第11話 記憶と思い出



「はじめまして、鷹宮 雫といいます。よろしくお願いします」


 6月という微妙な時期に、うちのクラスにやってきた転校生。長い綺麗な黒髪に、透き通るような肌。彼女は目を見張るような美人で、クラスメイトは皆、盛り上がっていた。


 男子は『可愛い』『美人』『胸が大きい』『誰か声かけてみろよ』みたいなことを言っていて、女子は『髪が綺麗』『肌が綺麗』『ちょっと声かけてみようかな』と、話していた。


 けれど、彼女の自己紹介。名前だけを告げる本当に短い自己紹介を聞いて、皆、一様に口を閉じた。



 彼女は人を拒絶していた。



 話しかけないでオーラ、というか。そういうあからさまに、誰かと関わりたくないという雰囲気。彼女はそんな雰囲気を纏わせたまま席に座って、誰とも目を合わせずただ真っ直ぐに黒板を見つめていた。


 そんなこともあって、彼女は瞬く間にクラスで孤立した。最初はそれでもと話しかけていた女子もいたし、そういう性格だからと話しかけた男子もいた。


 けれど彼女はそんな誰もを拒絶して、当たり前のように俺のことも拒絶した。皆んなに冷たいあの子が俺にだけ……みたいな展開はなく、普通に『話しかけないでください』と言われた。まあ、そんな都合のいい話はラノベか漫画の中だけなのだろう。


「……なんか、感じ悪いよね」


 と、クラスメイト久梨原さんが俺に言った。


「どうかな」


 と、俺は曖昧な言葉を返す。


「いや、悪いじゃん。神坂くんがせっかく声をかけてあげたのに、あんな風に拒絶するとか最低。嫌なら嫌でも、もっと言い方ってものがあるじゃん」


「…………」


 それはまあ、別にどうでもいいんだけど、でもなんていうか……不器用だな、と俺は思った。ああいうやり方だといずれ破綻するということが、彼女には分からないのだろう。


「まあいいや。それよりさ、神坂くん。今日……カラオケ行かない? 雨宮ちゃんがどうしても、神坂くんとカラオケ行きたいって聞かなくて」


「ちょっ、私はそんなこと一言も言ってないって〜」


 楽しそうに笑う2人に笑みを返して、断り文句を探す。……けれど、なんていうか今日は気分が乗らなかったから、考える前に口が動く。


「いいよ、行こうか。今日は暇だし」


「……! マジ? じゃあ決定ね? 絶対だからね?」


「分かってるって」


「やったじゃん、雨宮ちゃん!」


「だから、皆んなの前でそんなこと言わないでって!」


 と、そんな風に、いきなりクラスにやって来た美人な転校生は初日から孤立することになり、皆、腫れ物を扱うかのように彼女から距離を取った。


「…………」


 そして当の彼女、鷹宮さんはそんな周りの状況なんか気に止めず、静かに1人で本を読んでいた。


「人間失格って、やっぱり不器用だな」


 と、俺は小さく呟いた。



 そして、同日の夜。結局10人くらいで集まって、楽しい楽しいカラオケ大会を終えた俺は、少しだけバイト先の切無きりなしさんの所に顔を出した後、家に向かってダラダラと歩いていた。


「カラオケ行くと毎回、フライドポテト頼んじゃうのはなんでなんだろうな」


 などと、どうでもいいことを呟いていると、ふと人影が見えた。


「……あれ、鷹宮さんだよな」


 夜の公園のベンチに座って、1人で空を見上げている少女。なんていうかその姿はとても危うく見えて、俺は思わず声をかける。


「何してるの? 鷹宮さん」


「…………」


 けれど彼女はこちらに視線を向けず、言葉も返さない。


「女の子が1人でこんな時間にこんな所にいたら、危ないよ」


「……貴方には関係ありません」


「…………確かに」


 確かに関係ないなと思ったので、俺はそのまま帰ろうとする。


「高宮さんさ、そのやり方やめた方がいいと思うよ。孤独っていうのは何も、君1人の所有物じゃないんだから」


 最後に余計なお節介を言って、歩き出す。……けれどどうしてか、鷹宮さんはそんな俺を引き止めた。


「それはどういう意味ですか?」


「そのままの意味だよ。……鷹宮さんは、人と関わりたくないんでしょ? だったら、周りを拒絶したらダメだよ。うちのクラスの連中は……まあそこまで悪い奴らじゃないから、いじめなんかはないと思う。けど、それでもそのままだといずれ誰かの恨みをかうよ」


「……私は、好きでもない人間に笑顔を振りまくのは嫌いです」


「作り笑いでいいんだよ、そんなの。……1人になりたいなら、1番最初に練習しなくちゃいけないのは作り笑いだ。そんで次が、上手い断り文句」


 それだけ言って歩き出す。鷹宮さんも、もうそんな俺の背中を引き止めることはしなかった。


「あ、そうだ。これあげる。バイト先で山ほどもらったんだけど、うちの家族は甘党少なくて食べ切れないから」


 なんかのアニメとコラボしたとかで、ミーハーな切無さんが大量に買ったプリン。あの人はいい歳してその辺に見境がないから、グッズ欲しさに食べきれないほど買って人に押し付ける。なのでまあ、お裾分け。


「それ、意外と美味しいから」


「…………ありがとう、ございます」


「どういたしまして」


 それだけ言って、今度こそその場を後にする。


「……なんか、どっかで見たことある気がするんだよな、あの子」


 忘れてしまうようなことなら、大したことじゃないのだろう。……ついこの間、宿題を忘れてそんなことを言ったら、彩ちゃんに死ぬほど怒られた。なので、人間は大切なことも簡単に忘れてしまう生き物らしい。


 だからあの子のことも、俺が忘れているだけなのかもしれない。


「そういや、嫌なことを忘れさせてくれる天使がいるんだったな」


 カラオケの最中、そんな噂を雨宮さんから聴いた。なんでも1年生の間で流行っているらしく、本気でそんなものを探している人間もいるらしい。


「……俺も探してみるかな」


 家に向いていた足を止め、少しだけ寄り道をすることにする。


 どうせ、天使なんていない。単なる噂に過ぎない。そんな噂を本気にするほど、俺もガキじゃない。でも、達観して否定するほど大人でもない。……それに、いい退屈しのぎになる筈だ。


 どうせ他にやることもやりたいことも、何もありはしない。時間は有り余っている。


「優しい両親。可愛い妹。つまらない学校。明るいクラスメイト。楽しいカラオケ。慣れ親しんだバイト。そして、謎めいた転校生」


 そんな日常に退屈していた。ずっと何か、俺がやらなくちゃいけないような、そんなことを探していた。誰かが用意した問題じゃなくて、俺自身が俺自身の為に何かしてみたかった。


 幸せな当たり前に、俺は退屈していた。


「いや、退屈じゃないか」


 俺は呆れていたんだ。呆れてた。恵まれた環境で、退屈することしかできない自分に。


「『生まれて、すみません』ってか。太宰は陰気だから好きじゃないんだよな」


 その日から、俺は天使を探し始めた。



 ……或いはそれが、全ての間違いだったのかもしれない。


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