第2話

 翌日、空は昨日の悪天候が嘘のように晴れ渡り、学校は何事もなかったかのように授業を再開した。


 ふみは、昨日見た浜地はまじの首吊り死体は夢だったのではないかと錯覚しそうになったが、クラスでは専ら首吊り自殺の話題で持ちきりだった。


 クラスメイトたちの噂をまとめると以下の通りだ。

 自殺した二年生、浜地光男みつおは同級生の煙崎たばさきあさら女子グループから酷いいじめを受けていたそうだ。それも、元はといえば他の生徒がいじめられているところを助けたことが原因だったらしい。浜地はそのことで何度か担任の教師に相談したが、相手が女子生徒であったことを理由に、まともに取り合って貰えなかった。その結果、浜地はいじめを苦に首を吊って自殺した。校舎で首を吊って自殺したのは、いじめを見て見ぬふりをした学校への復讐なのだという。


 どこまで正確な情報なのかは不明だが、浜地が複数の女子生徒から壮絶ないじめを受けていたことに関しては間違いなさそうだった。


 ふみ香の知る浜地は、物静かで優しい先輩だった。棋力は他の先輩と比べると高くないが、将棋を教えるのは誰よりも丁寧で上手かった。ふみ香が無理矢理入部させられた将棋部を辞めずに続けたのは、浜地が根気強く指導してくれたからだ。


 そんな浜地が自殺した。

 否、小林こばやしこえはあれを殺人だと言った。自殺なら兎も角、あの浜地が誰かから恨みを買って殺されたとは思えないが……。


 昼休み、ふみ香は小林声のいる二年三組を尋ねた。しかし、教室の中を見回しても姿が見当たらない。


「小林さんなら実験室にいるよー」

 長い髪をポニーテールにした女の先輩がふみ香に話しかける。


「え?」


「いやー、小林さんに頼まれてたんだよね。もし一年生の女の子がここに来たら、実験室にいると伝えてくれって」


「…………」


 どういうことだ?

 小林声はふみ香が昼休み、自分を訪ねてクラスにやって来ることを予期していた?


 ふみ香は何か薄ら寒いものを感じながらも、結局は小林に会いに実験室へ行ってみることにした。


     〇 〇 〇


「そろそろ来る頃だと思っていた」


 ふみ香が実験室の扉を開けると、小林声は扉の方をチラリとも見ずにそう言った。机の上には何故か細かく切り刻まれた紫キャベツが置いてある。まさか、ここで昼食を作るわけではないだろうが……。


「……何故私が来ると?」


「別に必ず来ると思っていたわけではないよ。あくまで予想していた行動だったというに過ぎない。お前は被害者の知り合いだと言っていた。ならば、あちこちで無責任に垂れ流される被害者の情報が耳に入らないわけがない。そして、昼休みには一頻り情報が集まる頃合いだろう。お前が新たな情報を求めて、次の行動に出る可能性は高いと踏んだだけだ」


「…………」

 ふみ香は自分が単純だと言われたような気がして、複雑な気分になる。


「ところで、小林先輩はここで何をしているんです?」


 一体何故机の上にキャベツがあるのか?

 そもそも、無断で実験室を使っていることをツッコんだ方がいいかもしれない。


指示薬しじやくを作っている」


「……指示薬?」


「小学校の授業で習わなかったか? 紫キャベツに含まれるアントシアニンという色素は酸やアルカリ性に反応する。これを使って溶液のpHペーパーを確かめる」


「……あの、何の話をしているんですか?」


「昨日の答え合わせだよ。えーと……」


美里みさとふみ香です」


「美里、お前にはまだ浜地光男の死が他殺であることの根拠を話していなかったな」


 それは昨日、ふみ香が100%犯人ではないと言い切れないことを理由に話して貰えなかったことだ。


「まずはそこから説明しておこう」


「……はァ」


 何時の間にか、小林の中でふみ香は容疑者から除外されたらしい。


「私が最初に妙だと感じたのは、家庭科室のカーテンの濡れ方だ。開いた窓付近のカーテンが濡れているのは外からの雨だと解釈できるが、。つまり、カーテンが濡れていたのは外からの雨以外の要因であることが推測される」


「いやいや、外は台風だったんですから、雨が強風で吹き込んで来ることは充分考えられるのでは?」


「……そうだな。確かにそれだけでは根拠に乏しい。そこで紫キャベツこれを使う」


 小林はまな板の上のカットされた紫キャベツを大きめのビーカーに入れる。それから電気ポットで沸かしたお湯を上からかけた。すると、お湯に紫キャベツの色素が徐々に移っていく。


「使うのは湯に溶け出した色素だけだ。キャベツは後で塩キャベツにでもして食べるとしよう」


「……あの、一体何を調べるんですか?」


「これだよ」


 小林は机の上にある二本の試験管を指差す。二本の試験管にはそれぞれ、AとBと印字されたシールが貼られている。


「Aの試験管には開いた窓付近のカーテンから滴っていた水、Bの試験管には閉まった窓付近のカーテンから滴っていた水が入っている。それぞれに紫キャベツ溶液を入れて、反応を調べる」


 小林はビーカーの中の紫キャベツ溶液をスポイトでとって、それぞれの試験管に落としていく。Aの試験管は元の紫色からピンク色に変化。Bの試験管は色に変化はない。


「これではっきりしたな。Aの試験管、即ち開いた窓付近のカーテンから滴っていたのは非常に弱い酸性の液体。閉じた窓付近のカーテンから滴っていたのは中性の液体ということになる」


 ――非常に弱い酸性の液体?


「……そうか、酸性雨!」


「御名答。やはり私の予想通り、閉じた窓付近のカーテンは雨ではない別の要因で濡れていた」


 まさか、紫キャベツで鑑識作業までやってしまうとは。

 小林声。名探偵という評判は本物のようだ。


「……でも、カーテンが水に濡れていたからってそれが何だって言うんですか?」


「では逆に尋ねるが美里、雨に濡れたわけでもないのに何故カーテンが濡れていると思う?」


「……そんなの、わかりませんよ」


「前提として、偶然こんなところが濡れるなんてことは起こり得ない。これは何者かがやったことだ。ではその何者かとは誰で、何の目的でそんなことをしたのか?」


 小林に睨まれ、ふみ香は思わず唾を飲み込んだ。


「答えは、浜地光男を自殺に見せかけて殺害する為だ。犯人はその

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