第35話 逃避と過去



「何をやってるんだ、貴様は」


 ふと、響いた声。気づけばすぐそばにいる、白い髪の少女。見覚えがあるのに思い出せない、そんな感覚。……頭が、痛い。


「君は……俺のこと、知ってるのか?」


 痛む頭を抑え、何とかそう声をかける。


「……そうか。貴様は本当に懲りない奴だな」


 俺の様子を見て、何かを納得したように1人頷く少女。……その顔はどうしてか、とても寂しそうだ。


「私はやっぱり1人なんだよ。そうでないといけない。そうじゃないと、駄目なんだ」


「言葉の意味が分からないけど、俺はやっぱり……君のことを知ってる」


 少しだけ、頭痛が和らぐ。思考がクリアになる。この少女の側にいると、何か思い出せそうな気がする。


「これ以上、私に構うな。私のことを知ろうとするな。私に関わると損をするのを貴様だ」


「でも君は、何か大切な記憶を探してる。そしてそれは、俺が──」


 俺が何なんだ? というか、俺は今なにを言った? この子のことなんて俺はなにも覚えてない筈なのに、口が勝手に動く。


「……どうして、貴様ばかりが私を見つけるのだろうな」


「その言い方だと、やっぱり君と俺は知り合いなんだよね?」


「どうかな。少なとも私はお前なぞ知らん」


「いや、そんなことは──」


「いいから、私に構うな」


 そう言って、そのまま歩き出す白い髪の少女。その背を追いかけなければと思うけど、その理由が俺には分からない。……分からないけど、あの子を放ってはおけない。


 俺は頭を振って、走ろうとする。けれどそれを遮るように、スマホから着信音。……鷹宮さんから電話だ。


「…………」


 少し迷う。けれど、何かあったのかもしれないと思い、電話に出る。


「今って電話、大丈夫ですか? ハルくん」


「……大丈夫だけど、何かあったの? 鷹宮さん」


「いえ、ただちょっとだけ……ハルくんの声が聞きたいなって」


「今さっき別れたばかりだろ? 早くない?」


「ダメですか?」


「いや、ダメじゃないけど……」


 タイミングが悪いな、とは思う。


「ハルくん、今日はありがとね。それだけもう一度、伝えたくて」


「いいよ、お礼なんて言わなくても。俺も、やりたくてやっただけだし。それに元々は、鷹宮さんが俺を雨宿りさせてくれたんだろ?」


「それでも、誰かに側に居てもらえるのって久しぶりだったから、嬉しくて……」


「……そっか」


 鷹宮さんは、よほど寂しい思いをしてきたのだろう。こうやって電話しているだけでも、彼女が俺をどれだけ大切に思ってくれているかが伝わってくる。


「ま、今日は鷹宮さんもあんまり夜更かししないで、早めに寝ないとダメだよ?」


「分かってる。明日、デートだもんね」


「その前に学校だけどな」


「前哨戦ですね」


「いや、それは違う」


 鷹宮さんは意外と冗談とか言ったりする。しかもなんか、ちょっとズレたような冗談を。


「あんまり長電話するとハルくんに悪いし、もう切るね。いきなり電話して、ごめんね」


「別にいいよ、これくらい」


「ありがとう。明日は私がご馳走するから、楽しみにしててね」


「……分かった」


「うん。おやすみ、ハルくん」


「おやすみ、鷹宮さん」


 そこで電話を切る。彼女と話をするのは、やっぱり楽しい。


「……でも、見失っちゃったな」


 先ほどの白い髪の少女の姿は、もうどこにもいない。一瞬、走って探そうかとも思うけど、そこまでする理由がやはり俺にはない。


「そもそも、名前も知らない女の子を探し回るなんて、ストーカーでしかないしな」


 軽く息を吐いて、歩き出す。そうやって歩いていると思い浮かぶのは、鷹宮さんの笑顔。……ではなく、先ほどの少女の寂しそうな顔。


「一目惚れでもしたか?」


 流石にそこまで単純じゃない。……単純じゃないとは思うけど、どうしてもあの子のことが頭から離れない。


「さっさと帰ろ」


 なんだかよく分からない感情を振り払うように、早足で家に帰る。家に着くと、連絡がないと怒った妹をなだめて。彼女でもできたのか? と笑う両親に適当な誤魔化しを言って。軽くご飯を食べてから、熱い風呂に入ってベッドに倒れる。


「……眠い」


 よほど疲れていたのか、そのまま10秒もせずに意識が途切れる。……その日見た夢は、とても人に言えるようなものではなかった。


「……欲求不満なのかな、俺」


 朝、目を覚ます。時刻は5時過ぎ。まだもう一眠りできる時間だが、しかしどうしても眠る気にはなれない。……何故か、元カノである白山さんを抱く夢を見た。付き合っている時はそんなことなかったのに、どうして今になってそんな夢を見たのだろう?


「すげー気まずい、なんだこれ」


 気を紛らわすために朝の散歩にでも行こうか。そう考えていると、スマホに着信。こんな時間に誰だ? ……また、鷹宮さんか? とか思いながら、画面を見る。表示されている名前は『切無さん』。俺のバイト先のお兄さんだ。


 切無さんとは昔からの知り合いだけど、こんな時間に電話なんてかけてきたことは一度もない。……何かあったのだろうか? そう思い、電話に出る。


 すると開口一番に、切無さんは言った。


「お前の女のことで話がある。今から出れるか?」


「なんだよ、急に。今まだ5時だぜ? しかも俺、今日学校だし」


「言ってる場合じゃねぇんだよ。お前、勉強だけはできるんだし、1日くらいサボっても問題ねぇだろ?」


「いやもう既に、2日もサボってるんだよね」


「……相変わらず不真面目な奴だな、お前は。まあいい。2日サボったんなら、もう1日くらいサボっても変わらねぇ。いいからすぐに来い。分かったな?」


「……なんだよ、強引だな」


 切無さんにはいろいろお世話になってるし、断る訳にもいかない。……とも別に思わないが、この人がここまで強引なのは珍しい。多分、間違いなく何かあったのだろう。


「とにかく、すぐに来い。……じゃねーや。どうせなら、朝飯も一緒に買って来い。金は後で返してやるから」


「分かった。切無さんは、なんかいる?」


「……そうだな。新製品のカップ麺あったら買って来てくれ。なんかコッテリしてるやつ。あとアイスクリーム」


「了解。じゃあすぐに行く」


 電話を切る。今からバイクに乗っていけば、切無さんの家まで30分もかからない。


「でも、急いでんのかそうじゃないのか、分かんないよなあの人」


 普通、急いでるならコンビニで朝ごはんを買って来いなんて言わない。でも急ぎじゃないなら、こんな時間に電話なんてしてこない。相変わらず、あの人の考えは分からない。


「ま、さっさと行くか」


 着替えてバイクの鍵を持って家を出る。両親と妹には、急用ができたから学校サボるとだけ、メッセージを送っておく。両親は笑うだろうけど、妹にはまた怒られるが仕方ない。


 というか、この調子だと本当に留年するかもしれないので、今後は気をつけないと。


「……そういや、放課後は鷹宮さんとのデートの約束があったな」


 まあでも、流石に放課後まではかからないだろう。そう楽観して、バイクを飛ばす。切無さんに遠慮はいらないので、どうせ奢ってもらえるならと、パンとかおにぎりとかお菓子とかいろいろ買って、そのまま切無さんの住むマンションへ。


 扉を開け、部屋に入ると切無さんは開口一番に言った。



「お前の女が居なくなった」



 その言葉の意味が、俺にはよく理解できなかった。


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