第3話 もう一人の三蔵
さて。舞台を変えて、仏界である。ここでも、似たような事が起こっていた。
供物の残りを食べて祭壇を清める
仏法を守る
そして、
この四人と一匹である。
「よお八戒。こっちでも腹いっぱい食ってるそうじゃねえか」
「悟空兄貴こそ。相変わらずガラが悪いんだからぁ」
「息災であったか玉龍？ そうか。それは結構なことだ」
「四人とも静かになさい。もうすぐ如来様がおいでになりますよ」
悟空と八戒が肩を組んで冗談を言い合い、悟浄は宙を滑る玉龍と近況を報告し合い、三蔵がうるさい弟子達を窘める。全員が神々しい仏神の姿をとってはいるものの、かつて地上で旅を共にした仲間が一同に合したその場はさしずめ、同窓会だ。
そこに、見事な螺髪をした仏が二人の尊者伴って、しずしずと現れた。釈迦如来である。
「困った事が起きました」
一斉に拝した四人と一匹の前で、釈迦如来は開口一番、こう言った。呟くように発せられた静かな声が、拡声器で広げられたように、神々しく響きわたる。
「困った事、と仰いますと？」
三蔵が遠慮がちに訊ねた。
釈迦如来は集まった四人と一体に、牛魔王の逃亡を告げた。加えて、改心の末に仏界でのお役目に励んでいたはずの妖魔達が次々と魔性を蘇らせて地上へ降りた事。更には、異界への道が何者かによって開かれた事を明かす。
「牛魔王の怨念は仏の力をもってしても昇華が難しかった……。恐らくは全て、あの者がやった事なのでしょう」
その言葉を最後に、小さく嘆息する。
「異界への道……で、ございますか？」
「初耳だな。なんじゃそりゃあ？」
眉をひそめた三蔵の隣で、悟空が耳をほじりながら顔をしかめる。釈迦如来は目の前の四人と一匹を見渡しながら、たおやかな口調で説明をはじめた。
「異界とは、枝分かれした地上界のこと。天界や仏界とは異なり、地上界は樹木が枝を伸ばすが如く、同じような世界が幾つも存在するのです」
「へえ。全然知らなかった。ねぇ、悟浄」
八戒が隣の悟浄に向かってヘラヘラと笑いかけたが悟浄は構わず、釈迦如来に訊ねる。
「それで、異界への道が開かれたらいかなる問題が起こるのでございましょうや？」
「開かれるだけであれば害は無い。しかしそこを通る者が悪意を持っておれば、大変な事になりましょう」
「だからさあ、どう大変になるってんだよ」
仏になっても短気が変わらない悟空は、釈迦如来のまどろっこしい喋り方に苛立ちを隠そうともせず、貧乏ゆすりを始めた。
釈迦如来は、悟空の無礼を気にする事無く説明を続ける。
「繋がれた異界は、仏界や天界から遠く、介入が難しい場所です。そこには、その世界で三蔵法師となる、玄奘もいる。もし妖魔達がその世界へなだれ込めば、三蔵や。その世界のお前は葬られるでしょう。そしてその世界の仏教は潰え、妖魔が地上を治める事になりましょう」
「おっしょさんがいるなら、オイラだっているでしょう。心配しなくてもそんな野郎どもはね、オイラがやっつけちまいますよ」
「そうですよ。兄貴がいればね、なーんも心配ないんです。余裕余裕ヘノカッパ」
大口を叩いた悟空に乗る形で調子よく言った八戒が、悟空の肩に肘を乗せた。速攻で悟空に払い落され、転倒する
釈迦如来は長い睫毛を伏せると、「その世界に、お前達はおりません」と静かに告げた。
「「「え？」」」
揃って眉をひそめた三蔵の弟子たちが、一段高い場所に立っている釈迦如来を見上げる。
「悟空。お前が生まれた世界は、我らに近い分、少々特殊なのです。神気や妖気で溢れており、妖が生まれやすい。しかし、異界の地上は違います」
道が繋がった異界での生物の殆どは人間や動植物だと、釈迦如来は伝えた。次に釈迦如来は、左に控える尊者、
「これが、異界にいる玄奘の身の上書。および、旅の工程表です」
押し頂いた三蔵の周りに、弟子達が集まった。四人と一匹はぎゅうぎゅうに身を寄せ合いながら、紙に書ある文と地図を読み合う。
まずは悟空が音読した。
「え～と、どれどれ？ 幼名は
「私も同じです」
三蔵が言った。
次を読んだのは八戒である。
「国禁を犯して出国？ あいやぁ。なにやってんのこの人」
穏やかでない内容に、八戒が眉を寄せた。それに対し三蔵は、当時王朝が隋から唐に変わったばかりで情勢が荒れており、西域への旅行の許可を得るのは難しかったのだと説明した。
「恐らく、詔書を得られなかったのでしょう。難民に紛れて長安を出たのかもしれません。飢饉のため、住民の疎開が許されていましたから。ゆえに彼はまだ、三蔵（仏教の聖典である経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通しているすぐれた僧に与えられる称号）の僧官を得てはいないようですね」
はぁ～、と悟空が感嘆の声を上げた。
「菩薩様と皇帝から袈裟と錫杖を頂いて、お墨付きの旅をしていたおっしょさんとは、苦労が違いますねぇ」
これには三蔵も気を悪くした。しかし、本当の事なので何も言えない。
「弟子には苦労させられましたが」
代わりに弟子の不肖ぶりを嘆く事で、意趣返しとした。
「少林寺拳法を習得？ まことですか」
続きを読んだ沙悟浄が、目を見開く。友に少林寺あがりの僧がいたので、その者から教わったのだろう、と三蔵は言った。
「それは是非とも手合わせ願いたいですな」
隆々とした両腕を持ち上げた悟浄が肘を曲げて、むん、と力瘤を作る。
「この人、ホントにおっしょさんなのかい？」
悟空が釈迦如来に向かって、疑わしげに訊ねた。師匠である三蔵法師と書面に書かれた玄奘の成人後の人物像に、ズレがありすぎたためである。
「間違いありません」
釈迦如来は優雅に頷いた。
悟空はまだ納得いかないという風に、「ふうん」と曖昧な相槌をうってもう一人の三蔵の身の上書に視線を戻したが、やがてニカッと快活に笑い顔を上げる。
「まあいいや。ちょちょっと行って、妖魔やっつけたついでに、あっちのおっしょさんを天竺に届けてやりゃあいいんでしょ？ 今のオイラなら楽勝っすよ」
「仏の姿は保っていられません。生前の姿が精いっぱいでしょう」
「「「なんで？」」」」
三蔵の三弟子のみならず、玉龍までがその大きな頭をもたげて釈迦如来を仰ぎ見る。
仏の力が届きにくいからだ、と釈迦如来は説明した。
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