作者・千代田 晴夢 カルビー賞:『全力で楽しめ‼』の感想

全力で楽しめ!!

作者 千代田 晴夢

https://kakuyomu.jp/works/16816700425983327874


 新型コロナウイルス蔓延により青春が奪われた高校三年生明里の葛藤と気付きを経て、後輩たちに「全力で楽しめ‼」と伝えて卒業する話。


 文章の書き方については目をつむる。

 掛け声のようなタイトルがつけられている。

 コロナ禍で自粛制限のあった高校生だからこそ書ける、時代を切り取ったような作品。多くの高校生たちの思いを代弁するような叫びが、本作には込められている。

 足し算ではなく、引き算の描写をしていると感じた。だからシンプルでありながら、主人公の心情が伝わるのだろう。


 主人公は、高校三年生の明里。一人称、私で書かれた文体。問わず語りで朗読劇のような語り口。青年の主張のようであり、いまを生きる者だからこその魂の叫びを感じる。

 本作は泣ける話として、「喪失→絶望→救済」の流れで書かれている。


 男性神話と女性神話、絡め取り話法とメロドラマと同じ中心起動に沿って書かれている。

 高校生活をバスケットボールの部活に打ち込んできた明里はキャプテンに選ばれ、全国大会出場を目指して必死に練習して三年生を迎えた春、新型コロナウイルスにより春季大会は中止。青春は終わってしまう。

 部活のことは忘れて勉強に打ち込み、学年上位に登る。このまま行けば地元で一番の大学に合格できるだろうと担任にいわれるも、うれしくなかった。

 バスケ部後輩からグループチャットで、引き継ぎ式の連絡メッセージが送られてくる。参加するも、「私は、正直みんなが羨ましい。……どうしてこんなことになっちゃったんだろう」「毎日悔しい気持ちでいっぱいで、今も、悔しくて、悔しくて……」と自分の気持ちを吐露し、周囲の軽蔑した顔をみて部室を飛び出す。

 その後自暴自棄となり、狂ったように勉強に明け暮れる。後輩たちの「たまには部活見に来てくださいね!」声に、勉強で忙しいからと断る。制約付きで部活がはじまっていたが、逃げるように帰宅していた。

 二学期。家から歩いて十分のところにある海辺でぼんやりしていると、幼馴染の大樹に声をかけられる。野球部の彼に悔しくなかったかたずねると、「悔しくなかった、と言えば嘘になるな。俺たち、甲子園に行くために今まで練習してきたわけだし。集大成を試合でぶつける機会がなくなっちまって、この情熱をどこにやればいいんだって」と答えながら笑う。

 どうして笑えるのか問いかけながら、「私なんて、ずるずる引きずって、後輩に酷いこと言って、もうどうすればいいか分かんない。今だってもう」と弱音を吐く。

 やっぱり悩み事か、小学校から変わらないなと笑い、「くっそおおおおおお‼ コロナ――! 絶っっ対許さないからな‼ 俺はお前になんて負けないぞ――!」と叫び、海の向こうに八つ当たりする彼。明里も真似して「コロナの、ばかああああああ‼ 私も、負けないからなああああ‼」叫ぶ。

 後輩も三年生と一緒に試合に望む試合を奪われたことを口にする彼は、「三年生がいきなりいなくなっちまったせいで、不安だらけのまま部活が再開したんだ。いきなり親元からぽんっと放り出されたみたいに。その気持ちは、部活からいなくなった俺らには分からないだろ」「お前が後輩に何を言ったのかは知らん。だが、それは決して、してはいけないことだったことは確かだ」「だから、お前はもう一度部活のやつらと向き合え。そして負けるな。自分にも、コロナにも」と言葉をかけ、諭される。

 礼を言ってから、グループチャットを使って引き継ぎ式のやり直しを部員全員に伝える。部室に集った部員たち全員を前に、「みんなも悔しくて、辛かったよね。それが分かってるからこそ、こんな私に声をかけ続けてくれた。なのに、私は一度もきちんと返さなかった。……ごめんなさい。そして、ありがとう。今更だけど、許さなくていいけど、この言葉をどうか、受け入れてほしい」と気持ちを伝える。後輩たちは聞き入れ、あの日渡せなかった小さなアルバムを手渡される。そこには一緒に汗を流したみんなと共に過ごした部活の様子が写し出されていた。

 卒業式。部室に忍び込んでは後輩たちにメッセージを黒板に残す。

 今を、かけがえのない一日を、『全力で楽しめ‼』と。


 三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場のはじまりでは、バスケ部キャプテンとなった明里は高校三年生の春、「高校バスケットボール 春季大会中止」の知らせを聞く。

