第37話 青空と海



「……ありがとう」


 アイスを奢ってあげると、白い髪の少女は拗ねたような顔で、素直にお礼を言ってくれた。俺たちはコンビニ近くのベンチに座り、2人で並んでアイスを食べる。


「どうして、ここが分かった?」


 と、少女は呆れたように俺を見る。


「いや、分かってないよ。ただ、なんとなく適当に走ってたら、たまたま見つけただけ」


「……そうか」


 何か含みのある表情で、アイスを舐める少女。昨日見た時は大人っぽいミステリアスな子だなと思ったけど、アイスを舐めてる姿は小さい子供みたいだ。……ちょっと、可愛い。


「アイス、チョコミントが好きなの?」


「いや、別にこだわりはない。ただ、これは色が綺麗だからな」


「確かに綺麗だけど、それ気にするとこ?」


「アイスはなんでも美味しい。美味しいなら綺麗な方がいい」


「……かな? 因みに俺はチョコバーが好き」


「チョコは美味いが茶色だ」


「こだわるね」


 2人してのんびりとアイスを食べる。心地いい潮風が、少女の綺麗な白い髪を揺らす。


「どうして急に、切無さんの家から出て行ったの? 何か、気に入らないことでもあった?」


「いや、あの男はよくしてくれた。不満はない」


「だったら、どうして出て行ったの?」


「これ以上、迷惑はかけられない。貴様にも、あいつにも」


「迷惑って、別に俺も切無さんも──」


「貴様、覚えていないのだろう?」


 少女が真っ直ぐにこちらを見る。揺らぎのない赤い瞳。その目にはきっと、嘘なんて通じない。


「……まあ、そうだな。俺は君のことを全く覚えてない。どうして君を、切無さんの家に連れて行ったのか。君と俺がどういう関係だったのか。……そもそも、君の名前すら曖昧だ」


「だろうな。そうだと思った」


「でもなんていうかさ、覚えてないけど気になるんだよ、君のこと。昨日、見た時も思ったけど、君を見ていると何か……」


 上手く言葉にできない。ただこの子の側にいると、俺がずっと探していたものが見つかるような、そんな気がする。


「なんだ、その理由は。貴様、私を口説いているのか?」


「いやいや、そういうのじゃないよ。ただ……ごめん、上手く言葉にできない」


「なら、私に構うな。私にはやるべきことがある」


 アイスを食べ終え、クールに立ち上がる少女。


「まあ、帰らないって言うなら無理には引き止めないけどさ、行くとこあるの? さっきの様子だと、アイスを買うお金もないように見えたけど」


「…………」


 少女は何も言わない。少女は何故だか優雅な仕草で、空を見上げる。


「どうにかなる。今までも、どうにかしてきた」


「いやいや。そんな適当な」


「だが、いつまでも貴様やあの男に迷惑をかける訳にもいかない」


「でも、探してるものがあるんでしょ?」


「────」


 少女が目を見開く。自分が今なにを言ったのか、自分自身でもよく分からない。でも……そうだ。思い出した。この子は、ずっと探してるんだ。大切な、何かを。


「……ごめん、適当言った。でも……なんかさ、君が何か大切なものを探してるっていうのは、何となく覚えてる」


「……そうか。貴様は本当に……変わっているな」


 少女はまたベンチに座る。もう少し会話に付き合ってくれるようだ。


「絵本を知っているか? 弱い天使の絵本だ」


「天使? ……あー、そういえばなんか、昔そんな絵本を読んだような、読んでないような。内容までは覚えてないな」


「そうか。まあ、そうだろうな。貴様は忘れてばかりだ」


「ごめんなさい」


「別に、責めている訳じゃない。悪いのは……私だ」


 少女が空に手を伸ばす。雲一つない快晴。遠くに見える海に、思わず走り出したくなるような空だ。


「その絵本ではな、天使というのは人の嫌な記憶を集めるのが仕事なんだ。辛い記憶を抱え、どうすることもできなくなった人間の為に、天使がその記憶を引き受ける。人々が明日を生きられるよう、辛い記憶を天使が預かる。天使はそうやって、人間を助ける為に生きていた」


