ロングストーリー部門

作者・凩 大賞:『あまのじゃく』の感想

あまのじゃく

作者 凩

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882258008


 クラスのあぶれ者の高崎は、同じあぶれ者の御子柴に「幸せで満たされて死ねるまで手伝いをしてくれないかな?」と頼まれ手伝いながら、彼女を好きになり「死にたくなるほど幸せにしてやる」と約束する恋愛。


 誤字脱字等は気にしない。

 小説すばる新人賞に出せそう。

 ラノベっぽいけど、地の文は一般文芸並み。

 読後が良かった。

 着想から完成まで十時間くらい。二時間ねって、八時間で書き、小さな手直しを締切日まで続けたという。高校二年生の時友人が他界したのを機に、死について考えるようになり、バカなりに哲学や心理学を齧っていくうちに、自殺というメカニズムに惚れたのが、アイデアの着想。

 オチがつかない物語ほどつまらないものはない。きれいなオチがつく、ラストが納得いく終わり方にすることに苦労したそうです。


 主人公は男子高校生の高崎。一人称、俺で書かれた文体。皮肉めいた喩えと言葉遊びを使いながら、自分語りの実況中継で綴られている。


 女性神話とメロドラマに似た中心軌道に沿った書き方をしている。

 集団や社会を嫌い、クラスの友達もいないと思っている主人公の高崎は、自分と同じクラスのあぶれ者の御子柴とは話をする間柄。恋心や友情、好意を抱いているわけではないけれども、彼女には好感を持っている。

 ある日の放課後、主人公は御子柴から、最高に幸せを感じられたら死に対する恐怖も忘れられるので、自分が自分を殺せるようになるまで手伝いをしてくれないか、と持ちかけられる。どうせ暇だし、大したこともできないけど手伝いをしてやる、と引き受ける。

 御子柴と顔を合わすたび、「今日は死ねそうか?」と聞くのが日課になる。

 夏は若者が幸せを感じやすく心が満たされる季節だから「夏休み返上で手伝ってほしい」と頼まれた主人公は、御子柴が死ぬときに同伴させてくれるようお願いする。最初から見せつけるつもりだったから安心して、と彼女は嬉しそうに答える。

 死を前に勉強するのは無駄だといい切る彼女は、学校主催の夏期講座と夏期合宿、やる気底上げ講習に参加しない。御子柴のいない学校に通っても、新しいハブられ者を見つけられていない主人公は居場所がないとして、御子柴の買い物についていく。

 死装束の白ワンピースを購入し、荷物持ちをして彼女を家まで送る。今日は死ねそうかと尋ねると、「いいや、まだかな。確かに今日は楽しくて愉悦が満たされていくのを感じることができた。でもまだ満足じゃない、もっと欲しい」とこたえるので、その後も、多種多様な試みで御子柴の感じる幸せを求めて馬鹿なこともしていく。

 冷房をガンガンに聞かせ、アイスを死ぬほど食べ、仲良く病院送りとなる。。

 市民プールに行けば、細身の御子柴の水着姿はあまりに似合ってなくて笑ってしまった主人公は、御子柴にプールの底へと沈められ、這い上がろうとすると蹴られて沈められるをくり返す。

 子供のように守りを駆け回り、壮年者のように釣りで海に落ちたり、映画館で笑い合ったり、夜のゲームセンターで補導されそうになったり、恋人のように夜空を眺めたり。

 御子柴が有名な夏の大四角形と説明するのを正してあげる主人公は「星の事語るならさ、もっと勉強しろ。ちゃんと知れば見えなかった景色が見えるようになるから」と指摘して、死のうとする彼女になぜこんなことを言ったのか。もっと語り合いたいのかもしれないと思う。

 紫陽花柄の浴衣を着た御子柴と一緒に、花火が見える穴場の、高台にある小さな公園へとたどり着く。花火をみながら、心に咲いた大輪の感情もまた、遠くないうちに消えてしまうとしても、この感情はある意味を持って必ず何かを果たすと思っていた。

「今日は死ねそうか?」と問えば、「いいや死ねない、でももう幸福で私はいっぱいだよ。だからさ、明日の夕方この場所で夕陽を見ながら死のうと思う」と答える。立ち会うことを約束し、彼女を家まで送る。

 彼女は完遂し、自分はまた独りになる。『彼女のおかげで自分はマトモに成ることが出来ました』『これで、良かったと思ってます。この出来事のおかげで友達と作れるようになりました』命の大切さを粛々と語るようになる日が来るのかもしれないと考えるだけで吐き気をおぼえる。このままでいいのか、どんな結末を望んでいるのかと自問自答をくり返す。

