に表現し、より豊かな内面的な世界を構築する。人物描写は少ない。

 主人公蒼の内面が丁寧に描かれ、その苦悩や成長過程がリアルに伝わってくるところがいい。

 吃音という障害を持つ蒼の日常が自然に描かれ、障害を持つ二人の出会いと交流を通じて互いを理解していく過程が丁寧に描写されている。言葉をテーマにした重層的な構造と、小説の中の小説という入れ子構造が効果的に用いられている。

 小説を書くことを自己表現の手段としていく点が印象的で、自己表現への葛藤や他者との関係性について深い考察がなされているのは興味深い。

 家族関係の複雑さや先輩との関係性の変化が魅力的。物語全体に青春の瑞々しさと切なさが流れ、一瞬一瞬が大切に扱われている。

 蒼が自分の弱点を受け入れ、他者とのコミュニケーションを通じて成長していく姿が印象的。これらの要素が織り交ぜられて、共感を呼んでいるところが、本作の良いところ

 五感の描写について。

 視覚は、夕日に染まる空、彗の透き通った瞳、年季の入った木造の古家、見慣れない靴、黒曜石のような澄んだ瞳、長い黒髪が先輩の表情を隠す、教室内で周囲から向けられる視線や同級生たちの表情、青空に浮かぶ入道雲や金色に輝く波頭など、美しい自然描写、先輩の弾ける笑顔や風になびくスカート、文芸部誌の表紙や教室内のお化け屋敷の道具など、具体的なビジュアル描写、屋上の景色や部室の雰囲気が詳細に描写され、臨場感がある。

 聴覚は、本をめくる音、蝉の声、耳なじみのある声、小さな声でただいま、授業中の声やトイレ外から聞こえる笑い声、蝉時雨や波音など夏特有の音が強調、風鈴のような声や海の波音、学校全体の賑やかな雰囲気や友達との会話がない静寂、他の生徒たちのざわめきや声がリアルに感じられる。

 触覚は、汗が首筋を伝う感覚、じっとりと嫌な汗をかいている、キーボードに触れた手が微かに震えている、冷たい水で顔を洗った時の感触や心臓が高鳴る様子、汗が首筋を伝う感覚や風に触れる心地よさ、冷たい水しぶきや肌への心地よい冷たさ、汗が背中を伝う感覚や、本棚の間に置かれた椅子への座り心地、汗が頬や背中を流れる感触が緊張感を強調している。

 嗅覚は、化粧や香水の匂いによる不快感、ラムネの爽やかな味わいと、それに伴う夏の香り、海辺特有の潮風、図書室特有の本や紙の匂いなど。

 味覚は、緊張による口内の乾きや吐き気、潮の匂いや夏の日差しによる独特な香り、青春の甘酸っぱさなど。


 蒼にはいくつかの弱みがある。

 吃音症を抱えており、人前でスムーズに話すことができないため、コミュニケーションに困難を感じている。そのため、言葉に対する苦手意識や、他人とのコミュニケーションに対する恐怖心が強く、自己表現が難しいと感じている。結果、他人からの視線や評価を気にしすぎており、自分を表現することへの恐れを抱いてしまう。

 そのことが自信の欠如となり、自己肯定感が低く、自分自身を受け入れることができなくて自信が持てない。自分と他人を比較して劣等感を抱きやすく、過去の経験から自己評価が低くなる傾向がある。

 自分の感情や思いを上手く表現できず、自己表現に対して消極的なのだ。心理的な弱みとして、人と話す際には緊張しやすい性格なため、会話を始めるのにも勇気が求められる。

 人間関係では、特に兄との関係に葛藤を抱えており、これが彼の日常生活にも影響を与えている。過去の嫌な経験から孤独感を強く感じており、それが人間関係にも悪影響を及ぼし、自分自身だけに目を向けてしまう傾向が弱みとして、現在の行動や思考にも影響している。


