作者・黒豆子 読売新聞社賞:『蝉と黄色いワンピース』の感想
蝉と黄色いワンピース
作者 黒豆子
https://kakuyomu.jp/works/16816700427307443643
病気がちの祖母のわがままに振り回される両親をみてきた高校一年の美奈は堪りかねて「おばあちゃんのことなんて誰も見ないよ」と言ってしまうも、「もうすぐ土にかえるから、今は優しくしてね」と祖母にいわれる夏の話。
文章の書き方については目をつむる。
変わった取り合わせのタイトルがつけられている。
蝉は幼虫の期間は長く、成虫でいられる時間は夏のわずか。
黄色いワンピースを着られる時期もまたわずか、といいたいのかしらん。
実体験と思えるような作品。身近で見ていないと描けないと思えるほどリアリティーを感じる。蝉の生涯と人の生き方をかけて、うまくまとめられているところも良い。
高校生らしさがあり、また着眼点が素晴らしい。
主人公は高校一年生美奈、一人称「わたし」で書かれた文体。問わず語りで、平易な口語文をつかって状況を描写し素直に心情を吐露している。
女性神話とそれぞれの人物の思いを知りながら結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプと、絡め取り話法にメロドラマと同じ中心軌道に沿って書かれている。
主人公である高校一年生、美奈の家の隣には、父方の祖父母が住んでいる。
お嬢様育ちで家事が好きではなかった祖母の和子(八十三歳)は、祖父の母がとても厳しく、我慢してきた。姑が他界してからは家事に手を抜くことが増え、現在は病気で体が重くて腕が上がらず、自己中心的な性格になっている。そのため、息子夫婦である主人公の両親に電話で日用品や食料品を買ってくるよう頼み、負担になってきていた。
夏休みのある暑い日の朝。父は仕事ででかけ、母は前日の仕事疲れで寝ている中、電話がなる。祖母からと察し、父は仕事で母は寝ていると告げて自分が行くしかないとなるも、電話が切れる。
次に母のスマホがなりはじめる。音量を下げると母が起きてくる。電話に応対し、今日の午後にと返事。何事もなかったようにスマホを置いて、「なに食べるー?」と呑気な声でケトルに水を入れる。
そろそろやばくないかと尋ねると母は、「別に、私は困ってないわよ」と答えて朝食を食べる。
仕事に出かける母は、帰りはちょっと遅くなると告げ、祖母の買い物のせいで遅くなるんだよねと言うも、母は無反応。
その日の深夜三時半、階下からドアを叩く音がし、「ひろゆきー、起きてくれー、和子が、体動かなくなっちゃって。便所にも行けないんだよぉ……チャイム鳴らしても深夜だから気づかないって言ったら、和子に合鍵で入れって言われてよぉ、ドア開けたけどチェーンが引っかかってて……」と祖父の声。零時過ぎにやっと寝たばかりの父は「とりあえず、今行くから」と出ていく。父の披露を思い、主人公は枕を濡らす。
病気が悪化していままでの薬では抑えられなくなっている祖母。それよりも心配性の祖父が参ってしまっていた。施設に入れたほうがいいと両親の話に口を出すも無視し、明日には介護用ベッドが届き、風呂の椅子も交換、トイレに手すりも付ける事になっている話をする父は、「美奈も八十三歳になったらわかるよ。いきなり施設に入れられたらどう? 冷酷だと思わないかい。おばあちゃんだけじゃない、自分も傷つくよね。それをわかってほしい」と告げた。
介護が本格化すると、四六時中祖母のことばかりで、主人公は見てばかり。そんなとき、母に洋服を書いに誘われる。乗り気で答えてついていくと、母は祖母の服を探す。人のために服を選ぶのはとても楽しいし、感謝があるからできることだと話す母に、何を綺麗事をといいつつ、似合いそうだからと黄色いワンピースを一着選ぶ。
帰宅後、介護ベットから起き上がろうとする祖母の腰に手を挟んで持ち上げては位置を変える母。主人公が服のタグを切っていると、「あら、ありがとう。美奈ちゃん、背が伸びたわね~ ちょっと佳奈子さん、また痛くなってるわよ。もっと下を支えてちょうだい」
祖父の声が冷たく聞こえて腹が立つ。
腰がお話待った祖母に服を一着ずつ見せながら、丁寧に説明する主人公。選んだ黄色いワンピースを見せると、無理ねと躊躇なく祖母は答える。「あたしには若すぎるわ。しかもこんなに長いと着るのが大変よぉ。もう体が動かないから、長いスカートは履けないわ」
着せてあげるという母。恥ずかしいという祖母。気付くと主人公は床を両手で叩いていた。「恥ずかしいって何? おばあちゃんのことなんて誰も見ないよ。そんなボロボロの体じゃ……体じゃ……」と言った新刊ここに激痛が走る。