 翌日、花火を見た公園に二人はいた。御子柴は純白のワンピースを着て、「前々から死に方自体は決めてあったんだよ、幸せな気分のまま一番つらい思いをしなくて死ぬことのできる方法。これだよ、青酸カリ。知ってるでしょ? 扁桃アーモンド臭のする、よく殺人とかに使われる奴」白い粉上のなにかが入った瓶を持っていた。

主人公は変われず、いつものように「今日は死ねそうか?」とたずねる。

「うん、最高の死に日和だと思う」と彼女は答え、「生まれてきて十六年、この十六年間で一番気分がいい。心臓の横を風が通り過ぎたように清々しい。これも君とひと夏を過ごせたおかげかな、ありがとう、高崎」「でもね、君に死ぬのを止めてもらえなかった事はちょっとだけ心残りかな」 

「私は誰かに必要とされる人間に成りたかった。他人を介して自分の存在意義を感じてみたかったんだ。でも、それを他人に頼むのは間違ってる。だから私なりに君に伝わる様に頑張ったつもりだったんだけどね、最後までダメだった。私は君に必要とされる人間には成れなかった」

「私の死を、無駄にしないで欲しい。私が生きて君とひと夏を過ごしたこと、この経験を君の中に生かしてほしい。君が私の手に入れれなかった『普通』の幸せを手に入れる事、これが私の最後のお願い」

 頑張ってみるよと答える主人公に、さよならを告げる彼女は満面の笑みで「君の事、××だったよ」と告げて、白いものを口に含んだ。

 彼女はその場に倒れ、主人公は駆け寄る。

 彼女を抱きかかえては泣き、「君が好きだった。誰よりも、君を愛していた」「君がいてくれるなら成長なんてしなくて良い、進歩なんてしなくてもいい。友達が今までどおりいなくったってぜんぜん構わない。だから……君にいて欲しかった」これからどうすればいいんだよと御子柴の頬に涙をこぼす。

 そのとき「もう、目を開けてってば!」彼女の声が聞こえ、両頬を押さえつけられ唇が触れ合う。ラムネの味がしたとき、「本気で泣いてくれてたんだね、私のために。高崎、騙しててごめんなさい」「全く、女にここまでさせないと告白できないなんて、やっぱり高崎はニブチンだね」

 本気で後を追おうとおもったことを口にすると、「この鈍感」と聞き慣れた口の悪いセリフをいわれる。完璧に騙され、嘘つきでどうしようもない彼女に心から惚れてしまった主人公は、やり返さないと割に合わないと勇気をもって、「なぁ、御子柴。今度こそ俺が死にたくなるほど幸せにしてやるから、覚悟しろよ?」と口にするのだった。


 また、三幕八場の構成で書かれている。

 一幕一場の状況説明、はじまりでは、クラスのあぶれ者の御子柴から「幸せで満たされて死ねる様になるまで、手伝いをしてくれないかな?」と頼まれ、同じくあぶれ者の主人公は引き受ける。

 二場の主人公の目的について、御子柴に「今日は死ねそうか?」と尋ねるのが日課となる。夏の夕焼けをみていると心が満たされる感覚を覚えることを知る。

 二幕三場の最初の課題は、夏休み返上で手伝うかわりに、死ぬときは同伴させてほしいと頼む。初めからそのつもりだと言われる。

 四場の重い課題は、人生最後の夏Y済に勉強は無駄だとする彼女の買い物についていく。

 五場の状況の再設定、転換点は、御子柴を幸せに満たすために多種多様で、馬鹿なこともしていく。一緒に星を見たとき彼女の過ちを指摘すると星空通ぶっていた彼女は耳まで真っ赤にしていく。今なら恥ずかしすぎて死ねるかもという始末。

 六場の最大の課題は、紫陽花の浴衣を着た彼女と高台にある小さな公園で花火を見る。この場所からなら夕日が綺麗に見せるはずだから明日ここで死のうと思うと彼女は告げる。

 三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、誰かに必要とされる人間になりたくて頑張ったけど主人公に必要とされる人間になれなかったと、告げた彼女は自分と過ごしたひと夏の経験を生かして普通の幸せを手に入れることを願って青酸カリを飲む。死を前にして初めて主人公は「君が好きだった。誰よりも、君を愛していた」と泣き叫ぶ。でも飲んだのはラムネで、彼女は生きていた。

 八場の結末は、ここまでやらないと告白できないなんて「ニブチンだね」「この愚鈍」といわれた主人公は、騙されっぱなしでは割に合わないとし、「今度こそ俺が死にたくなるほど幸せにしてやるから、覚悟しろよ?」といい切るのだった。

 どんでん返しもあるし、構成が良い。


 書き出しの冒頭にインパクトを感じる。

 ただ長いので、短くてもいい気もする。

 最初に、自分が死ねるようになるまで手伝いをしてくれないかなと持ちかけてから、「私さ、たぶん最高に満たされたなら死ねると思うんだ。最高に幸せを感じたとき私はね、死に対する恐怖なんて忘れてしまえると思う」と説明がきてもいいのでは。

