第16話 ミントと先輩



「先輩って、チョコミント好きなんですねー」


 結局、自分の分のアイスも買ったいのりちゃんが、ぺろぺろとマンゴー味のアイスを舐めながらそう呟く。


「いや別に普通だよ。特別好きって訳でもない」


「そうなんですか。いのりちゃんは、チョコミントちょっと苦手です。あれはなんか、歯磨き粉みたいじゃないですか」


「よく言うけど、全然違うと思うけどな」


「でもなんで、歯磨き粉ってミントの味が多いんですか? ミントって歯にいいんですかね?」


「……それは逆転の発想だな。でも知らんわ。どっちかっていうと、あの香りが口臭対策になるとかだと思うけど」


「じゃあ、チョコミントも口臭対策ですか?」


「それは違う」


 などど、どうでもいい会話をしながら、考える。天使……らしい少女を見つけたせいで忘れてしまっていたが、俺は記憶喪失のことをいのりちゃんに話そうかと考えていた。


 いのりちゃんなら誰かに吹聴したりしないだろうし、二股……もしかしたらそれ以上しているかもしれない俺の状況も、理解してくれるかもしれない。


「…………」


 いや、無理か。先輩が急に『俺、二股してるかもしれないんだけど、その記憶ないんだよ。そんでその記憶は多分、天使のせいで忘れたみたいだから、思い出すのに協力して欲しい』なんて言ってきたら、俺なら逃げる。……いやまあ逃げはしないけど、それでも引くのは間違いない。


 考えが、浅かったな。


「先輩、どうかしたんですか? 黙り込んで、アイス溶けてますよ?」


「あー、ほんとだ」


 慌ててアイスを舐める。腹一杯の筈なのに、普通に食べれてしまうから不思議だ。


「先輩、なんか最近ぼーっとてしてること多いですよね? 何か悩みでもあるんですか?」


「悩みっていうか、まあ……そんな感じのものを抱えたりはするかな」


「曖昧ですね。というか、先輩でも何かに悩んだりするんですね」


「お前は俺を、なんだと思ってるんだよ」


「ロボットになりきれない人間?」


「どういう意味だよ、それ」


 なんだか的を射ているような、そうでないような絶妙な言葉に息を吐いて、またアイスを舐める。


「どしたん? いのりちゃんが、話聞こか?」


「なんだよ、突然」


「いや、先輩は私のその……部活でのこととか、いろいろ話を聞いてくれたじゃないですか。それでいのりちゃん、なんかちょっと楽になったっていうか……。本当はラーメンじゃなくて、先輩に話を聞いてもらいたかったから待ち伏せしてたー、みたいな側面があるんですよ」


 照れたように頬を赤くして、視線を逸らすいのりちゃん。


「だからまあ、何かあるんだったら私が話を聞きますよ? 先輩から見たら頼りないかもしれないけど、こう見えて私、凄いですから!」


「凄いって何が?」


「全部です!」


「全部か……」


 それは確かに凄い。凄いけど……でもだからって、全部が全部、話したらいのりちゃんも困惑するだろうし、何なら引かれるだけじゃ済まないかもしれない。


「すげーぶっ飛んでる話だけど、大丈夫?」


「大丈夫です! いいから話してください」


「分かった。じゃあ信用して話す。実は俺さ……」


 そこで一度言葉を区切り、覚悟を決めるように大きく息を吐く。そして、続く言葉を口にする。


「記憶がないんだよ」


「き、記憶ですか」


「うん。この1週間……いや正確には先週の金曜から一昨日の木曜までの記憶が、ほとんどないんだ」


「────」


 いのりちゃん、絶句。全部が凄いいのりちゃんでも、受け止められないこともあるようだ。


「それってその……本当なんですか?」


「本当なんだよなー、これが」


「あ、だから先輩、昨日あんなに天使の噂に食いついてたんですね!」


「まあ、そんなとこ」


「でもあんなの、単なる噂ですよ? もし本当に記憶に異常があるなら、ちゃんと病院とか行った方がいいんじゃないですか? 悩みとかそういう次元を超えてますよ、先輩の話は」


 あわあわとしながらも、しっかりとしたこと言ういのりちゃん。それは確かに、もっともだと思う。


「でも、あんまり大事にしたくないし」


「言ってる場合ですか」


「いやまあそうなんだけど、実際に……見たんだよ」


「見たって何をです?」


「天使」


「…………」


 いのりちゃんは静かにアイスを食べきって、そのまま目を瞑って腕を組む。見たことがないくらい、困惑している。やっぱり話すのは、辞めておいた方が良かったかもしれない。俺だってまだ状況を把握しきれてないのに、それを何も知らない他人が聞いたら混乱するのは当然だ。