祖母はとても悲しい目をして胸の左に両手を当てていた。
気付くと祖母と二人、病室のベッドで横になっていた。貧血で倒れたと母に教えられるも、覚えていないと答える。
泣きながらおばあちゃんにごめんなさいといいながら、二人して気を失っておどろいたという。祖母は十分前に目が冷めて、水を一口飲んでまた眠ったという。
「その時、おばあちゃん言ってたわよ。もうすぐ土にかえるから、今は優しくしていてねって」
ふとミンミンゼミを思い出し、一緒にいられる時間はほんのひとときだと気づいた主人公は、隣で寝ている祖母の頬を優しく撫でるのだった。
三幕八場の構成で書かれている。
一幕一場のはじまりでは、高校入学して四カ月がたった夏、ミンミンゼミの鳴き声で美奈は目が覚める。高校の三年間もあっという間に過ぎるの可と思いつつ、セミは地中で七年過ごすのに地上ではたった一週間。寂しい人生だと思う。
二場の主人公の目的では、祖母から電話がかかり、父は仕事で母は疲れて寝ていると伝え、昨日父に買い物を頼んで日用品やら食料品やらが入った大きなビニール袋をいくつも運んでいるのにまだ買い物を白とは勝手がすぎると思いながら、仕方がないから自分が行くしかないかと決めて口に出しかけると一方的に電話が切れる。
二幕三場の最初の課題では、祖母が母のスマホに電話をかけてくる。うんざりしながらスマホの音量を下げる。
四場の重い課題では、起きてきた母が祖母の電話にでるて買い物を引き受ける。一緒に食事をし、病気で体が重くて腕が上がらないから自己中心で来な性格になっていることを伝える。困っていないという母は、帰りが遅くなるからと仕事に出かける。祖母の買い物で遅くなるんだよねと声をかけるも、無反応だった。
五場の状況の再整備、転換点では、深夜三時半に体が動けないからトイレに行けないという祖母に頼まれて祖父が駆け込んでくる。零時すぎにやっと就寝した父の疲労を思い、美奈は枕を濡らす。
病気が悪化していまの薬では抑えられなくなっている祖母。心配性で参っている祖父。祖母のために両親の時間だけでなく自分の夏休みも奪われていると思い、施設に入れたほうがいいと提案するも無視される。介護用ベッドと風呂の椅子、トイレの手すりもつけてもらうことになったと話す父から、言いなり施設に入れたら本人も自分も傷つくことをわかって欲しいといわれる。腰を支えて食事とおむつ交換など祖母の介護が本格化し、美奈はみているばかり。
六場の最大の課題では、母に誘われて服を買いに出かけるも、祖母の服を探しを手伝うことになる。黄色いワンピースを一着選ぶ。
三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、帰宅後、祖母に飼ってきた服を丁寧に説明するも、長いと飽きるのが大変とか恥ずかしいとかいわれて、祖母のことなんて誰も見ないというと、美奈は心に激痛が走る。祖母も悲しい目をして胸に手を当てていた。
八場のエピローグでは、気がつくとみなと祖母は病室のベッドに寝ていた。貧血で倒れた美奈。泣きながらおばあちゃんごめんなさいといいながら、二人して気を失ったという。そのとき祖母は「もうすぐ土にかえるから、今は優しくしていてねって」と言ったという。ミンミンゼミのことを思い出し、一緒にいられる時間は人生のほんのひとときだけだと気づき、一度目を覚まして、また眠っている祖母の頬を優しく撫でる。
なにかを予感させるセミの話と、主人公に起こる様々な出来事が最後、見事につながることで話がうまくまとまっている。
冒頭から、いまがいつかなのか、登場人物はどういう人物で。どんな状況にあるのかが語られている。主人公は口語的な文で心の声や感想の言葉が書かれているおかげで、今の高校生らしい現実味ある作品になっているのがいい。
よくある話である。
親の親と同居している場合もあるけれど、多くは離れて暮らしている。多くの祖父母は、都市部でなく地方、田舎に住んでいることが多い。買い物が気軽にできなかったり、車がないと不便だったり、歳を取ると困りごとや病気に罹ることも増えていく。
介護やヘルパーを利用できる時代になっているものの、他人と家族とでは関わってきた時間も、自分を理解している頻度も違う。
遠慮なく甘えたことがいえて頼れるのは、自分の子供だけ。
こうしたところは、ありふれた日常として現実に存在しているので、体験談のように作品が感じられる。
かつて、大切に育てられてきた箱入り娘は多いだろう。
しかも年齢問わず、家事の好きな女子は多くない。好きな人は好きであって、嫌いな人はやっぱり嫌いなのだ。
嫁と姑の考え方が違うのは、それぞれの若いときに影響を受けて学んだ知識や経験が異なるから。