 二場の主人公の目的は、コロナでの休校が明けるとみんなは受験勉強に入り、明里も部活を忘れて勉強に打ち込む。

 二幕三場の最初の課題では、後輩から引き継ぎ式に招かれ、後輩を前にみんなが羨ましい、毎日悔しい気持ちでいっぱいだと口にしてしまう。同級生から軽蔑の目を向けらているのに気づき、部屋を飛び出す。悔しいのにみんなはどうして笑っていられるのかと涙し、眠る。

 四場の重い課題では、自暴自棄になりながら勉強する日々。成約付きで部活は少しずつはじまり、後輩たちにはたまには見に来てくださいと言われるも勉強で忙しいと断る。

 五場の状況の再整備、転換点では、二学期が始まり、模試の成績が伸び悩んで何もかもうまくいかなくなる明里。近所の海辺でぼんやりしていると、幼稚園からの幼馴染である大樹と出逢う。大会中止で悔しくなかったか尋ねる。自分は引きずって後輩にも酷いことを言ってしまい、どうしていいかわからないと吐露する。小学生の頃から変わらないと言われ、大樹だってと言い返す。

 六場の重い課題では、二人してコロナの馬鹿、絶対許さないぞと海に向うにいる奴らに八つ当たりする。辛いのは、三年生と一緒に試合できなかった後輩も同じだと言われ、三年生がいなくなって後輩は不安だらけの中部活が再開された、何を言ったかわからないけれどしてはいけないことだったから、部活のみんなともう一度向き合えと諭される。ありがとうと礼を伝えると、お礼はジュースでいいぞと返事。『引き継ぎ式、やり直させてください。お願いします。明後日の十七時に部室で待ってます』とグループチャットに入力する。了解のスタンプが並ぶ中、『なんで今さら』と同級生のメッセージには『お願い』とだけ送って電源を切る。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、当日に部活のみんなが集まる中、あの日のことを謝る。みんな目安くて辛かったからこそ声をかけてくれたのに、きちんと返さずごめんあさい、そしてありがとう、今更だけど受け入れてほしいと頭を下げた。沈黙を破ったのは同級生だった。自分だけいいたいこと言って逃げてムカついたけど気持ちも痛いほどわかったと、キャプテンである自分を受け入れてくれた。後輩から小さなアルバムを渡されると、涙腺が崩壊した。みんなとのたくさんの思い出があったことに気づき、ちっぽけなコロナに負けないと気持ちを強く持つ。

 八場のエピローグでは、卒業式のあと、部室に忍び込んでは黒板

に『全力で楽しめ‼』と、 後輩たちに向けて絶対に忘れてほしくない言葉を書き残す。


 本作は新型コロナウイルスと、バスケ部キャプテンとなった主人公の明里に起こる様々なことが絡み合い、最後乗り越えていくという作りになっている。

 コロナが起きてまさか大会が中止になるとは、コロナ許さん、みたいな語り口調なのが特徴でもある。

 外見描写はほとんどなく、情景や心理描写に重きをおいている。

 くどくなく、五分くらいで作品が読み終わる軽い表現で書かれていて、読みやすい。


 冒頭では、どんな主人公で、どういった目標を持ち、何が起き、それに対してどう思ったかが端的に書かれている。映画のパンフレットに書かれるようなモノローグを彷彿させられる。

 みんなを全国大会へ連れて行き喜びを分かち合いたかったのに、コロナで大会が中止になることが仄めかされている。

 そのあとで、母親が持ってきた新聞で『高校バスケットボール 春季大会中止』を知らされて確定する展開は、主人公の気持ちを読み手も追体験でき、上手い書き方だ。

 読み手はコロナ禍を過ごしてきたので、中止となる結果はわかっているけれども、改めて当時を思い起こさせる書き方で知らされると、主人公の気持ちと重なってくる。


「ずーん。低い音が耳の奥で鳴り響く」の独特な表現が、主人公の心境が上手く現れている。

 ショックを受けたときには実際、そんな音は聞こえない。明里自身が「ずーん」と言ったのかもしれないし、唸り声がもれたのかもしれない。

 声がもれなくとも、気持ちは沈んでいく。

「私の青春、終わった」に、どれだけの思いと時間と熱意をかけてきたのかが伺える。いままでの頑張りが無に帰したのだ。

 

