第8話 遅刻とケーキ
「はぁ、はぁ。遅くなって……ごめん」
白山さんと別れた後、ケーキのお土産を買って急いで鷹宮さんの家にやって来た。
「鷹宮さん……怒ってる?」
しかし時刻は既に7時過ぎ。夕飯にはいい時間だが、先生に怒られて遅くなったと言うには無理がある時間だ。……何とか誤魔化さないと、不味い。
「ねぇ、ハルくん。どうして、こんなに遅くなったの? メッセージに既読もつけてくれないし……。今まで何やってたの?」
「えーっと、それは……」
「こんなに遅くまで先生に怒られてたなんて、そんなのあるわけないよね? もしかして、他の女の子と会ってたりした? ……まさかクラスメイトのあの子たちと、カラオケ行ったりしてないよね?」
「あー、いや、違う違う。……ほらこれお土産のケーキ。ちょっと驚かせようと思って帰りに寄って来たんだけど、混んでて。あはは……」
流石に言い訳として厳しいなと思うが、他に言えることもないので、それで突き通すしかない。
「……ケーキ、買って来てくれたの?」
「うん。チョコとショートケーキとタルトとチーズ」
「なんで4つも?」
「いや、鷹宮さん何が好きなのか分からなかったから、とりあえず無難なのは一通り。……あ、プリンとかシュークリームの方がよかった?」
「……そんなの、メッセージ送ってくれたら分かるじゃん」
「いや、それじゃサプライズにならないかなって。あはは……」
「…………」
鷹宮さんは黙り込んで、視線を下げる。……やばい。怒ってる、怒ってる。これは完全に怒らせて……いや、違う。
「……鷹宮さん、もしかして泣いてる?」
鷹宮さんの顔を覗き込む。澄んだ綺麗な瞳が、涙で滲んでいる。慌てて手を伸ばすと、大粒の涙が床を濡らした。
鷹宮さんは、泣いていた。
「違う。……違うの。違うの、これは……大丈夫だから。大丈夫なやつだから。何でこんなことで、私……。見ないで。見ないで……ハルくん。お願い……!」
目元を拭いて、逃げるように顔を背ける鷹宮さん。俺はそんな鷹宮さんの様子を見ていられなくて、思わず彼女を抱きしめる。
「……あ」
何か抵抗されるかもと思ったけど、鷹宮さんは何も言わず、静かに俺の方に身体を預ける。だから俺も何も言わず、黙って彼女を抱きしめ続ける。
どれくらい、そのまま過ごしただろうか? 激しかった心臓の音が気にならなくなるくらい時間が流れて。互いの体温の境目が分からなくなるくらい心が落ち着いて。
それからようやく、ポツリと鷹宮さんは言った。
「私、ずっと憧れてたの」
「……憧れたって、何に?」
「家族が、お土産を買って帰って来てくれる光景に。誰かが私のことを想って家に帰って来てくれる光景に、私はずっと憧れてた。そんなのずっと、画面の向こうの話だったから……」
鷹宮さんの腕にまた力がこもる。俺は黙って言葉の続きを待つ。
「ハルくんには言ったよね? 私の両親がどういう人なのか」
「……うん」
無論、俺はその話のことを覚えていない。
「あの人たちは昔から、私に……興味がないの。家の都合で結婚させられたあの2人は、互いにこことは別の家族を持っていて……。だからあの人たちは、この家には……帰ってこない」
「寂しかったんだな」
「うん。ずっと寂しかった。テスト100点っても、運動会で1位になっても、私のことを見てくれない。……私はただ……私はただ、頑張ったねって、ケーキを買って来てくれるだけでよかったのに……」
またそこで、鷹宮さんが泣いてしまう。……何というか、鷹宮さんが抱えるものは、俺が想像していたよりずっと大きいものなのかもしれない。
多分、俺はこの記憶のない1週間でそんな鷹宮さんの力になりたいと思い、彼女の為に何かしたのだろう。その結果が、あの日の朝。
「…………」
関係を持ったのが鷹宮さんだけなら、そう結論づけて問題ないのだろう。けど事態は、もっと複雑だ。俺は自分が善人だなんて思わないが、それでもこれはないだろう。
ただケーキを買って帰って来ただけで泣いてしまうような子を放っておいて、元カノと関係を修復する理由が分からない。
……それに、白山さんだけじゃなくて、いのりちゃんや彩ちゃんとも、何か怪しいことがあったようにも見えた。考えたくないが、もしかしたら他にも誰か手を出してしまったのかもしれない。
ほんと、何やってんだよ、俺。
「……もう大丈夫。ごめんね? ハルくん。変なとこ見せちゃって」
「いや、大丈夫だよ。俺の方こそ、ごめんな。遅くなって。不安にさせて」
「もういい。それはもういいよ。きっとハルくんにも事情があったんだし。それにハルくん、ケーキ買って帰って来てくれたもん。ちゃんと、帰ってきてくれた」
鷹宮さんが俺から手を離して、笑う。それは何だかとても幼い子供のような笑顔で、思わず胸が詰まる。
「さ、ごはん食べよ? ハルくんが食べたいって言ったカレー、たくさん作ったからいっぱいおかわりしてね? ……それでデザートに、2人でケーキを食べよう!」
「……そうだな」
靴を脱いで家に上がらせてもらう。……何だろうか? 無性に、胸が痛い。これは、恋なのだろうか? それとも単なる罪悪感なのか。分からないけど、胸が痛い。
いや、違う。これは、単に……。
「なぁ、鷹宮さん」
「なに?」
「鷹宮さんって、得意料理なに?」
「ん? どうしたの、急に」
「いや、ちょっと気になって」
「うーん、そうだな」
鷹宮さんはそこで少し黙り込み、顎に指を当てて考える。そして、ちょっとだけ自信がなさそうな表情で言う。
「ハルくんが好きなものを、得意になりたいな。……えへへ、これじゃダメかな?」
「ダメじゃないけど……じゃあ、鷹宮さんの好きな料理は?」
「………………オムライス」
「じゃあ明日はオムライス、一緒に食べようか? またケーキ買ってくるからさ」
「うん!」
2人で廊下を歩く。カレーのいい匂いが漂ってくる。まだ先は全く見えないが、とりあえずカレーとケーキと明日のオムライスを楽しみに、もう少し頑張ろうと思った。
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