しかも、変えていいものといけないものの線引が明確にできない結果、最新のものにアップデートせず自分は正しいとしていることが多いと考える。姑は迎えたお嫁さんに対して、うちのやり方を継承してほしいと伝えるけれど、お嫁さんはお嫁さんで主張する。
現在は寛容になったほうだけれども、半世紀以上前は、姑の意見は守らなくてはいけないところは強かったと推測。
やれといわれ続ければますます嫌いになり、姑がいなくなって祖母・和子は肩の荷が下りたのだろう。
主人公は「祖母はお嬢様育ち」だからワガママ、といいたいのだけれども、買い物は口実かもしれない。
話し相手がほしいのだ。
買い物を買ってきてくれたら、顔が見られるし、ゆっくりしてもらって一時間くらい、たわいもない話ができる。
血を分けた息子には、甘えたことは言えるけれど、何でも言えるわけではない。男性より女性のほうが話しやすいこともある。
女性なら誰でもいいわけでもなく、自分のことをよく知っていて、思い出を共有できる人がいい。
孫と話すのもいいけれど、一緒に過ごしてきた時間が長い両親、息子の嫁・佳奈子でないと、苦労話や思い出話の話し相手は務まらない。
とくに祖母は体を悪くしている。
どんな病気かはわからないけれど、体の不自由さから、かつてできていたことが上手くできない。助けが欲しくて、誰かを呼びたくなる。
体が悪くなると、気持ちまで弱ってしまうから。
祖母からの電話は、祖母なりのSOSなのだ。
電話に母が出たとき、「はい、佳奈子です。お母さんどうかしました?」優しいトーンになる。
女の人は電話にでると声色が変わるもの。
リアリティーを感じる。
病気になる前の、それこそ結婚した当時から、祖母にはいろいろ助けてもらい、良好な関係を気づいてきたのだろう。
それらがあるから、いままでしてもらったことを今度はお返しする気持ちが母親にあり、余裕がなくなってきてはいるけれども、困っていないのだ。
主人公にはそれがない。
時間が削られるみたいで親が困っているとみるのは、「私の夏休みも奪われている」と主人公自身を基準に考えている現れからだろう。
祖母、母、娘の三人の、それぞれの考え方の違いが非常に上手く描けているところがいい。
「零時過ぎに寝たばかりの父が出ていく」とある。
帰宅が遅かったのか、それとも帰宅してから自分の両親の様子を見に行っては相手をして、時間がかかったのかもしれない。
たとえば、祖母に食事をし、お風呂に入れたり着替えさせたり。
祖母の病気の悪化から、祖父の方が参ってきている。
男は女と違って、心が弱い。
弱いから、普段は強がったり偉ぶったりしてみせる。
その点、女は強いので、痛みに耐えたり我慢したり弱音を吐ける。
いざというとき頼りにならない、肝が座ってないのが男と言われる所以だ。
祖母が八十三歳なら、祖父も同じかそれ以上。
どこかしら持病を抱えていても不思議ではない。
体が弱ると心も弱る。
自分の連れ合いが困っているのに、息子を頼りにきたのは、老いた祖父の力では祖母を支えられないのだろう。
父にしてみたら、自分の親。
施設に入れる判断をするのは難しい。
施設に入れるにしてもお金がかかるし、空きがあるかどうかもわからない。
親としては、家族に世話になり、自分の家で亡くなりたいと考えているもの。
「四六時中の祖母の介護がはじまり、主人公は見ているだけ」とある。寝たきりになってきたのだろう。
主人公が出来ることがあるとするなら、自分の勉強をし、洗濯や掃除に片付け、食事の用意など、両親の負担になることを軽減できるよう手助けすること。
そういうことを、彼女はしてたのかしらん。
「人のために服を選ぶって、とっても楽しいことじゃない? それも感謝があるからできることなのよね」と母はいいことをいう。
多くの人が感謝を履き違えて理解している。
感謝はありがとうではなく、お陰様、お互い様なのだ。
母は、自分が子供だったとき、大きくなって結婚してからも、困ったときには色んな人に助けてもらっただろう。
してもらったことを困っている人にしてあげる。互いに助け合い、励ましあい、持ちつ持たれつ生きていく。してもらった相手にお返しをする、それが楽しいといっているのだ。
してもらった相手に返すのは恩返し。してもらったことを他人に返すのが恩送り。そんな送り送られの関係が、人の中で生きるということなのだろう。
「なに綺麗ごと言ってんの」といいつつ、主人公は服を選んでいる。八十三歳で黄色いワンピースは、着るのはなかなか難しい。
四六時中の祖母の介護をするようになっているので、外出は難しくなっているともう。ワンピースは確かに着づらい。
