第50話 男に目覚めた女達

「困った事に、皆あれから男に目覚めてしもうてのぅ」


 悟空ら一行を店に招き入れ、席に座った全員に白湯さゆを配り終えた老女は、背もたれの無いくたびれた丸椅子に腰を落ち着けると物憂げにため息をついた。


 八戒は椅子に座る余裕が無く、隅の方でうんうん唸ってうずくまっている。それを、店の奥から出てきた数名の中年女達が、お湯だの布団だの清潔な布だのと騒ぎながら、介抱している。


 当たり前だが、店内はがらんとしており、悟空らの他に客はいない。

 玉龍は店の軒先で飼葉をもらっていた。


「「「「はあ?」」」」


 悟空、悟浄、沙羅の三名は、白湯をすする手を止めて『男に目覚めた』という困った老女に注目した。


「目覚めたっつうのはアレかい? こうやってこうなるやつかい」


 湯飲みを机に置いた悟空が、言葉の最中で両の人差し指を何度か合わせた後、左手の人さし指と親指で輪っかを作り、その中心に右人さし指を差し入れて『アレ』を表現する。


 途端、老女だけでなく八戒を世話する女達までが、「いやん」と頬を赤らめ両手で顔を覆った。


 大正解だったようである。


 悟浄は飲み込みかけた白湯を気管にひっかけてむせ、沙羅はうつむいて眉間を揉む。


「あんたら、ここの人達に何したのよ」


「猿がババアに何するってんだよ」


「妊娠しちゃって大慌てだった上に周りは年寄りばっかりで、何かする気なんて起きなかったよぉ! うーん痛いぃぃぃ」


「ほんに、仏に誓って何もしておらん!」


 沙羅からの問いに、三人がそれぞれ潔白を主張する。


 老女は三人の潔白を証明するように、「いや残念じゃった残念じゃった」と手を叩いて笑った。そして、じっとりしとした視線を悟浄に送ると


「実はこっちの御仁ごじんは好みだったんじゃがのう」

 

 と皺の寄った口をとがらせ「ちゅっ」と音を立てて求愛アピールする。


 異色の肌と、いかつい顔面に似合わぬとぼけた性格を除けば、筋骨隆々の悟浄はそれなりに『良い男』であった。


「勘弁して下され!」


 慌てた悟浄は悲鳴を上げて、沙羅の後ろに隠れた。

 悟空が大きなため息を吐く。


「『老いらくの恋』も程々にしとけよ。あんまり体に負担かけると、ただでさえ荒れた墓場みたいになってる口ん中が余計に殺風景になるぜ」


 忠告だか揶揄やゆだか判断に困る言葉を悟空から頂いた老女は、歯が抜けてになった荒れた墓場の如き口の中を見せてカカカと豪快に笑った。


「なあに。歯が全部なくなったら、金歯を入れてやるわい。おぜぜはたーんとあるでの」


 にい、と口をひんむき、墓石のような黄色い前歯を前に突き出す。


「金ねぇ……」


 呟いた悟空はぐるりと店内を見渡した。

 掃除は丁寧にされているが、建物も調度品も、古く薄汚れている。つまりは、悟空らがあちらの世界で天竺への旅の途中に世話になった時のままであった。


「金持ちになった割にはこの家、貧相なままじゃねえか。その金、落胎泉の水を売って作ったやつなんだろ?」

 

 悟空からの指摘に、老女が「さよう」と頷く。


「それに、目覚めた割に男が一人もいないじゃない」


 続いて沙羅が指摘すると、老女は「さよう!」と机に突っ伏して泣きはじめた。一拍遅れて、八戒を世話していた中年女たちもおいおいと涙を流す。


「な、何がどうなっておるのだ」


 沙羅の後ろからギョロ目を覗かせた悟浄が、号泣する女達を前におどおどする。


「あ~くそ体が痒いぃ! ババア達の色恋沙汰なんざ知りたくもねえのによぉ!」


 本能的に面倒事を悟った悟空は、拒絶心が痒みとなって全身に出たようである。十徳じっとくの上から、脇や腹をバリバリ掻きむしった。


 しかし、これはもはや乗りかかった船。八戒も動けない。

 悟空らは、老女らが抱えている困り事を、聞くしかなかったのである。



 長きにわたり、女だけで暮らしを立て、子母河の水を飲んで子をはらんでいた西梁女人国せいりょうにょにんこくの女達。

 それが、三蔵一行らを国に招き入れた事で伝統がくつがえる。

 なにせ、女人国の女王を含め、男にとんと縁が無かった女達である。見目麗しき三蔵法師の登場は、衝撃であった。


 男って素敵!

 男って可愛い!

 あたいも夫が欲しいわ!


 女王が三蔵と挙式した事もあり、色めき立った女達。

 結局、三蔵ら一行は結婚詐欺のような形で国を出国したのであるが、女達の、男に対する渇望かつぼうは治まる事が無かった。


 女人国の城下町に入る前に子母河の水を飲んで子をはらんだ三蔵と八戒を介抱し、堕胎を助けた居酒屋の老女らも同様であった。

 三蔵らを見送った後も、そわそわが治まらないから困ったものである。そして唐の高僧に対するささやかな岡惚おかぼれは、いつしか男全体への情念へと変化を遂げた。


 かくして女人国全体に、まさかの男旋風ぶーむが巻き起こったのである。


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