 あるいは、「私さ、たぶん最高に満たされたなら死ねると思うんだ」と、いうセリフからはじまるのでもいい気がする。

 会話の流れとしては、ふと、彼女は「たった今思いついたんだけど」と、突然そう語ったところからはじまったらしい。

 その言い方ではインパクトがないので、だから作者も書き出しのセリフは自分が死ぬための手伝いを頼む内容にしたのだろう。

 

 書き出しの御子柴のセリフは、誰かに必要とされる人間になりたい彼女が、主人公の高崎にむけて考えた、告白である。

「私には恋人がいないじゃん、友達の一人だっていない。この学校で話せるのは君だけなんだよ。君と話すこの時間以外私はほとんど口を開かない。もちろん会話の相手がいないからね。君が一番それを解わかってるでしょ?」

 ようするに、御子柴にとって高崎は特別な人間であり、好きだと言っているのだ。

 陽気な人には陽気なりの、陰気な人には陰気なりの気持ちの伝え方があり、それぞれ異なっているのは当たり前である。


 主人公の高崎も、「俺の前に立っている御子柴こと彼女は、俺の恋人ではない」「俺と彼女は友達ですらないから、ましてや俺は彼女に対して好意を抱いている訳ではないし、彼女も凡夫でどうしようもない俺に対してそんな感情を持つはずがない事は重々承知していた。お互い同じクラスのあぶれ者というだけであって、別段恋心や友情に花が咲いた訳でもない。平たく言って他人だ」といいながら、

「笑顔は映える女子だった。もっと愛想よく人前で笑うことが叶うなら、少なくとも俺とこんなに灰色な高校生活を送る事は無かっただろう、そう日々思う。バラ色とは言わないまでも高校生らしい青春の一ページを綴る事が出来たはずだ」「しかし人間関係においても、学力においても、彼女は救いようの無い落ちこぼれだった」と、御子柴についてやたら詳しい。

 犯人を捕まえる警察や探偵ならいざしらず、相手のことをなんとも思っていない一般人は、こんなに詳しく知らない。

 興味や関心があるのだ。

 ただ、主人公自身が自分の気持ちに気づいていない。

 なぜなら彼は「集団を嫌っていた、社会を嫌った、学校、友達、仲間、家族、そんな人と関わり合いの概念全てを平等に忌んだ、そしてその感情をひた隠しに出来るほど器用でも有能でもなかった俺は当然ながら、もれなくその全てから拒絶された、そんな奴だった」と自分のことを語っている。

 二人以上の人間がいて社会が成立するように、誰かを好きになって恋人を作ること自体を嫌っている。

 自分の中に、御子柴に対する気持ちがあることに、気づこうともしていないのだ。


 情景描写の表現が素晴らしい。

 特に夕日にこだわりを感じる。

 御子柴が夏の夕日が好きだ、心満たされると後にでてくる。

 そこへつなげるために、こだわって書いているのかもしれない。


 御子柴にとって、理由はなんでも良かった気がする。

「今日は死ねそうか?」 

 と、高崎は毎日声をかけてくる。

 共通する話題のおかげで、毎日必ず会話ができるのだ。


 成績は悪く、赤点を取る御子柴だけど、冒頭のセリフから考えても、はじめから頭が悪いと思えなかった。

 頭が悪いとは、一度指摘された過ちを、二度三度と繰り返し続けることをいう。

 夏の大四角形を信じていた彼女は、主人公に指摘された後、同じ間違いをくり返さないはず。

 だから、一つ一つ学んでいけば、成績も上がる気がする。


 二人が買い物に言ったり、アイス食べすぎたり、泳ぎに行ったり星観たり、花火見たりするたびに「デートじゃん」とツッコミたくて仕方なかった。

 十年後、このころの自分たちを振り返ったとき、どんなふうに思うのだろうと考えると面白い。


 きっと本作で作者は、「世間一般における大抵の場合、勉強は未来がある人間にこそ意味を成す」「総括、特定の人間において、勉強という物は、個人の大切な時間を浪費させ、人生の質を落すだけの、無駄でしかない」と言いたかったのだろう。

 言いたいことはよく分かる。理解もできる。

 主人公たちは進学校、あるいは特進科に類する科に属していると考える。

 わたしも覚えがある。夏休みの前後に学校主催の夏期講習があり、部活も加われば、夏休み飛ばれるものはお盆の頃だけとなる。しかも、各教科から夏休みの宿題は出され、夏期講習も宿題やプリントが出され、勉強以外に何もすることはないような状況になる。

