第7話 デートと噂



 そして、彩ちゃんのお叱りを終えた俺は微妙な気持ちを振り払うように全力で走って、住宅街に隠れるように作られたカフェにやって来た。


「遅かったですね? せんーぱい」


 そんな俺を迎えたのは、楽しそうにアイスコーヒーを飲んでいる白山さんと後輩のいのりちゃんだった。


「え? なんで、いのりちゃんがいるの?」


 機嫌が良さそうな表情で、アイスコーヒーをストローで混ぜている白山さんに視線を向ける。


「偶然、そこで会ったのよ。それでいのりが一緒にお茶しようって」


「別にいいですよねー。会話めちゃくちゃ盛り上がりましたもん」


「……なに話してたの?」


「あんたのこと」


「俺のことって?」


「先輩の悪口です。ねー?」


「ふふっ、そうね」


「……そういや2人、仲良かったな」


 まあとりあえず、白山さんが怒ってなくてよかった。小さく息を吐いて、眠そうな目をした店長にアイスコーヒーをお願いして、白山さんの隣に座る。


「白山さん、遅れてごめん。ちょっと彩ちゃんに呼び出されて、説教されてたんだよ」


「知ってる。別にいいわよ、それくらい」


「ありがとう。好きなもの奢るから、なんでも頼んでいいよ」


「おっ、先輩太っ腹ですねー。じゃあいのりちゃんは、このフルーツいっぱいのタルトで」


「いのりちゃんには奢らないよ。つーか、これから大事な話があるから帰れよ。……また今度、好きなの奢ってやるから」


「あ、すみません。このフルーツのタルト、大急ぎでお願いしまーす!」


「人の話を聞け」


 相変わらず人の話を聞かない後輩だ。


「別にあたしはいいよ、いのりが一緒でも」


「あ、そう。白山さんがそう言ってくれるなら助かるけど……」


「ほら、そんなことより白山先輩もケーキ頼まないと。先輩が奢ってくれるなんて、100年に一度の奇跡なんだから」


「そんなにケチじゃねーよ、俺は」


 白山さんはイチゴのショートケーキを頼んで、俺はチョコケーキを頼む。すると見計らったように、スマホにメッセージ。……鷹宮さんだ。


「ごめん、俺ちょっとトイレ行ってくる。2人は先に食べといていいよ」


 と言って、そのまま早足でトイレへ。


『ハルくん、まだ先生に怒られてるの?』


『ごめん。もうちょっとだけかかりそう』


『ハルくん。怒られてるの最中なのにスマホ触って大丈夫なの?』


『今ちょっと、トイレで抜けてきたところ』


『それより夕飯、鷹宮さんの手料理が食べたいなって思ったんだけど、ダメ?』


『ダメじゃないよ。嬉しい。じゃあ、何が食べたい?』


『カレーかな』


『分かった。じゃあたくさん用意して待ってる』


『大好きだよ、ハルくん』


『俺もだよ』



「ふー、何やってんだ、俺は」


 酷い罪悪感を覚えながら、スマホをポケットに入れてトイレから出る。これで多少、遅くなっても鷹宮さんは怒らないはずだ。……しかしいつまでも、こんなことをしている訳にもいかない。さっさと記憶を取り戻さないと、いつか絶対に死ぬ。


