第13話 先輩と後輩



「先輩。ちょっとお願いがあるんですけど、今いいですか? いいですよね? 可愛い後輩のお願いを、先輩は断らないですよね?」


 と言って、公園に行こうとした俺を引き止めるいのりちゃん。


「…………」


 一瞬、今日はこれからバイトだから、と断ろうかとも思う。けど先ほど、真奈から聞いた話のこともあり、足を止めてしまう。……こういう流されがちなところが、俺の悪いところなのだろう。分かっていても、やめられない。


「少しだけならいいよ。で、お願いってなに? いのりちゃん」


 俺のその言葉を聞いて、いのりちゃんは嬉しそうに笑う。


「……実は、ずっと行きたいなって思ってたラーメン屋があったんですけど、女の子1人だと入りづらくて……。だから先輩に、付き合って欲しいなーって」


「なんだ、そんなことか。それくらいなら別にいいけど、でもそれを言うために、わざわざここで待ち伏せしてたの? メッセージとか、送ってくれればよかったのに」


「それだと先輩、何かと理由をつけて断りますからね。いのりちゃんはお見通しです!」


「んなことはないと思うけど……なんだろう? 確かにそういう側面は、あるかもしれない」


「全面的にそうなんです! ほら行きますよ!」


 手を引かれて歩き出す。方向は偶然にも、俺が行こうとしていた公園と同じだ。


「でもこの辺、ラーメン屋なんてあったっけ? 駅前の方なら、結構あるイメージなんだけど」


「だいたい徒歩、1時間くらいです」


「遠っ。電車とか自転車で行った方がよくない?」


「ラーメンでカロリー取るんだから、それくらい歩かないとダメです。いのりちゃん、スタイルには気をつけているので」


「…………」


「無言で胸を見ないでください! いのりちゃんの胸は、これから大きくなるんです! セクハラで訴えますよ!」


 プンスカと怒るいのりちゃん。その様子はいつもと何も変わらず、昨日覚えた違和感もない。なら今は、余計なことは言わない方がいいだろう。俺だって、人のことを言えた義理でもないんだ。


「そういば全然関係ないんですけどね、先輩」


「なに?」


「私、バスケ辞めようと思ってるんですよ」


 気を遣って訊くのは辞めておこうと思ったのに、いのりちゃんは特に気にした風もなくそう言った。


「あー、そうなんだ」


「そうなんだって、適当ですね? ……やっぱり先輩は、私のことなんてどうでもいいんですか?」


「いやいや違うよ。ただちょうど今朝、真奈の奴から聞いたんだよ。いのりちゃんが、バスケ部を辞めるかもしれないって」


「……あー、マナちゃんが教えちゃったのかー。ま、別にいいけど。でももっと、先輩が驚く顔が見たかったなー」


 なんて言って、いのりちゃんは笑う。やっぱりその笑顔は、晴れやかに見える。


「辞めるなら辞めるで別にいいとは思うけど、いのりちゃんはそれで本当にいいの? なんだかんだで、まだ入部して2ヶ月くらいでしょ?」


「2ヶ月も一緒に居たら、大抵、向こうがどういう奴なのか分かるじゃないですか。……それで、もういいかなーって、いのりちゃんは思った訳です」


「でもいのりちゃん、中学の頃からバスケ頑張ってるじゃん。それなのに、そんなに簡単でいいの?」


「それは、先輩にだけは言われたくありません。先輩は必死に頑張ってたことをある日当然辞める、中途半端のプロじゃないですか。ハンプロじゃないですか」


「なんだよ、ハンプロって」


「芸能プロダクションでありそうですよね」


「知らねーよ」


 疲れたように息を吐く。もう6月でしかも今日は結構、気温が高いから、こうして歩いているだけで汗が滲む。


「まあ、俺は自分の哲学に則ってやってるから、別にいいんだよ。今朝も真奈に後悔するって言われたけど、それも織り込み済みでやってることだから」


「先輩って……先輩でも、後悔してることとかあるんですか?」


「ないよ」


 と、言い切ってしまったが、本当に二股しているのであれば、それはもう全力で後悔するようなことだ。


「先輩はかっこいいですよね。私はいっぱいありますよ、後悔してること」


「……部活で、先輩と揉めたって聞いたけど」


「まあ……そうですね。揉めたっていうか、嫌がらせされたっていうか。まあどっちにしろ、つまらないありふれた話ですけどね」


 いのりちゃんは昔を思い出すように、空を見上げる。つられて俺も空を見上げる。今日は雲ひとつない快晴だ。雀が気持ちよさそうに空を飛んでる。


「私ってほら、才能あるじゃないですか。おまけに努力もしてて、可愛い」


「まあな」


「気のない返事をしないで下さい」


「た、確かに……!」


「わざとらしい返事はもっといらないです」


 小さく笑って、いのりちゃんは続ける。


「それで私、練習試合で3年の先輩を押し退けて試合に出て、大活躍したんですよ。それでみんな、今年の夏の大会もレギュラー間違いなしって言ってくれて。私……嬉しかったんです」


