第36話 バイトとアイス



「お前の女が居なくなった」


 と、切無さんは言った。俺はその言葉の意味が分からず、首を傾げながら尋ねる。


「どう言う意味だよ、それ。というか、俺の女ってなに? そういう言い方、おっさんぽいから辞めた方がいいよ」


「うるせぇ。お前の女はお前の女だろ。お前がしばらく家に置いてくれって頼んできた、あの白い髪の女の子だよ」


「白い、髪の……女の子……」


 それは多分、昨日すれ違ったあの少女のことだろう。……でも、俺があの少女を家に置いてくれと切無さんに頼んだ? なんだ、それ。どんな理由があれば、そんなことを頼むんだ?


「とにかく入れ。朝飯でも食いながら、続きを話すぞ」


 乱暴な仕草で派手な金髪をかき上げ、そのまま歩き出す切無さん。切無さんは目つきも悪いし見た目もチャラいから、ぱっと見、売れないホストにしか見えない。でもこの人はこれで、まあまあ有名な絵本作家だ。大きめの本屋に行けば、必ず1冊はこの人の絵本が置いてある。


「つーかお前、どれだけ買ってんだよ。朝から唐揚げとか、よくそんなもん食えるな」


「寝起きはいいからね、俺。朝から唐揚げでもステーキでも余裕で食える」


「んなこと言ってると、すぐに太るぞ?」


「その分、動いてるから問題ないって」


 ソファに座って、唐揚げを食べる。うん、美味い。


「で、だ。この前、お前頼んだきただろ? あの白い髪の女の子……ソラちゃんだっけ? 部屋空いてるし、しばらくここにおいてやってくれって」


「…………」


「んだよ、黙り込んで。まさか、記憶にねぇとか言うんじゃねーだろうな?」


「いや、まあ……あはは」


 適当に笑って誤魔化すが、そんな記憶やっぱり俺にはない。多分、思い出せない3日間に何かあったんだろうけど、どうしても思い出せない。流石に、切無さんが嘘をついているなんてこともないだろうし。


「…………」


 少し頭を悩ますが、まあ切無さんならいいかと思い至り、俺は覚悟を決めて口を開く。


「実はさ、切無さん」


「んだよ、改まって。んな真面目な顔しても、金なら少ししか貸してやらねーぞ」


「じゃなくて。……なんかよく分かんないけどさ、ここ3日間の記憶がないんだよね、俺。だから正直、切無さんが何を言ってるのか全然わかんない」


「あぁ? お前、それ本気で言ってんのか?」


「嘘ならよかったけど、ほんとに覚えてないんだよ。なんか一昨日の夜さ、気づいたら公園のベンチで寝てたんだよ。それで偶々、クラスメイトの子に見つけてもらって。スマホ見てみると、いつの間にか金曜から月曜になってたんだよ」


「……お前、なんかヤバい犯罪とかに巻き込まれてねーだろうな? 嫌だぞ俺、お前の為に身代金払うの」


「それは心配ないと思うよ、財布の中身も無事だったし。案外、宇宙人にさらわれて改造手術とか受けてたのも」


「言ってる場合かよ。……まあでも、お前のことだし、それくらいなら自分でどうにかするか。お前の問題解決能力は、並じゃねぇからな」


 呆れるように言って、俺が買ってきたパンにかぶりつく切無さん。この人はなんていうか、余計な心配はせずちゃんと俺のことを信用してくれる。だから俺も、隠さず記憶のことを話せた。


「まあ、お前のことは置いといてだ」


「薄情だな」


「お前みたいな奴は心配しても意味ねーからな。……それより、あのお嬢ちゃんのことだよ。そこに置き手紙あんだろ? 朝見たら、それがテーブルの上に置いてあったんだよ。それで部屋を確認してみたら、居なくなっての、その嬢ちゃん」