「って、盛り上がってんな」


 トイレから戻ると何の話をしているのか、白山さんといのりちゃんはとても楽しそうに会話をしていた。


「盛り上がってるけど、何話してんの?」


「あ、先輩。遅いですよ〜。私もうケーキ食べちゃいましたよ」


「悪かった悪かった。で、何話してたの?」


「いのりがね、今1年の間で流行ってる噂について教えてくれてたのよ」


「噂って、天使がどうとかーってやつ?」


「そうです。先輩、詳しいですね」


「ちょっと小耳に挟んだんだよ。……って、俺のチョコケーキ、半分食べたのどっちだ?」


 椅子に座って2人を見る。2人は黙って互いを指差し合う。仲良いな、ほんと。


「ま、別にいいけど」


 チョコケーキを一口。美味い。


「ハル、あたしにも一口ちょうだい」


「いいよ」


 あーんと口を開ける白山さんに、ケーキを食べさせてあげる。


「うん、美味しい」


「なら、よかった」


「ふふっ、なんかちょっと照れる」


 長い金髪を指に絡める白山さん。そんなに照れられると、こっちまで意識してしまう。


「……先輩、私もケーキ欲しいです。ほら、あーん」


「いや、いのりちゃんはもう十分食べただろ?」


「えー、いいじゃないですかー。可愛い後輩と間接キスできる絶好の機会ですよ?」


「もう間に合ってるからいいよ。それよりさっきの天使の話を聞かせてよ。なんか、怪我人が出てるみたいなことを聞いたんだけど」


 間接キスという言葉に、白山さんの顔が真っ赤になってしまったので、強引に話を切り替え変える。


「あー、オカルト研究会の子たちですね、それは。あの人たち平気で危ないことするから、いのりちゃんはちょっと苦手です」


「危ないこと、ね」


 今時オカルトなんて流行らないと思うけど、そういうのに熱心な奴らはどこにでもいるんだな。


「天使の話はもっと可愛い話ですよ。深夜に徘徊してる白い天使に会うと、嫌な記憶を何でも忘れさせてくれるらしいです」


「────」


 ドクンと心臓が跳ねる。アイスコーヒーに伸ばした手を握りしめ、いのりちゃんの方を見る。


「なぁ、いのりちゃん。その話、もっと詳しく聞かせてくれないか?」


「いいですけど、別に私もそんなに詳しいわけじゃないですよ?」


「それでもいいから、頼む」


 いのりちゃんの方を真っ直ぐに見つめる。すると何故か、いのりちゃんは顔を赤くして、視線を逸らしてしまう。


「そんなにまじまじと見つめられると、いのりちゃんは困ります」


「あ、ごめん」


「というか、ハルってそういう話、好きだったっけ? なんか前に、そういうのは興味ないって言ってたと思うけど……」


「ちょっと最近、興味が出てきたんだよ」


「……ふーん、そうなんだ」


 なんだか読めない表情で、白山さんが自分のイチゴショートを俺の方に差し出す。俺はそれを遠慮なくパクリと頂くと、いのりちゃんは少し怒ったような声で話し始める。


「天使の噂は、SNSに上げられた白い翼の女の子の写真から始まったらしいです。どうせ合成なんでしょうけど、あまりによくできてたんで、ちょっと話題になったんです。……ほら、これです」


 いのりちゃんが自分のスマホで写真を見せてくれる。白い翼に白い髪。天使だと言われれば納得してしまいそうな、そんな現実感のない雰囲気の少女が夜の街を歩いてる。


「確かによくできてるわね。でも今ならAIとかで簡単に作れるじゃないの? こういうの」


「でもこういう写真が出回ると、実際に見たーとか言う奴が絶対に出てくるじゃないですか。それで噂が噂を呼んで、都市伝説みたいになっちゃったらしいです」


「……それで、どうしてそれが嫌な記憶を忘れさせてくれるなんて話になったんだ?」


「初めに天使の写真をあげた子、うちの高校の生徒らしいんですけど、その子、なにも覚えてないって言ったらしいです。そんな写真、上げた覚えがないって。他にも天使を探して深夜をうろついてた人たちが、その夜なにをしてたのか覚えてないとか。あとはオカルト研究会の人たちも、怪我をしたのに覚えてないって」


「それで、嫌な記憶を忘れさせてくれるって話になったのね。ちょっと、飛躍しすぎな気もするけどね」


 どこかワクワクした様子で、アイスコーヒーを飲む白山さん。しかし俺は、そんな表情はできない。


「…………」


 この噂は、俺の記憶喪失と関係あるのだろうか? ……いや、こんなオカルトを信じるくらいなら、頭の病院に行った方がマシだ。……そう思うけど、なんだろう? 何かが引っかかる。何か、思い出せそうな気が……。


「どうしたんですか? 先輩。黙り込んじゃって」


「あー、いや、何でもないよ」


 残ったチョコケーキの最後の一口を食べて、とりあえず余計な思考を追いやる。


「って、今更だけど、いのりちゃん部活はいいの?」


「あー、それは大丈夫です。うちのバスケ部は有給システムを採用してるので。今日はいのりちゃん、有給です」


「俺が言えたことじゃないけど、あんまりサボり過ぎると、レギュラーから外されるよ? いのりちゃん、期待の星なんだからさ」


「……別にいいんですよ、私は練習しなくても強いので」


「いのり。頑張れる時に頑張らないと後で後悔するよ? ……あたしみたいにさ」


「…………私、急用を思い出しました! 先に帰ります!」


 と言って、そのままカフェから出て行くいのりちゃん。料金はまあ当然のように払ってないが、面白い噂を聞かせてもらったお礼として、俺が払っておいてやろう。


「なんか、ごめんね? せっかくのデートなのに遅刻して、いのりちゃんの相手もさせちゃって」


「いいよ、別に。あたしいのりのこと好きだし。……それに、ハルが隣に座ってくれてるだけで、あたし楽しいもん」


 テーブルの下で俺の手を握る白山さん。相変わらず白山さんの手は温かい。


「コーヒー。おかわりしてもいいよね? ハル」


「……もちろんだよ」


 そうしてしばらく、白山さんと静かな時間を過ごした。具体的には2時間くらいずっとカフェで、たわいもない会話を続けた。





 その間、鷹宮さんから届き続けるメッセージに俺は2時間もの間、気がつかなかった。


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