第32話 露天風呂を作れ

「ほれもっと頑張らぬか。豚は穴掘りが得意であろう」


 烏巣禅師うそうぜんじ瓢箪ひょうたんの水をぐびぐび飲みながら、川岸でえっさえっさと穴を掘る八戒の尻を蹴った。


 八戒は「あいやっ」と短い悲鳴を上げて飛び跳ねると、からすの本性を持つ聖者せいじゃにうらめしげに振り向いた。


「それはいのししでしょうがぁ! もう!」


 文句を言いはしたが、また穴を掘りはじめる。


「よく似たもんじゃて」


 烏巣禅師はケタケタと笑いながら、玄奘の隣に座った。またぐびぐびと水を飲む。

 瓢箪で苦労させられたばかりの玄奘は、思わず禅師と距離を開けて座り直した。


 玄奘らは、烏巣禅師の家に招かれていた。家と言っても、河原に建てられたり小屋のようなあばら家だ。

 狭いので家には入らずに、家の前の川岸で茶をかわそう、と禅師は家から白湯さゆが入った湯のみを人数分持ち出し、玄奘らに渡していた。

 ただし、八戒には湯のみのかわりにしょう(シャベル)を渡し、露店風呂ろてんぶろを作りたいから穴を掘れと命じたのだ。

 ちなみに玉龍はというと、玄奘らのそばでぼんやりと川の流れを眺めている。元々は谷川に住んでいた竜であったという話なので、故郷を懐かしんでいるのかもしれない。


「いやあ、まいったまいった。ここら辺で待っておれば三蔵一行さんぞういっこうに会えるであろうと思って村に逗留とうりゅうしておったら、ワシのおる場所だけ木は伸びるは、花はさくは、獣は集まるはで、すっかり仙人せんにん扱いされてしまっての」


 いやまいったまいった。


 禅師は、また同じ言い回しを使うと、禿げ頭をぺちりと叩いた。たっぷりとした口髭を揺らしながら、カカカと軽快に笑う。

 

「実際仙人みたいなもんだろ、あんた」


 八戒と同じく烏巣禅師と顔見知りの悟空は、相変わらず能天気のうてんきな禅師に呆れながら白湯を飲む。

 悟空からも仙人呼ばわりされた禅師は、カラカラ笑い声を上げた。

 禅師は基本、笑顔だ。


「仙人ではないぞ。禅を極めた聖者である」


「自分で言うなよ」


 即座に悟空がつっこむ。

 烏巣禅師とは初対面である悟浄は、ひたすらかしこまって、頂いた白湯を飲んでいた。一口飲むたびに「おいしゅうございます」と小さな独り言を口にしている。

 意外にも悟浄は、人見知りなところがあった。


「だいたい、あんたはあっちの世界の人間だろうが。なんでこっちにいるんだよ」


 悟空が、もっともな質問をする。

 それに対して禅師は、「ああそれな」と頷くと、悟空らに忠告したい事があり、自ら異界への扉を作って参上したと明かした。


「あんたもかよ」


 つい先日、異界に通じる扉を作ってこっちに脱走してきた太上老君の使い走り二匹をとっちめたばかりである。

 どいつもこいつもモグラみたいに異界こっちつながる道を作って大丈夫なのか、と悟空はぼやいた。


「して、忠告したい事とは何でございましょうか」


 ここに来て初めて悟浄がまともな口をきいた。だがその顔は、まだ若干緊張している。


 禅師は「うんまあ、それはおいおい話してやるとして」と答えを渋ると、「まあとりあえず飲め飲め」と酒を勧めるように白湯を勧めた。

 答えをもらえなかった悟浄はまた「おいしゅうございます」と人見知りに戻ってしまう。


「この小屋は御坊ごぼうがお建てに?」


 玄奘が次の話題をふった。


「いや、なんか知らんが村人が勝手に建ててくれた」


 禅師はあっけらかんと答えた。

 

 どうやら永住を望まれているようだ。本人は全然分っていないようだが。


 三人は気まずい思いで白湯をすする。


「もう嫌もう無理! 俺もうやめたよ。やめたからね!」


 ひいひい言いながら、八戒がやってきた。悟浄の隣にどっかりと腰をおろす。


「大体、河の水を引きこんだ所でどうやってお湯にするんだよぉ。焼け石ぶっこむにしても、どんだけ必要なんですかって話なのよ!」


 「あ゛~」と枯れた声を出し、大の字に寝そべってしまった。


 禅師は大きく上下するスイカ腹に向かって「おうおう、豚よ。案ずるでない」と言いながら、また瓢箪の水をぐびりとやる。


「丁度良い火吹き犬を手に入れたのじゃ。そやつ、ワシの小屋から薬草を盗もうとしておっての。使えそうだと思って縛りあげてあるんじゃよ」


 途端、白湯を飲む三人の動きがぴたりと止まった。ついでに八戒のスイカ腹の上下運動も停止する。


「……ひふきいぬ」


 玄奘が復唱した。

 動いたのは、四人同時だった。禅師の小屋までばたばたと走った四人は、勢いよく戸を開ける。


 わらを敷いた寝床と小さな椅子があるだけの狭い室内に、黒髪の乙女がさるぐつわを噛まされ、一本柱いっぽんばしらに縛りつけられていた。


「「「「沙羅!」」」」


 仲間と数時間ぶりの再会を果たした沙羅は、目を丸くしている四人の前でふくれっ面をひどくすると、ぷいとそっぽを向く。


「ああ、火い吹きよったから布噛ませといたんじゃわ」


 玄奘らの後ろから、烏巣禅師が飄々と言った。

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