第37話 悟空、見つかる
見るからに人外である八戒は、騒ぎになるのを防ぐため、瓜州の手前で本性の黒豚に姿を変えておいた。一方、悟浄はというと、そのままスルッと街に入ってしまったのだ。
なまじ人間の姿に近いだけに、玄奘も悟浄の肌色に違和感を覚えなくなっていた。
そういえば瓜州に着いてからというもの、妙に人の視線を感じていたな、と今になって思い出した玄奘である。
悟空と沙羅の捜索に必死で、あまり人の目を気にしている余裕がなかったのも災いした。
「ああいやいや、ワシは生まれつきこの色でございますれば。心・配・ご無用!」
悟浄が掌で李昌を押しとどめるようにしながら、全力で病院行きを辞退する。
李昌は
「そうか……それならよいのだが」
と言いながらも、納得していない様子だ。
無理もない、と玄奘は思った。
瓜州は
州吏という責任ある役職についている李昌が、悟浄を未知の病の罹患者として警戒するのは当然だった。もしかすると今後、悟浄を見た市民が役所に通報する事もあり得る。
悟浄も玄奘と同じように考えたのであろう。自分の腕や腹をまじまじ見ると
「それでは、今から色を変えてしんぜましょう」
と提案した。
「は?」
からかわれたと思ったのだろう。李昌が顔をしかめる。――と同時に、悟浄の六つに割れた腹が、藍色から徐々に薄いだいだい色へと変わり始めた。
玄奘は慌てる。
――それはやってはいけない!
二人の間に躍り出た玄奘は、変色を始めた悟浄の腹を隠すように立った。
「李昌殿。彼は本当に、生まれつきですのでご心配には及びません。肌の色を変えるというのは、おそらく、顔料を塗りましょうか、という意味でございましょう」
玄奘は、祈るような気持ちで頭を下げた。
「しかし今、
李昌か悟浄の腹を指さす。
「それは多分――」「まさかまさか! ワシの腹はホレこの通り、いつも美しき藍色でございます!」
適当な言い訳を口にしかけた玄奘をぐいと横にどかした悟浄が、藍色に戻した腹をわざとらしくさすって見せる。
しばしの沈黙が流れた。
やがて、李昌が「承知した」と、ため息交じりの返事をする。
玄奘と悟浄は揃って胸をなで下ろした。
二人の足元で、八戒までがホッとしたように鼻を鳴らす。
「ちなみに、その豚は? まさか非常食か?」
顎で八戒を示した李昌が、冗談めかして聞いてきた。
「ええはい」「いいえ」
満面の笑顔で肯定した悟浄と、首を横に振った玄奘が、当時に答えた。都合の悪いことに、真逆の回答が重なってしまう。
「どっちなんだ」
再び李昌が、怪訝そうに玄奘を見る。
「いえ……。私は、肉は食べませんので」
玄奘はひやひやしながら答えた。
悟浄が、引きつった笑いを浮かべながら、黒豚の頭をぐりぐり撫でる。
「こやつは、ワシの
「はっかい? 『連れ』というから、人だと思っていたが」
またもや痛いところを突かれてしまう。
玄奘のこめかみを、冷や汗がつるりと流れる。
ここは、悟浄が上手く切り抜けた。
「ひひひと~……の如く賢き豚でございまして。ホレ八戒、州吏にご挨拶せい!」
「ゴッ!」
大きくひと鳴きした八戒が、お辞儀のように頭を下げた。
悟浄と八戒の
明らかに人の言葉を理解している豚を目の当たりにして、李昌は目を丸くする。しかしすぐに渋い表情に変わった彼は、「分かった、もうよい」と頷くと、口を閉じた。
これ以上詮索すれば、人相手配書を破った己の所業を後悔する事になるかもしれない、と本能的に悟ったようである。
玄奘は、李昌の直感に感謝した。
悟浄と八戒の正体を隠さねばならない不便さは付きまとうが、李昌が味方についたというのは、心強い事であった。顔が広い役人である彼が人探しに協力してくれるというのならば、悟空や沙羅も、すぐに見つかるかもしれない。
烏巣禅師の警告が常に頭にあり、二人が消えてからというもの、眠れぬ夜を繰り返していた玄奘は、希望の光を見出した心地になった。
門を出た二人と一匹に、李昌は今日明日中に
「いつまでも知事の家にいるのは賢明ではない。私の知り合いに、口の固い住職がおる。口添えしておくゆえ」
玄奘らは李昌から、達磨という胡僧が住職を務めている寺を宿泊先に紹介された。
「ありがとうございます」
「感謝いたす!」「ブゴッ!」
合掌して礼を述べた玄奘に続き、悟浄と八戒も頭を下げる。
その時、玄奘らの横を白い猿が四足走行で通り過ぎた。
素っ裸ではあったが、人であれば五〜六歳程度の子供の大きさである。
白猿は、道行く人々の間を、長い尾っぽを右に左に揺らしながら、するりするりと進んでゆく。
その後ろ姿は間違いなく
「「悟空!」」
であった。
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