第17話 黒風怪の部屋

「これは……凄い」


 部屋の壁という壁を覆い尽くすように、金色こんじきの袈裟が飾られていた。


「え、なに? なんか全面キンキラ金ね」


 丸い目を細めた沙羅が、風情の無い言い回しで部屋の様子を表現した。よく見えていないのだから、それも致し方ない。


「袈裟がかかっているんですよ。分りますか?」


 床に下ろされ、しっかり四本足で立った沙羅は「なんとなく」と答えた。

 頭を柱にぶつけた時よりは、視力が回復しているようである。


 それにしても、壮観だった。

 玄奘は部屋の中央に進み出て、四方を囲む袈裟の山を眺めた。


 黒風怪が盗んだものとみて間違いは無いのだろうが、どれをとっても芸術品と言える素晴らしい一品ばかりである。

 よくこれだけ袈裟ばかり集めたものだと、玄奘は黒風怪の執着ぶりに呆れた。


「あたし達もね、念の為目薬を買っておいたのよ。一個だけね。それで、ついさっきまで誰が使うかでもめてたんだけど、あんたの匂いがしたから一番小柄なあたしが目薬を使って、穴を掘って抜け出して来たの。鼻も耳もよく利くしね」


 黄風大王に見つかって捕まったのが二日前。つまり目薬一つに二日間も争っていたという事か。

 玄奘はこれにも呆れたが、「なるほど」と相槌程度でとどめておいた。


「その目薬なら、私も持っています。大仏寺の住職に頂いたので」


 丁度二瓶、衣の袖にあると言うと、沙羅が「でかした三蔵!」と弾んだ声を出した。


「それで、悟浄と八戒の所へはここからどうやって――」


 沙羅に振り返り、どうやって行けばいいのか訊ねかけた玄奘だったが、慌てて顔を戻した。沙羅が犬の姿を解いていたからである。床にぺたりと座り込んでいる人間の体に、衣は羽織られていなかった。


「地下に通じる階段があるのよ。方向は匂いで分るわ。でももう少し視力が回復してからにして頂戴」


 沙羅の説明を背中に聞きながら、玄奘は「分りました」と頷いた。しかし、後ろからかけられた「どうしたの?」という声が耳元で聞こえたため、驚いて飛び退く。

 

「まずは服を探しましょう」


 挙動不審に部屋を漁り始めた玄奘に、沙羅は合点がいったのだろう。「ああ」と低い声で不機嫌な応答をした。

 ぺたぺたと裸足で石床を歩く音が遠ざかる。

 距離を取ってくれたのだと分り、玄奘は安堵した。


「食べられるはずのものを食べないとか、女を遠ざけるとか。僧侶は生き物をやめたいんだとしか思えないわね」


 しかし、しっかり文句は言われた。


煩悩解脱ぼんのうげだつ。すなわち欲から自由になる為、持戒じかいは不可欠ですから」


 答えながら、玄奘は肩を落とした。一応、部屋を一通り探しはたが、袈裟以外何も見つからなかったのである。袈裟だけで裸体は隠せない。


 ブッ、と沙羅が吹き出す。


「煩悩解脱したんなら、そうやって目を逸らす必要すらないんじゃないの?」


 からかうように笑ってきた。


「解脱したのではなく、解脱しようとしているんです」


 玄奘は、自分の法衣を一枚脱いで沙羅に羽織らせた。まだよく見えていないようなので、袖を通すのを手伝った。その際、牛魔王に刻まれたという新術の証を左胸に見つけた。肌に根付いているような墨文字に、禍々しいものを感じたが、何も言わず襟を合わせ、衣の紐を結んでやる。


 沙羅は幼子のように、黙って着衣を手伝わせた。そもそも、裸体を隠そうという気がなさそうだった。


 妖魔は裸体をさらす事に抵抗が無いのだろうか。それとも沙羅が大胆過ぎるだけなのだろうか。

 どちらにしても、服がある場所まで犬の姿でいてくれたならよかったのに。と玄奘は、つい恨み言を頭に浮かべてしまった。


 どう頑張っても目に入ってしまった沙羅の体は、白骨夫人が化けた豊満な肉体とは似ても似つかない細作りだった。しかし、肌は真珠のようにやわい輝きを秘め、全身の輪郭は白樺のようにしなやかで美しかった。


 柱にぶつけてできたコブは、早くも引いていた。

 玄奘は指の背で、艶やかな前髪に覆われている額をサラリと撫でた。

 

 

 玄奘の法衣は沙羅には大きすぎた。腰から下は両側に切れ込みが入っている為、脚はさばきやすいが、裾をってしまうのが難点だった。沙羅は適当に一枚袈裟を壁からはぎ取ると、肩紐部分を引きちぎってそれを腰に巻いて帯とし、裾の長さを調節した。

 

 やがて黒い瞳に本来の輝きが戻り、焦点も合うようになった沙羅は、袈裟の山を見まわして、にやりと悪戯な笑みを浮かべた。


「これは使えるわね」


 何か妙案を思いついたようだった。

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