 兄に先輩のことを尋ねる流れは良かった。

 それにしても、兄はバイトをしないのかしらん。

 主人公の内面的葛藤が多めな気がする。外部からの影響についても描写することで、さらに緊張感がでてくるのではと考える。


「あれから、一度も先輩に会わないまま夏休みが終わった。兄とも、必要最低限の会話しかしていない」

 そうなんだと思って読んでいくと、夏休み中旬に兄から「水瀬、また声が出なくなったって」と教えられる。

 兄は彼女と連絡を取り合っているのかしらん。

 どこから聞いたのだろう。


「時は流れ、文化祭の初日。朝起きると、勉強机の上に書き置きがあった。この達筆は、兄の字だ」

 文化祭はいつ行われたのだろう。夏休み明けだろうか。十月? 十一月? 主人公の机に買い置きをするということは、兄は家にいたことになる。兄は大学を通うために家を出ていたので、夏休みが終わる前に書き置きして、それから家を出ていったと想像すると、九月に文化祭が行われたと想像する。


『私の罪 水瀬彗』は彼女の独白といっていい。小説ではない。「彼と会ったのは全くの偶然だった」とあるので、小屋で出会ったことが偶然なのだろう。

 顔も知らなかったけれど、兄から話を聞いていたので、もしやとは思っただろう。

「部長に彼と会ったことを話し、私が同じ学校にいることは秘密にすることになった。私がずっと彼のことを知っていたとわかったら、多分彼は心を開いてくれないと思ったからだ」

 隠していたのは、彼女の意志だとわかる。兄はそれに同調したのだろう。連絡を取り合っているらしい。SNSで文芸部内でのやり取りできる場があるのかもしれないし、アドレス交換しているのかもしれない。


「彼と一緒に遊びに行ったとき、楽しいってこういう気持ちだったと思い出した。自分には縁が無いと思っていた青春の二文字が頭に浮かんだ」

 二人して、青春を楽しんでいなかったのがわかる。

 彼女にしても、楽しい時間だったのが伝わってくる。

 

「知らなかった。いや、知ろうとしなかった。二人が全部、僕のためを思って行動してくれていたなんて」

 それは無理だろう。そう思っていると「そういえば、中学の時、兄に何度も高校で文芸部に入らないかと声をかけられたのを思い出した」聞いてたんだと思い、読者はそれは知らないなと思った。


「未成年の主張」は面白いし、展開もいいのだけれども、唐突過ぎる。周りとの交流や多用な視点があると、物語を広げられる。文化祭で、部活に入っていないからと一人で行動しているので、未成年の主張の誘いの声をきいて屋上にいくけれども、色々な催しを行っていることがわかるよう描かれてると、もう少し良くなる気がする。文化祭以外の出来事の関連を強めるといいのかもしれない。

 

 ラストは、先輩が小説の受賞をしたときの出来事が描かれている。文芸部にも入部して友だちもできて、いい感じでまとまっている。蒼の成長過程について、もう少し具体的なエピソードや背景が描かれていると、より実感できるようになる気がする。サブキャラクターとの関係性も掘り下げ、物語全体に深みを持たせることができる。それをやれるだけの、残りの字数がないから、ラストは端折ったような、走った感じになってしまったのだろう。

 それでも、「窓ガラスに映る、半透明の自分と目が合った。そこにはもう、暗い顔をした少年はいなかった」という最後の部分は、変化と成長を感じられて良かった。


 読後。

 話すことが困難な境遇にある二人が、小説を通して、互いに思いや気持ちを声に出して伝えることができる展開は良かった。

 多くの人々が青春時代に抱える悩みや希望がリアルに描かれていたし、蒼の苦悩や成長に共感しながら楽しく読むことができた。

 先輩が書いたものや、屋上での未成年の主張、告白の場面は心温まるものがある。つながりや理解について考えさせられる内容で、全体として非常に満足度の高い作品だった。

 人を救うことに重きが置かれていて、小説や創作物、法律や公共にあるものも含めて、人の心を救うために形作られて存在している。その根本である言葉が、傷つきもすれど人を救っているのだと語る先輩のセリフが胸に残る。いい作品だった。


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