第40話 悟空が消えた理由

 悟空は、瓜州かしゅうを入ってすぐに、こちらの自分である白猿を見つけ、後をつけたのだと自白した。


 街中をひょいひょいスルスルと歩いていた白猿ゴクウが辿り着いた先は、あの猿回し一家が寝泊まりしている荷車の前だった。


 ゴクウが荷車に帰ると、飼い主の少年とその両親が満面の笑顔でゴクウを出迎えた。そして、芸が始まったのだという。

 

 悟空は建物の陰から、こちらの世界の自分とその飼い主たちの様子を暫く眺めていた。が、ふと、悪戯心が湧いて出てきたのだそうだ。


 ―― あの芸人達の中に飛びこんで、オイラがとびっきりの曲芸を披露してやろうじゃねえか。 オイラの方がずっと凄えって、見せつけてやる。


 そして悟空は公演中の一家の中に飛びこみ、毬の上で如意棒を回し、太鼓をたたき、剣の舞を舞った。

 

 見物客からは拍手喝采。金品が雨の如く投げこまれ、猿回しの夫婦は大いに喜んだ。


 しかし、飼い主の少年だけは違ったという。

 少年は白猿ゴクウをぎゅっと抱きしめると、悟空に向かって『僕らの仕事の邪魔をするな、赤目猿!』と怒鳴ったのだ。


「仕方ねえじゃねえかぁ! オイラの目が赤いのはよぉ! 八卦炉はっかろで散々いぶされたからなんだよぉ! それを、あのガキときたら、『怖い』とかぬかしやがってよぉ! 『僕の猿の方がずっと可愛い』とかぁ! オイラ傷ついちゃったわけぇ!」

 

 悟空にとって赤い目は、劣等感コンプレックスであった。運の悪い事に、そこを見事に突かれたのだ。


 朱塗りの椅子の上で小さく丸まった悟空は、両手に顔をうずめて、さめざめと泣いた。


 ここは李昌の執務室。

 無事にこちらのゴクウから抜け出せた悟空が悟浄と八戒をどついてから、三人(玄奘、悟浄、李昌)と二匹(八戒、悟空)は、『やれ珍しや、やれもっと見せろ』と、見物客や猿回しの一家から散々追い回された。

 やっとの思いで役所に逃れ、この部屋に逃げ込んだのは、つい先ほどの事である。


「あんさんが八卦炉はっかろにブチ込まれたのは、あんさんが天界で散々悪さをしたからでありんす! しかもあんさんが炉を壊したものだから、あの時はみんな、迷惑千万でござりんしたのよ!」


 元々天界人であった悟浄が、当時を思い出して悟空を叱る。

 悟浄はまだ女声と奇妙な女言葉が直っていなかった。女装をしている時には、こちらの方がシックリくるようになったのかもしれない。しかし、両脚を大きく広げて腰に手を当てている様は、男そのまんまである。


「だから禅師が深入りするなって言ってくれたのにさぁ。兄貴はもう、ダメだよぉ。そういうの、何て言うか知ってる? 有意性行動マウンティング!」


 八戒は豚の姿のままだった。時折、鼻をブイブイ鳴らしながら、悟空をたしなめる。


「ごめんちゃい」


 悟空は掌に顔をうずめたまま、素直に謝った。

 こんな街もう嫌だと、小さく弱音を吐く。


「悟空……」


 玄奘が慰めの言葉をかけようと悟空の肩に手をのばしかけた時、入口の方から「帰れ!」という罵声が飛んだ。李昌であった。

 玄奘らは、思わずそちらに顔を向ける。


「豚と猿が喋っていませんでしたか!?」

「気のせいだ!」


「李昌様、その大きなおなごは誰なのですか!?」

「親戚だ!」


「その猿、売って頂けませんか!」

「非売品だ!」


 見物客。李昌を慕っているのであろう街娘。猿回し一家の父親にと、どっと押し寄せる市民に対し、李昌は通せんぼをしながら、殆ど反射的に答えていた。


 李昌の部屋の前で、暴徒と化す寸前の群衆は、周りも迷惑もなんのその。わいのわいのと騒ぎ続ける。たまりかねた様子の李昌は


「失せろ!」


 と一喝して扉を閉めた。


 悟浄と八戒が、はぁ~、と大きなため息をつく。


「随分な騒ぎになってしまいましたワネ。師父がお役人に捕まる前に、この街を出ませんこと?」


「兄貴も見つかった事だし、次の目的地に行きましょうよぅ」


「そうだ早く出て行ってくれ!」


 群衆を閉め出した勢いそのままに、李昌が最後に声を荒げた。


「李昌殿!」


 玄奘は床に跪くと、李昌に叩頭する。


 李昌に迷惑をかけているのは、百も承知だった。しかし、沙羅が見つかっていない以上、まだ出て行くわけにはいかない。ずうずうしいが、李昌の手助けも不可欠だった。

 

「申し訳ありません! どうか今しばらく。あと一人、仲間が残っております」


 玄奘はこいねがう。


「ああ……」と李昌の疲れ切ったため息に続き、トスン、という柔らかな音がした。


 玄奘が顔を上げると、椅子に座って背中を丸め、頭を抱えている李昌の姿が目の前にあった。


「消えたのは二人。そうだったな……」


 李昌がぐったりと呟いた。心底うんざりした様子である。


 しかし、やがて腹を決めたようにむくりと上体をおこした李昌は、眠気を覚ます人がやるように、また、気合を入れ直すように、両掌でぐいと顔面を押し広げた。

 そして、椅子の背に背中をあずけると、腕を組んで天井を仰ぎ奥歯を噛みしめたような表情で「分った、協力しよう」と言う。


「ありがとうございます!」


 玄奘はまた、深々と頭を下げて謝意を示した。


「それで、沙羅という娘はなんだ? ウサギが? 鳥か?」


「犬です」


「了解した」


 沙羅の本性を聞いた李昌の、あまりに素直な対応に、八戒が小さな目をパチパチさせる。


「あらあらどうしたの、急に。豚の声帯の形があーだこーだ講釈垂れてた頭でっかちのボクちゃんが」


「この世の豚や猿が喋るのは理解できんが、異界から来たというのなら納得できる」

 

 群衆からの逃走中に、玄奘から『悟空ら妖魔はこの世界によく似た異界から来たのだ』と説明を受けた李昌は、悟空らの存在を彼なりに受け入れていた。


「あんた、頭固いんだか、柔らかいんだかわかんないね」


「どうも」


 八戒の嫌味にも、すっかり慣れたようである。

 

 この世界の沙羅が、犬の姿か人の姿かも分らないと聞いた李昌は、似顔絵師を部屋に呼んだ。

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