祖母の場合、不自由さから自分では着られないので、着せなくてはいけない。購入する人間が着せるのだから、この服なら着やせやすいし、デザインもいいし、気に入ってもらえるかもしれない、ということを考えて選ぶ必要がある。
かといって、祖母も女性。
いくつになってもお洒落はしたいもの。
主人公がその点を組んでワンピースを選んだのなら、気持ちはわからなくもない。ただ、黄色が祖母の好みの色だったのかしらん。
好みならいいけれど、でなければ主人公の好みかしらん。
腕が上がらず、体の起こすのも大変なら、ワンピースより前にボタンのある上下わかれる服のほうが着やすい。
大きめサイズのほうがゆったり着ることができるし、パチンと指で押しつけて留めるスナップボタンのほうがいい。
一般的にマジックテープと呼ばれる面ファスナーになっているもののほうが脱ぎ着しやすい。冬なら、サイズがあった服のほうが寒くないだろう。
介護ベッドを購入している。
ベッドから起き上がったり立ち上がったりするときの動作を補助してくれるのが介護ベッドなので、自動でリクライニングできるはず。母が起こすのを手伝っているので、使うのを忘れていたのかもしれない。
帰宅して、母は満面の笑みで祖母の部屋に入った。起き上がろうとする祖母だが腰が上がらない。手助けする母。わがままばかりいう祖母の声が冷たく聞こえる。
この辺のやり取りが、実感こもっていて現実味を感じる。
『三つ子の魂百まで』や『雀百まで踊り忘れず』のように、子供のときの性格は歳を取ったからといってなくなるものではない。
祖母は、自分の好みをはっきり主張する子供だったと思われる。小さい子のわがままと同じ。どんな幼少時を過ごしていたのか、思い浮かんでくるようだ。
母が着せてあげることを、祖母は嬉しく思っていることから、頼りにしているのがわかる。いい娘婿だと思っているからこそ、本音を素直に話すのかもしれない。
「恥ずかしいって何? おばあちゃんのことなんて誰も見ないよ。そんなボロボロの体じゃ……体じゃ……」と声を上げたとき、心に激痛が走る。祖母は左胸に両手を当てる。
心に激痛が走ったのは、主人公と同時なのだろう。
祖母はびっくりして苦しくなったのかもしれない。
主人公は思ったことを口にしながらも、祖母が好きで病気になって不自由になったわけではないことを知っているし、言い過ぎたこともわかっている。
わかっていながら口に出してしまい、これ以上酷いことをいわないようブレーキをかけては、酷いことを言ってしまった自分を責めてるから、胸が痛くなったのだろう。
このあと貧血で倒れるところから、祖母と孫である主人公は対になっているのだと考える。
主人公がいろいろと我慢しては腹立たしく思ってきたことを、祖母も思ってきたのだ。
姑にあれやこれやと言われやらされてきたことはつまり、自分では上手くできなくなって困っていたからだったと、姑と同じ歳になってようやく気が付いたのだ。
申し訳なかったなと日々、良心の呵責に襲われていたところ、娘の言葉が追い打ちにとなって、一気に責めを感じたのでは、と想像する。
対になっているのなら、祖母と主人公の色の好みは同じだったかもしれない。
いくつになっても、女は女。自分で起きるのがままならなくなっても、おしゃれしたいもの。孫としても、そうあってほしい思いから、黄色のワンピースを選んだのかもしれない。
母は凄い。
母は強しとは、よく言ったものである。
祖母と娘、目の前で同時に二人が倒れたのだ。声をかけたり救急車をよんだり大変だっただろうに。
娘が起きたとき笑って話している。
こういうところが親であり、母であり、大人の余裕である。
でもきっと、母もいっぱいいっぱいだったはず。
あんまり迷惑をかけないほうがいい。
今度は母が倒れてしまうかもしれないから。
十分前に祖母は目を覚まし、水を一口飲んでまた眠ったという。
「その時、おばあちゃん言ってたわよ。もうすぐ土にかえるから、今は優しくしていてねって」
なにげない年長者の言葉とは冗談に聞こえないから、そうだよねと納得させられてしまう。
若い人が言うと、そんなこと言うなと返せれるのだけれど、八十三歳の病気持ちの人にいわれると、なにも返せない。
頬を撫でるのが精一杯だ。
読後、タイトルをみて、読む前はわからなかったけど、読んだあとはそうだよねとうなずいてしまう。
私たちはみんな、蝉かもしれない。
生まれる前と死んだあとは長い間土の中で眠っていて、ほんの短い間だけ、地上で生を謳歌しているのだとおもえば、老いも若きも男も女も猫も杓子も、すべての命が愛おしく思えてくる。
ほんとうによく書けた作品である。
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