金角・銀角

第22話 裏切りの沙羅

「ったく、油断も隙もありゃしねえぜクソ犬め!」


 玄奘の周りを苛ついた様子で歩きまわっていた悟空が、両手を腰にあててむしろの上に寝かされた人物を睨みつけた。

 むしろの上で、うつ伏せにノびているのは沙羅である。何故うつ伏せなのか。それは、如意棒にょいぼうで後頭部を殴打されたからだった。

 むしろは八戒が、砂だらけの荒地あれちに転がる石をどけて敷いた。そこに沙羅を寝かせた玄奘は、大打撃をこうむった乙女の後頭部に手を当てた。

 やはり、大きなこぶができている。しかも、ほんの少しだが出血もあった。髪に隠れてはいるが、皮膚が切れている傷口は痛々しい。玄奘は顔をしかめると、行李こうりを引き寄せ、清潔な布を一枚取りだした。


「彼女は出会った時から頭ばかり怪我している気がします」


「そうなの? 顔じゃなくてよかったねぇ」

 

 布で血を拭いながら手当てを始めた玄奘に、八戒が沙羅の頬をつつきながら軽口を言った。言ういなや、悟空に頭をしばかれる。


「黙ってろ色豚!」


 弟弟子おとうとでしを一喝した悟空は、今度は玄奘に説教を始める。


「おっしょさん、あなたもね。拳法けんぽうの達人ならもうちょい抵抗したらどうですか! オイラがこいつの頭ぶん殴らなかったら、あんた左腕ザックリやられてましたよ!」


 悟空は『ほらほら』と言わんばかりに、沙羅から奪い取った二本の短刀を、玄奘の目の間で叩き合わせて見せた。

 

 妖魔退治も終わり、甘州かんしゅうを出た玄奘一行は、道端で小休憩を取る事にした。そこで沙羅が、悟空らの目を盗んで玄奘を呼び出し、襲ったのである。


 沙羅は玄奘を、『腕一本でもいいからよこせ』と短刀片手に押し倒した。

 あわや左前腕ひだりぜんわんを切り取られかけた玄奘だったが、そこに悟空がかけつけ、問答無用で沙羅の後頭部を殴って気絶させたのである。

 悟空は、大して抗いもせず倒されるままだった玄奘にも、腹を立てていた。


「私は達人ではありません。拳法は修行の合間に、少し習った程度です」


 玄奘は、沙弥しゃみをしていた頃に知り合った青年僧を思い出していた。彼は少林寺の僧で、玄奘に目をかけ武術を教えてくれた、拳法の師であり友である。しかし八年前に起こった『虎牢ころうの戦い(とうていの戦い)』で僧兵として出兵し、その後行き方知れずとなった。


「もしかして、惚れた弱みってやつかしらぁ――痛い!」


 またまた軽口をたたいた八戒。悟空のビンタをくらった。


「師父。これでよろしいですか」


 沢から戻って来た悟浄が、冷たい水で満たした中華鍋を玄奘に渡す。


「ありがとうございます」


 礼を言って鍋を受け取った玄奘は、それを地面に置くと、頭の血を拭いていた布を水の中に浸した。

 軽く絞り、傷ついた丸い後頭部に乗せてやる。


 悟空が「けっ!」と唾を飛ばした。


「んなことしてやらんでもね、コブなんかすぐに引くんです! 妖怪ですよ、こいつは。分ってます?」


 何度も沙羅を指差しながら、玄奘に文句を言う。


 その様子が、可愛がられる弟妹にヤキモチを焼いている兄姉のようだと感じた玄奘は、思わず笑った。

 「悟空の頭にも乗せてあげましょうか」と手招きすれば、「けっこうです!」とそっぽを向く。ついでに長い尻尾で、宙に浮いたままの玄奘の手をペチンと払ってきた。

 

 兄貴分の子供じみた姿に、八戒が「ぶふう」と困ったように鼻を鳴らす。


「兄貴ぃ。女の子には優しくしなきゃあ」


「男も女も畜生ちくしょうもあるか!」


「もう。兄貴は危険な意味で平等思想なんだよなぁ」


 八戒が、先程よりも大きな鼻息をもらした。


「仏は、万物は平等だと説いています。悟空の言う事も、まんざら間違いではありません」


「いやだから兄貴は危険な方でね」


 玄奘の講釈に対し、八戒が即座に指摘する。


「ちなみに悟空。『利他りた』という思想を、あちらの私から学びませんでしたか」


 玄奘は、悟空の背中に語りかけた。

 振り向いた悟空が答える前に、沙悟浄が懐かしそうに目を細める。


「『利他』ですか……。あちらの師父も旅の最中、よく口にしておられましたな」


 『利他』とは、自分を犠牲にして他人の為に尽くす事を言う。『功徳くどくを積む』ともいい、そうすることでさとりに近づけるのだという思想である。大乗仏教だいじょうぶっきょうの教義ともいえた。


 あちらの三蔵法師は、他者の面倒事に付き合わされる度に、『利他』の精神を悟空たちに説いて聞かせ、求法の旅を中断されて不満を言う弟子三人をたしなめていたという。


 玄奘は「そうでしたか」と悟浄に小さく頷くと、ぽつぽつと話し始める。


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