第14話 妖怪だらけの寺
赤土の断崖絶壁。そこに縦に半分埋まったような
城門の如く立派な山門に辿りつくと、青塗りに金字で『馬蹄寺』と書かれた
山門の前には、中年にさしかかった僧が一人、玄奘を待っていた。
玄奘は玉龍から降りて迎えの僧に合掌一礼し、講話の依頼と出迎えに対し、丁寧に礼を述べた。
出迎えの僧は厳粛な顔で玄奘に礼を返したが、玄奘はこの僧から妙な気配を感じ取っていた。
玄奘は大仏寺から馬子としてついてきた小坊主を、巻き添えをくわぬよう一足先に寺へ返した。
馬蹄寺でも玄奘の説法を聞けると楽しみにしていたのであろう。小坊主は先に帰される事に少し不満そうな顔をしたが、大人しく従った。
「では、こちらへ」
出迎えの僧が玄奘を流し目に見ながら背中を向けて、歩きはじめた。
一秒にも満たない視線だったが、それはまるで玄奘を絡め取るようで、背中を向けられてからも、じっとりとした気配が玄奘の全身にまとわりついた。
――これは悟空の言った通り、当たりかもしれない。
掌に嫌な汗をかいた玄奘は、気持ちを落ち着かせる為に
袈裟に化けた悟空は、大仏寺を出てから一言も発していない。
妖魔は耳ざとい者が多い。例え小声でも悟空が何か話せば、袈裟が偽物だと気取られかねないと、ギリギリまで黙っておく約束を交わした故だった。
まるで単身敵陣に乗り込んだ心地になった玄奘は、その約束を少しばかり後悔する。
山門を
――これが『妖気』というものか。
神域に足を踏み入れた時の澄み切った気とは正反対の、息苦しいくらい淀んだ黒い空気である。
そこに生えている木々も、美しく咲き誇っている草花も、どこか病んでいるように感じた。
ここは危険だと、本能が警鐘を鳴らしている。出来る事なら回れ右をして大仏寺に帰りたかったが、それは許されないと頭が理解していた。
これも、天竺へ通ずる道に立ちはだかる苦難の一つならば、避けては通れない。立ち向かわねばならない。
玄奘は心の中で
やがて、小坊主が言っていた、岩窟に建てられた
そこでまた、僧が一人待っていた。玄奘はその僧に玉龍を預けると、出迎えの僧に導かれるまま、お堂に続く階段を上った。
お堂の扉が、耳障りな音を立てながら開かれる。
途端、香木の匂いが玄奘の鼻をついた。本来使用される何倍もの量が焚かれたそのお堂には、香の煙が充満していた。
お堂の床には鎮座した僧侶でぎっしり埋まっており、扉が開かれた途端、彼らの視線が一斉に玄奘へと集まる。
全員が合唱で玄奘を歓迎したが、瞳の輝きは誰一人としてまともではなかった。そこにいる全ての者の目には、仏門に入った者とは異なる、妖しげな光が宿っている。
玄奘は悟った。
この香は、匂い消しだ。
何の匂いを消そうとしている?
何を隠そうとしている?
嗅ぎ慣れた香りの中から、玄奘は必死に隠された匂いを探った。そして、香の煙の一筋が鼻を横切った時、そこからはじき出されるように香った匂いの正体に気付く。
――血の匂いだ。
隠されていたのは、大量の血と、腐った肉の匂いだった。
「玄奘様、さあどうぞ」
迎えの僧が、お堂の奥にある高座を掌で示した。
「ええ……」
玄奘は頷いたものの、足が動かない。
強烈な香木の香り。腐臭。玄奘の全身に掴みかかって来るような視線と妖気。
ここに人間は一人もいない。目の前の僧侶は、全て妖魔だ。
玄奘はここに来てようやく、自分が妖怪の巣窟に足を踏み入れたのだと気付いた。
――この中は餌箱だ。入ったら終わりだ。
死を感じた玄奘が後ずさりかけたその時、僧侶の一人がにやりと笑ったのが見えた。めくり上がった唇の下から見えた歯は鋭く、赤く染まっていた。
――
つい無難な方に傾きそうになった思考を、玄奘は努力的に引き戻した。墨など飲むはずがない。現実を見ろ。あれは、血だ、と。
玄奘の手首を、迎えの僧が掴んだ。
抗う間もなく、玄奘は信じられないほどの剛力でお堂の中に引っぱり込まれた。
――しまった!
前へバランスを崩した玄奘は、両手を地面につくことで派手な転倒を免れた。
急いで身体を起こして後ろを振り向いた時には、既に扉は閉ざされていた。
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