「……ちなみにその話って、鷹宮さんとか白山先輩とかは知ってるんですか?」


「あーいや、いのりちゃんにしか話してない」


「…………ふーん、そうなんですか。……そうなんですね」


 難しい顔でうんうんと頷くいのりちゃん。その顔がちょっとだけ嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。


「天使って、どんな感じの人でした?」


「いや、前にいのりちゃんが見せてくれた写真と同じだよ。白い髪に白い翼。身も凍るような冷たい瞳に、魔的な雰囲気」


「じゃあやっぱり、噂はほんとだったんだ……」


「完全にほんとって訳でもないと思うけどね」


「いやいやそれでも……それでも、なんかちょっと……嬉しいです」


 嬉しいというのがどういう意味なのか、イマイチ分からない。けどなんだかいのりちゃんは天使に幻想を持っているようなので、彼女が今さっきここでアイスを食べていたことは、黙っておいた方がいいだろう。


「まあそんな訳だからさ、いのりちゃん。俺がこの1週間でなにをしてたか、分かる範囲でいいから教えてくれない?」


「…………」


「いのりちゃん? どうかしたの?」


「あ、いえいえ。……えーっと、分かりました。先輩がこの1週間で何をしてたかですよね。大丈夫です、私に任せてください」


 えへん、と胸を張っていのりちゃんは話し始める。


「まあ、と言っても私はほとんど知らないですけどね、先輩の行動。学年も違いますし。だから分かる範囲で話しますけど……確か最初の金曜日は先輩、クラスの人たちとカラオケに行ってるのを見かけたと思います」


「あー、それは覚えてる」


「それで、続く土日はマナちゃんと遊んだんですけど、先輩はどっちも家に帰ってないって言ってました。……いや、土曜は遅くに帰ってきたんでしたっけ? どっちにしろ、マナちゃんまた連絡ないって怒ってましたよ」


「ちなみに、その時俺が何をしてたかとかは……」


「そこまでは流石に」


「そうか……」


「それで月曜に先輩と少し話をしたんですけど、その時の先輩はなんかちょっと様子がおかしかったんですよね。楽しそうっていうか、なんかちょっと……いつもと雰囲気が違いました」


「…………」


 余計な口を挟まず、いのりちゃんの言葉に耳を傾ける。


「それで先輩は、そこから3日も学校を休んでました。流石に何をしてたかは分からないですけど、白山先輩が途中で早退したりしてたんで、関係あるのかなーなんていのりちゃんは想像してました。……あと、これは遠目で見たんで確証はないですけど、木曜日の夜に先輩と鷹宮さんが一緒に歩いてるのを見た気がします。……まあ、こんなところですかね、私が知ってる情報は」


「……ありがとう、参考になったよ」


「どういたしまして!」


 可愛く胸を張るいのりちゃんの頭を撫でてやる。そしてそのまま、少し考える。


 正直、具体的なことは何も分からなかった。そもそも、学年が違って家も離れてるいのりちゃんが、俺の動向を詳しく知っている方がおかしい。何なら、今の情報でも知りすぎてるくらいだ。


「もうっ、だから頭を撫でるのは辞めてください!」


「ああ、ごめんごめん。でも本当に助かったよ、これからちょくちょくいのりちゃんを頼るかもしれないから、悪いけどよろしくね。ラーメンまた奢るから」


「私、今度は焼肉食べたいなー」


「……別にいいけど、あんま高いとこは無理だぞ」


「冗談ですよ。私、先輩にはお世話になってるので、無償でお手伝いします」


「おお、ありがとう」


「どういたし──」


「……? どうかしたの?」


 急に、青い顔をして黙り込んでしまったいのりちゃん。いのりちゃんは、普段は見せないような冷たい目で、背後の誰かを見つめている。つられて俺も、そちらに視線を向ける。


 すると、声が響いた。



「随分と楽しそうじゃん、いのり」



「……倉田くらた先輩」


 こちらを小馬鹿にするような目で見つめる、3人の少女たち。その姿を見て、俺はすぐに思い至る。この3人がいのりちゃんに嫌がらせをしていた、バスケ部の少女たちなのだと。


「…………」


 タイミングが悪いな、と俺は小さく息を吐いた。


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