「…………」


 手紙には綺麗な文字で、『世話になった』とだけ書いてある。確かにこれだけ見ると、もうこの子はここに帰って来ないような気になる。


「俺がその子……ソラちゃんの面倒を見てくれって、切無さんに頼んだんだよね?」


「ああ」


「なんで俺、そんなこと頼んだの?」


「知らねーよ。俺はお前が頼んできたんだし、何か事情があるんだと思って引き受けただけだ。どうせ俺、部屋から出ねーし。空き部屋に誰が居ようと関係ねぇからな」


「なんか適当だな。大人として、それでいいのか?」


「いいんだよ。立派な大人になんかなっても、いいことなんてねぇしな」


 適当に言って、唐揚げを食べる切無さん。この人、人に言っておいて自分も普通に唐揚げ食べてる。


「まあつまり、俺が切無さんに面倒を見てくれと頼んだソラちゃんが、書き置きを残して出て行った。だから切無さんは、朝から俺に電話してきた。それで状況はあってる?」


「ついでに、朝飯買って来て欲しかったしな」


「そんな理由で学校をサボらせるな」


「既に2日もサボってる奴が、偉そうなこと言うな」


「それを言われると言葉がない」


 しかし、俺は昨日そのソラちゃんとすれ違った。あのまま彼女は、どこかに行ってしまったのだろうか? ……どうしてか、胸が痛む。


「ちょっとその辺、探してくる」


「そうしろそうしろ。あの子はお前が連れて来たんだから、最後までちゃんと面倒見てやれ」


「犬猫みたいに言うなよ」


「お前が言えた台詞かよ」


 それは確かにその通り。犬猫を拾うみたいに人を拾ってきたらしい俺が、何か言えるような立場じゃない。


「でも切無さん、よく女の子と2人で同じ家に住めたよね? 切無さん、いつの間に女性恐怖症、治ったの?」


「あ? 治ったわけねーだろ。さっきも言っただろーが。俺は部屋から出てねーんだよ」


「……なるほど」


 切無さんは適当だけど優しいし、お金もまあまあ持ってる。でも、全くモテない。びっくりするくらいモテない。なんか、学生時代に女の子と揉めたらしく、それ以来とてつもなく女の子が苦手だ。いい歳して、女の子の目を見て話すことができないし、その癖、女の子の前だとカッコつけたがる。


 でも俺は、切無さんのことを他の誰よりも信用してる。


「まあ、探して連れ帰って来いとは言わねーけど、どうして急に出て行ったのか。行くあてはちゃんとあるのか。それくらいは、聞いてこい。分かったな? 春人」


「分かった。じゃあちょっと行ってくる」


 バイクの鍵を持ってマンションを出る。日差しが熱い。今日は暑くなりそうだ。


「でも、俺があの子を、ね」


 やっぱり思った通り、知ってる子だった。あの子と話せば、記憶のことが何か分かるかもしれない。……それに、ずっと感じてい退屈を、あの子の側にいたら忘れられる。そんな予感がある。あの子は何か、特別な子だ。


「とりあえず、その辺まわるか」


 ヘルメットを被って、バイクを走らせる。途中、風邪をうつしてしまったんじゃないか、と心配した鷹宮さんからメッセージが届いた。それに俺は、緊急でバイト先に呼び出されただけだから、大丈夫。放課後はちゃんとデート行けると思う。と、返信する。


「でも、この広い街中で1人の女の子を見つけるのなんて、無理だよな」


 俺はその少女……ソラちゃんのことを、何も知らない。だから彼女が行きそうな場所に、心当たりなんてない。電車やバスを使って移動されたら、それこそもう探しようがない。


「暑つ。アイス食いたいな」


 適当に街を走り回って、海の近くまで来た。潮風が心地いいが、暑いのは変わらない。というか海辺の方が日差しがキツくて、このままだと熱中症で倒れる。なので少し休もうと、近くのコンビニに入る。


「あ」


 そこで見つけたのは、恨めしそうにアイスクリームを睨んでいる白い髪の少女。


「奢ろうか?」


 と、俺が言うと、少女は心底から呆れたように息を吐く。


「貴様は本当に懲りない奴だな」


 でもどうしてか、その顔は少しだけ嬉しそうだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る