 地域によって異なるものの、春季大会は五月、ないし六月ごろと思われる。二〇二一年は開催されているので、本作は二〇二〇年を舞台にしていると思われる。


「コロナでの休校が明けて学校が始まると、みんなもう受験モード」

 三年生はそうだろう。 

 一年生は入学したばかりで、部活をやろうと思っていた子たちはショックだっただろう。部活をやってきて進級した二年生がとくに、困ったであろう。三年生はいきなりいなくなるので、この先部活をどうしていったらいいのかわからなくなっただろう。


 主人公が部活を忘れて勉強に励んでいく。

 結果、「成績はぐんぐん上がって、学年で上の方の順位になった」とある。

 もともと勉強ができる子だったのかもしれない。

 勉強するには体力がいる。バズ毛部に所属してきたため体力が有り余っているからこそ、勉学に励めたのだろう。

 やりきれなさを受験勉強に転化できた。受験生としては嬉しいことだけれども。功罪相半ばするとはこのことかしらん。


 引き継ぎ式の誘いを受けたとき、少し考えてから『了解』と返事をしている。なにを考えたのだろう。

 順番が回ってきたとき、「私の番だ。何も考えてなかった。どうしよう」とあるので、キャプテンとして何を話そうかではなく、参加するか否かを考えただけと推測する。


 引き継ぎ式のとき、自分の悔しさ悲しさを出してしまったのは、部活メンバーと離れて一人で勉強してきたからだと考える。

 辛さや悔しさを抱えながら、仕方ないと言い聞かせて孤独に勉強を励んで成績がよくなっても「全然嬉しくなかった。心にはぽっかり穴が空いたまま」満たされない日々を過ごしてきた。

 そんなとき、引き継ぎ椎のメッセージが届く。

 ちょうど吐き出せる仲間、場所が当たられたから、バスケ部キャプテンとしてではなく、一人の女子高生の明里として思いを語ってしまったのだろう。

 一度口に出した言葉は引っ込まないので、「違う、こんなこと言いたかったんじゃない」と気づきながらも口走り、後輩たちの涙目と同級生たちの「怒ったような、軽蔑したような顔」でキャプテンとしての自覚が蘇ってきたのだろう。

 まずいと思って、部室を飛び出して行ったのでは邪推する。


 コロナ禍で自粛制限による中止に直面したとき、立場や役割とは関係なく、誰もが辛く悲しく、やるせなくなった。

 弱音をいいたいのはみんな同じ。

 ただ、主人公はバスケ部キャプテンなので、後輩に伝えるべき言葉を述べなくてはならなかった。この点が、主人公の辛いところでもある。


 主人公の凄いところは自暴自棄になっても、勉強に専念している点だ。嫌になると勉強も何もかも手につかず、途方に暮れてしまうのに。

 これまで運動部で心も体も鍛え、打ち込んできた主人公だからこそ、目標を試合から受験にシフトして打ち込んでいく切り替えができていたのだろう。

 これが、体力のない文化部だと内向的になってしまうのではないかしらん。


 後輩たちが「たまには部活見に来てくださいね!」と、声をかけてくれている。彼女たちが主人公を見捨てずにいてくれているから、後半の引き継ぎ式のやり直しができるのだ。


 後半、成績が伸び悩んでくる。

 行き詰まってきたのだ。

 コロナで大会が中止し、熱中してきた部活も引退、引き継ぎ式ではミスを犯し、勉強もはかどらない。八方塞がりとなってしまった。

 

「家から十分くらい歩いたところに、海がある。私は砂浜の上に座り、ボーッと波を眺めていた。小学生のときはよく、つらい時と考え事するときはここに来てたな」

 説明して感想をそえる書き方をしている。

 主人公の気持ちがより、読み手に伝わってくる。


 浜辺の描写がないのだけれども、おそらく学校帰りなので、午後、夕方だと推測される。


 幼馴染の登場が実にいい。

 後半に出すのなら、前半に軽く登場させておいてもよかったのではと考えるところ、「大樹とは幼稚園からの幼なじみだ。高校が別になってからはお互い部活で忙しく、ほとんど会う機会がなかった」と説明され、「なのに、まさかこんなところで会う羽目になるとは」と感想を漏らしていることで、どれだけ会っていなかったかが想像できる。

 コロナ禍でもあったので、下手すると半年以上も直接会って話してこなかったかもしれない。

 それならば、前半部分に彼が登場できなくとも納得できる。

 ちょっとした説明のお陰で、違和感なく読めるのはすばらしい。

 