「それで、その3年の先輩に嫌がらせされたのか」


「……はい。正確にはその人と、その人の取り巻きの2年生に。……まあでも、大したことはされてませんよ? バッシュを隠されたり、嘘の練習メニューを教えられたりとか、そんなのです」


「顧問の先生とか、他の先輩に相談は?」


「いのりちゃん、大人なのでもっとスマートな解決策を講じました」


「というと?」


「その人に1on1を申し込んで、皆んなの前でボロボロにしてやりました。それはもう、立ち直れないほどボロボロに」


「あー」


 それが真奈の言ってた、いのりちゃんが人に合わせられないってことなのだろう。やってることは無論、その3年の先輩が悪い。けど、いのりちゃんのやり方だと、いのりちゃんが悪者にされるのは想像に難くない。


「その人に嫌がらせされてたこと、周りに言った?」


「言ってませんよ、かっこ悪いので」


「だったらその後、嫌がらせ過激になったでしょ?」


「……なりました。皆んなも、あの人があたしに嫌がらせしてるって気づいてる筈なのに、黙認するんです。マナちゃんだけは私の味方をしてくれたけど、そしたらあいつら真奈ちゃんまで……」


「それで、部活に顔を出すのを辞めたのか」


「…………はい、どうせ退屈しのぎだったんでいいんです」


 うちの妹まで、嫌がらせの対象になっていたとは。まあ、あいつは鈍感だし、いざって時はやる奴だから心配はいらないとは思うが、それでも一度その先輩には挨拶に行った方がいいだろう。


「その3年先輩、名前は?」


「な、なんですか? 私の為に仕返ししてくれるんですか?」


「まあ、そんなとこかな。3年なら受験も控えてるだろうし、最悪、そいつをバスケ部から辞めさせてやるよ。中途半端のプロ、ハンプロとして、他人との正しい縁の切り方って奴を教えてあげる」


「……でもその人、他校の怖い人と付き合ってるらしいですよ?」


「関係ない関係ない。俺のやり方はスマートだから、直接、殴り合いなんてしないよ」


 まあ今時、殴り合いなんて馬鹿なことするような奴は少ない。それに、彼氏が怖い奴だなんてこと言う女の言葉は大抵、嘘だ。もし仮に本当でも、まあやっぱり関係ない。俺なら、どうとでもできる。


「……でも、やっぱりいいです」


「なんで? 俺のこと信用できない?」


「いや、先輩に任せたら……どうにかしてくれると思いますよ? 多分、私の想像もできないようなやり方で、綺麗に解決しちゃうと思います」


「だったら──」


「でも、私のせいで先輩が酷い目に遭うかもって考えたら、やっぱり怖いです。私がバスケを辞めるだけで解決するなら、それでいいのかなって」


「…………」


 そんなことはないと思う。いのりちゃんの本心は分からないが、少なくともそんな顔をされて頷けるほど、俺も馬鹿じゃない。……でも、ここで余計なお節介を発揮して、その先輩を辞めさせて、それでいのりちゃんは喜ぶだろうか?


 虐めの証拠を集めて。SNSで何か不祥事を漁って。善意の第三者を気取って学校側に報告。それでも解決しないなら、そいつの家にも虐めの証拠を送りつける。後は、そういう噂が好きな奴に適当な噂を吹きこんで、友達からも家族からも孤立させる。そこまでやれば、いずれ心は折れるだろう。


 しかし、そんなやり方だと、いのりちゃんが背負い込んでしまうかもしれない。


「ラーメン、奢るよ」


「お、先輩、太っ腹ですね〜。煮卵とチャーシュー、つけてもいいですか?」


「いいよ。なんならライスをつけても構わない」


「うっ、魅力的ですけど、いのりちゃんのスタイルが……」


「気にすんなって。その分、今こうして歩いてるだろ?」


 軽く、いのりちゃんの頭を撫でてやる。


「もう、いつも言ってますけど、髪型が崩れるんで頭撫でるのはやめて下さい!」


「悪い悪い。……でも、本当に辛くなったら言えよ? 俺はいつでも、いのりちゃんの味方だからさ」


 いのりちゃんから手を離して、歩き出す。


「……そういうところがズルいんですよ、先輩は」


 と、背後でいのりちゃんが小さく呟いた。


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