弱水にて
第31話 弱水そして烏巣禅師
「しかし、妙案でございましたな師父。金角と銀角に、沙羅の
「本当だねぇ。
「いえ。ただの思いつきだったのですが。予想以上に上手くいきそうで何よりです」
後方の悟浄と八戒に玉龍の上から振り返った玄奘は、そう答えた後で「いたた……」と顔をしかめた。
玉龍は、
とはいえ、尻と両腿。
「大丈夫ですか? おっしょさん。やっぱりオイラが負ぶってさしあげましょうか?」
玉龍の手綱を取って先頭を歩く悟空が、気づかわしげに玄奘を見上げた。
玄奘は苦笑うと、「ありがとうございます。大丈夫ですよ」と猿の負んぶを丁寧に辞退した。
悟空が怪力なのは承知しているが、この小さな背中に体を預けなければならないとなると、馬に乗るよりも辛い事になりそうなのは、想像に
「それにしても、沙羅ちゃんはちゃんと薬見つけてくるかなあ」
「薬は見つけるであろう。相当意気込んでおったからなぁ。
火傷や皮膚炎に効く薬を必ず手に入れて来ると、風のように走って行った沙羅の後ろ姿を思い出した悟浄が、明後日の方を見ながら言葉の最後で嘆息した。
金が無いならないでやりようはある。しかし、「ちょっと待て。
次の町は
八戒が鼻を、ぶひいーと寂しげに鳴らした。
「早く帰ってこないかなぁ。女の匂いが無いと俺、余計に腹が減っちゃうよぉ」
言いながら、スイカが入っているような丸い腹をくるくるとさする。
「お前はいっつも腹鳴らしてるだろうが!」
すかさず悟空がツッコミを入れた。
玄奘は、三人には気取られぬよう控えめに笑った。自分が玉龍に乗った事で、この三人の立ち位置がはっきりと見えたのが面白かったのである。
悟空が旅を先導し、荷物を担いだ八戒が玉龍の横を歩きながら悟空と軽口を言い合う。悟浄はひたすら最後尾を守り、真面目に務めに励む。おそらく、あちらの世界でも玉龍に乗った三蔵法師を真ん中にして、こんな風に賑やかな旅路を歩んでいたのであろう。
「お、ここはやはり
ふと、沙悟浄が顔を上げた。間もなく、目の前に豊かな流れの川が現れる。
それは、甘州で『弱水』と呼ばれていた内陸河川だった。甘州や粛州といったオアシス都市にとっては、生命線といえる川である。
エジナ河や
「さようです」
沙悟浄は目を細めながら答えた。
「師父、この川はワシの故郷でございます。世界は違えど、風景はほぼ同じ。なつかしゅうございます」
玄奘は道中、三人から、三蔵法師の弟子になった
沙悟浄の場合、天界で罰を与えられた際に『流砂河』という大河に落とされたとのことだが、それがここ、弱水らしい。
沙悟浄は三蔵の弟子になるまで、川底に住み旅人を襲って喰らう生活を送っていたと言っていたが、目の前を
「美しい河ですね。悟浄の他にも、この河に住む妖魔はいたんですか?」
玄奘からの問いに、沙悟浄は『流砂河』に住んでいたのは自分一人だったと答える。そして、この河は自分の家同然だから案内は任せてくれ、と列の先頭へと
大河を前に
「下流は川幅広く、渡るのは困難ですが、上流に行けばいくほど浅くなります。となれば、少々遠回りにはなりますが上流に向かって歩むのが賢明かと。さすれば村もあるはずです。師父はお怪我もなさっておりますし、
普段は控えめな沙悟浄が、珍しく
村と聞いて、八戒が腹をぐううと鳴らした。おそらく、村でありつける食事を想像しているのだろう。その証拠に、
玄奘は、沙悟浄の勧めに従いたい気持ちはあったものの、宿を決めるにはまだ少し早い時間帯の上に、一人で先を行った沙羅の事も気がかりだった。
「私は大丈夫です。早く沙羅に合流しましょう。女性の一人旅は危険ですから」
途端、悟空が面白くないとばかりに鼻根に皺を寄せた。
「だから、あのはねっかえりの事はお気づかい無用なんですってば。おっしょさんね、何度も言いますがあいつは妖魔なんですよ。
面の皮の厚さは人も妖魔も関係ない。これはただの憎まれ口だった。
どうも悟空は、沙羅に対して妙な敵対心があるようだ。
もしや同族嫌悪だろうか。
悟空と沙羅がどことなく似ていると感じている玄奘は、疑わずにはいられなかった。
「大体、あいつは犬じゃありませんか。鼻に関してだけ言えば、オイラ達よりよっぽどいいもん持ってんです。おっしょさんがどこにいたって、嗅ぎつけて戻ってきますよ。おっしょさんが心配する必要なんか、これっっっっぽっちもありやせんのです!」
悟空が針に糸を通すような顔で、長い人差し指と親指をギリギリまで近づけて玄奘にアピールする。
悟空は本当に頭も口もよく回ると、玄奘は感心した。
確かに沙羅は、刀を使えるし火も吹くし身軽だ。鼻も利く。
憎まれ口を差し引けば、悟空の言っている事も間違いではないと判断した玄奘は、悟浄の勧めに応じる事にした。
それに、短気な悟空の神経をこれ以上刺激するのもよろしくない。
「では悟浄。案内をお願いします」
「おう、きっちりやれよ」
「承知!」
玄奘が言うなり、
悟浄は深々と頭を下げながら、手綱を押し頂く。
★
悟空と悟浄が前と後ろを入れ替わり、川岸を上流に向かって進むと、集落が見えてきた。
「おお、あったあった。あちらでございます、師父」
悟浄が声を弾ませ、歩を速めた。
しかし村の入り口まで来た所で、悟空が「ちょっと待て」と行く手を止める。
「なんか、変じゃねえか?」
先頭に出てきた悟空は、警戒するように鼻をフンフンとならし、村から漂ってくる空気を嗅ぐ。
よく見ると、村の入り口にあるヒノキの大木に、人々が群がって平伏していた。
木の根元には、色とりどりの花が咲き乱れ、その上では鹿や猿などの動物がたわむれている。枝の周りには鶴が舞い遊んでいる。
「なんじゃい、あの極小桃源郷みたい妙ちくりんな大木は」
木の周りだけ浮世離れしている異様な光景に、悟空が茫然と言った。
確かに変である。
玄奘は、その村に入るべきか、元来た道を戻るべきか迷った。
その時、八戒が「あぁ、あんれまあ!」と感嘆の声を上げて指差す。
「あれ、
八戒が指し示した先には、ヒノキの根元で
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