 ここで、ようやく主人公は弱音を吐くことができた。

 持つべきものは、親友か幼馴染かである。

 大樹も運動部だったのが良かった。思考が主人公と似てるから、彼の言葉も彼女の言葉も、互いに聞けるのだろう。


 二人が叫ぶのは夕日だと邪推すると、海の向こう、方角は西かしらん。大陸のほうに八つ当たりしているのだ。

 新型コロナウイルス、正式名称COVIE19は中国武漢より広まったとする考え方が広まっている。

 また、二〇〇二年に起きたSARSウイルスも然り。

 ここ二、三十年で急速に経済発展し、食糧事情や栄養状態が良くなりすぎて肥満と過食が増えた中国で発症した。

 免疫力が低下してあらゆる病気にかかりやすくしてしまうのは、過食と体の冷えが原因という。

 低栄養のほうが感染症に対しては抵抗力が強く、高栄養では弱くなる傾向がある。野生動物は病気や怪我を負ったとき、三日間の絶食と発熱によって自然治癒し、それから栄養を取っていくことを本能として身につけている(必ず病気が完治するわけではないだろうけれども)。

 中国の成人肥満率は二〇〇二年の七・一パーセントから二〇二〇年は一六・四パーセント、と、過去二十年足らずのうちに二倍以上に増えた。肥満も含めた過体重の成人は五〇・七パーセントを占めている。人口十四億人の中国において、中国成人の半数強、五億人以上が「太りすぎ」だ。

 ちなみに世界人口七十八億人のうち、二十億人が肥満か過体重といわれている。日本の肥満率は成人男性が三十三パーセント、成人女性が二十二・三パーセントである。


 大樹は実にいいことを言う。

 後輩を労いつつ、主人公に対しても「自分にも、コロナにも」負けるなと解いた。

 マラソンや駅伝をはじめとする記録や試合に励む人たちが本当に競っているのは、他選手や相手チームではなく、自分自身なのだ。

 昨日の我に明日は勝つ、みたいなもので、ついうっかりすると忘れてしまう。

 誰しも、大樹のように「自分に負けるな」と叱咤激励される機会は必要だとおもう。


 主人公たちは、一緒に最後の試合はできなかったけれども、ともに汗を流して練習に励んだ時間に嘘はない。例年とは違うかもしれないけれども、彼女たちのかけがえのない青春の日々はあったのだ。


 後輩から渡された小さなアルバムについて、部活メンバーとともに励んできた写真が収められているにちがいないのだけれども、具体的な描写はない。

「みんなとの、たくさんの思い出があった。濃密で、かけがえのない時間だった」しか書いてない。

 かわりに、「それをめくった瞬間、私の涙腺は、崩壊した。私の顔は涙でぐちゃぐちゃになったけど、恥ずかしくはなかった。だって、それが連鎖して、みんな同じになったから」と主人公の表情や周囲の描写を描いている。

 そこからどんな写真だったかが想像できる。

 読み手によっては思い浮かべる場面は違うだろうけれども、主人公や部活メンバーが涙する写真とは、同じ苦楽を共に過ごしてきた日々の思い出以外にない。

 そこには語り尽くせぬほどの、たくさんのドラマがあり、たしかに彼女たちの青春は存在していたのだ。

 熱い想いを込めて過ごしてきた時間にくらべたら、コロナで苦しんだことなんて取るに足らないようなものに思えたにちがいない。

 そんなものになんて「……もう、負けない」といえるまでに強くなれたのだ。

 きっと同級生も後輩も、部活メンバーみんなが同じ気持ちに至っただろう。

 

 読後、タイトルをもう一度読み直す。

 人生を楽しむ一番のコツは、周囲の目を気にすることなく、自分の心に正直に生きること。そして、今を全力で生きること。

 たとえどんな時代、いくつになっても、どこにいても、この生き方だけはきっと変わらない。だから忘れてはならないと、彼女は最後に、後に続く者たちへ書き残したのだ。

 青春とは、楽しいことをしてはしゃいでいる時期のことではない。なにかしら取り返しのつかないことをしてしまい、苦悩したり思い悩んだりして過ごしているときのことである。二十代三十代のときまで、あのときあんなことを、と悔やんでいるのも青春の内に入る。

 主人公はこの先も様々なことをして、失敗したり大変な目にあったり巻き込まれたりしては、悔やむ日々に苛むかもしれない。

 それでも、いまを全力で楽しめと言い切れた主人公の彼女ならば、乗り越えていけるだろう。

 彼女ができたのだから、次に青春を迎える読者である、「あなた」もできるはず。

 そんなエールが、黒板の文字には込められているだろう。

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