「嫌な記憶を、引き受ける。……なんか、聞いたことあるような……」


 でも、上手く思い出せない。


「天使は、人の嫌な記憶を集める。人々の為に辛い記憶を蓄える。それが私……天使の役目なんだ」


 少女が俺を見て笑う。その笑みがあまりに優しくて、俺の心臓はドクンと高鳴る。


「でも1人の天使は、そうやって人の記憶を抱えるのが、嫌だと言った。辛いことばかりじゃなくて、もっと楽しいことも知りたいと」


「それが普通だな」


「ああ。だがそのせいで、そいつは全てを失うことになる」


「……全てって?」


「全ては全てだ」


 話の展開が読めない。けど、確かにそんな絵本を昔読んだような気がする。1人の天使が幸せを探して不幸になる話。俺はその絵本が好きで、だから作者であるあの人に……。


「……それで、その後はどうなるんだっけ? 全てを失った後、天使の子はどうするの?」


「分不相応な願いは、周りを巻き込んで皆を不幸にした。天使はそれを悔いて、何もかもを失って、抜け殻のようになってしまう。抜け殻のまま、失ったものを探し続ける亡霊となる。それで、絵本はお終いだ」


「悲しい話だな」


「ああ。だが、分不相応なことを願うというのは、そういうことだ。貴様も考えなしに私に構い続けると、今度は全ての記憶を失くすかもしれない」


「…………」


 全ての記憶を失くす。それはたった3日間の記憶を失うのとは、訳が違う。全ての記憶を失くすということは、この世界で1人ぼっちになるということだ。それはきっと、想像を絶するほど恐ろしい。


「……もしかして君は、全てを忘れてしまったの?」


「私はソラだ。その名前を覚えている限り、私が全てを失うことはない」


「…………」


 彼女は気づいているのだろうか? 今の自分が、どれだけ悲しい顔をしているのか。それこそまるで世界で1人きりになったように、冷たく寂しい目をしている。


 ……ダメだ。やっぱり俺は、この子を放ってはおけない。


「帰ろうぜ? ソラちゃん。君の探し物が見つかるよう、俺も協力する。だからもう少しだけ、側に居させて欲しい」


「……貴様は、私の話を聞いていたのか?」


「聞いてたけど、それは絵本の話だろ? やっぱりさ、俺は君を……放っておけない。急にこんなこと言われて気持ち悪いかもしれないけど、やっぱり俺は……君を知ってる。忘れても、覚えてるんだ」


「……なんだ、それは。やっぱり、口説いているだけじゃないか。気持ち悪い」


「真正面からそう言われると、堪えるな」


「平気そうに言うな。少しは堪えた顔をしろ」


 少女……ソラちゃんが笑う。ようやく少し、笑ってくれた。


「私は貴様たちとは違うイキモノだ。貴様が私をどう思おうと、私は私の在り方を変えられない」


「でもまあ、手伝えることがない訳じゃないでしょ? 切無さんも心配してるし、一旦、帰ろうぜ? 行くとこがあるなら止めないけどさ、どこにもないんでしょ? 行くところも……帰るところも」


「……貴様は昔から強引だ」


「かもね」


「だが私は昔から、強引な男に弱いんだ」


「あはははは、一緒だね。俺も昔から、強引な女の子に弱い」


 2人して笑う。潮風が心地いい。平日の静かな街。世界に2人だけになったような、そんな錯覚を覚える。


「分かった。もう少しだけ探してみる。もう少しくらいなら……わがままを言っても、許される筈だ」


「大丈夫、大丈夫。切無さんには、俺からお礼するし。あの人はなんだかんだで、優しい人だから。……じゃあ、帰ろうぜ?」


「……ああ。ありがとう」


 ソラちゃんはまた笑って、遠い海に視線を向ける。……俺はまだ、この時のソラちゃんの笑みの意味を、全く理解できていなかった。


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