第51話 恋の病に伏す女王

「ワシらは好みの男を見つけると、家に連れ込み酒や薬を飲ませるなどして枕を共にした。そして、相手が寝ている隙にこっそり子母河の水を飲み、翌朝大きくなった腹を見せて『子供ができたから結婚しろ』と迫った……」


 老女は一旦語り終えると、自分も白湯を一口飲んで、ふうと一息ついた。

 悟空がこれ見よがしに嫌な顔をする。


「あくどい事しやがんな」


「結婚詐欺師がどの口で説教垂れるかバカちょんが」


 間髪いれず、老女が応戦した。


 三蔵法師一行は、あちらの世界で西方への旅の最中、女人国を訪れていた。そこで三蔵が女王に求婚されてしまったのである。国を出立するには、通行手形に女王の玉璽ぎょくじが必要であった。悟空はこの玉璽ぎょくじを貰う為に、三蔵に女王と結婚させ、まんまと印をさせたのである。そして、出立許可が出された通行手形を手に、三蔵を伴い、すたこら国を逃げ出した。

 これは、結婚詐欺に他ならない。


 ゆきずりの男を連れ込み、『妊娠したから責任取れ』と迫る行為も悪行はなはだしいが、結婚詐欺も大概である。

 とどのつまりは両者とも、目クソ鼻クソなのだ。


 目クソと鼻クソはしばし睨み合っていたが勝負はつかず、結局二人とも同時にぷいとそっぽを向いた。


「でもお婆さん。そんな事したら、逆に逃げられない?」


 すっかり冷たくなった白湯をすすりながら、沙羅が指摘した。

 そもそも通常の妊娠というのは、子ができたところで、いきなり腹が大きくなるわけではない。

 一晩過ごし、翌朝膨らんだ腹を見せられた所で、『はいそうですか』と納得する男がどこにいるだろうか。


「まあ、九割が逃げるわな」


 老女は何度も頷いた。そして左右の口角を最大限まで引き上げた彼女は


「そういう奴は、慰謝料と養育費をがっぽり貰って放してやるんじゃい」


 と暴露ばくろした。

 それを聞いた客人らは不快感顕わに、ため息を吐く。


「とことんあくどいわね」


 人さし指でこめかみをみつつ呟いた沙羅の前で、老女は本日何度目かの甲高い笑い声を上げた。


 悟空が沙羅に耳打ちする。


「このババア、ホントに人間か?」


「匂いは人間よ。性根は妖魔よりもエゲツナイけど」


 ちなみに土地全体から妖気を感じたのは、子母河しぼがのせいであろう、と沙羅は結論付けた。

 二人は心底疲れ切った様子で顔を見合わせると、「来るんじゃなかった」と同時にうな垂れた。


「ん~なるほど。ここに男がいないのは逃げられた故であったか」


 悟浄が言いながら、沙羅の後ろからそろそろと出てきた。まだ少々挙動不審ではあるものの、自分の椅子に座る。


「いいや、それは違う」


 笑いを引っ込めた老女が、首を横に振った。そして、男がいないのは、女王が病に倒れた故だと明かした。

 

「病気? 流行り病か何かかしら?」


「性病じゃねえか?」


「人一倍色の白い御方であったし、心臓か肺に持病をお持ちだったのではないか?」


 沙羅、悟空、悟浄は額を突き合わせて女王の病とやらを推測する。


「恋の病じゃ。三蔵殿恋しさのな」


 しかし老女からまさかの正解を告げられた三人は、驚きのあまりパカリと口を開けて絶句した。


 女王は、三蔵が国を去ってから満足に眠れず、食事も喉を通らず、どんどんやつれていったらしい。しまいには公務が不可能となり、寝込む日々となったのだそうだ。


「噂によると、女王様は『三蔵殿、三蔵殿、私の旦那さま』と毎日のように夢にうなされていなさると。女王様がそのようにお苦しみの時に、ワシらだけがウハウハしているわけにはまいらんのじゃああ!」


 老女は言葉の最後で悲鳴のような泣き声を上げると、と机に伏して涙を散らす。

 他の女たちも同様に、あーんあーんと声を上げて泣きはじめた。

 

 腹痛にうめく八戒はさておき、居酒屋は一気に、一家の大黒柱を亡くした葬儀場のような有り様と成す。


「あんたたち。どう責任取るつもりよ」


 沙羅が憤怒の形相で悟空を見やった。


「責任も何も、あっちのおっしょさんは仏になっちまって今は仏界だぜ」


「さよう。もはやどうしようもない」


「それより俺の腹の責任取ってよぉ!」


 諸悪の根源達は、一国を混乱におとしいれた責任を取る気など、毛頭ないらしい。


 悟空らに対する女達の恨みはいかばかりか、と沙羅は老女にちらりと視線をやったが、意外にも老女はけろりとしていた。つい先ほどまで伏して泣いていたはずが、もう身を起こして白湯のおかわりをついでいる。


「うむ。じゃからワシら、この世界に参ったわけよ」


 そう言うと、急須を片手に持ったまま、白湯を飲み干した。酒をあおるような、実に豪快な飲みっぷりであった。涙を流した分、喉が渇いたのかもしれない。


 老女曰く、こちらの三蔵法師が仏になった事は、女王も既に知っていた。しかし、もう手に入らないと思うと余計に想いが募るのが、人の悲しい性である。


 これでは治世は傾くばかり。そろそろ王権交代か。

 困り果てていた女人国の女達の前に一人の青年が現れたのは、そんな頃であった。

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