第12話 朝と眠気



「……ねむ」


 カーテンの隙間から溢れる朝日で目を覚ます。なんだか長い夢を見ていたような気がするが、上手く思い出せない。


「つーか、重い」


 誰かが俺の上で、重なるようにして寝息を立てている。アホの妹がまた勝手に布団に入り込んできたな。そう思い声をかけようとして──。


「……って、おいおいおいおいおい。この状況は、まさか……」


 昨日の朝の鷹宮さんとのことが頭をよぎり、心臓が痛むくらい高鳴る。……まさか、またか? また俺は記憶のないまま、誰かと一夜を……。


「…………」


 恐る恐る、俺の上で眠っている少女の顔を確認する。その少女は……。


「って、なんだ。真奈まなか」


 俺の上で眠っていたのは、アホの妹の真奈だった。この目立つ赤茶けたショートカットは、まず間違いなく真奈だ。


「ビビらせるなよな、ったく」


 気持ちよさそうに眠っているあほのほっぺたをうにうにとしてから、抱き枕にして二度寝する。ただでさえ疲れてるんだ。もう少し寝ないと体力が──。


「……あれ?」


 そこでふと、思い出す。昨日の出来事。鷹宮さんとの朝。白山さんとのデート。彩ちゃん怒られて、いのりちゃんにケーキを奢った。そして俺は、天使に──。


「……っ!」


 慌てて立ち上がり、身体を確認する。……けれど、どこにも怪我はない。つーか、いつの間にか制服からジャージに着替えてるし、髪の毛からいつものトリートメントの香りがする。


「なんだよ、俺。あの後……普通に帰ったのか?」


 雨の中、天使を探し回って、白い翼の少女を見つけて、それで俺は……殺されると思って逃げて。でも、それでも何か分かるんじゃないかと思い、また天使を探して。


 そして



『──貴様も懲りない奴だな』



 そんな声が響いて、俺は……。


「どうなったんだ?」


 そこから先は何も思い出せない。……つーか、死んだと思った。あそこまで死を実感したのは、産まれて初めてのことだ。なのに俺の身体には、傷1つない。それどころか、逆に……。


「……そうだ。鷹宮さんはうちのクラスに転校してきたんだ。それで彼女は皆んなを拒絶して、俺のことも当然のように拒絶して、俺は……退屈しのぎに天使を探し出した」


 思い出した。どうしても思い出せなかった1週間の初日の記憶。転校してきた鷹宮 雫という少女。天使の噂。どうして思い出せなかったのか不思議なくらい、鮮明に思い出すことができる。


「なんだ? どうなってる? 嫌なことを忘れさせてくれるんじゃないのか?」


 これだと逆じゃないか? そもそもこれは嫌な記憶と呼べるようなものでもない。ただのいつもの、少しだけ楽しい日常だ。


「訳が分からない。……とりあえず、こいつを起こすか。おい、起きろ。朝だぞー」


 妹のほっぺたをうにうにとしながら、声をかける。けれど真奈は一度眠ると100年は眠り続ける怪物なので、なかなか目を覚まさない。


「おりゃ」


 と、胸を揉んでやる。微動だにしない。


「……起きろー」


 耳元で囁いて息を吹きかけるが、やはり目を覚さない。


「仕方ない」


 スマホを取り出し動画サイトのアプリを立ち上げ、適当な音楽を大音量で流してやろうと──。


「うっせ!」


 不意に、馬鹿みたいな音量で広告の動画が流れて、思わず俺が耳を押さえる。


「……んにゃ?」


 と、そこでようやく真奈の目が開く。


「おお、やっと起きたか、真奈」


「…………知ってますか? 兄さん。ブルーベリーが目に良いって、実は嘘らしいですよ」


「いや、豆知識なんて求めてない」


「んにゃー」


 そしてそのまま、また眠ってしまう。うちの妹はバカだがら、寝ぼけると豆知識を教えてくれる。寝ぼけてる時の方が、起きてる時より頭がいい。


「おい、寝るな。起きろ。ブルーベリー食わせてやるから」


「んにゃー、苺の方がいい」


「うるせぇ、いいから起きろ!」


 しばらくそうやって格闘して、30分。真奈はようやく目を開いた。


「おはよう、兄さん」


「おはよ、真奈」


「あはははは。兄さん、寝癖ついてる。受ける」


「受けんな。つーかお前、もうガキじゃないんだからベッドに潜り込むなって、何回も言ってるだろ?」


「私も兄さんに遅くなるなら連絡してって何回も言ってるのに、守ってくれないじゃん。お互い様〜、いえーい」


「……いえーい」


 仲良くハイタッチ。


「まあいいや、そんなことよりお前、昨日俺がいつ帰って来たか知ってるか?」


「ん? さぁ、知らないよ。昨日は遅くまでス○ラとap○xやってて、そろそろ寝ようかなーと思ったら兄さんの部屋から物音がしたんで見に行ったら、兄さん寝てた」


「……他に、誰か一緒だったりした?」


「してない。兄さんクーラーガンガンにつけて、子供みたいに毛布にくるまって寝てるんだもん。可哀想だから私が温めてあげた。えらい!」


「偉くねーよ」


 誇らしげな妹の頭を叩いて、考える。


 どうやら俺は昨日、普通に家に帰っていたようだ。というか、雨でびしょ濡れだった制服から着替えてシャワーも浴びてるようだし……。なんか、そこの記憶だけがないというのが妙に気持ち悪い。