 勉強がイヤになりますから。

 それでも、大人になれずに死んでいった友人知人をもつ身としては、無駄とは言い切りたくない。勉強は視野を広げるためにする。夢や希望を持つためには、勉強は必要だ。

 もちろん、若い時代は短く、二度と戻っては来ない。そんな貴重な時間を、勉強以外に夢中になれるものに使うべきだとする考え方は間違ってはいない。

『自省録』を書いた マルクス・アウレーリウスの、「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」が浮かんでくる。

 過ぎていく時は止まらないのだから、大切に使わなくてはならないのは当然である。

 

 気になったのは、御子柴が死ぬために用意した薬である。

「幸せな気分のまま一番つらい思いをしなくて死ぬことのできる方法。これだよ、青酸カリ。知ってるでしょ? アーモンド臭のする、よく殺人とかに使われる奴」「覚醒剤、マリファナ、王水だったり青酸カリも。最近のネットは何でも買えるよ」

 青酸カリ(シアン化カリウム)は強アルカリ性で、舐めただけで舌に焼けるような強烈な痛みが走る。熱に分解しやすく、有機物とも反応しやすい。人が死ぬにもかなりの量が必要なため、簡単には死ねない。 

 口に入れるなら、一気飲みするか、味が強烈すぎるものに混ぜて刺激臭をごまかすしかない。

 口に触れた瞬間、激痛が走るので、楽に死ねるわけがない。

 けして、「一番つらい思いをしなくて死ぬことのできる方法」ではないのだ。


 かつてシアンを扱う工場があって管理も杜撰だったが、最近は悪用防止として管理は極めて厳重になっている。

 ネット販売もしているが、実験や研究、分析用商品のため、研究者および法人向けに許されており、一般や個人の購入はできない。購入時に、最終使用先事業者名が必要になる場合がある。

 個人購入の場合、譲受書の備考欄に使用用途を求められる。「自殺のため」と記入して販売してくれるわけがない。

 販売時に書類審査があり、なにかあればすぐ警察へ情報が行くようになっているため、誰が購入したのかはまるわかり。

 ちなみにアーモンド臭とは、ローストされた香ばしいアーモンドの香りや、お菓子作りに用いるアーモンドエッセンスの甘い香りとも違う。収穫前のアーモンドの、甘酸っぱい香りを指す。


 ヒロインの御子柴は、テストで赤点を取り、夏の大三角形を知らない子である。ゆえに、青酸カリがどのようなものかを知らなくても問題にならないようなキャラクターとして書かれている。

 だから、青酸カリについて知っている読者からすれば、「この子は知らないのだろう」あるいは「作者が間違っているのでは」という感覚を覚えてしまう。

 しかも、いくらなんでもネットで買える世の中とはいえ、たやすく手にできるとは考えにくい。

 そんなものを使って自殺しようとする御子柴は、ひょっとしたら死にたいというのは嘘なのでは、と察することもできる。


 はたして作者は、御子柴のキャラクター性を守って、青酸カリの説明はわざと誤った書き方をしたのか。それとも作者は詳しく知らずに思い込みで書いたのか。


 どちらであっても、作品自体、大きく変わるわけではない。

 青酸カリについて御子柴は、昔のニ時間サスペンスから得た知識を鵜呑みに信じていただけかもしれない。

 あるいは、主人公に告白させるために馬鹿なふりをし続け、わざと青酸カリについて誤った説明をすることで、彼に自殺を止めてもらおうとしたのかもしれない。「青酸カリでは楽には死ねないからやめた方がいい」みたいな言い方をしてもらって。


 主人公は、皮肉や屁理屈をいう性格をしている。

 つまり、他人を羨み、馬鹿ではなく頭がいい自分を認めてほしく思っており、マウントを取ってスッキリしたい人間なので、毒の知識を持っているはずと御子柴は思っていただろう。

 でも主人公の高崎は、毒に詳しくなかったし知らなかった。

 知らなかったら知らなかったで、偽の毒を飲んで一芝居する計画を、初めからしていただろう。

 だから、御子柴の自殺の芝居に、高崎は騙されたのだ。


 読み終えてみると、やはり本当の御子柴は、主人公以上に賢いのでは、と思えてくる。

 成績も赤点を取ったのはわざとかもしれない。でも、夏の大四角は本気で間違えていたのだろう。


 読後は良かった。

 ラブコメは、二人が結ばれるまでを描くもの。

 ハッピーエンドを迎えられて、本当に良かった。

 タイトルを読みながら、シンプルに上手くまとめたタイトルだと思う。

 あまのじゃくな人は素直ではないため、他人の好意をそのまま信じることができない。あまのじゃくな性格を治すには、他人の好意を信じ、なにか言葉を発するときにひと呼吸置き、感謝の言葉を伝えるのが苦手だから一人でいるときに感謝の言葉を練習するといい。

 二人がどんな大人になるだろう。

 実に良い作品だった。


 

 

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