「まあいいか」


 そんなことは些細なことだ。それより少しではあるが、この1週間の記憶を思い出すことができた。なら多分、俺の記憶喪失の原因はあの天使にあると見て、間違いないだろう。


「…………」


 ……ただ、あの少女に関わるというのは、まだ少し怖い。そんなことを言ってる場合じゃないから我慢するけど、それでも怖いものは怖い。


「兄さん考えごと? チョコ食べる?」


「食べない。つーかそれ、どっから出した」


「ポケット」


「溶けてんじゃねーか。しかもそれ、俺のチョコだろ」


「チョコは溶けても、妹の愛情は溶けないぜ? 兄さん」


「知るかボケ。俺の愛想は溶けてるよ」


 などとアホなやりとりをして、壁にかけられた時計を確認。


「いやもう9時じゃん! 学校……って、ああ今日、土曜か」


「ぷぷっ、兄さんダッセー」


「うるせぇ。お前は部活はいいのかよ?」


「今日はお休みー。なんで私はこれから兄さんと二度寝して、1日中ゲームする」


「俺は寝ないから、枕と寝てろ。……って、そうだ。関係ないけど、いのりちゃんって最近、部活サボったりしてる?」


 真奈はアホ毛をふらふらと揺らし、大きなあくびをしてから言葉を返す。


「うん、サボってる。いのちゃんはもうバスケ辞めるかもね」


「いや、なんで? いのりちゃん、期待の新人なんじゃないの?」


「そうだけど、合ってないんだよ。合ってない、絶望的に。いのちゃん私よりずっと才能あるけど、周りに合わせるの無理だから、先輩と上手くいってないんだよ。それで一回揉めて、そっからいのちゃん、部活に来てない」


「……そうなのか」


 あっけらかんとしているように見えて、いのりちゃんにもいろいろあるようだ。今度会った時は、もう少し気にかけてあげよう。


「でも、お前はいいの? いのりちゃん、友達だろ?」


「別に。バスケ辞めても友達でなくなる訳じゃないし」


「意外と薄情だな、お前」


「それが私たちの友情なの。というか兄さんだって、いろいろできる癖に全部、中途半端に辞めてるじゃん。勉強も、サッカーも、ピアノも」


「俺はいいんだよ。所詮は全部、退屈しのぎだ」


「出た出た、兄さんの退屈しのぎ。兄さんみたいな奴は大人になってから、絶対に後悔するね。賭けてもいいよ、兄さんの命を」


「勝手に人の命を賭けんな」


 自分のことなら、別に後悔してもしなくてもどうだっていい。その気になれば幸せになるのなんて簡単だし、後悔を払拭することだって難しくない。やろうと思えば、俺はなんだってできる。


 ようは、やるかやらないか。捨てられるか、捨てられないか、だ。


「さて、俺はちょっと出かけてくる」


「じゃあ私はもう少し寝るー」


「寝てろ寝てろ。……あ、今日も遅くなると思うから、父さんと母さんに夕飯いらないって言っといて」


「おけおけ。その代わりちゃんと連絡するんだぞ?」


「分かったよ」


 適当に言って、着替えて諸々の準備を済ませて、家を出る。昨日の雨が嘘みたいに、今日はいい天気だ。


「天使って昼間もいるのかなー。でも、あんなのが昼間からうろついてたら、絶対に誰かが通報するよな。……そうだ。1回、公園に行ってみるか」


 思い出した過去。鷹宮さんと話をした場所。彼女がどうしてあの公園にいたのかはまだ分からないが、行けば何か思い出すかもしれない。


「学校が休みの間に、できることはやっとかないとな。……っと、その前に」


 とりあえず鷹宮さんに、『昼間はバイトがあるから、夜になったら会いに行く』『オムライス、楽しみにしてる』とメッセージを送る。白山さんからは何のメッセージも届いてないので、とりあえず様子見。


 クラスメイトの雨宮さんと久梨原さんからも何件かきているので、適当な断り文句を送って準備完了。


「さて、行くか」


 と、歩き出そうとしたところ、ふと声が響いた。



「先輩。ちょっとお願いがあるんですけど、今いいですか? いいですよね? 可愛い後輩のお願いを、先輩は断らないですよね?」



 まるで待ち伏せしていたかのように現れたいのりちゃんは、そう言って楽しそうに笑った。


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